雑記茶屋

~インドア派主婦のベランダ日記~

変形性股関節症~②

2006-03-31 16:03:33 | 雑記
少し前に持病のことについて書いた続き。

来月初めに、かかりつけの病院を受診することにした。これは手術後からずっと続けている「半年に一度レントゲンで股関節の状態を診てもらい、こちらも気になる点を質問する」という内容なのだが、今回は定期的なものとは別に予約した。

まあ、突然歩けなくなるという類のものではないので、急を要するわけではないのだが・・・うっすらと不安を抱えて悶々としているのが嫌だったので。そして、この病気の治療に携わっておられる、ある先生のブログを読んで背中を押されたから。

私は今まで痛みが出るとすぐに不安になり落ち込んでいたけど、先生曰く「痛み=股関節の炎症」ではなく、筋肉の病気や骨盤のずれ、もっと言えばストレスなど心の状態など、本当に様々なこのに起因するとのことだ。私の痛みの原因が、股関節の炎症である可能性は確かにゼロではないけど、もしかしたらその他の原因があるかもしれないし・・・。

と、そんな感じでもう一度自分の持病について、良い意味で意識するために病院へ行ってみようと思う。自分で出来る触診や筋肉のほぐし方なども書かれているので試してみようと思う。先生もおっしゃってくれたが、出来れば頑張って、手術した自分の骨で一生歩いていきたいから。



もし何かの偶然で、このブログを読まれた変股症の方がいましたら、それぞれ症状や考え方の違いはあると思いますが、一度先生のブログを読まれてみてはいかがでしょうか。分かり易い言葉で書かれており、私達が自分の病気と明るく向き合って、必要以上に怖がることはない!と教えてくれます。まあ・・・怖い時もあるけどね、実際。

股関節痛は怖くない! http://blog.goo.ne.jp/mm1110mm



雨音が運ぶ記憶

2006-03-21 01:36:20 | 雑記
たとえば歌(曲)とか、匂いとか、景色などにまつわる思い出というのは誰しも、ひとつふたつ持っているものだと思う。

私は激しい雨のバラバラという音を聞くと、思い出す出来事がふたつある。本当にふたつ、きっちりと思い出すので苦笑いしてしまうほどだ。そのうちのひとつを今日ここに書き、もうひとつは次の嵐の夜にでも、またひっそりと思い出すことにする。

私は学生時代、神奈川県某市に暮らしていたことがある。ひとり暮らし最初の夜は、誰ひとり知人も友人もいないこの町に越してきたことを悔やんだ。夕飯のお米を研ぎながら不安と寂しさに少し泣いた。
なかなか可愛い奴だな。

そしてその町を越してゆく最後の夜にも、うず高く積まれたダンボールだらけの部屋で私は泣いた。なんか冴えない部屋だったけど、テレビやテーブルや電話、カーテンや絨毯やスリッパ、古いラジカセとかCDとか本とか、そういう物が全部茶色い箱の中に消えていて、ひどくいたたまれない気持ちになったから。
4月になったらこの部屋にも新しい誰かが来て、もうこの部屋で私が泣いたり笑ったりして、ここから身支度して学校やバイトへ行ったりして、存在してたってこと自体が、記憶以外の場所から消え去ってしまうわけだし。
なんだか分からないけど・・・いや本当は分かってたんだよな。最初の夜とは全然違う種類の寂しさに打ちのめされていた。

ああ書いていて切なくなってきた・・・まさに青い春だなこれは。ハハ・・・

あの晩はさらに悲しいことにひどい雨で、そのバラバラという音は、もう私の悲壮感を10倍にも20倍にも膨れ上がらせたものだった。今はもう他人事のように事実のみを語ることが出来るけれど、雨の音を聞くとほんのほんの一瞬だけ、あの晩の自分の心にぴったりと寄り添っているような懐かしさと切なさを感じる。
つい先日も、息子を寝かしつけるのに「ゆりかごのうた」を歌い、背中をトントンしながら、私は一瞬だけその雨音に胸を痛めた。まるでタイムマシーンで心だけあの日に戻ったみたいに。

しかし世の中って上手く出来ていて、私にはものすごいリアリティをもって、2006年に引っ張り戻してくれるカワイイ奴がいつも隣にいるのだった。

結局、思い出に浸る間もないってことか・・・


ファーストシューズ

2006-03-16 23:36:37 | 雑記
息子の1歳の誕生日を前に、ファーストシューズを買った。
履かせてみたら、足の指をぎゅっと縮こめて、心地悪そうにしていた。最初はみんなそんなものだよ・・・と、やや靴暦の長い私は思う。
いや、靴に限らずそういう事っていろいろある。そのうち気が向いたら、そっと縮めた指を伸ばしてゆっくり歩み出せばいいんだ。

な~んて。本当はそんな余裕なんて微塵もなく、毎晩ぐったりだよ、ぐったり。


再会を待つ

2006-03-07 22:21:21 | 雑記
今、ある事情で連絡をとり合っていない友人がいる。
仲違いでなく、自然消滅でなく、互いに一度確認の上でそうなっている友人がいる。正確には彼女の意思に私が同意したということになる。最近一度、元気なのかというメールを送ったら、まあまあ元気だと返事がきた。

彼女との出会いは大学1年の春。とある一般教養の授業で隣の席に座ったことがきっかけだった。偶然にも出身が同県隣市だと分かり、その日は彼女の友達に混ざって昼食を共にした。なんだかとても気分が弾んで、久しぶりによく喋った日だった。彼女と私は学科が違い、一緒になるのは週に一度のこの授業だけだったので、私は来週を楽しみにした。まだ携帯をもっていない頃の話だし、自宅の電話を聞くのも不躾だと思ったので、あえて控えたのを憶えている。

程なくして私達は、再び学食の同じテーブルで再会した。

ある時、一緒に帰省した折、彼女の実家へお邪魔したことがあった。彼女のお母さんに挨拶をすると、私の名前を聞き返し、顔を少し眺めてから「うちのアルバムにあなたの写真があるかも・・・」と言ってお母さんは席を外した。そうして指差された写真をよく見ると、そこにはなんと幼い彼女と私がお菓子の袋をにぎりしめて並んでいたのだった。
驚いた。私の母に尋ねてみるとやはり彼女のことを憶えていて、彼女と私はある時期、ほとんど毎日というくらい一緒に遊んでいたということだった。私は、この再会は必然だったのかもしれないと一瞬思ったが、彼女にそう言ってみたことはない。人は時に、日常のありふれた出来事に、有りもしない意味を見出したがるものだから。もしあの日、彼女と私を再会させたものが単なる偶然だったとしても、それはそれでいい。

そんな感じで私の人生に二度ほど登場している彼女と、今、会わない。

離れてみて大事さが分かるということがあるが、私は彼女と頻繁に行き来している時から、その大事さに気づいていたし、稀に見る欠けがえのない人だと思ってきた。

つまり・・・大人になればなる程、大事なものが欠けるのは痛い。ってことだ。

なんかこう人の力の及ばない引力みたいなものがあるのならば、すぐにではなくても構わないから、私達の事情を、良い方向へ変化させてくれないかな。と思いつつ、彼女にも私にも良い方向だと思える状態になるまで、もうしばらく私は待ってみようと思う。

三度目はあるか・・・。