歴史と中国

成都市の西南交通大学で教鞭をとっていましたが、帰国。四川省(成都市)を中心に中国紹介記事及び日本歴史関係記事を載せます。

伊豆(2)城ヶ崎・だるま山・修善寺

2024年03月24日 13時37分08秒 | 観光(日本)
(2)城ヶ崎・だるま山・修善寺
2024年3月15日(金)・16日(土)、クラブツーリズム主催の「冬の味覚・伊豆グルメと冠雪の富士山!」に行ってきました。旅程は、
15日 昼食三島うなぎ、沼津御用邸、小室山 熱川温泉泊・夕食伊勢エビ鮑付きの海鮮トロ箱盛りと金目鯛煮付け
16日 城ヶ崎、昼食高足ガニしゃぶしゃぶ、だるま山、修善寺
です。
2024年3月16日(土)朝、写真1~4は、ホテル志なよしの部屋からの日の出(5時55分)です。





8時15分にホテルを出発し、城ヶ崎・ほら納屋駐車場に着きました。700m程歩いて門脇駐車場に至りました。写真5は、ここからの半四郎落とし・門脇吊り橋です。

写真6は、遊歩道から吊り橋を撮ったものです。

写真7は、渡って吊り橋を北へと撮ったものです。

写真8は、門脇埼灯台です。

写真9は、灯台へと上り、城ヶ崎を南へと撮ったものです。

写真10は、東へと真下に門脇埼です。

写真11は、北へと撮ったもので、左に吊り橋、右につばくろ島です。

写真12は、つばくろ島です。

写真13は、吊り橋です。

写真14は、吊り橋上から下に岸壁です。

写真15は、吊り橋全景と奥に門脇埼灯台です。以上で、城ヶ崎は観光は終わりです。

9時35分に出発しました。戸田で高所がにのしゃぶしゃぶ昼食後、だるま山高原展望台に12時55分に到着しました。写真16は、展望台からの富士山の遠望です。下に沼津市街が見えます。

写真17は、富士山を引きつけて撮りました。

写真18は、「達磨山キャンプ場からの展望」碑に富士山を添えたものです。

写真19は、富士山に沼津市街外を入れたものです。以上で終わりです。次いで、最後の観光地修善寺に13時15分に向かいます。

修善寺のバス駐車場には13時40分過ぎに到着しました。修善寺は何度も訪れているので、通常の散策ではなく、まずここで非業の最期を遂げた頼朝異母弟の伝三河守源範頼墓を訪れました。写真20が、それです。

写真21は、墓横にあるカフェ芙蓉でまったりしたとこで撮ったものです。

最後の写真22は、範頼の舅である伝藤九郎盛長墓です。以上で観光は終わりです。湯河原に戻り16時34分発で帰りです。

(2024.03.24)
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伊豆(1)沼津御用邸・小室山

2024年03月22日 16時37分45秒 | 観光(日本)
(1)沼津御用邸・小室山(2)
2024年3月15日(金)・16日(土)、クラブツーリズム主催の「冬の味覚・伊豆グルメと冠雪の富士山!」に行ってきました。旅程は、
15日 昼食三島うなぎ、沼津御用邸、小室山 熱川温泉泊・夕食伊勢エビ鮑付きの海鮮トロ箱盛りと金目鯛煮付け
16日 城ヶ崎、昼食高足ガニしゃぶしゃぶ、だるま山、修善寺
です。
踊り子3号で10時13分に湯河原で下車し、バスに乗り、三島でウナ重の昼食後、最初の観光地の沼津御用邸に12時40分過ぎに着きました。沼津御用邸は1905(明治38)年に造営され、その後の増築を重ねて、1922(大正11)年に現在の姿になりました。(めいじ38)まず面積1270㎡の木造平屋建ての西附属邸に入ります。
写真1は、皇族が食事をされる御食堂です。

写真2は、天皇が来客と面会する謁見所です。部屋は畳敷きですが、一面に絨毯が敷き詰められています。右の天皇の椅子には御紋章の蒔絵が描かれています。

写真3は、皇族の居間である御座所です。これに寝室等を合わせ全体を御座所と呼んでいました。

写真4は、西附属邸の外観で、右が御座所です。左が皇后の居所です。

写真5は、当地の住民が潮風や砂を守った垣で竹製です。

写真6は、海岸から南を見たものです。防潮堤を工事中でした。

写真7は、南に邸内を歩いている時に撮ったものです。

写真8は、邸内の藤棚です。

写真9は、馬屋です。ただ、現在は飼われいません。以上で御用邸は終わりです。

13時は頃に出発し、次の観光地の小室山に14時40分過ぎに着きました。写真10は、リフトで上っているところです。

写真11は、上り北へと撮ったもので、奥が熱海市街、右が初島です。

写真12は、手前は川奈ホテルゴルフコース富士コースです。

写真13は、手前が川奈ホテルゴルフコース大島コース、奥は伊東市富戸です。

写真14は、カフェのCafé●321から南を見たものです。

最後の写真15は、リフトで下っているところです。以上で本日の観光は終わりで

16時藩頃に熱川温泉の志なよしに着きました。夕食には伊勢エビ・鮑も盛り込んだトロ箱会席でした。金目鯛一匹の煮付けも付いています。
(2024.03.22
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竹生島初日の出(4)熱田神宮・竹島

2024年01月26日 15時42分19秒 | 観光(日本)
(1)豊川稲荷
(3)彦根城
(4)熱田神宮・竹島
2023年12月31日(日)~2024年正月3日(火)、クラブツーリズム主催の横浜発のバスツァー「琵琶湖「初日の出クルーズ」と神の棲む島「竹生島」」で初日の出を拝みました。旅程は、
31日 豊川稲荷、関ヶ原ですき焼き御膳夕食 八日市泊
1日 竹生島(初日の出)、近江神宮初詣、大津で比叡湯葉の昼食、彦根城、彦根で鮎塩焼き膳の夕食、 同泊
2日 熱田神宮参拝、蒲郡で昼食、竹島
です。
2024年1月2日(火)、ツァー最終日の最初は熱田神宮参拝です。熱田神宮(名古屋市熱田区神宮1-1-1)は日本武尊の草薙神剣が鎮座する所です。祭神は熱田大神、草薙神剣を霊代とする天照大神です。
写真1は、神木の大楠です。樹齢千年以上といわれています。

写真2は、日本三大土塀の信長塀です。桶狭間合戦の戦捷の礼として織田信長が寄進したものです。

写真3は、本宮拝殿です。

写真4は、本宮奥にある天照大神の荒魂を祀る一之御前神社です。

写真5は、本宮の裏門からです。

写真6は、お清水です。

写真7は、水を司る罔象女神を祀る清水社です。

写真8は、以前は草薙神剣を奉安していた土用殿です。

写真9は、本宮内拝殿です。

蒲郡で昼食後、最後の竹島(愛知県蒲郡市竹島町3-15)を訪れました。
写真10は、手前に竹島園地で、奥に387mの竹島橋と竹島です。

写真11は、左側から見た竹島橋と竹島です。

写真12は、101段の石段を上ったところにある宇賀神社(祭神宇迦之御魂神)です。

写真13は、島の中心である日本七弁天の八百富神社拝殿です。祭神は市杵島姫命です。

写真14は、竹島南端の龍神岬から東に陸側です。

写真15は、同じく南に渥美湾です。

写真16は、八百富神社本殿です。。

写真17は、竹島橋上から西に奥に海岸線です。

最後の写真18は、同じく東に海岸で、鷗が群れています。以上で観光は終わりで、一路東名高速道路で帰りま。

(2024.01.26)
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竹生島初日の出(3)彦根城

2024年01月24日 18時36分18秒 | 観光(日本)

(1)豊川稲荷
(3)彦根城
2023年12月31日(日)~2024年正月3日(火)、クラブツーリズム主催の横浜発のバスツァー「琵琶湖「初日の出クルーズ」と神の棲む島「竹生島」」で初日の出を拝みました。旅程は、
31日 豊川稲荷、関ヶ原ですき焼き御膳夕食 八日市泊
1日 竹生島(初日の出)、近江神宮初詣、大津で比叡湯葉の昼食、彦根城、彦根で鮎塩焼き膳の夕食、 同泊
2日 熱田神宮参拝、蒲郡で昼食、竹島
です。
大津で比叡湯葉の昼食後、彦根城観光です。彦根城(滋賀県彦根市金亀町1-1)は慶長9年(1604)に彦根山に着工され、元和8年(1622)に第3代藩主直孝の時に完成しました。
写真1は、佐和口への中堀端のいろは松です。

写真2は、二の丸佐和口多門櫓(重文)です。

写真3は、佐和口からの中堀と石垣です。

写真4は、佐和口多門櫓です。

写真5は、内堀にかかる表門橋です。

写真6は、表門橋からの内堀です。

写真7は、表門山道です。

写真8は、天秤櫓(重文)と廊下橋です。櫓の石垣は右側が築城当時の打込みハギ積み、右側が築城当時の打込みハギ積みです。廊下橋をくぐり左に回転して上ると橋に出ます。

写真9は、左側からの天秤櫓と廊下橋です。
写真10は、半ばまで上がったところからの天秤櫓と廊下橋です。

写真11は、正面から見た天秤櫓です。

写真12は、廊下橋から見下ろしたものです。

写真13は、太鼓門櫓(重文)です。太鼓が置かれたからの名称と言われています。

写真14は、三階三重の天守(国宝)です。屋根は「切妻破風」「入母屋破風」「唐破風」を多様に配して、2階と3階には「花頭窓」、3階には高欄付きの「廻縁」を巡らせて、外観に重きを置いています。大津城から移築されとされています。ご覧のように天守への行列が出来ており。結果として参観に並んでから参観に30分以上の時間がかかりました。

写真15は、同じく天守です。

写真16は、1階に置いてある井伊直政の牛皮小札赤備具足(複製)です。

写真17は、天守3階か東を見たもので、下が玄宮園です。

写真18は、西に琵琶湖を見たものです。下に見える櫓は二の丸三重櫓(重文)です。

写真19は、二の丸三重櫓を拡大したものです。

写真20は、北に伊吹山です。

写真21は、3階の内部です。柱の古さが分かります。

写真22は、切妻破風の瓦です。

写真21は、南西角からの天守です。

写真22は、西からの天守です。

写真23は、北の西の丸からの天守です。

写真24は、内堀に東へと架かる黒門橋です。

写真25は、黒門橋から南へ内堀です。

写真26は、楽々園です。延宝5年(1677)に4代藩主直興が造営したと伝わる下屋敷の範囲であり、同時に「隠居所」としても使用されました。

写真27は、玄宮園です。下屋敷に伴う後園として江戸時代前期に作庭された池泉回遊式庭園です。池泉には大小4つの中島が築かれ、色々な形式の橋が架けられて回遊性をもつと共に庭園内の景観にもなっています。この写真は池の左側(南)です。

写真28は、池の中央部です。

最後の写真29は、池の右側で奥右上部に天守が見えます。ただ、天守見学に時間が取られたため、玄宮園は十分に見ることが出来ませんでした。位上で、本日の観光は終わり、夕食として鮎の塩焼き御膳を食しました。

(2024.01.24)
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竹生島初日の出(2)竹生島・近江神宮

2024年01月22日 16時25分09秒 | 観光(日本)
(1)豊川稲荷
(2)竹生島・近江神宮
(3)彦根城
2023年12月31日(日)~2024年正月3日(火)、クラブツーリズム主催の横浜発のバスツァー「琵琶湖「初日の出クルーズ」と神の棲む島「竹生島」」で初日の出を拝みました。旅程は、
31日 豊川稲荷、関ヶ原ですき焼き御膳夕食 八日市泊
1日 竹生島(初日の出)、近江神宮初詣、大津で比叡湯葉の昼食、彦根城、彦根で鮎塩焼き膳の夕食、 同泊
2日 熱田神宮参拝、蒲郡で昼食、竹島
です。
2024年元旦朝、ホテルを出て長浜港に向かい、3艘のチャーター船の最後に乗船し、竹生島に渡りました。島での初日の出を迎える予定でしたが、船上での初日の出となりました。写真1は、初日の出前の様子です。

写真2は、初日の出です。7時3分でした。

写真3は、アップしたものです。

写真4は、更に上がったところです。

写真5は、アップしたものです。以上で初日の出は終わりです。

写真6は、島に上陸し、165段の石段の参道を見上げたところです。7時9分です。

写真7は、宝厳寺の本堂(弁財天堂)です。

写真8は、唐門(国宝)です。大坂城の極楽橋の一部を移築したものです。

写真9は、舟廊下(重文)です。豊臣秀吉の御座船「日本丸」船櫓を利用したと伝えられているものです。

写真10は、都久夫須麻神社本殿(国宝)です。伏見城の遺構と伝えられています。

写真11は、龍神拝所左手から見た琵琶湖北東側の遠望です。松の下の中央の山は賤ヶ岳です。

写真12は、同じく南側の遠望です。

写真13は、龍神拝所(かわらけ投げ)から南に琵琶湖です。浮かんでいるのが乗船したチャーター船です。

写真14は、帰りの船上からの竹生島です。以上で竹生島初日の出は終わり、、近江神宮での初詣に向かいます。

近江神宮(滋賀県大津市神宮町1-1)は祭神を天智天皇(天命開別大神)とし、天皇の座した琵琶湖西岸の大津宮跡に、1940年(昭和15)に鎮座しました。
写真15は、楼門です。

写真16は、外拝殿と初詣の列です。

写真17は、内拝殿です。奥が本殿です。

最後の写真18は、外拝殿回廊上からの楼門です。以上で午前の観光は終わりです。

(2024.01.22)
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竹生島初日の出(1)豊川稲荷

2024年01月21日 11時37分31秒 | 観光(日本)
(1)豊川稲荷
(3)彦根城
2023年12月31日(日)~2024年正月3日(火)、クラブツーリズム主催の横浜発のバスツァー「琵琶湖「初日の出クルーズ」と神の棲む島「竹生島」」で初日の出を拝みました。旅程は、
31日 豊川稲荷、関ヶ原ですき焼き御膳夕食 八日市泊
1日 竹生島(初日の出)、近江神宮初詣、大津で比叡湯葉の昼食、彦根城、彦根で鮎塩焼き膳の夕食、 同泊
2日 熱田神宮参拝、蒲郡で昼食、竹島
です。
12時半前に本日の訪問地、曹洞宗円福山豊川閣妙厳寺―豊川稲荷(愛知県豊川市豊川町1)に着き参拝をします。写真1は、大本殿です。1920年に竣工したもので、内陣には「豐川吒枳尼眞天」が奉祀されています。

写真2は、万燈堂です。文久3年(1863)に建立された間口十三間・奥行七間で、不動明王と文殊菩薩が奉祀されています。

写真3は、大本殿から奥の院への参道にたなびく奉納された幢で、千本幢と通称されるものです。

写真4は、霊狐塚で、奉納された千体にも及ぶお狐さんがお祀りされています。

写真5は、正面の霊狐塚です。

写真6は、手前の岩が本来の霊狐塚です。

写真7は、奥の院です。文化11年(1814)の建築で、彫刻が名匠諏訪ノ和四郎の手になるものです。

写真8は、景雲門です。安政5年(1858)の創建で、彫刻が名匠諏訪ノ和四郎の手になるものです。

写真9は、山門です。天文5年(1536)今川義元が寄進した建物で、

最後の写真10は、総門です。現在の門は1884年(明治17)に上棟改築されたものです。

(2024.01.21)
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鳥取・島根巡り(3)足立美術館・日本庭園由志園

2023年12月15日 16時47分39秒 | 観光(日本)
(3)足立美術館・日本庭園由志園

2023年11月29日(水)、最終日三日目の最初の観光地は足立美術館(島根県安来市古川町320)です。本美術館は地元の実業家足立全康が1970年に創設し、横山大観を中心としたコレクション展示と日本庭園です。季節から庭園は紅葉しています。
写真1は、入ったところから奥(西)に枯山水庭と白沙青松庭を撮ったものです。手前の建物の角は喫茶室翠です。

写真2は、喫茶室翠から眺めた枯山水庭から左に白沙青松庭です。

写真3は、同じく枯山水庭の右側です。

写真4は、同じく枯山水庭の左側です。

写真5は、立石を拡大したところです。

写真6は、白沙青松庭庭です。

写真7は、南西角の池庭です。

写真8は、枯山水庭です。

次は由志園(松江市八束町波入1260-2)です。所在地の中海にある大根島は牡丹苗とT高麗人参の生産地です。当園の食事処「禅」で雲州薬膳料理の昼食です。その後、庭園を散策しました。
写真9は、「禅」から料亭「菖蒲」を挟んで庭園です。ご覧のように紅葉真っ盛りです。

写真10は、庭園に入ったところです。

写真11は、左に「菖蒲」です。

写真12は、少し入ったところです。
写真13は、更に入り奥に茶房「一望」(南)を見ます。

写真14は、更に進み南へと撮りました。

写真15は、奥へと入ったところです。

写真16は、「一望」を奥に撮ったものです。

写真17は、赤橋を南に捉えたものです。

写真18は、「一望」前の池から霧が立ったところです。

写真19は、奥の雌滝です。

写真20は、枯山水庭園です。

写真21は、「一望」前の池です。

写真22は、盛んに霧を吹き上げているところです。

時間の余裕があり、予定にないところとして水木しげるロード(境港市本町)を訪れました。写真23は、「水木夫妻」です。

写真24は、「ゲゲゲの鬼太郎と目玉おやじ」です。

写真25は、「八岐大蛇」です。
写真26は、「がしゃどくろ」です。

写真27は、「豆腐小僧」です。

写真28は、「ねずみ男」です。

写真29は、西への水木しげるロードです。

最後の写真30は、ねずみ男です。

大漁市場なかうら(境港市竹内団地)で買物後、松江空港より羽田空港に21時過ぎに到着し、ツァーは終了です。
(2023.12.15)
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鳥取・島根巡り(2)松江城・出雲大社

2023年12月13日 15時51分55秒 | 観光(日本)

(2)松江城・出雲大社

2023年11月28日(火)、二日目の最初の観光地は国宝5城の一つである松江城跡です。戦前の国宝が戦後に重要文化財となり、2015年に改めて国宝となったものです。
写真1は、大手門に入るところの角から西に向かう内堀です。右の櫓は南櫓です。奥の橋は千鳥橋(御廊下橋)です。

写真2は、外曲輪からの大手門跡です。左手へと本坂(階段)を上り二ノ丸・本丸へと入ります。

写真3は、大手門跡から右に天守、左に大手櫓を見たものです。

写真4は、火点からの天守です。上って左手が三ノ門跡で、二之丸に入ります。

写真5は、二ノ門跡から本丸へです。左に曲がって上ったところが一ノ門跡です。

写真6は、南面した天守全景です。

写真7は、天守内部に入り地階の井戸です。

写真8は、「慶長拾六年」の記載のあるレプリカの祈祷札(国宝)です。
写真9は、旧鯱です。

写真10は、地階と1階の2本の通し柱で包柱をもたない天守最大柱です。

写真11は、最上階(5階)からの松江市街(東)です。正面の建物は内堀外の松江歴史観です。

写真12は、南に宍道湖です。

写真13は、東面する天守です。

写真14は、東南からの天守です。

写真15は、更に南寄りの天守です。

写真16は、北之門跡で、塩見縄手通り下り、北惣門橋へと到ります。

写真17は、内堀の北西にある稲毛橋です。

写真18は、北の内堀から奥に稲毛橋を見ます。これで、松江城は終わりです。

松江城北にある地ビール館でしまね牛付きの直食後、午後は出雲大社参拝です。写真19は、大社入口の勢溜の大鳥居です。

写真20は、浄の池です。

写真21は、祓橋です。

写真22は、東神苑の幸魂・奇魂と大国主命像です。
写真23は、銅の鳥居です。

写真24は、拝殿です。

写真25は、本殿前の八足門です。

写真26は、本殿です。

写真27は、本殿の奥に位置する素戔嗚尊を祀る素鵞社です。

写真28は、本殿です。

写真29は、拝殿と奥に本殿です。

最後の写真30は、神楽殿です。以上で本日の観光は終わりです。大社近くの島根ワイナリーで試飲と島根和牛等の夕食です。

(2923.12.13)
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鳥取・島根巡り(1)倉吉白壁土蔵・白兎神社・鳥取砂丘

2023年12月11日 15時14分57秒 | 観光(日本)
(1)倉吉白壁土蔵・白兎神社・鳥取砂丘

2023年11月27日(月)~29日(水)、クラブツーリズム「上質なカニの証!タグ付き「香住ガニ」と鳥取・島根の7つの名所へ はじめての山陰旅 3日間」で旅してきました。旅程は、
27日 羽田発岡山着、蒜山高原(昼食)、倉吉市白壁土蔵群、鳥取砂丘、香住ガニ付きの夕食 鳥取市泊
28日 松江城、出雲大社、 松江泊
29日 足立美術館、日本庭園由志園、大浦市場なかうら、岡山発羽田着
です。
岡山空港に9時過ぎに到着し、バスでの観光のはじまりです。蒜山高原で当地のひるぜん焼きそばの昼食をとり、鳥取県へと向かいます。最初の観光地は倉吉市白壁土蔵群です。
写真1は、本町通東側の1908(明治41)年建設の擬洋風建築の旧国立第三銀行倉吉支店(白壁倶楽部)です。

写真2は、土蔵群北側の展望台上から南に打吹山を望んで撮った土蔵群で、3階建てコンクリート建物の先です。

写真3は、戻り玉川に沿った土蔵群を西へと撮ったものです。町屋は南面して商家がならび北面して土蔵等がならび、裏口には木戸を設け、写真のように玉川には橋を架け通り抜けられるようしていました。

写真4は、土蔵群を北西角の桑田醤油醸造所を撮ったものです。

写真5は、桑田醤油店です。

写真6は、本町通西側にある高田酒造店です。

写真7は、土蔵群の南東角からです。

写真8は、当地出身の第53代横綱琴櫻です。

次いで、因幡の白ウサギで知られる白兎神社です。写真9は、参道横にある御見洗池です。

写真10は、正面からの拝殿です。

写真11は、本殿と拝殿です。

写真12は、神社入口にある因幡の白ウサギ砂像です。

本日最後の観光地は鳥取砂丘です。以下の写真13~20は、鳥取砂丘で撮ったものです。














以上で本日の観光は終わりで、夕食はタグ付き香住ガニ1杯付きと鳥取和牛すき焼き等です。
(2023.12.11)
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福井県(4)―三方五湖・氣比神宮―

2023年07月07日 16時44分45秒 | 観光(日本)

2023年6月24日(土)、9時50分過ぎ、リフトに乗り三方五湖レインボーライン山頂公園での観光開始です。写真1は、三方五湖の、手前に水月湖、これと繋がった奥に菅湖、右奥に三方湖です。

写真2は、公園奥(北)に進み、公園の位置する常神半島の東側を撮ったものです。

写真3は、公園から西側撮ったもので、右奥の小島は鳥辺島です。左に水月湖が見えます。月

写真4は、手前が水月湖、奥に三方湖です。

写真5は、山頂公園奥の梅丈岳(400m)から南に公園を見たものです。

写真6は、東を眺めたもので、手前左が日向港、右に少し見えている水面が日向湖です。奥に久々子湖です。

写真7は、五湖全部が見えているものです。手前左が日向湖、奥が久々子湖、右が水月湖、これと繋がった奥が菅湖、この右に少し見えているのが三方湖です。

写真8は、日向港と、手前に日向湖口が見え、この湖が海と繋がっていうことが分かります。

写真9は、リフトの下りから撮ったものです。以上で三方五湖は終わりです。

日本海さかな街で自由昼食後、最後の観光地は北陸道総鎮守と称される氣比神宮です。12時50分過ぎに到着です。本神社は予定の観光地には含まれておらず追加されたものです。写真10は、日本三大木造鳥居の大鳥居(重文)です。高10.9m(36尺)で、正保2年(1645)の造営です。クラブツーリズムの旗が少し写し込まれています。

写真11は、本殿への中鳥居です。中に外拝殿が見えます。

写真12は、外拝殿です。奥に内拝殿、本殿となります。本殿の主祭神は伊奢沙別命(いざさわけのみこと)で、御食津大神(みけつおおかみ)とも称します。

最後の写真13は、廻廊からの外拝殿です。

以上で観光は終わりで、福井駅を15時54分発車し、東京駅に19時20分着でツァーは終わりです。

(2023.07.07)

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福井県(3)―一乗谷朝倉氏遺跡・一乗谷朝遺跡博物館―

2023年07月04日 16時56分51秒 | 観光(日本)

2023年6月23日午後(木)、一乗谷朝倉氏館遺跡と一乗谷朝倉氏遺跡博物館を見学しました。応仁の乱で越前国守護代の朝倉孝景は下剋上をして斯波氏に代わり守護となり、戦国大名に成長します。天正元年(1573)の織田信長により義景が滅ぼされまで、5代に渡り約百年弱の間戦国大名朝倉氏の本拠として朝倉氏館を中心に家臣等の城下町を形成したのが一乗谷です。国特別史跡に指定され、発掘調査も行われ遺構や各種の遺物が発見されました。

13時50分過ぎに復原町並横の駐車場に到着し、見学開始です。写真1は、南(右)に上木戸と北(左)に朝倉氏館に挟まれた米津を南から北へと撮ったものです。米津には炉跡などの遺構があり発掘品と合わせて金工師がいたと想像できます、また奥の高台は諏訪館跡です、

写真2は、諏訪館跡への登り道です。

写真3は、諏訪館への上り道途上から下に米津、奥に上木戸跡を見たものです。

写真4は、中の御殿跡への上り道(遺構)で、御覧のように石板が引かれ、脇に石溝が設けられています。

写真5は、朝倉氏館遺跡に、復元された正門(西門)です。館の前面は堀と土塁で囲まれています。

写真6は、門から入ったところで奥(東)へと撮ったものです。

写真7は、さらに進んだところにある説明版です。

写真8は、主殿遺構です。

写真9は、館奥から主殿遺構、正門、土塁を見たものです。土塁はご覧のように下が石垣で覆われています。

写真10は、奥にある池庭です。

写真11は、館右奥隅にある朝倉義景墓です。

14時30分、復原町並に移動し見学です。写真12は、中級武家屋敷群の復原武家屋敷です。屋敷内に見える建物は蔵です。この右側に主殿があります。

写真13は、主殿です。

写真14は、将棋を打つ武士像です。遺構からは将棋の駒が出土しています。左には朝倉義景が家臣に与えた「黄金乃甲冑」複製品が飾ってあります。

写真15は、復原武家屋敷と路を挟んで西側の上級武家屋跡の庭園跡(復原)を中心に撮ったものです。

写真16は、上級屋敷跡を北へと撮ったものです。隣の屋敷の境には低い塀が設けられています。

写真17は、南の隣の屋敷跡を見たもので、御覧のように境には低い石垣がります。この上に塀が設けられていたことになります。

写真18は、北へと路地を撮ったものです。

写真19は、中級武家屋敷群と道路挟んで南に町屋群があります。これは「染」の暖簾から紺屋を復原したものです。

写真20は、町屋内の厠復原です。

写真21は、復原町屋を出てさらに南に行って屋敷遺構を撮ったものです。以上で一乗谷朝倉氏館遺跡は終わりです。

一乗谷朝倉氏遺跡博物館に移動し、15時過ぎに到着しました。写真22は、1階の遺構展示室の石敷遺構です。長38m、幅5.6mで、大量の川原石が敷き詰められ、溝が切られています。

2階に上がり、基本展示室を見ます。写真23は、城下町ジオラマです。

写真24は、石仏で、左が千手観音菩薩立像で元亀4年(1573)3月11日の銘があります。右は地蔵菩薩立像です。

写真25は、手前右が聞香札(重文)、中が青磁香炉(重文)、奥が青磁花瓶です。聞香をして楽しんでいたことが分かります。

写真26は、暮らし関係の出土品です。下に左から雪下駄、ハンドコ(炭火を入れて手足を温める)、温石、灯明皿です。奥はバンバ(雪かき用品)、火桶、手燈です。

写真27は、建物関係の出土品です。下に左から板、柱です。奥は門柱、鏨、柱、釿(複製品)です。

写真28は、左が石臼(重文)、右が石工用の釿です。

写真29は、貨幣関係の出土品です。右は武家屋敷から纏まって出土した銭で備蓄銭(重文)です。中はさし銭です。

写真30は、織物職人関係の出土品です。手前は針と鋏で、右は砧(重文)です。奥は糸車、紡錘車です。

写真31は、鉄砲関係の出土品です。左は手前から火縄鋏(重文)、弾金(重文)、台締輪金具です。中は弾丸が入った容器(重文)です。右は弾(重文)です。奥は鉛棒(重文)です。

最後の写真32は、朝倉氏館再現室の朝倉氏館ジオラマです。以上で朝倉氏関係の見学は終わりです。

(2023.07.04)

 

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福井県(2)―平泉寺白山神社・東尋坊日没・丸岡城―

2023年06月30日 16時43分42秒 | 観光(日本)

2023年6月23日(金)に関しては、朝倉氏関係は別途とします。最初は平泉寺白山神社です。10時5分に到着です。福井・石川・岐阜3県にまたがる白山(2702m)は信仰の山で、養老元年(717)に神託をえた泰澄が平泉寺を開山し、白山信仰の中心地となりました。明治維新の神仏分離で寺号を廃し白山神社となりました。写真1は、奥に一の鳥居の立つ精進坂です。

写真2は、一の鳥居です。

写真3は、泰澄が神託を受け当社発祥の地とされる「林泉」御手洗池です。

写真4は、御手洗池傍らのある三叉杉です。泰澄が植えたと伝える杉で、上部がご覧のように三又に分かれ、白山三山(三社)をかたどっています。

写真5は、奥に拝殿です。

写真6は、拝殿です。

写真7は、御本社です。祭神は伊弉冊尊(いざなのみのみこと)で、白山主峰の御前峰(2702m)です。

写真8は、左の越南知社(おおなむちしゃ)です。祭神は大己貴尊(おおなむちのみこと)で、大汝峰です。

写真9は、右の別山社(べっさんしゃ)です。祭神は天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)で、別山です。

写真10は、開山の泰澄を祀る開山社です。

以上で参拝は終わり、「おろし蕎麦と天婦羅の昼食」を終えると、一乗谷朝倉氏館遺跡見学を経て、「ズワイガニ1杯とノドグロ釜飯」の夕食後、天気も晴れており、昨日のリベンジとして東尋坊日没鑑賞に向かいます。写真11~14までがその写真です。水平線上には雲がかかり完全な日没は見えませんでしたが。

最後の観光地は丸岡城です。20時から20分間行われるプロジェクションマッピング鑑賞のためです。写真15~20はその写真です。

(2023.06.30)

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福井県(1)—永平寺・東尋坊—

2023年06月28日 16時05分37秒 | 観光(日本)

2023年6月22日(木)~24日(土)、クラブツーリズム主催の「東尋坊・永平寺・三方五湖までぐるりっと7名所を周遊本当にあなたに見てほしいはじめての福井3日間」で福井県を旅行しました。観光旅程は

1日目 永平寺、東尋坊 三国観光ホテル泊

2日目 平泉寺白山神社、一乗谷朝倉氏遺跡、一乗谷朝倉氏博物館、東尋坊日没、丸岡城(プロジェクションマッピング鑑賞) 同泊

3日目 三方五湖レインボーライン山頂公園、氣比神宮、日本海さかな街

です。

北陸新幹線から乗り継ぎ、13時6分に福井駅で下車し、観光開始です。最初の観光地は曹洞宗大本山永平寺です。13時50分に到着です。写真1は、通用門から寺内の建物に入り、吉祥閣を経て、傘松閣2階の総天井の間を撮ったものです。

写真2は、東司・僧堂を経て上り、左に行ったところにある、本寺開山の道元以下の尊像が安置されている、聖廟の承陽殿です。正面の「承陽」額は明治天皇の書です。

 

写真3、 下り正面にある仏殿です。釈迦牟尼仏が祀られています。

写真4は、大庫院です。地下1階・地上4階の木造建築です。

写真5は、中雀門からの仏殿です。この奥が法堂です。

写真6は、仏殿と大庫院です。

写真7は、中雀門からの山門です。

写真8は、山門からの中雀門です。14時40分に撮影が終わり、以上で本寺は終わりです。

次の観光地は東尋坊で、15時40分過ぎに到着しました。写真9は、遊覧船乗り場へ下るところから北へと雄島を遠望して撮ったものです。

遊覧船に乗り撮ったのが、写真10の、雄島です。

写真11は、雄島の柱状節理です。

写真12は、後方に東尋坊タワーを入れて撮った北側の東尋坊です。

写真13は、柱状節理の大池です。

写真14は、南側にある軍艦島です。

写真15は、ライオン岩です。

最後の写真16は、上からの大池です。16時35分でした。

以上で本日の観光は終わりです。本来は東尋坊日没鑑賞の予定でしたが、曇天のため中止となりました。このため夕食が早まり、18時半からホテルでの「若狭牛・アワビを含む和会席」でした。

(2023.06.28)

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中田島砂丘の初日の出

2023年01月02日 16時00分12秒 | 観光(日本)

2023年元旦(日)、静岡県浜松市の中田島砂丘で初日の出を勧賞しました。この写真をお見せします。なお日の出は6時55分頃です。

写真1は、日の出を待つ6時53分の海岸線です。

写真2は、初日の出直後の56分です。海岸線中央に太陽が姿を現しました。

写真3は、はっきりと太陽が姿を現しました。

写真4は、望遠一杯での太陽で58分です。、

写真5は、逆に一杯に引いて撮ったものです。

写真6は、ほぼ上がった太陽です。

写真7は、上がった太陽で、59分です。

最後の写真8は、帰りの砂丘上から上がった太陽を撮ったものです。7時3分です。

(2023.01.02)

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伊勢神宮(3)伊勢神宮内宮・金剛證寺・朝熊山展望台

2022年06月04日 15時11分51秒 | 観光(日本)

2022年5月27日(金)、7時58分にホテルを出発し、九時55分、伊勢神宮内宮に到着しました。内宮参拝では案内人が付きました。写真1は、宇治橋です。ご覧のように修学旅行生が渡っています。高校・中学校・小学校と複数の修学旅行生を見かけました。コロナの旅行規制がなくなり、旅行が回復傾向な印でしょう。

写真2は、五十鈴川の強水時に宇治橋を保護する漂流物止めです。

写真3は、宇治橋の擬宝珠です。

写真4は、第一鳥居です。

写真5は、五十鈴川御手洗場です。前日の雨のため閉鎖されていました。

写真6は、正宮です。

写真7は、正宮手間の道を上がっていたところにある外幣殿です。

写真8は、正宮の裏口から撮ったものです。奥の一段と高いところが古殿地です。

写真9は、奥にある荒祭宮です。

写真10は、右が荒祭宮で左が古殿地です。

参道に戻り、第二鳥居手前ので、道を左に取ると、写真11の、風日祈宮橋です。橋を渡ってるのは神宮衛士です。

写真12は、古殿地からの風日祈宮です。

写真13は、風日祈宮です。

帰路を進み日除橋の先に見えるのが、写真14の、御厩です。

御厩には神馬が飼われていました。写真15が、そうです。神社の御厩で神馬がいるのは珍しいです。以上で内宮参拝は終わりです。おかげ横丁での自由昼食です。12時5分に出発しました。

12時23分、勝峰山金剛證寺に着きました。写真16は、仁王門です。

写真17は、連間の池と奥に連珠橋です。

写真18は、本堂です。本尊は福威智満虚空蔵大菩薩です。

写真19は、奥之院への極楽門です。

奥之院への参道の山側が墓地となっており、ここに、写真20の、九鬼嘉隆(1542~1600年)の墓があります。嘉隆は志摩を本拠とする水軍大名で、関ヶ原合戦の時に西軍に付き戦後自害します。

写真21は、勝峰山呑海院(金剛證寺奥之院)です。

戻り、写真22は、明星堂です。

写真23は、開山堂です。13時1分に出発しました。

本ツアー最後の訪問地の朝熊山展望台に、13時4分に到着しました。写真24は、朝熊山展望台石碑を写し込んだものです。

写真25は、東に鳥羽市市街へと撮ったものです。中央左が答志島(九鬼水軍本拠地)、右が菅島、奥が渥美半島です。

写真26は、南に志摩市街へとです。

最後の写真27は、答志島と鳥羽市市街です。15時23分、出発し豊橋駅に、17時2分、到着しました。18時9分発の新幹線で帰路でツアーは終わりです。

(2022.06.04)

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