朝、二階の窓から西の山を見る。
ここ数日、加島祥造さんの「タオ」を読み返していた。
「老子までの道」
「タオ」
「タオにつながる」
空を見る。山を見る。
空と山に包まれる気持ちが
以前よりいっそう強くなる。
雪の山も、緑の山もそれぞれ美しい。
「『汚い』があるから『美しい』が在るのさ」
加島祥造
天と地が生まれて
物に名がついたわけだが
名とは
物の表っ面にただ張りついているだけなんだ。
美しいと汚いは
別々にあるんじゃあない
美しいものは
汚いものがあるから
美しいと呼ばれるんだ。
善悪だってそうさ。
善は
悪があるから
善と呼ばれる。
悪の在るおかげで
善が在るってわけさ。
同じように
ものが「在る」のも
「無い」があるからこそ在るといえるんでね。
お互いに
片一方だけじゃあ、けっして存在しえないんだ。
(中略)
だから
道(タオ)の働きにつながる人は
知ったかぶって
美醜善悪を手軽くきめつけたりしない。
ものの中にある自然のリズムに任せて
手出しをしない。
すべてのものは生まれでて
千変万化して動いてゆくんだからね。
このタオの
ほんとうのリアリティを受け入れる時
人は
何かを造り上げても威張らない。
成功しても
成果を自分のものにしない。
自分のものだと主張しないから
かえって人から忘れられない。そして
だれもその人の成果を
奪い取ろうとしないんだ。
夕刻、二階の窓から東の空を見る。
ふたつのおなじ空。