“ 明けない夜と、終わらない催事はない。” 一週間の骨董催事がはじまると、 スタッフたちの間で足腰の痛みに苦しみながら囁く台詞である。 シルバーウィークなんて関係ない。 みんな一生懸命だ。誰も文句なんて言わない。 真剣に24時間の使い方を考える日々が過ぎたと思ったら もう9月も終わろうとしている。 早すぎる。 今日はあと片付けと少したまった原稿をやっつけて TOKYO と LONDON と KURASHIKIのシンクロニシティだ。 よく分からないけれど、 行くわたしもよく分からないので、報告できるようなら後日ご報告します。 三度目の洗濯がそろそろ終わる。 夕飯の支度は何をしておこうか。 出張に備えて新しい電話にメモリーをもう少し移しておこうか。 原稿を送るタイミングはいつくらいにしようか。 何から手をつけていいか分からないときは、ぢっと手を見る、という友がいる。 彼女に習って、ぢっと手を見てみる。 まずは、爪を切ることだと気づいた。切ろう。
ちょっと古いところでは大成建設の「地図に残る仕事。」、
メジャーなところでは清水建設の「子どもたちに誇れるしごとを。」、
身近なところでは大阪市交通局の「大阪の元気を動かす仕事。」。
とかく○○な仕事というのは、キャッチフレーズになりやすい。
わかりやすいし。なんとでも言えるし。
わたしのモットーは仕事に貴賎はない、ということ。
大学教授からセクキャバ嬢、ちょっとここには書けない世界の人々まで。
実際に話を聞くと、
その人たちが属するそれぞれの世界の凄まじさを思い知らされるからだ。
そこで懸命に働いてお金を得て、生きていることの尊さに優劣があるわけがない。
だが、家族に怒られる仕事というのは、ままある。
仕事が落ち着くまで待ってもらっていた、2軒のお片付けをやっとこさ済まし
我が家のガレージにはもはや道具とはいえないガラクタが山積みになっている。
最近、各地で出没していると思うが
「ご不要になりました電化製品……高く、高く買い取ります。」とのアナウンスで
休日の町内を走る廃品回収の軽トラ。
どうも、我が家の前では急にゆっくりになるのだ。
しかも、2回ずつ、まわって来るのだ。(現在複数の業者が確認されている)
以前、むき出しの廃家電の山に我慢できなくなったのであろう、
ピンポンを鳴らした強者もいた。
鉄屑や廃家電のなかの希少金属が今、値上がりしているからだ。
回収業者をうずうずさせるガラクタの山。
廃品回収の軽トラがスローダウンするとき、
ダンナのイライラのボルテージはアップする。
「うわああ、こんな家、いやだ!」
……… ごもっとも。
やっと重い尻をあげて、逃げるように市場に置いて来た。
実はもう少し、あるんだけどね。
いつかきっとできるよね ♪ ぜったいぜったいできるよね ♪
おまえな、まじか、しぬぞ、しらんぞ -----
熱中症でぶっ倒れていた翌々日、這ってでも行った会というのがコレ、である。
冒頭のオットの言葉も振りちぎり
スバラシイ席で3ヶ月ぶりに志の輔さんを堪能。(Mさん本当にありがとうございました)
「志の輔らくご」というのは、ちょっと普通の落語会と違う。
落語家である志の輔さんがらくごと銘打ちおこなう会ではあるが
ずばり、“志の輔劇場” である。
“志の輔スーパーイリュージョン” でもいい(但し頭ん中で)。
◎「大河への道」
伊能忠敬-----。クルマも電車も測量機器もない江戸時代に
日本中を歩いて旅して「大日本沿海輿地全図」を完成させた人。
人生50年という時代に、56歳から自身の歩幅を利用して測量をはじめ、
74歳まで約17年もの間、計測隊を率いて測量をつづけ、驚くほど正確な日本地図を完成させた。
改めて聞いても度肝を抜かれる偉人の、劇的な生涯を描いた物語ではあるが
この噺の主役は、どっこい後をついだ高橋景保である。
忠敬の没後、完成まで3年の月日があり、その死が伏せられたことからドラマは始まる。
笑ったり、泣いたり、笑ったり、笑ったり。
伊能忠敬といえば加藤剛と運動靴の宣伝しか思い出せなかった私は
またもや好奇心ムクムクである。
しかもこの正月、オランダはライデンのシーボルトハウスで
シーボルトが持ち帰ったという古地図で
「矢掛」や「神辺」の文字を見つけて爆笑していたのである。
なんとバチ当たりに運命的であろう。佐倉と長崎は行かねばなるまい。
志の輔さんはグウも言わせぬサゲを思いついた時に
4年に渡る創作の日々を終えたんだろうな。
どうか志の輔さんの新作が彼亡き後に発表されたりすることのないよう切に願う。
……ファンが言うことではないか。お叱りが来そうだ。
追記
写真は関係ないけど幕末の人気者、天保の地図皿。
これは室町時代の地図を反映したものと言われる。
江戸時代の人々は少なくともこれくらいの感覚しかなかったのだ。
忠敬の地図は重要な国家機密であり、
彼の偉業が白日にさらされるのは明治になってからのことである。
シーボルトのおかげで西欧にまで名声が轟いた伊能忠敬。
明治16年、政府から勲三等にあたる正四位を追贈されている。
先日生まれて初めて、「愛されコーデ。」 というコピーを書いた。
そんな語彙は、かつてどこにもなかったのだが
資料として渡されたものの中には「愛され○○」「モテ○○」という言葉が踊っている。
来夏の某アパレルカタログ。
まったく得意分野ではないが
かわいい女性に頼まれるとイヤとは言えず、引き受けた(オッサン)。
「愛され」に「モテ、非モテ」。
この前提にあるのはもちろん、異性から見た異性への意識や目線なのだろうが
いまネットや雑誌にあふれるこれらの言葉には
もっと広義な意味が加わって来たような気がする。
----『愛され上司』という文字をわりとお堅いメディアで見たことで確信した。
午前中は野田新総理の組閣のニュース一色。
官房長官は藤村さんに決まった。
たまたま藤村官房長官の就任初の会見を見ていた。
野田さんが代表に選ばれてから、ずっと抱いていた思いが固まった。
側近中の側近、藤村さんが野田さんをナデシコ藤村になって支える。
しかも藤村さんも誠実さと温厚さ、そして生真面目さがそのたたずまいに、滲みでている。
地盤も看板もない千葉で、25年間街頭に立ち続けたという野田さん。
その盟友と言われ至極納得、させられる。
要するにふたりとも典型的な、「愛され上司」なのである。
そして日本の企業が大好きな、「愚直」という言葉がとても似合う政治家である。
「愛され上司」の定義を詳しくは知らないが、少なくとも私なら愛する。
まず、そう思ってもらえる人間であることは
政治においても大きなアドバンテージになるはずだ。
敵をつくらず、出る杭にならず。
なんと日本的、と批判も今後巻き起ころうが、ここは日本だ。
いいではないか、愛され上司の苦悩に、部下はつい応援したくなるものだ。
今朝の佐々木俊尚さんのつぶやきに
溜飲が下がったところ。
いつだって、世界を動かすのは愛だろ。愛。
とにかくいまは、前にみんなで一歩踏み出さねばならぬ時なのだから。