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釜合労-稲垣浩の「名誉棄損裁判」の判決について①

2012年09月25日 | 釜日労活動報告

釜合労-稲垣浩による

「名誉棄損裁判」の判決 ついて  
 
★裁判所で「釜日労の主張を木っ端みじんに打ち砕きま」したか?
 
★市会議員候補、労働組合委員長と言う公人(公の立場の人)として「40年間働きもせずに、どうやって飯を食ってきたのか」なかまたちの疑問に答えましたか?
 
★「NPO釜ヶ崎が大阪市から公金をだましとった」「釜日労を使って労働者に威圧をかけ、権利を封じこめにかかる」「大阪市の差別行政の片棒を担ぎ、野宿生活者をダシにして食い物にしている」「わずかな利権に群がるクソ蝿」「番犬」などと動物扱いをし、「エセ神父」とののしり、「解放同盟は釜ヶ崎労働者を差別しています」と差別対立をあおってきたことは正当だという『お墨付き』をもらえましたか?
 
★「野宿者に炊き出しを」と寄せられたカンパ=大金を使ったこの裁判で、釜ヶ崎の労働者の闘い=反失業-仕事よこせの闘いは一歩でも、半歩でも前進したのですか?
 
  9月5日、釜日労を被告とする[損害賠償等請求事件]、いわゆる「名誉棄損裁判」の判決があったようだ。この判決を受けて、釜合労-稲垣浩は、直ちにインターネットで、そして、9月10日からはビラなどで、「全面勝利と言っていい判決でした」「釜日労はこの判決を忠実に履行しなければなりません」と主張しています。
  私たちはこの判決に対して、彼らのように「裁判所は公正だ」と言うつもりもないし、自分たちの言い分が通らなければ、とたんに「差別判決だ」「不当判決だ」などといちゃもん付けをするようなことはしません。
 今の民事裁判の仕組みを考慮して、裁判をすること自体に意味がないと考え、裁判に応じず、争わず、一切反論しなかったのです。だから裁判所が彼らの言い分を全面的に採用するのは当然の判断であり、われわれにとっても「予想通りの判決」です。
  釜合労‐稲垣氏こそ「裁判所ではウソは通用しません」「裁判の中で釜日労のウソを木っ端みじんに打ち砕きます」と力説していたにもかかわらずその意見陳述の中で、「デマ宣伝等に乗せられないため意見交換をしないか」と前委員長に持ちかけたが断られたなどとウソの上塗りをしただけで、私たちがビラに書いたことがいかに「ウソ」であるかについて一言も触れることはありませんでした。
  今回、私たちが訴えられた当初から、多くの仲間たちから「言ってることは全部ほんとやないか。なぜ訴えられなあかんのや」「あいつらから先に始めたんやから、あいつらも名誉棄損で訴えて裁判で決着つけたりゃあええやんか」という意見がたくさん寄せられました。
  こうした意見に対して組合は、「釜ヶ崎労働者の運動の前進とは何の関係もない裁判にムダな金など使っても意味は無い」「この裁判やったら反失業-仕事よこせの闘いが前進するならやるけどな」と答えてきました。
  そして何よりも「釜日労はいつでも釜ヶ崎労働者の目の前で公然と論争して、なかまの判断にゆだねる。裁判所に『判定』してもらうつもりはない」と答えてきました。
事実こんなことは公費を使ってわざわざ裁判所の手をわずらわすような問題ではないからです。もし、それほど重要なこと-犯罪であるなら「刑事告訴」をすればいい話です。それなら私たちを裁判所に引きずり出すこともできたでしょう。
  また、私たちが仲間たちに訴えかけてきた事実の中にはいくつか「刑事事件」になるようなことが含まれており、それを裁判の場で明らかにするということは「権力に売りわたす」と言うことになる恐れがあるからです。
 もちろん今回の裁判に対して、通常の名誉棄損裁判に見られるように、訴訟に訴訟で反撃するという方法もあります。
先にウソ、デマ、デッチ上げを繰り返してきた彼らを逆に訴えれば悪くてもどっちもどっちという結果を導き出せたかもしれません。しかし、「どっちもどっち」などという結果はとうてい承服できませんし、なにより労働運動をする者、反権力の運動をする者の矜持(プライド)として『意見が対立しても、運動をしている者を絶対に権力には売らない』と言う掟(おきて)があります。
これはいろいろな闘いをしている仲間たちと団結を求めていくのに守らなければならない絶対的なルールで、それを守れないものは彼らのように孤立し、自分たちのためだけの運動になってしまうのです。
 
釜の仲間の前で論争をすること
=「人民裁判」はリンチという主張について
 
  以上の観点から、我々はこの間一貫して「裁判所に『公正な判断』をしてもらうというのは運動上誤りである」「釜の労働者の前で議論を…」と求めてきました。
これに対して彼らは、「飛行機は持ってません」「ベンツは乗ったことはあるが持ったことはない」「兵庫に別荘は持っていません」と我々が聞いてもいない(書いてもいない)ことに反論し、「釜日労の組合員が労働者に暴力をふるい罰金刑になった」だの事実無根の宣伝を繰り返していただけであった。
そして、ただ、ただ、釜日労の言うことは「ウソ、デッチ上げだ。」「裁判で…」とくり返していました。
そしてついには「釜ヶ崎の労働者の前で論争するのは『場外乱闘』であり『人民裁判』であり、リンチです」とまで言い放ちました。
これは釜ヶ崎の闘い、否それだけではなく全ての被支配層の闘いを否定するものではないでしょうか。
「人民裁判でなく、正規の手続きと裁判で」「そしてその『決定』には従いましょう」というのは、権力を持っている支配階級の理屈であり、闘いの内部(?)でこういう主張をしているのは日本共産党ぐらいです。
  釜共闘(暴力手配師追放釜ヶ崎共闘会議)は、寄せ場の暴力支配に対して「やられたらやり返せ」のスローガンの下、大衆的な実力闘争を闘い抜きました。
  賃金不払いや労災もみ消し、労働者への暴力に対して身体をはって闘い抜いてきました。
  幾多の弾圧の中、裁判では「たしかに暴力や賃金不払いの相手は悪いが、その決着は警察や裁判所にやってもらいなさい。人民裁判的なやりかたはダメですよ」と、監禁・恐喝・傷害・はては「爆取」までデッチあげられてきたではありませんか。
しかし、釜ヶ崎の地では、以降も争議や手配師の追及を弾圧に屈せず闘い抜いてきたからこそ労働者の権利を主張できるようになったのです。
  80年代の賃金闘争においては、ケタオチ単価を開き直る手配師に対して、まさに人民裁判-つるし上げによって、賃金を上げさせてきたではないですか。
  たしかに戦術上も含めて、反省するところはたくさんあるでしょうが、こうした闘いは決して誤りではありませんでした。
  釜合労-稲垣氏は「裁判所は公正な判断をしてくれます」「悪いことをすれば裁判所が罰してくれます」「労働者の前での議論など『場外乱闘』です」「裁判所の判断に従うべきです」とビラで言っていますが、これは、これまでの釜ヶ崎労働者の闘いをすべて否定しています。
そして、選挙権をめぐる闘いの中で弾圧され、罰金刑や執行猶予付き判決を受けた人たちも悪いことをしたから裁判所に罰せられたので裁判所の判断(判決)に従うのが当然と言うことになります。稲垣氏自身刑務所に入ったのは稲垣氏が「悪いことをしたから裁判所に罰せられた」ということなのです。
花園公園横でテント生活をしているFさんの件も大阪市への抗議行動(場外乱闘)ではなく、裁判所に正式な告発すればいい、ということになります。
本人がそう思っているのなら、そう主張することも良しとしますが、言ってることとやってることがあまりにちぐはぐです。
暴力などにより自由な論争ができない、ということもない以上、「裁判闘争路線」はかつての日本共産党の「告訴・告発路線」と同じ誤りだといえます。

釜合労-稲垣浩の「名誉棄損裁判」の判決について②

2012年09月25日 | 釜日労活動報告
何故に「告訴・告発路線」に転落したのか?
 
  彼らは「意見陳述書」のなかで次のように述べています。
「労働者が私を皮肉な目でみて『稲垣さん金持ちなんやてなァ』等と言われたことが何度もあります」と。わたしたちは、それまでの「勝手にやらせておけ」という態度を改め、彼らに対する批判を開始したのは事実です。下世話な言い方をすれば「売られたケンカを買った」のです。
  組合内部では「彼らの批判の仕方は明らかで 人権侵害で訴えるべきだ」という意見もありましたが、運動の原則にのっとり、釜ヶ崎の労働者の前で事実を明らかにし、判断を仲間にゆだねるという姿勢を堅持してきたのです。
  労働者が「皮肉な目で見る」のは私たちのデマ(彼らに言わせれば)キャンペーンが原因ではありません。
  釜ヶ崎の労働者は愚かではありません。一時はデマにまどわされることはあっても、ていねいに説明すれば「裁判所のお墨付き」などなくとも事実を判断できます。
 彼らが行った日雇健保の「適用除外申請」運動もNPO釜ヶ崎の説明によって裁判の「判決」を待たずしてとっくに破産しているではありませんか。
  彼らが「対職安闘争」を始めるまで、20年以上に渡って、夏・冬の一時金カンパの時と選挙の時以外、センターに顔も出さなかったことを、労働者はよく知っています。カンパの額を労働者に絶対公表しないことも知っています。だから労働者の支持と共感を得られず「皮肉な目で見られる」のです。
  稲垣氏は判決の日に舞い上がってしまい、判決後、公園で「やっと山田実に一矢報いることができました」と、つい本音を漏らしてしまいました。
  釜ヶ崎に来てまだ間もない仲間は知らないかもしれませんが、山田実とは
前釜日労委員長であり、現在はNPO理事長です。
  稲垣浩氏は、全港湾西成分会に対する『100円起訴』を契機として釜日労の委員長を解任され、(他にも解放会館や組織運営上の様々な問題もあったのですが)それ以降何をやっても運動上大きく水をあけられ、出番がなくなってきたことに、まさに「一矢報いたかった」のです。
  釜日労の委員長だった頃、そして解任されてしばらくの間は、他の運動団体やマスコミ、そして行政も「釜ヶ崎といえば、その歴史的経緯から全港湾西成分会と稲垣浩」でした。
  しかし、何が理由なのか解りませんが20年以上、夏・冬の一時金カンパと選挙の時しかセンターに出てこなくなり、悪徳業者に対する労働争議もしなくなり、闘いらしい闘いをしてこない間に、釜ヶ崎の労働者の支持・共感を全く失い、マスコミや行政にも相手にされなくなったのです。
  80年代、毎年春3月に「釜ヶ崎春闘」としてセンターの最低賃金を500円ずつあげさせる闘いをセンターに集まる労働者全員で行い、最賃の底上げを続けてきましたが、彼らはそんな労働者の闘いに見向きもしませんでした。
  全国の寄せ場の労働組合が寄せ場日雇いの力を結集して、対悪徳業者、資本との闘いに団結して立ち向かおうと日雇全協をつくった時も、山谷に右翼の旗を掲げ寄せ場支配をもくろんで国粋会金町一家が登場し、全国の寄せ場から労働者が駆け付けた時も知らん顔でした。
  とりわけ90年代、バブル経済の崩壊以降、困窮する労働者を前に何も運動を提起することもしないで炊き出しとそのカンパ集めだけに終始していました。
  一方、釜ヶ崎反失業連絡会(反失連)の下で釜ヶ崎労働者は、あいりんセンター夜間解放闘争、大阪府庁舎・市庁舎前野営闘争と実力闘争(場外乱闘)で反失業闘争を大きく前進させ、「特掃」「シェルター」を闘い取りました。
  またリーマンショック以降 全国的に反貧困闘争が盛り上がり、それによって釜ヶ崎も世間の注目を集め、釜ヶ崎を取り上げた本も多数出版されましたが、その中には稲垣浩のいの字も出てきません。大金を使って何度も市議選に出ましたが、全く票が入らない。日本共産党が「反共宣伝によって敗北した」と他人のせいにしたのと同じように「釜日労のデマによって選挙に当選できない」とでも思っているのでしょうか。
  なんとか「一矢報いたい」と「告訴・告発路線」に走ったのでしょうが、自らの運動をキチンととらえ返し、誤りを正さなければ、いつまでたっても労働者から「皮肉な目で見られる」だけでしょう。
  また、「告訴・告発路線」の下地は、全港湾西成分会に対する『100円訴訟』から続いているものです。

釜合労-稲垣浩の『名誉棄損裁判」の判決について③

2012年09月25日 | 釜日労活動報告
「告訴・告発路線」のゆくえ
 
 NPO釜ヶ崎つぶしの運動を始めてから、「西成分会の泊委員長もおかしいと言っています」と西成分会にすりより、「対行政の団体交渉にも参加した」と言ってその「権威」を利用しようとしている様ですが、西成分会と決別し、釜共闘を結成した(中心メンバーではなくとも、その一員として闘ったはずです)こと、『100円訴訟』を行ったことを労働者にキチンと説明できるのでしょうか。
 もっとも、我々は、西成分会との共闘それ自体を否定するものではありません。相互の闘いを評価しあい論争を深めていきたいと考えています。
 問題なのは「敵の敵は味方」とばかり、すりよる事を批判しているのです。
 このすりよりは、彼らの路線上の変節に原因があるということです。
 寄せ場の暴力支配と身体を張って闘うのではなく、行政やゼネコンとしか闘わない(これ自体重要なことだが)西成分会と決別し、釜共闘の闘いが出発したのではないですか。
 彼らはもはや、西成分会よりも右派となりさがってしまったのです。
 西成分会は、行政・ゼネコンにヤクザ・人夫出しの「取り締まり」を要求しましたが、「告訴・告発路線」ではなかったし、その限りにおいては闘いの一翼でした。今でも、行政への要求には 適正化なるものが付いているとはいえ「特掃」の拡大があります。
 ところが釜合労‐稲垣浩の要求には 釜ヶ崎の全ての団体の中で唯一「特掃拡大」がありません。社会的(公的)就労の意義が解らないのは仕方ないとしても、「特掃をふやせ」「55才以下の仲間の仕事を作れ」という、労働者の切実な声に耳を傾けることもできないで、不可能とも言える「職安は仕事をだせ」とのみ主張し、そして「告訴・告発路線」につきすすんでいるのです。
 「告訴・告発路線」では弁護士にたのんで裁判所に訴えてもらい、裁判所に判断してもらう、ということです。国家権力に労働者の未来を預け判断してもらうことです。弁護士を雇い裁判費用を払えるお金持ちしか闘えません。
 釜ヶ崎労働者が、自分たちの力で闘い、問題を解決するのではなく「稲垣さんにお願いして裁判費用を出してもらい、解決をしてもらう」ということです。
 「釜ヶ崎労働者の代表」を自認しながら、労働者の大衆運動、団結した力を信じることができず、否定しているとしか言いようがありません。
 釜合労-稲垣浩氏のこの間の告訴-告発運動は、「獄中で好きな新聞を読む権利を求める裁判」「獄中での選挙権を認めさせる裁判」であり、稲垣氏の気分を悪くさせた「釜日労に対する『名誉毀損』裁判」です。自分が好きな新聞を読む権利、自分が選挙をする権利、自分の『名誉』?を守る権利と、すべて稲垣氏のための個人的裁判のような気がするのは私たちだけでしょうか。
 同じ選挙権をめぐる運動とはいえ、選挙権を奪われてそれを取り戻したいという失業・野宿の仲間の切実な願いとはかけ離れているように思います。
 次はあいりん職安を告訴するそうです。たしかにあいりん職安が正規の業者を紹介し、求人があれば「職安法違反」の悪質な人夫出しは紹介しないでしょうから労働者は安心できるかもしれません。しかし、かつての山谷や横浜・寿町のように正規の業者が直接あいりん職安に求人をしに来るのでしょうか。
 関西における建設業の構造自体を変えて人夫出しを使わせない(無くす)ようにしないかぎり、人夫出しは地下へもぐるか、よその地で手配をし、釜ヶ崎労働者はさらなるアブレ地獄を迎えるか、過去(40年前)に逆戻りしたような違法行為にさらされることになるでしょう。
 釜ヶ崎労働者は知っています。労働福祉センターが人夫出し業者を登録させ、規制し、一方、労働者が直接的に業者と対決してきた闘い中で、40年前に比べれば手配方法・労働条件がそれなりに改善され、比較的に安心して仕事に行けるようになったことを。そして、悪徳業者が減ってきたことを。
 私たち労働者にとってはどこからであれ現実に仕事の求人があることが大事であり、一見正論であっても社会の根底から変えていかない限り実現しないようなことより、目の前の現実が一歩でも、半歩でも進むことを願うのです。だから、職安が悪いと裁判所にお願いし、訴えるよりも目の前の業者と直接労働者の団結で闘って、相手を変えてきたのです。裁判闘争も現場の闘いと結びついていない限り何の意味も持たないのです。
 ただ、何年もかかる裁判期間中「係争(裁判)中なので」と、なかまたち労働者自身の大衆的運動を否定する材料に使われてしまうだけです。
 
さいごに
 
 この裁判は労働者の「だましたな」という怒りをかわそうとして起こした裁判にすぎません。釜合労‐稲垣浩は「ピンハネ」「賃金不払い」「暴力飯場と本質は同じ」などとNPO釜ヶ崎を罵って労働者の信頼をつぶし、「NPOは解散しろ」とさんざん労働者を扇動してきましたが、その根拠とした特掃裁判で、労基署の認定通り何も問題がないという判決が出て敗北してしまいました。
 その労働者の怒りの矛先をかわすための裁判でしかなかったのです。
 そして予期していた通り 稲垣浩の「ひとり芝居」の第二幕が始まりました。
 裁判所の判決を『錦の御旗』に、さも自らの運動が「裁判所に認められた」かのように宣伝を開始しています。ビラなどに「釜日労謝罪広告」なるものをのせていますが、その記載の仕方には作為が感じられます。
 何のコメントもなくこれをのせれば、釜日労が謝罪広告を出したと誤解されます。実際、何人かの仲間から「なんであんな謝罪広告を出したのか」という質問が寄せられています。「裁判所の判決で、たぶんあの文章をインターネットで流せということらしいが、出してはいない」と答えておきました。
 選挙期間中でもないのに 彼らは事務所前に「市会議員 稲垣浩」と書いたカンバンを出し続けています。これを見た 事情を知らない労働者は「稲垣浩さんは市会議員なんだ。たいしたものだ」と誤解してしまうのでしょう。
 また、先日も「稲垣さんは盛大な夏祭りをやってくれる。安い屋台もたくさんだし、歌手も呼んで楽しませてくれる。なのに稲垣さんを何で批判するのだ」という労働者がいました。夏祭りは私たち釜日労や他の団体が実行委員会をつくり、協力し合いながら守り育ててきた行事です。どこかで誰かがミスリードしたのでしょう。
 更に 反原発闘争で東京に行った際も、「自分は夏祭りや越冬に毎回カンパを送っている。稲垣さんはどこにいますか」と尋ねてきた人がいました。この人も「稲垣さんがガンバッテ夏祭りをやっている」と思ってカンパを送っているのでしょう。「私たちは稲垣さんと無関係です。夏祭りはやっていますが 稲垣さんは今日来ているのか、どこかでどう夏祭りをやっているのか知りません。」と答えるしかありませんでした。
 まさか「夏祭りをやるのでカンパをお願いします」とは言っていないと思いますが、マスコミなどで報道されている我々(実行委)の夏祭りを稲垣さんがやっていると誤解し、カンパを送ってくる人がいるのなら、きちんと説明すべきだと思います。
 たぶん「四角公園」か、わたしたちの知らない所でやっているのであれば、何も言うことはありませんが。
 「あんな判決で大丈夫なのか?」と心配してくれる仲間も多いですが、わたしたちはこの「民事弾圧」に屈せず、今後も反失業・仕事よこせの闘いを軸に、反原発闘争、反戦・反基地闘争、オスプレイ配備に反対し、沖縄・本土から米軍基地を一掃する闘いを推し進めてゆきます。
 裁判の判決もわたしたちの闘いを縛ることはできません。
 私たちはなかまたちにウソをつくことなどできません。660万円おしさにいつわりの「謝罪」などできないのです。それどころか、ますます稲垣さんの本性・運動路線がはっきりわかってよいことだと思っています。
  最後に、釜合労-稲垣氏らによると釜日労は「裁判所にきつ~いお灸をすえられた」と言うことですが、私たち釜日労は判決以後も何も変わっていません。私たちは「大金をはたいた裁判で釜ヶ崎労働者の反失業・仕事よこせの闘いが一歩でも、半歩でも前進したのか」と釜合労-稲垣氏に聞いてみたいものです。
 
2012年9月15日 釜ヶ崎日雇労働組合
委員長 山中秀俊

第40回目も釜ヶ崎夏祭りをやろう

2011年07月31日 | 釜日労活動報告

 

もうすぐ夏祭りです 

 

40回釜ヶ崎夏祭りをやろう! 

 

復興対策用の第2次補正予算も組まれ、今、現地では全国から労働者が集められ、被災者住宅の建設や瓦礫の片付けが進められているとのことです。 

多くの労働者が雇用されること自体景気に貢献し、我々建設労働者にとっては明るいニュースではあるでしょうが、土木・建築業界では、元請け、下請け業者たちが、重層的下請け構造=ピンハネ構造でそれぞれ莫大な利潤を上げることになるのはこれまでの常です。

これから大量に税金を投入し本格化する復興事業を民間企業任せにして、民間企業の利潤追求の場とだけするのではなく、被災地から今後生み出される、多くの失業者、住居喪失者、貧困層への雇用対策として、また、現在でも存在する非正規労働者、失業者への雇用対策と合わせた国家プロジェクトとして復興事業を行う必要があります。

 

1.国は被災地復興対策に特掃システムを採用して、必要とするすべての被災者の雇用を支えろ!

 

阪神大震災のとき、復興事業が民間業者に丸投げされた結果、高齢者などが次第に職にありつけなくなり、多くの被災者が失業者として流出、釜ヶ崎へも多数流入し、野宿生活層に合流しました。

この関東東北大震災で震災被災者、原発事故被災者に新たな貧困層を形成させてはなりません。

国は税金を使った復興資金で被災者全体を支える体制を創る必要があります。国が主導で特掃のような新たな社会の仕組みを作り、ゼネコンの能力を使いながら、雇用対策を含めた復興対策を創り上げる必要があります。国主導で労働力の配置を行うべきでしょう。

 

2.復興予算と雇用対策は対立しない!復興事業と雇用対策を結合し、大量の労働力による復興事業の迅速化を図れ!

 

 リーマンショック-金融恐慌による大失業時代を受けて実施された緊急雇用対策はそれなりの成果を上げています。今後もその成果を精査しながら継続拡大していかなくてはなりません。しかし、この間、被災地復興資金をねん出するために雇用対策の打ち切りが予定されています。震災の被災者と失業し野宿生活を強いられている仲間たちとの「困難さ」に違いがあるわけではありません。

 

 今、緊急雇用対策基金で行われている事業で雇用されている労働者は大阪だけでもこの2年で延べ57万人おり、企業の雇用調整への助成金で失業を免れているのはこの5月だけでも1,666,594人、失業者を出さないように雇用対策がらみでの中小企業への貸付金は23兆円にもなっています。この予算がなくなることによって増える失業者の数は莫大な量となるのは火をみるよりも明らかです。

 

被災地の仕事を失った人々とともに、全国の非正規雇用・失業労働者の力を復興事業に動員し、職業訓練と合わせた雇用対策として復興事業を有効に、素早く進める必要があるでしょう。

 

3.大阪府・大阪市は55歳未満の労働者の雇用対策を行え!岩手県に宿舎を建設し、釜ヶ崎の労働力を復興支援に活用しろ!

 

 大阪府・大阪市は失業・野宿の苦しむ55歳以下の釜ヶ崎労働者に対する雇用対策を行うべきです。私たちは行政当局が国に積極的に働きかけ、雇用対策と被災地復興対策を合わせた復興予算を獲得し、釜ヶ崎の熟練建設労働力を復興支援に活用することは全く合理的だと考えています。

 大阪府・大阪市が担当の岩手県の被災地に宿舎を建て、寝場所と食事を確保して、15日単位で、55歳未満の釜ヶ崎労働力、有償ボランティアの復興支援隊を送り込めば、大阪の雇用対策となるばかりか、瓦礫の撤去、片付けなどスムースに進み、少数の集落での作業に回ったり、きめ細やかな作業で被災地の方々に貢献できるでしょう。

 

 この間我々は大阪府・市にこうした要求を掲げ、国に働きかけるように強く要望してきました。夏祭りを通して釜ヶ崎労働者の意思を打ち固め、さらに行政当局との交渉・意見交換を重ね、内容を深めていきたいと考えています。

今後もこうした新しい社会の仕組みの実現を目指し頑張ります。

 

この324日より反失連のなかまがNPO釜ヶ崎の援助で仙台を拠点とした全国ホームレス支援ネットワークの被災地支援活動に参加しています。行政の手が届きにくい小規模集落を中心に、被災地域の注文を受けながら支援物資の配送などをしています。また山谷のなかまたちはいわき市を中心に福島県の支援活動に入っているそうです。

 反失連は釜ヶ崎での活動と同時に社会的弱者が手を結びあえる活動を目指します。

 

 

福島原発事故と釜ヶ崎(の寄せ場・野宿労働者)

 

 3月の福島第一原発事故を受けてようやく「原発」の実態が明るみに出始めています。これまで闇に葬られてきた原発の負の側面がマスコミに登場するようになりました。

 かつて釜ヶ崎や山谷などで問題にされてきた「原発労働」は、建設業(4次程)を上回る8次程まで存在する下請け構造の下で雇用・安全などの責任関係がうやむやにされ、暴力団の手配により、寄せ場労働者や野宿者、はては16歳の少年たちまでが安全教育も受けないままに被曝労働に従事させられ、使い捨てにされてきた歴史を持っています。家族関係などが希薄で、社会関係から切り離された生活実態から、使い捨てにしても社会的に問題になりにくいからです。

最下層の下請け労働者として上位下請け社員が作業をする前、一番最初に「除染作業」と称した原子炉内の放射線汚染された機器や施設のふき取り清掃、汚染水の処理など一番危険な作業をさせられてきました。そして、被曝し、その実態も分からない今まで使い捨てにされてきたのです。

東電だけでさえ年間280億円もの宣伝費を使って、マスコミの大スポンサーとなり、批判や都合の悪い事実を抑え込んで「安全」「クリーン」キャンペーンを行ってきたのです。このウソを塗り固めるために使われてきた280億円とは大阪の野宿者の命綱=特別清掃事業の40倍の予算であり、これが社会のために使われれば日本から野宿をしなければならない人を無くすことができる金額です。

今、福島原発の事故の収拾のために多くの労働者が被曝しながら働いています。これからも事故の収拾のため、周辺の被災地の復興のため、多くの労働者が被ばくしながらも働かなくてはならないでしょう。

私たちは労働者が少しでも被曝しなくてすむような労働環境、体制が早急につくられること、そして被曝してもその後の医療、生活に対する責任体制が整備されるよう望みます。

そのためには政府が責任を持って、周辺地域の復興事業を含めた、原発関連事業での労働者管理、安全教育、被曝管理を集中管理する必要があります。同時に、責任回避とピンハネのための重層的下請け構造をつぶす闘いが必要だと考えています。

失業に付け込む危険労働への誘いと使い捨てに対する闘いに取り組みたいと思います。

こうした内容も盛り込んでさらに団結を固め、広げるような夏祭りをやりましょう。

 

 

 

 


「特掃」裁判傍聴報告 釜ヶ崎解放7月1日号 (2011)

2011年07月30日 | 釜日労活動報告
裁判で何が争われているのか 
 
ヤカラたちは手取り5700円の募集に応じたのではないのか! 
労働者の権利(日雇健康保険制度)を投げ捨て、ひとりだけ余分に貰おうとするのが稲垣流平等なのか! 
 
「特掃」をめぐる裁判の報告 
 
釜合労-稲垣個人商店が「NPO釜ヶ崎の賃金不払いを裁判所に訴えています」とさんざん宣伝してきた特掃の裁判が20日に行われた。釜ヶ崎からも多くの仲間が「どんな裁判なんだろう」「何が問題なんだろう」と関心を示し、傍聴に詰めかけた。
 
ヤカラのセンターでの言い分はこうだ。 
NPO釜ヶ崎は賃金をごまかし、ピンハネをしている。白手帳(日雇雇用保険)を持っていない者からも天引きしてネコババしている。日雇健保から脱退して役所が払っている健康保険料を賃金として支払わせよう、というものだ。
 
しかし実際の裁判で争われているのは「賃金不払い」でも「ネコババ」でもなかったのだ。裁判で争われているのは、名目賃金(=保険料などの控除をする前の賃金、特掃では年齢によって変わってくるが雇用保険や健康保険の労働者負担分を引く前の金額)がみんな同じなのが平等か、実質賃金(=実際に受け取る金額)が同じなのが平等かというのが裁判の焦点であった
 
誰もが5700円の手取り金額を受け取るのが平等なのか、年齢によって介護保険料を引かれる者、ひかれない者、保険料を一切引かれない者など同じ仕事をしながらバラバラなお金を受け取るのが平等なのか、という争いだ。
 
NPO釜ヶ崎の理事長が証言台に立ち、まず、かつて特掃を行政に創らせた運動の代表としての立場から、労働者の闘いの過程で特掃の賃金制度がどういうように設計されてきたかを説明した。
 
一、特掃賃金は、公金=税金を使った事業であるため、府民・市民に理解を得られる金額でなければならないこと。
 
二、釜ヶ崎の日雇い労働者への雇用対策であるから日雇い労働者の権利の下で行う。具体的には日雇雇用保険・日雇健康保険・労災保険の適用を受けること。
 
三、釜ヶ崎の昔からの雇用慣習にならい、年齢や体力の差に関係なく同一の金額を手にすることができるようにすること。具体的には老いも若きも、体や精神的な障害を持っていても一日働けば同じ金額をもらうことができるようにすること。
 
四、そのためには発生する保険料の労働者負担分を行政が肩代わりすること。
 
そして次に、こうして九四年に創られた特掃の制度-賃金体系は、㈱大阪環境と大阪自彊館によって二〇〇四年まで運用されてきたこと、最終的には二〇〇四年から大阪自彊館分をNPO釜ヶ崎が引き継いだこと、ゆえにNPO釜ヶ崎が創った賃金システムというわけではなく、当時の労働者が求めた賃金体系であったことを明らかにしました。
 
だから特掃は輪番登録の募集をするときに「手取り5700円」と募集をしています。輪番労働者の個人個人の条件によって異なる名目賃金での募集はしていないことを証言しました。
 
結局、裁判の争点は、労基署が認定した通り「賃金不払い」や「ピンハネ」などではなく、『賃金論』『平等論』として展開されているようです。センターやインターネット上で「賃金不払い」や「ピンハネ」と強調して言っているのは、ヤカラたちの「元祖貧困ビジネス」にとって目の上のたんこぶであるNPO釜ヶ崎のイメージダウンを狙って言っているだけのようです。
 
ヤカラたちの弁護士は、反対尋問で「東京では名目賃金がみんな同じでそこから保険料が引かれている。なぜ大阪もそうしないのか」と山谷の『例』を引き合いに出し、鬼の首をとったような顔をしていました。弁護士でも鼻高々に無知をさらけ出すやつはかわいそうなくらいです。
 
東京(山谷)の制度と大阪のそれには雲泥の差があります。あっちは金持ちの行政が恵んでくれた純粋な福祉制度であり、大阪は府庁・市庁前の野営闘争を何度も繰り返し、生活保護に頼るのではなく「社会(公共)に奉仕する労働をして生活の糧を得る」という労働者の粘り強い闘いで貧乏行政からやっと引きずり出した「闘いの成果」だ。
 
だから闘いとった賃金にかかる保険料の労働者負担分を行政に負担させ、手取り金額がすべて同じ=平等になるようにしているのだ。
 
日雇健保の「減免措置」によって保険料がかからなくなれば行政もその分負担しなくなるのは当然です。
 
わが組合を除名され、一九八〇年の釜合労結成以来一度たりとも違法な暴力飯場、ケタ落ち人夫出しと闘わず、争議を打ったこともない、ただ表面上は法律に縛られて安全な行政や警察署の前でだけ「闘っているパフォーマンス」に明け暮れてきた釜合労‐稲垣に、釜ヶ崎労働者が「特掃」を闘いとってきた意義などわからなくても仕方がないのかもしれない。
 
ましてや、本に書いてある賃金論しか知らず、「初任給○○万円、手当てが○万円で、これが賃金。そこから税金、社会保険料を引かれるのは当たり前」等と思っている坊ちゃん弁護士に何がわかる。
 
「賃金というのは決まった金額から、税金を引いて、社会保険を引いて、残った、実質手にできる金額」こそが下層労働者の賃金であり、給料なのだ。
 
下層労働者は経営者と交渉するときに「いくらぐらい欲しい」と聞かれ「○○万円欲しい」と手取り額で交渉する。経営者はそれを逆算して額面の給料を決めるのだ。法律的「賃金論」からしたら逆だがワシら下層労働者の実態はそんなもんだ。だから実際に手にする金額がだれでも同じ金額であることが釜ヶ崎日雇の「平等感」なのだ。四〇年間も働きもせずに生活してきたヤカラには理解できないだろう。
 
特掃はヤカラが言うような『棚からボタ餅』ではない。まわり数を増やすのも、予算を増やすのも運動-闘いがない限りなしえない。
 
ヤカラたちは特掃が始まって以来、自らの体を使って特掃の維持・増加のために貢献したことがあるのか。輪番労働者の多くは自ら運動に参加してきたのだ。来年度は緊急雇用も打ち切られ、厳しい状況が予想される。
 
勝ち取った制度を全力で守り抜き、発展させましょう。

第42回 釜ヶ崎メーデー 

2011年04月27日 | 釜日労活動報告

 

42回 釜ヶ崎メーデー 宣言

 

 

127年前、資本の横暴に対してシカゴの労働者たちが立ち上がった。

114時間を越える過酷な労働に、彼らは叫んだ。「8時間は仕事のために。次の8時間は休息のために。そして次の8時間は俺たちの好きなことのために」と。

この闘いは時をおいて全世界の労働者に広がり、1890年、ヨーロッパ各国を含めて第1回国際メーデーが開催され、全世界の労働者のスローガンとなった。

日本ではどうか。戦争の生々しい傷跡の残る1946年、第17回メーデーが盛大に開催され、戦後労働運動の新たな再出発を誓い合った。スローガンは「働けるだけ喰わせろ!」だ。

 

メーデーは歴史の示すとおり、労働者が闘いを宣言する日だ。釜ヶ崎メーデーもまた、一貫してこの精神を継承してきた。ここ釜ヶ崎でも、1970年第1回釜ヶ崎メーデーが行われ、西成署の「釜ヶ崎でのデモを不許可」に対し、仲間たちはプラカードを林立させ、赤旗を打ち振って「ドヤ代を下げろ」「日当3,000円以上にしろ」「手配師人夫出し追放」と叫び、決起したのである。

 

それから42年、今年もまた51日となった。苦しい闘い、楽しい闘いの41年を経て、多くの先達の努力によって、失業・野宿による生活苦にあえぐ仲間への新しい社会制度=「特掃」、シェルターを創らせ、NPOを創り出し、特掃事業をさらに拡大し、守り抜いてきた。「闘うメーデー」これが釜ヶ崎メーデーの伝統だ。

 

釜ヶ崎労働者は高度経済成長の時代を、設備投資の最先頭の兵士として、産業構造の転換と雇用の調節役として、時代の主役を担ってきた。ビル、ダム、道路、原発と汗水流しながら、万博景気とオイルショック、バブル景気とその崩壊、好景気とアブレ地獄、失業、野宿、そうした時代を生き抜いてきた。

 

世界金融危機は、労働者派遣法により新たな景気の調整役とされた派遣労働者を中心に、数百万の労働者から労働を奪った。若者から希望を奪い、高齢者から生活と生きがいを奪った。そして、この労働者派遣法によって景気の調整役からも下された釜ヶ崎では、「寄せ場」=労働市場としての機能を奪われ、仕事をも奪われてしまった。

 

いま日本は、311日の関東・東北大震災と福島原発事故で大打撃を受け、多くの労働者、農民、漁民、個人事業主らが失業者となっている。ゼネコンを筆頭に大企業‐大資本は復興事業までをも金儲けに利用しようとし、一方の被災者は阪神大震災のときのように若い労働力が必要とされる中で、高齢化した労働者などが取り残され、生活が困難な層として貧困層を形成することになるだろう。

 

この間の不況下でも輸出製造業は1年で業績を回復し、しっかりと利益を上げ、内部留保をため込み、資本家どもに配当を配り続けた。資本家は、しこたま利益を貯めこみ、労働者には低賃金と失業・野宿を押しつけ、政治家、政府-行政機関は解決の方法を見いだせず、すでに機能しなくなった旧来の社会保障制度を、手を変え、品を変え、押しつけるだけで、行き先を見失っている。改革を求める国民の期待を集めて登場した民主党政権も、経済界、自民党、米国など反動勢力の巻き返しの前に分断され迷走を続けている。

 

関東・東北大震災では、福島原発の事故をめぐって独占資本と政府・官僚・政治家の癒着構造が明らかとなった。電力独占資本はゼニ儲けのため、旧政権党の自民党は日本の核武装化のために、今だ未熟で危険な原子力開発を進めてきた。そして、国民の安全よりも原発推進が最優先され、ゼニ儲けのための経費削減のために安全性がないがしろにされてきた。それを監督すべき政府機関である経済産業省の原子力安全・保安院が電力各社の言いなりとなり、安全対策無視を看過・追認し、国会での野党議員の追求や善良な科学者の提言をマスコミへの利益誘導で封じ込めてきた。まさに独占資本が政治を支配する世の中であることがだれの目にも明らかとなった。

 

バブルがはじければ銀行に税金を使い、輸出製造業が大量派遣切りをすれば税金で後始末をする。原発で散々儲けたおした電力独占資本が重大事故を起こせば、これまた税金で後始末をする。労働者が失業すれば、雇用対策はおざなり。

大企業‐資本家が儲ければ自分のふところへ。大企業‐資本家がヘタ打ちすれば「オールニッポン」精神で税金を使ってケツをふき、やつらのせいで仕事を失った労働者は『自己責任』で失業・野宿。こんな社会の仕組みはおかしいだろう!

 

であるならば、我々労働者は、自身が生き残るための『新しい社会の仕組み』を自ら創り出さなければならない。新たな社会情勢に合わなくなった古い制度に縛られ、右往左往する行政に不平不満をぶつけるだけでは何も変えることはできない。失業と野宿の時代の未来は労働者自らが切り開いてゆこう!

 

新たな時代を迎えるメーデーに釜ヶ崎労働者の闘う声を!!


第42回釜ヶ崎メーデースローガン

2011年04月27日 | メーデー

 

42回釜ヶ崎メーデースローガン

 

心して働き、生活できる釜ヶ崎を実現しよう。

 ①    特掃、週3回で就労自立を勝ち取るぞ! 緊急雇用対策を継続させろ!

 ②    55歳未満のなかまたちにも仕事をよこせ! 新たな就労制度を!

 ③    雇用対策と復興事業を対立させるな釜ヶ崎の労働力を復興事業に使え!

 ④    大阪府・市は被災地に飯場を作り、15日契約の輪番を創れ!

 ⑤    日雇い雇用保険、日雇い健康保険の受給資格を緩和させよう!

 ⑥    誰もが人間らしく生活できる社会を!

 

全国・全世界の労働者と手を結ぼう!

 ①     国は災害復興事業と緊急雇用対策を結合し、全ての被災者の雇用対策を!

 ②     原発を即時停止し、総点検せよ! エネルギー政策を転換しろ!

 ③     下請け労働者を被曝させるな!

 ④     派遣法の撤廃・均等待遇実現・安定雇用を勝ち取ろう!

 ⑤     沖縄県民の声を聞け! 普天間基地撤去。米軍基地は要らない!

 ⑥     憲法9条を守れ! 日米安保、日米地位協定を破棄せよ!

 

 

☆正規・非正規を問わず、闘う労働者の団結を!

☆反戦・反失業・反差別の闘いを前進させよう!

☆大企業のための政治から、働く者・生活する者のための新たな仕組みの社会を創りだそう!


失業・野宿のない社会はあらゆる差別や抑圧、侵略、戦争のない社会を目指す道と同じ

2010年12月27日 | 釜日労活動報告
第41回釜ヶ崎越冬闘争

 一昨年秋のリーマンショック以来、世界金融恐慌の波に飲み込まれた日本経済界の主要企業は、バブル経済崩壊後の不況とは異なり、90年代に準備した「新たな景気の安全弁」=非正規雇用の派遣労働者の雇い止め、首きりという雇用調整で切り抜け、自分たちは利益を上げ、株主配当をし、内部留保をため込んでいます。

 こうした時代背景の中で、釜ヶ崎労働者をめぐる社会情勢は激変しました。

 90年代に「景気の安全弁」としての地位をすでに奪われた建設業界の仕事量は「公共事業の削減」の掛け声の下縮小する一方で、釜ヶ崎の55歳以上の労働者は、反失業闘争の中で闘いとった、「特別清掃事業」「シェルター」「炊き出し」の3点セットに頼らざるを得ず、40歳~55歳の労働者の就労率も低いまま10年ほどを経過してきました。

そこに追い討ちをかけるように世界金融恐慌が襲い、翌09年4月にはセンター現金求人が1000名を割り込み、55歳未満の労働者まで絶対的失業者となってしまったのです。

一昨年末、我々は大量の労働者が釜ヶ崎に流入してくるのではと懸念しました。

 しかし、我々の予想を裏切って、世界金融恐慌のあおりを受け、大手輸出産業から大量に解雇された派遣労働者が、直ちに釜ヶ崎に流れ込むことはありませんでした。彼らは、釜ヶ崎の日雇いと違い、家族関係、知人・友人関係が、まだ壊れていなかったからなのではと思います。

 そして何よりもこれまで、釜ヶ崎固有の問題とされがちだった失業・野宿の問題が、社会的に大きく広がり、政府が対策をとり始めたことが釜ヶ崎にも大きな影響を与えました。社会全体にかけられた失業対策(セーフティネット)が釜ヶ崎にも差別なく同様にかかったということです。

一つには、旧来の生活保護制度の恣意的運用、社会保障費削減を唯一の目的とする締め付け-水際作戦から、09年3月「厚労省通達」による国レベルの緩和。

二つ目には、国の緊急雇用対策などによるとくそうの月4回から月5~6回への増加。

このことにより、昨年多くの失業・野宿のなかまが生活保護を受け、畳の上へあがることができました。

 結果、シェルター利用者・炊き出し利用者の減少となり、昨年の年末・年始の地区内野宿者の前年比30%減、南港臨時宿泊所の利用者数の半減となって表れています。こうした流れは今年も続いています。

 国が動いたことによって野宿問題が動いたということです。


 まさに、失業・野宿の問題は「国の施策として行わなければ解決の道はない」ということです。

私たちは今年も、様々な事情を抱えこの間の行政施策にのれずに野宿をせざるを得ない人たち、年末年始に増える新規流入者を支援するため、行政窓口休業中に越冬闘争をやります。 




第41回釜ヶ崎越冬闘争スローガン


安心して働き・生活できる釜ヶ崎を創ろう‼


☆.越冬闘争を闘うぞ!仲間から餓死、凍死者を出さないぞ!

☆.仕事をよこせ! 野宿をさせるな!

☆.市・府は越年対策の抜本的見直しをしろ!

☆.緊急雇用対策の継続と特掃週3回を実現しろ!

☆.社会的、公的事業で年齢制限のない仕事をだせ!

☆.稼動年齢の生保受給者に仕事と職業訓練を充実させろ!

☆.高齢生保受給者への生きがい事業を創れ!

☆.国の責任で失業・野宿を解決しろ!


☆.排外主義の台頭を許すな、大阪府知事の朝鮮学校差別を許すな!

☆.派遣法改正を早急に実現せよ!

☆.1919億円の米軍「思いやり予算」より仕事をよこせ!

☆.菅政権は沖縄民衆の声を無視するな!

☆.沖縄普天間基地を撤去、辺野古新基地建設やめろ!

☆.安保条約を破棄しろ! 米軍はイラク、アフガンから出て行け!

☆.九条改憲策動を許さないぞ!


☆.正規-非正規を貫く労働者の団結を勝ち取るぞ!

☆.全世界の労働者・抑圧された民衆と連帯して闘うぞ!

 




元祖貧困ビジネスとの闘い

2010年08月13日 | 釜日労活動報告
本日午後5時10分 三角公園にて
第39回釜ヶ崎夏祭り

釜ヶ崎日雇労働組合


なかまのみなさん!

   連日の酷暑、雨が降れば大雨、という厳しい天候の中、現場仕事、アルミ缶、段ボール、仕事探しと、様々な仕事に励んでいることと思います。今年も早八ヶ月目を迎え、お盆になりました。

   今日の午後からステージが始まり、五時からは前夜祭が始まります。

   故郷に錦を飾ることもできなくなり、ここ釜ヶ崎を第二の故郷と決めた仲間たちで、今年も、自分たちの祭りを作り、現場で酷使される憂さ(うさ)、厳しい失業・野宿生活の憂さ、生活の中で生きがいを見いだせない憂さ、日頃の全ての憂さ晴らしをしましょう。

   現金がなくても、無料企画が盛りだくさん。アルミ缶を集めてアルコールや食べ物にすることもできる。

   相撲大会、綱引き、スイカ割り、ステージの演奏や、歌を楽しみ、自らステージに上がってのど自慢。毎日の締めは盆踊り。

   今年も、釜ヶ崎労働者自身が創る、釜ヶ崎の祭りを、おおいに楽しみましょう。



労働者の団結を固めよう

   元祖貧困ビジネスのヤカラ集団-釜合労は、特掃の賃金問題で、労基署にも相手にされなかったことに腹を立て、国家権力の一機関=裁判所に泣きついた。いつも裁判所に対し、不当判決だとか、不公正だとか言っていながら、国家権力-裁判所に判断をお願いするのは、七九年の全港湾に対する「百円強制カンパ訴訟」の時から一歩も進歩していない証しであり、パフォーマンスだけのエセ「反権力」の真の姿だ。

   この裁判は、釜ヶ崎労働者が反失業闘争で勝ち取った、「保険料の労働者負担分を行政に肩代わりして払わせる」という成果を、「支払わないほうが得をするから、まじめに裁判で争いもしないだろう大阪市、大阪府を被告として訴える」という茶番劇の裁判だ。

   特掃労働者のためでなく、ヤカラたちが勝つ(行政も喜ぶ)ことだけを目的にした裁判だ。



5700円から保険料が引かれる

   この裁判でヤカラの言い分が通れば、輪番労働者は5700円から労働者負担分を引かれるようになってしまう危険な裁判だ。行政も喜ぶのだから充分にその可能性がある。ヤカラが当初宣伝した「賃上げ」とは違い、賃下げになるのは見え見えだ。



売名・茶番劇の裁判を許すな

   第三の被告NPO釜ヶ崎は行政の下請けで、釜ヶ崎労働者の運動の声を背景にしてしか発言権がない。それを見越してヤカラたちは裁判を起こしたのだ。

   釜ヶ崎労働者の利益などお構いなし!外向けに「裁判に勝った○○」と自分の名前を宣伝したいがためだけに、釜ヶ崎労働者を踏みにじる、元祖貧困ビジネスのヤカラ集団-釜合労の裁判を許すな。



自ら露呈させた元祖貧困ビジネスの正体!

 ヤカラ集団は、先月、大阪市への質問状で、特定の民間企業である不動産業者を「XX商事は貧困ビジネスではありません」と擁護していた。公的機関に対して、公式文書で、一民間企業を擁護する運動団体など前代未聞、聞いたことも、見たこともない。

 なかまたちが「紹介料をくれる」「生活用品を買ってくれる」と噂する業者をわざわざ行政に擁護・推薦し、その一軒だけを居宅申請者に紹介するのはなぜなのか…。

 当然、業者のこういう行為は営業上の利益を上げるためであり、不法行為ではない。しかし、税金を出す側の行政は、「そういう余裕があるなら敷金・礼金を値下げしろ」「とるな」というだろう。

 野宿者をネタに必要以上に稼ぐのを貧困ビジネスと呼ぶのではなかったのか。ヤカラたち!君たちが言い訳に配っている「まえしま新聞」にこそ、その実態が書かれているだろう。



「居宅保護をかちとる闘い」のまやかし

 また、ヤカラたちは、舞洲自立から若い人たちを引き抜いて居宅保護申請の「支援」をしているが、四角公園の炊き出しに並ぶ釜ヶ崎労働者に居宅保護の支援をしないのはなぜなのか。

支援金・支援物資集めを自己目的化したお粥の「炊き出し」に並ぶ人間が減るからなのか。

だから、昨年の秋までは生活保護の「不自由」ではなく、「野宿の自由」と声高に叫んでいたはずではないのか。「自立から50人」と外向けには「支援の実績」を強調してはいるが、今頃、居宅保護路線に変わったのは、「何か特別な事でもあるのか」と考えるのはゲスの勘ぐりなのか。



釜の労働者は真実を知っている

   釜ヶ崎労働者が知っている。この地域の中で、居宅をとる支援をしてきたのは、医療連であり、NPO釜ヶ崎であり、夜間学校であった事を!

   そして何より、ふるさとの家に至っては昨年五百人以上のなかまを畳の上にあげたのだ。

ヤカラたちの言う50人の実績とは、彼らがつるむXX商事で抱えきれるだけの人数ではないのか。



 悪徳業者、エセ運動家に惑わされず、労働者の団結を固めよう!

   なかまのみなさん!

 こうした、労働者の味方のフリをしながら、何十年にもわたって食い物にしてきたやつらを許してはなりません。

   我々が「安心して働き、生活できる釜ヶ崎を」創るためには、真実を見極め、先輩たちや、我々自身が闘いとってきた権利をぶち壊そうとするヤカラたちと、断固とした闘いをしなくてはなりません。

   日雇健保、国民皆保険制度を壊し、特掃の賃下げをしようとするヤカラと断固として闘いましょう。



夏祭りで団結を固め、特掃週三回、55歳以下の仕事をかちとろう!

   39回目を迎える釜ヶ崎夏祭りで、ストレスを発散させ、ひとときの休息をとり、団結を固め、来年の緊急雇用対策打ち切りとの闘い、そしてなによりも、全国の非正規労働者との連帯・団結を通して、自民・公明党時代にぶち壊された世の中の仕組みに対し、安心して働き、生活できる新しい仕組みを創るための闘いに進んで行きましょう。

第39回釜ヶ崎夏祭り

2010年08月07日 | 釜日労活動報告
39回目の夏祭りをやるぞ!

作画:大森あい

第39回釜ヶ崎夏祭りスケジュール
  

第39回釜ヶ崎夏祭りスローガン

安心して働き、生活できる釜ヶ崎を実現しよう

特掃、週3回で就労自立を勝ち取るぞ!

55歳以下の、年齢制限のない仕事を勝ち取るぞ!

緊急雇用事業を継続しろ!

アルミ缶、ダンボール集めを就労努力と認定しろ!

生活保護を食い物にする、貧困ビジネスを取り締まれ。

日雇い雇用保険、日雇い健康保険の受給資格を緩和させよう!

新しい社会保障の仕組みを創ろう!

朝鮮人学校への差別を止めろ。すべての人々を公平に!

憲法9条を守れ。日米安保、日米地位協定を破棄せよ。

正規・非正規を問わず、闘う労働者の団結を!

反戦・反失業・反差別の闘いを前進させよう!

誰もが人間らしく生活できる社会を!


第41回 釜ヶ崎メーデー スローガン

2010年04月29日 | 日記

釜ヶ崎メーデースローガン

 

      失業・野宿はごめんだ!

      野宿の果ての治療費・保護費より、仕事で健康な生活を

      新しい社会保障の仕組みを創ろう!

      特掃、週3回で就労自立を勝ち取るぞ!

      55歳以下の、年齢制限のない仕事を勝ち取るぞ!

      日雇い雇用保険、日雇い健康保険の受給資格を緩和させよう!

      緊急雇用事業を食い物にする業者をゆるすな!

      アルミ缶、ダンボール集めを就労努力と認定しろ!

      生活保護を食い物にする、貧困ビジネスを取り締まれ。

      誰もが人間らしく生活できる社会を!

  安心して働き、生活できる釜ヶ崎を実現しよう。

 

全国・全世界の労働者と手を結ぼう!

 

    派遣法の撤廃・均等待遇実現・安定雇用を勝ち取ろう

    沖縄県民の声を聞け。普天間基地撤去。米軍基地は要らない。

    日米安保、日米地位協定を破棄せよ。

    憲法9条を守れ。自衛隊の海外派兵の常態化を許すな。

    排外主義集団「在特会」「主権回復市民の会」を、社会的に包囲せよ。

  朝鮮人学校への差別を止めろ。無償化を即時実現せよ。

    アメリカ軍は、イラク、アフガンから出て行け。

 

正規・非正規を問わず、闘う労働者の団結を!

反戦・反失業・反差別の闘いを前進させよう!

闘うメーデーから、労働者・生活者のための『新しい社会の仕組み』づくりへ!

2010年04月29日 | 日記

41回釜ヶ崎メーデー 宣言


  126
年前、資本の横暴に対してシカゴの労働者たちが立ち上がった。

114時間を越える過酷な労働に、彼らは叫んだ。「8時間は仕事のために。次の8時間は休息のために。そして次の8時間は俺たちの好きなことのために」と。

この闘いは時をおいて全世界の労働者に広がり、1890年、ヨーロッパ各国を含めて第1回国際メーデーが開催され、全世界の労働者のスローガンとなった。

日本ではどうか。戦争の生々しい傷跡の残る1946年、第17回メーデーが盛大に開催され、戦後労働運動の新たな再出発を誓い合った。スローガンは「働けるだけ喰わせろ!」だ。

 

メーデーは歴史の示すとおり、労働者が闘いを宣言する日だ。釜ヶ崎メーデーもまた、一貫してこの精神を継承してきた。

1970年第1回釜ヶ崎メーデーが行われ、西成署の「釜ヶ崎でのデモを不許可」に対し、仲間たちはプラカードを林立させ、赤旗を打ち振って「ドヤ代を下げろ」「日当3,000円以上にしろ」「手配師人夫出し追放」と叫び、決起したのである。

それから41年、今年もまた51日となった。苦しい闘い、楽しい闘いの40年を経て、多くの先達の努力によって、失業・野宿による生活苦にあえぐ仲間への新しい社会制度=「特掃」、シェルターを創らせ、NPOを創り出し、特掃事業をさらに拡大し、守り抜いてきた。「闘うメーデー」これが釜ヶ崎メーデーの伝統だ。

釜ヶ崎労働者は高度経済成長の時代を、設備投資の最先頭の兵士として、産業構造の転換と雇用の調節役として、時代の主役を担ってきた。ビル、ダム、道路、原発と汗水流しながら、万博景気とオイルショック、バブル景気とその崩壊、好景気とアブレ地獄、失業、野宿、そうした時代を生き抜いてきた。

 

時代が変わろうとしている。

一昨年からの世界的不況は、労働者派遣法により新たな景気の調整役とされた派遣労働者を中心に、数百万の労働者から労働を奪った。若者から希望を奪い、高齢者から生活と生きがいを奪った。そして、この労働者派遣法によって景気の調整役からも下された釜ヶ崎では、「寄せ場」=労働市場としての機能を奪い、仕事を奪ってしまった。

今、「景気は上向き」と云われている。しかしその実体は「雇用なき景気回復」だ。失業者、生活者には何の変化ももたらさない。資本家はこの不況下でも、しこたま利益を貯めこみ、労働者には低賃金と失業・野宿を押しつけ、政治家、政府、行政機関は解決の方法を見いだせず、すでに機能しなくなった旧来の社会保障制度を手を変え、品を変え、押しつけようとしている。

であるならば、我々労働者は、自身が生き残るための『新しい社会の仕組み』を自ら創り出さなければならない。新たな社会情勢に合わなくなった古い制度に縛られ、右往左往する行政に不平不満をぶつけるだけでは何も変えることはできない。失業と野宿の時代は労働者自らが切り開いてゆこう!

時代の節目のメーデーに釜ヶ崎労働者の闘う声を!!


安心して働き、生活できる社会を!!

2010年02月18日 | 日記

全国の仲間とともに反失業闘争を闘おう!!

 

新しい闘いの出発点に

 なかまのみなさん。 東京山谷で一月十一日に行われた日雇全協反失業総決起集会は、全国から二百名の仲間が集まって集会・デモが行われた。バス・勝利号で駆け付けた我々釜日労の仲間は、寄せ場日雇い運動の四十年目という節目に、いまだ野垂れ死にのふちに立たされ続けているワシら日雇・失業・野宿者の未来にとっては、これまでの闘いをさらに進めた新たな闘いが必要であり、その区切りの年として、今年の反失業闘争を闘おうという提起がされた。

 高度成長経済の五五年体制と言われた時代。

 われわれの釜ヶ崎は産業再編であふれた労働力を関西経済発展の礎にと、その象徴たる大阪万博と一連の関連事業に取り込むため、旧来の寄せ場を、建労法という法律で口入れ屋=人夫出し(派遣業者)をなかば合法化し、あいりん職安・労働福祉センター・医療センター(あいりん総合センター)を建て日雇い雇用保険制度(白手帳)と日雇い健保で福利厚生図り、「近代化」することにより、一大労働市場を作ろうと、府・市の行政当局自らが労働者を集めてできてきた。 この時代は、敗戦後の日本経済を官僚主導で、自民党が経済界の利益を代表しながらけん引して急速に経済成長を遂げていき、その中で社会福祉、労働問題など、吹き出す労働者・市民の社会的不満を社会党が代表して、経済成長のおこぼれの中からその一部を受け取り、吸収してゆく、という政治構造の時代であった(五五年体制)。

 経済成長の終わりと失業の時代、正社員から非正規雇用の時代へ

 バブル経済を頂点に日本の経済成長は欧米に追いつき、止まった。 こうして九〇年代は大量のリストラ、失業と野宿の時代になった。 経済成長の時代に産業構造の転換による失業者を吸収してきた建設業界、寄せ場も景気の調節弁としての機能を失い、失業者のはきだめとされてしまった。 そして、すでに成長の止まった日本の経済に、労働者を抱えている余裕はなくなり、正社員を大量に削減し、労働者派遣法という「人夫出し法」を成立させ、年金・保険で生活全体の面倒を見る必要もなく、いつでも首を切れる、非正規雇用の労働者にとって代えた。いまや日本の労働者の半分近くがワシら日雇いと同じような非正規雇用になろうとしている。今、ワシらが失業し、多くの非正規雇用の労働者が貧困にあえぎ、野宿を余儀なくされ、満足な社会保障を受けることもできないのは、企業に「おこぼれ」の余裕がなくなったからだ。世の中が変ってしまったのに、雇用保険制度、年金制度、健康保険制度などが、古い55年体制下の正規雇用=正社員用の社会保障制度のまま変わっていないからなのだ。

時代の変化を理解し、新たな社会のしくみを求めていこう!

 いま仕事を求めても仕事がなく、自立支援センターで再起を狙っても、生活保護に緊急避難しても、「雇用なき景気回復」のもとでは展望を見いだせない。 生活保護は緊急避難として当然だが、問題の解決にはならない。保護費の膨張が地方自治体の財政を圧迫し、再び締め付けに転換するのも容易に推測できる。 ワシらは生活保護を最終目的とすることはできない。 働いて生活する=そのほんとの自由をこそ求めているのだから。 かつて、公共の施設(建物・公園・河川・道路などの清掃・管理など)での仕事は公務員が直接やっていた。 それを費用の問題で民間委託するのがこの間の流れだが、民間委託にも「利益にならないところはしない」など問題がある。民間の利益のためにこれらの仕事を出すのではなく、公共の利益のためにこの仕事を使わせよう。 失業者や一人親家庭、障害者など就職困難者の仕事にしていくことの方が生保、一本やりより、トータルな財政削減になるのは当前だ。 縦割り行政で不可能なこういう新たなしくみをこそ、政権交代が進むような、多くの人たちが変革を求める今の世の中で、一〇年以上も前から「特掃」という形で時代を先取りしてきた釜ヶ崎労働者が、先頭を切って創り出してゆこう。全国には生活保護並み、あるいはそれ以下の収入で頑張っている人たちが少なからずいる。 彼らが頑張れるのは人間の本来的欲求の一つである「労働」=「職」があるからだ。 仕事があればワシらも誇りを持って、自由に生活できる。「野宿の自由」などというマユツバでない本物の自由だ。

 行政を糾弾だけし、崩壊した古い仕組みを求めても何も生まれない。

 働いて人間らしく生活することが一番だと理解できずに、生活保護を受けることが「人権」の最終目的であるかのように騒ぎたてたり、機能不全に陥った職安に、民間企業の紹介を迫ったりしているヤカラもいるが、われわれは、戻ることのできない過去のしくみを求めるのではなく、時代に合った新たな社会の仕組みを目指して立ち上がろう。

 安心して働き生活できる世の中を、全国の非正規雇用の仲間とともに闘い、創っていこう!


第40回釜ヶ崎越冬まつりスケジュール

2009年12月30日 | 日記
12月28日の釜ヶ崎越冬闘争突入集会のときは松本美樹さんがすばらしいピアノ演奏を披露してくれました。

釜ヶ崎地区内図

2009年12月27日 | 日記
行政用語で「あいりん地区」、いわゆる日本一の日雇い労働者の街‐釜ヶ崎は、萩之茶屋一、二、三丁目、太子一、二丁目、花園北一、二丁目、北天下茶屋一、二丁目、山王一、二、三丁目であるが、釜ヶ崎らしいところと言えばやはり萩之茶屋一、二、三丁目である。
  日雇労働者の寄り場‐「あいりん総合センター」があり、労働者の憩いの場三角公園がある。この二か所を拠点として越冬闘争は行われる。

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☆JRあるいは南海線の新今宮駅か、市営地下鉄御堂筋線、堺筋線の動物園前駅で下車。

☆駅を出て道路‐尼崎・平野線の南側へ渡り、西へ2分ほど行くとセンター、ローソンの角から南へ歩くと、要塞‐西成警察の前を通って、5分ほどで三角公園につく。

☆地下鉄四つ橋線花園町駅で降りても5分ほどで三角公園につく。

☆南海線の萩ノ茶屋駅で降りると、萩之茶屋商店街を通って2分かからずに三角公園につくが電車の本数が少ない