2023年6月24日(土)、9時50分過ぎ、リフトに乗り三方五湖レインボーライン山頂公園での観光開始です。写真1は、三方五湖の、手前に水月湖、これと繋がった奥に菅湖、右奥に三方湖です。
写真2は、公園奥(北)に進み、公園の位置する常神半島の東側を撮ったものです。
写真3は、公園から西側撮ったもので、右奥の小島は鳥辺島です。左に水月湖が見えます。月
写真4は、手前が水月湖、奥に三方湖です。
写真5は、山頂公園奥の梅丈岳(400m)から南に公園を見たものです。
写真6は、東を眺めたもので、手前左が日向港、右に少し見えている水面が日向湖です。奥に久々子湖です。
写真7は、五湖全部が見えているものです。手前左が日向湖、奥が久々子湖、右が水月湖、これと繋がった奥が菅湖、この右に少し見えているのが三方湖です。
写真8は、日向港と、手前に日向湖口が見え、この湖が海と繋がっていうことが分かります。
写真9は、リフトの下りから撮ったものです。以上で三方五湖は終わりです。
日本海さかな街で自由昼食後、最後の観光地は北陸道総鎮守と称される氣比神宮です。12時50分過ぎに到着です。本神社は予定の観光地には含まれておらず追加されたものです。写真10は、日本三大木造鳥居の大鳥居(重文)です。高10.9m(36尺)で、正保2年(1645)の造営です。クラブツーリズムの旗が少し写し込まれています。
写真11は、本殿への中鳥居です。中に外拝殿が見えます。
写真12は、外拝殿です。奥に内拝殿、本殿となります。本殿の主祭神は伊奢沙別命(いざさわけのみこと)で、御食津大神(みけつおおかみ)とも称します。
最後の写真13は、廻廊からの外拝殿です。
以上で観光は終わりで、福井駅を15時54分発車し、東京駅に19時20分着でツァーは終わりです。
(2023.07.07)
2023年6月23日午後(木)、一乗谷朝倉氏館遺跡と一乗谷朝倉氏遺跡博物館を見学しました。応仁の乱で越前国守護代の朝倉孝景は下剋上をして斯波氏に代わり守護となり、戦国大名に成長します。天正元年(1573)の織田信長により義景が滅ぼされまで、5代に渡り約百年弱の間戦国大名朝倉氏の本拠として朝倉氏館を中心に家臣等の城下町を形成したのが一乗谷です。国特別史跡に指定され、発掘調査も行われ遺構や各種の遺物が発見されました。
13時50分過ぎに復原町並横の駐車場に到着し、見学開始です。写真1は、南(右)に上木戸と北(左)に朝倉氏館に挟まれた米津を南から北へと撮ったものです。米津には炉跡などの遺構があり発掘品と合わせて金工師がいたと想像できます、また奥の高台は諏訪館跡です、
写真2は、諏訪館跡への登り道です。
写真3は、諏訪館への上り道途上から下に米津、奥に上木戸跡を見たものです。
写真4は、中の御殿跡への上り道(遺構)で、御覧のように石板が引かれ、脇に石溝が設けられています。
写真5は、朝倉氏館遺跡に、復元された正門(西門)です。館の前面は堀と土塁で囲まれています。
写真6は、門から入ったところで奥(東)へと撮ったものです。
写真7は、さらに進んだところにある説明版です。
写真8は、主殿遺構です。
写真9は、館奥から主殿遺構、正門、土塁を見たものです。土塁はご覧のように下が石垣で覆われています。
写真10は、奥にある池庭です。
写真11は、館右奥隅にある朝倉義景墓です。
14時30分、復原町並に移動し見学です。写真12は、中級武家屋敷群の復原武家屋敷です。屋敷内に見える建物は蔵です。この右側に主殿があります。
写真13は、主殿です。
写真14は、将棋を打つ武士像です。遺構からは将棋の駒が出土しています。左には朝倉義景が家臣に与えた「黄金乃甲冑」複製品が飾ってあります。
写真15は、復原武家屋敷と路を挟んで西側の上級武家屋跡の庭園跡(復原)を中心に撮ったものです。
写真16は、上級屋敷跡を北へと撮ったものです。隣の屋敷の境には低い塀が設けられています。
写真17は、南の隣の屋敷跡を見たもので、御覧のように境には低い石垣がります。この上に塀が設けられていたことになります。
写真18は、北へと路地を撮ったものです。
写真19は、中級武家屋敷群と道路挟んで南に町屋群があります。これは「染」の暖簾から紺屋を復原したものです。
写真20は、町屋内の厠復原です。
写真21は、復原町屋を出てさらに南に行って屋敷遺構を撮ったものです。以上で一乗谷朝倉氏館遺跡は終わりです。
一乗谷朝倉氏遺跡博物館に移動し、15時過ぎに到着しました。写真22は、1階の遺構展示室の石敷遺構です。長38m、幅5.6mで、大量の川原石が敷き詰められ、溝が切られています。
2階に上がり、基本展示室を見ます。写真23は、城下町ジオラマです。
写真24は、石仏で、左が千手観音菩薩立像で元亀4年(1573)3月11日の銘があります。右は地蔵菩薩立像です。
写真25は、手前右が聞香札(重文)、中が青磁香炉(重文)、奥が青磁花瓶です。聞香をして楽しんでいたことが分かります。
写真26は、暮らし関係の出土品です。下に左から雪下駄、ハンドコ(炭火を入れて手足を温める)、温石、灯明皿です。奥はバンバ(雪かき用品)、火桶、手燈です。
写真27は、建物関係の出土品です。下に左から板、柱です。奥は門柱、鏨、柱、釿(複製品)です。
写真28は、左が石臼(重文)、右が石工用の釿です。
写真29は、貨幣関係の出土品です。右は武家屋敷から纏まって出土した銭で備蓄銭(重文)です。中はさし銭です。
写真30は、織物職人関係の出土品です。手前は針と鋏で、右は砧(重文)です。奥は糸車、紡錘車です。
写真31は、鉄砲関係の出土品です。左は手前から火縄鋏(重文)、弾金(重文)、台締輪金具です。中は弾丸が入った容器(重文)です。右は弾(重文)です。奥は鉛棒(重文)です。
最後の写真32は、朝倉氏館再現室の朝倉氏館ジオラマです。以上で朝倉氏関係の見学は終わりです。
(2023.07.04)
2023年6月23日(金)に関しては、朝倉氏関係は別途とします。最初は平泉寺白山神社です。10時5分に到着です。福井・石川・岐阜3県にまたがる白山(2702m)は信仰の山で、養老元年(717)に神託をえた泰澄が平泉寺を開山し、白山信仰の中心地となりました。明治維新の神仏分離で寺号を廃し白山神社となりました。写真1は、奥に一の鳥居の立つ精進坂です。
写真2は、一の鳥居です。
写真3は、泰澄が神託を受け当社発祥の地とされる「林泉」御手洗池です。
写真4は、御手洗池傍らのある三叉杉です。泰澄が植えたと伝える杉で、上部がご覧のように三又に分かれ、白山三山(三社)をかたどっています。
写真5は、奥に拝殿です。
写真6は、拝殿です。
写真7は、御本社です。祭神は伊弉冊尊(いざなのみのみこと)で、白山主峰の御前峰(2702m)です。
写真8は、左の越南知社(おおなむちしゃ)です。祭神は大己貴尊(おおなむちのみこと)で、大汝峰です。
写真9は、右の別山社(べっさんしゃ)です。祭神は天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)で、別山です。
写真10は、開山の泰澄を祀る開山社です。
以上で参拝は終わり、「おろし蕎麦と天婦羅の昼食」を終えると、一乗谷朝倉氏館遺跡見学を経て、「ズワイガニ1杯とノドグロ釜飯」の夕食後、天気も晴れており、昨日のリベンジとして東尋坊日没鑑賞に向かいます。写真11~14までがその写真です。水平線上には雲がかかり完全な日没は見えませんでしたが。
最後の観光地は丸岡城です。20時から20分間行われるプロジェクションマッピング鑑賞のためです。写真15~20はその写真です。
(2023.06.30)
2023年6月22日(木)~24日(土)、クラブツーリズム主催の「東尋坊・永平寺・三方五湖までぐるりっと7名所を周遊本当にあなたに見てほしいはじめての福井3日間」で福井県を旅行しました。観光旅程は
1日目 永平寺、東尋坊 三国観光ホテル泊
2日目 平泉寺白山神社、一乗谷朝倉氏遺跡、一乗谷朝倉氏博物館、東尋坊日没、丸岡城(プロジェクションマッピング鑑賞) 同泊
3日目 三方五湖レインボーライン山頂公園、氣比神宮、日本海さかな街
です。
北陸新幹線から乗り継ぎ、13時6分に福井駅で下車し、観光開始です。最初の観光地は曹洞宗大本山永平寺です。13時50分に到着です。写真1は、通用門から寺内の建物に入り、吉祥閣を経て、傘松閣2階の総天井の間を撮ったものです。
写真2は、東司・僧堂を経て上り、左に行ったところにある、本寺開山の道元以下の尊像が安置されている、聖廟の承陽殿です。正面の「承陽」額は明治天皇の書です。
写真3は、 下り正面にある仏殿です。釈迦牟尼仏が祀られています。
写真4は、大庫院です。地下1階・地上4階の木造建築です。
写真5は、中雀門からの仏殿です。この奥が法堂です。
写真6は、仏殿と大庫院です。
写真7は、中雀門からの山門です。
写真8は、山門からの中雀門です。14時40分に撮影が終わり、以上で本寺は終わりです。
次の観光地は東尋坊で、15時40分過ぎに到着しました。写真9は、遊覧船乗り場へ下るところから北へと雄島を遠望して撮ったものです。
遊覧船に乗り撮ったのが、写真10の、雄島です。
写真11は、雄島の柱状節理です。
写真12は、後方に東尋坊タワーを入れて撮った北側の東尋坊です。
写真13は、柱状節理の大池です。
写真14は、南側にある軍艦島です。
写真15は、ライオン岩です。
最後の写真16は、上からの大池です。16時35分でした。
以上で本日の観光は終わりです。本来は東尋坊日没鑑賞の予定でしたが、曇天のため中止となりました。このため夕食が早まり、18時半からホテルでの「若狭牛・アワビを含む和会席」でした。
(2023.06.28)
2023年元旦(日)、静岡県浜松市の中田島砂丘で初日の出を勧賞しました。この写真をお見せします。なお日の出は6時55分頃です。
写真1は、日の出を待つ6時53分の海岸線です。
写真2は、初日の出直後の56分です。海岸線中央に太陽が姿を現しました。
写真3は、はっきりと太陽が姿を現しました。
写真4は、望遠一杯での太陽で58分です。、
写真5は、逆に一杯に引いて撮ったものです。
写真6は、ほぼ上がった太陽です。
写真7は、上がった太陽で、59分です。
最後の写真8は、帰りの砂丘上から上がった太陽を撮ったものです。7時3分です。
(2023.01.02)
2022年5月27日(金)、7時58分にホテルを出発し、九時55分、伊勢神宮内宮に到着しました。内宮参拝では案内人が付きました。写真1は、宇治橋です。ご覧のように修学旅行生が渡っています。高校・中学校・小学校と複数の修学旅行生を見かけました。コロナの旅行規制がなくなり、旅行が回復傾向な印でしょう。
写真2は、五十鈴川の強水時に宇治橋を保護する漂流物止めです。
写真3は、宇治橋の擬宝珠です。
写真4は、第一鳥居です。
写真5は、五十鈴川御手洗場です。前日の雨のため閉鎖されていました。
写真6は、正宮です。
写真7は、正宮手間の道を上がっていたところにある外幣殿です。
写真8は、正宮の裏口から撮ったものです。奥の一段と高いところが古殿地です。
写真9は、奥にある荒祭宮です。
写真10は、右が荒祭宮で左が古殿地です。
参道に戻り、第二鳥居手前ので、道を左に取ると、写真11の、風日祈宮橋です。橋を渡ってるのは神宮衛士です。
写真12は、古殿地からの風日祈宮です。
写真13は、風日祈宮です。
帰路を進み日除橋の先に見えるのが、写真14の、御厩です。
御厩には神馬が飼われていました。写真15が、そうです。神社の御厩で神馬がいるのは珍しいです。以上で内宮参拝は終わりです。おかげ横丁での自由昼食です。12時5分に出発しました。
12時23分、勝峰山金剛證寺に着きました。写真16は、仁王門です。
写真17は、連間の池と奥に連珠橋です。
写真18は、本堂です。本尊は福威智満虚空蔵大菩薩です。
写真19は、奥之院への極楽門です。
奥之院への参道の山側が墓地となっており、ここに、写真20の、九鬼嘉隆(1542~1600年)の墓があります。嘉隆は志摩を本拠とする水軍大名で、関ヶ原合戦の時に西軍に付き戦後自害します。
写真21は、勝峰山呑海院(金剛證寺奥之院)です。
戻り、写真22は、明星堂です。
写真23は、開山堂です。13時1分に出発しました。
本ツアー最後の訪問地の朝熊山展望台に、13時4分に到着しました。写真24は、朝熊山展望台石碑を写し込んだものです。
写真25は、東に鳥羽市市街へと撮ったものです。中央左が答志島(九鬼水軍本拠地)、右が菅島、奥が渥美半島です。
写真26は、南に志摩市街へとです。
最後の写真27は、答志島と鳥羽市市街です。15時23分、出発し豊橋駅に、17時2分、到着しました。18時9分発の新幹線で帰路でツアーは終わりです。
(2022.06.04)