演奏会の翌日、他のメンバーの面々がムラーノ島のヴェネツィアンガラスの工房に行ったり、フィレンツェ弾丸ツアー(驚)を敢行した完全オフのこの日、自分は単独行でボローニャに行ってまいりました。
オルガニストにして音楽学者のLuigi Ferdinando Tagliavini氏の膨大な鍵盤楽器のコレクションは以前より有名でしたが、近年、元教会のお御堂である現施設に移されて公開されるようになりました。今回はそれを狙ってヴェネツィアから出掛けたという次第。
場所はマッジョーレ広場から中央駅の方向に少し戻った辺り。
博物館に収められた歴史的鍵盤楽器を弾けるケースは本当に限られていて、一般的には所有者側と個人的なつながりがあるか、あるいは伝手のある人から紹介状を得るなどをしないと試奏は叶いません。今回は以前より複数の人を介してコンタクトするルートのあった、高名なオルガニストでありここの館長を務めるLiuwe Tamminga氏にアポイントを入れてこの訪問が実現したのでした。というわけでこんなにまとまった数のオリジナルのチェンバロの類を弾くことができたのはかなり久しぶり。「友達の友達だから、我々も友達だよねー」と快く申込みを受けてくれたTammiga氏、彼とのコンタクトの指南をしてくれたオルガニストYさん、オランダのビルダーIさんなどなどに大感謝です。
この楽器コレクションはTagliavini氏がお祖父さんの遺産として相続した管楽器数本から始まったようですが、現在はその大部分がチェンバロ、ピアノを中心とした鍵盤楽器で構成され、数は数十台にも及ぶのだそう。そんな楽器が並ぶ様子はヨーロッパ各地の大きな楽器博物館での光景とさして変わるところはないようにも見えますが、これが個人コレクションだと認識した瞬間、やはり度肝を抜かれる思いがしたのです。
さすがにこれらすべての楽器を触るのは時間的にも不可能なれど、いくつかを自由に試奏させてもらえました。
チェンバロではやはりこれ。Giovanni Battista Giusti(1679)。インナーアウターモデル。音域GG,AA-c3。ディスポジションは2×8'、1×4'。
気がついてみればチェンバロよりもずっと長時間試していたのはオルガンの2台。一つは17世紀後半のパルマのビルダー一派による、お御堂の正面に鎮座するこのような美しい楽器。
それと向かい合うように階上のバルコニーに置かれたのはPetronio Giovagnoni(ボローニャ)~1760年頃。
イタリアに来たにも関わらず、旅程のここに至るまで堪能する機会があまり多くなかったオリジナルのイタリアン・プリンチパーレの音に邂逅し、あらためて大興奮したのであります。
滅多にお目にかかれないような楽器も多数。そのような楽器の最右翼と思われるのはフィレンツェの製作者Giovanni Ferrini(クリストフォリの弟子の由)による「ピアノチェンバロ」(第一鍵盤がチェンバロ、第二鍵盤がフォルテピアノ)~1746年。このタイプの楽器としては最古のもの、とBoalchが書いている。
楽器本体はイタリアン、アウターケース(マホガニー製)やスタンドがいかにもイギリス趣味のチェンバロというのはこれ。ボローニャの製作者Gocciniによる、イギリスの貴婦人のためのウェディングプレゼント~1721年。
などなど、いちいち挙げていったら本当に切りがありません(汗)。気がついたらあっという間に2時間が経過。
ここでTamminga氏から思いがけず素敵な贈り物が。もうあまり時間が無いのでちょっとだけだが、と、コレクションからほど近いサン・ペトロニオ聖堂に案内され、この名手による、銘器の誉れ高いオルガンのデモンストレーションを間近で聴くという恩恵に浴することになりました。自分がコンソールまで上げてもらえたのは2つあるうちの使徒書簡側の楽器=Lorenzo da Prato, 1471-75, Giovanni Battista Facchetti, 1531。写真から、これが12フィートオルガンであることがお判りでしょうか。黒鍵はGis/Asは分割されているが、Es/Disの方は分かれてなかった。
かくして、Tamminga氏の厚意に完全におんぶした形の楽器コレクション訪問はこれで終了。ブレーメン近郊のシュニットガーの試奏から始まったこの旅の楽器研究のセクションはこのように夢心地のうちに幕を閉じたのであります。ああ、楽しかった。
遅い昼ごはんを食べた後は(その他の音楽関係施設は3年前に訪問していたこともあって)そのまま再びヴェネツィアへとんぼ返り。
オルガニストにして音楽学者のLuigi Ferdinando Tagliavini氏の膨大な鍵盤楽器のコレクションは以前より有名でしたが、近年、元教会のお御堂である現施設に移されて公開されるようになりました。今回はそれを狙ってヴェネツィアから出掛けたという次第。
場所はマッジョーレ広場から中央駅の方向に少し戻った辺り。
博物館に収められた歴史的鍵盤楽器を弾けるケースは本当に限られていて、一般的には所有者側と個人的なつながりがあるか、あるいは伝手のある人から紹介状を得るなどをしないと試奏は叶いません。今回は以前より複数の人を介してコンタクトするルートのあった、高名なオルガニストでありここの館長を務めるLiuwe Tamminga氏にアポイントを入れてこの訪問が実現したのでした。というわけでこんなにまとまった数のオリジナルのチェンバロの類を弾くことができたのはかなり久しぶり。「友達の友達だから、我々も友達だよねー」と快く申込みを受けてくれたTammiga氏、彼とのコンタクトの指南をしてくれたオルガニストYさん、オランダのビルダーIさんなどなどに大感謝です。
この楽器コレクションはTagliavini氏がお祖父さんの遺産として相続した管楽器数本から始まったようですが、現在はその大部分がチェンバロ、ピアノを中心とした鍵盤楽器で構成され、数は数十台にも及ぶのだそう。そんな楽器が並ぶ様子はヨーロッパ各地の大きな楽器博物館での光景とさして変わるところはないようにも見えますが、これが個人コレクションだと認識した瞬間、やはり度肝を抜かれる思いがしたのです。
さすがにこれらすべての楽器を触るのは時間的にも不可能なれど、いくつかを自由に試奏させてもらえました。
チェンバロではやはりこれ。Giovanni Battista Giusti(1679)。インナーアウターモデル。音域GG,AA-c3。ディスポジションは2×8'、1×4'。
気がついてみればチェンバロよりもずっと長時間試していたのはオルガンの2台。一つは17世紀後半のパルマのビルダー一派による、お御堂の正面に鎮座するこのような美しい楽器。
それと向かい合うように階上のバルコニーに置かれたのはPetronio Giovagnoni(ボローニャ)~1760年頃。
イタリアに来たにも関わらず、旅程のここに至るまで堪能する機会があまり多くなかったオリジナルのイタリアン・プリンチパーレの音に邂逅し、あらためて大興奮したのであります。
滅多にお目にかかれないような楽器も多数。そのような楽器の最右翼と思われるのはフィレンツェの製作者Giovanni Ferrini(クリストフォリの弟子の由)による「ピアノチェンバロ」(第一鍵盤がチェンバロ、第二鍵盤がフォルテピアノ)~1746年。このタイプの楽器としては最古のもの、とBoalchが書いている。
楽器本体はイタリアン、アウターケース(マホガニー製)やスタンドがいかにもイギリス趣味のチェンバロというのはこれ。ボローニャの製作者Gocciniによる、イギリスの貴婦人のためのウェディングプレゼント~1721年。
などなど、いちいち挙げていったら本当に切りがありません(汗)。気がついたらあっという間に2時間が経過。
ここでTamminga氏から思いがけず素敵な贈り物が。もうあまり時間が無いのでちょっとだけだが、と、コレクションからほど近いサン・ペトロニオ聖堂に案内され、この名手による、銘器の誉れ高いオルガンのデモンストレーションを間近で聴くという恩恵に浴することになりました。自分がコンソールまで上げてもらえたのは2つあるうちの使徒書簡側の楽器=Lorenzo da Prato, 1471-75, Giovanni Battista Facchetti, 1531。写真から、これが12フィートオルガンであることがお判りでしょうか。黒鍵はGis/Asは分割されているが、Es/Disの方は分かれてなかった。
かくして、Tamminga氏の厚意に完全におんぶした形の楽器コレクション訪問はこれで終了。ブレーメン近郊のシュニットガーの試奏から始まったこの旅の楽器研究のセクションはこのように夢心地のうちに幕を閉じたのであります。ああ、楽しかった。
遅い昼ごはんを食べた後は(その他の音楽関係施設は3年前に訪問していたこともあって)そのまま再びヴェネツィアへとんぼ返り。