またもや胸を打つ本に出会えた。そして読むべき本が傍らにあることが、自分にとってどれほど幸せかを、深く思い知らされた。
さっそく物語のさわりを。
主人公志摩が1960年から10代を過ごした、プラハのソビエト学校で出会った舞踏教師オリガ・モリソヴナとフランス語教師エレオノーラのちょっと風変わりなコンビ。そんな彼女たちの秘められた激動の過去を、ソ連崩壊後にモスクワを訪れた志摩と、当時の親友カーチャが解き明かしてゆく・・・という感じなんだけど、どんなに活字を追っても追っても、今の私の知識も想像力も到底及ばないほどの激動の東欧・ソ連の姿がリアルに迫ってくる。
志摩たちが紐解くのは、スターリン時代の粛清のもと、いつ反体制をでっち上げられ命を落とすやも知れない時代。運命と呼ぶにはあまりにも大きく理不尽すぎる波に翻弄されつつも、それに決してのまれまいと生きていく登場人物ひとりひとりの息吹が本当に間近に感じられるようだった。早く読み進みたいのに、一方でページの残りが少なくなっていくのが惜しくて、永遠に読み続けていたいと思うほど、惹き付けられた。
ところでオリガ・モリソヴナは「本来プラスのイメージの言葉を強調することで反語の意味にしてしまう(p137より引用)」反語法という独自の方法を用いていたが、それは単なる言語表現にあらず、壮絶な人生を生き抜く中で彼女が理不尽な権力に決して屈せず、オリガとしての人生をまっとうするための生きる術であった。オールドファッションと呼ばれた服装も、真っ赤なマニキュアも、強烈な香水も、そして耳を疑うような罵り言葉も、我が身に降りかかった悲劇を踏み越えていく手段だったのだ。
もちろん生きる術は反語法にのみあらず、エレオノーラのように受け止めかねる悲劇の記憶をそっくり欠落させてしまうことだってそのひとつだ。でも彼女も最期の時には、失った記憶を取り戻し、人生のパズルを完成させて逝ったけれど。
さて、私などはオリガの足もとにも及ばないが、2005年の日本に生きていても、時には涙を流すこともある。胸が痛くなる時もある。今までの短い人生のうちにも、器の小さな自分には受け止めがたいような出来事が起こったこともあった。でもひとしきり落ち込んだ後、自分の運命に対して思ったものだ。「あらゆる手段を使って私を打ちのめせばいいさ!悪いけどそれでも私は生きるからね!!」と。
つまり、最後にはなんだか怒れてきて、それがバイタリティーになってしまうという顛末なのだ。これってもしかしたらオリガの反語法の精神に似てるかもしれない。小さな小さな反語法。
今日も私は生きている。私の人生にあとどれ程の残りがあるのかは分からないけど、なんだか時には図太く生き抜いて、全シナリオを読みきってやろうじゃないか。という変なわくわく感が芽生えてしまった。
さっそく物語のさわりを。
主人公志摩が1960年から10代を過ごした、プラハのソビエト学校で出会った舞踏教師オリガ・モリソヴナとフランス語教師エレオノーラのちょっと風変わりなコンビ。そんな彼女たちの秘められた激動の過去を、ソ連崩壊後にモスクワを訪れた志摩と、当時の親友カーチャが解き明かしてゆく・・・という感じなんだけど、どんなに活字を追っても追っても、今の私の知識も想像力も到底及ばないほどの激動の東欧・ソ連の姿がリアルに迫ってくる。
志摩たちが紐解くのは、スターリン時代の粛清のもと、いつ反体制をでっち上げられ命を落とすやも知れない時代。運命と呼ぶにはあまりにも大きく理不尽すぎる波に翻弄されつつも、それに決してのまれまいと生きていく登場人物ひとりひとりの息吹が本当に間近に感じられるようだった。早く読み進みたいのに、一方でページの残りが少なくなっていくのが惜しくて、永遠に読み続けていたいと思うほど、惹き付けられた。
ところでオリガ・モリソヴナは「本来プラスのイメージの言葉を強調することで反語の意味にしてしまう(p137より引用)」反語法という独自の方法を用いていたが、それは単なる言語表現にあらず、壮絶な人生を生き抜く中で彼女が理不尽な権力に決して屈せず、オリガとしての人生をまっとうするための生きる術であった。オールドファッションと呼ばれた服装も、真っ赤なマニキュアも、強烈な香水も、そして耳を疑うような罵り言葉も、我が身に降りかかった悲劇を踏み越えていく手段だったのだ。
もちろん生きる術は反語法にのみあらず、エレオノーラのように受け止めかねる悲劇の記憶をそっくり欠落させてしまうことだってそのひとつだ。でも彼女も最期の時には、失った記憶を取り戻し、人生のパズルを完成させて逝ったけれど。
さて、私などはオリガの足もとにも及ばないが、2005年の日本に生きていても、時には涙を流すこともある。胸が痛くなる時もある。今までの短い人生のうちにも、器の小さな自分には受け止めがたいような出来事が起こったこともあった。でもひとしきり落ち込んだ後、自分の運命に対して思ったものだ。「あらゆる手段を使って私を打ちのめせばいいさ!悪いけどそれでも私は生きるからね!!」と。
つまり、最後にはなんだか怒れてきて、それがバイタリティーになってしまうという顛末なのだ。これってもしかしたらオリガの反語法の精神に似てるかもしれない。小さな小さな反語法。
今日も私は生きている。私の人生にあとどれ程の残りがあるのかは分からないけど、なんだか時には図太く生き抜いて、全シナリオを読みきってやろうじゃないか。という変なわくわく感が芽生えてしまった。