英語と書評 de 海馬之玄関

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<新版>サンフランシスコ平和条約第11条における「the judgments」の意味(上)

2011年12月18日 20時20分48秒 | 日々感じたこととか

⤴️ブログ冒頭の画像:記事内容と関係なさそうな「美人さん系」が少なくないことの理由はなんだろう?

https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/c566c210ad11db94fc1d87a5fddcf58e

 

それは事実ではなく、また、それが事実であったとしても「日韓基本条約」(日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約, 1965)、「日韓請求権並びに経済協力協定」(財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定, 1965)、就中、後者の第2条によって完全に解決している、所謂「従軍慰安婦」に対する日本政府からの賠償を、来日されている韓国の大統領がまた求められたそうです。正直、そんな国際法のイロハを踏み外した主張を小なりとはいえ一国の大統領が公の場で口にして「恥ずかしくないかい」と、そう他人事ながら私は心配になります。

本稿は、小なりとはいえ一国の大統領にそんな「非常識な無知蒙昧の戯言」を発言させるに至っている、ある意味、罪作りな現下の日韓関係のその基盤。上記の両条約の前提となる国連憲章の(日韓にとっては、更に)そのまたその前提となるサンフランシスコ平和条約の解釈問題。

そう、渡部昇一さんなどが久しく問題提起されているポイント;「日本がサンフランシスコ平和条約(Treaty of Peace with Japan)で受け入れたのは個々の「判決」であって、例えば、「大東亜戦争=侵略戦争」という理解のもとに日本を断罪するある特定の歴史認識を含むような「裁判」などではない」という主張が穿つ論点を俎上に載せるものです。

ということで、本稿の本線の理路からは外れますが、一応、「日韓請求権並びに経済協力協定」の第2条を転記しておきます。尚、所謂「従軍慰安婦」の問題についの私の基本的認識(要は、「火のない所に煙を立てた」こと、「問題にならないことを問題にしてしまった日本政府の拙劣さが問題やねん」という認識)については下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。


・「従軍慰安婦」問題-完封マニュアル(上)~(下)
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11137268693.html





◇資料:日韓請求権並びに経済協力協定


2条
1 両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、1951年9月8日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第4条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。

2 この条の規定は、次のもの(この協定の署名の日までにそれぞれの締約国が執つた特別の措置の対象となつたものを除く。)に影響を及ぼすものではない。

(a)一方の締約国の国民で1947年8月15日からこの協定の署名の日までの間に他方の締約国に居住したことがあるものの財産、権利及び利益

(b)一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であつて1945年8月15日以後における通常の接触の過程において取得され又は他方の締約国の管轄の下にはいつたもの

3 2の規定に従うことを条件として、一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であつてこの協定の署名の日に他方の締約国の管轄の下にあるものに対する措置並びに一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権であつて同日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができないものとする。


◇資料:サンフランシスコ平和条約


2条
(a)日本国は、朝鮮の独立を承認して、斉州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
  ・・・

4条
(a)この条の(b)の規定を留保して、日本国及びその国民の財産で第2条に掲げる地域にあるもの並びに日本国及びその国民の請求権(債権を含む。)で現にこれらの地域の施政を行つている当局及びそこの住民(法人を含む。)に対するものの処理並びに日本国におけるこれらの当局及び住民の財産日本国及びその国民に対するこれらの当局及び住民の請求権(債権を含む。)の処理は、日本国とこれらの当局との間の特別取極の主題とする。第2条に掲げる地域にある連合国又はその国民の財産は、まだ返還されていない限り、施政を行つている当局が現状で返還しなければならない。(国民という語は、この条約で用いるときはいつでも、法人を含む。)

(b)日本国は、第2条及び第3条に掲げる地域のいずれかにある合衆国軍政府により、又はその司令に従つて行われた日本国及びその国民の財産の処理の効力を承認する。
 ・・・

11条
日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。   


б(≧◇≦)ノ ・・・完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する!
б(≧◇≦)ノ ・・・いかなる主張もすることができないものとする!


と、下拵え終了。







◆裁判または判決の射程

思い起こせばもう6年前のこと。2005年6月18日の産経新聞の『正論』欄に渡部昇一さんは「「諸判決」と訳すべき平和条約第11条 誤訳悪用した言い掛かりを糾す」という一文を寄せられた。曰く、

同条約の第11条は東京裁判で下された戦犯への諸判決を日本が受け入れることを定めたものにすぎず、それ以上の何ものをも規定するものではない、と。而して、その主張の根拠は、同条約11条の英文に含まれる「accepts the judgments」の「judgments」は東京裁判等で下された具体的な「諸判決」だ。


と、大体このような内容の主張でした。

念のためサンフランシスコ平和条約第11条の英文を挙げておきます。

これです。

Article 11
Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan, and will carry out the sentences imposed thereby upon Japanese nationals imprisoned in Japan. The power to grant clemency, to reduce sentences and to parole with respect to such prisoners may not be exercised except on the decision of the Government or Governments which imposed the sentence in each instance, and on recommendation of Japan. In the case of persons sentenced by the International Military Tribunal for the Far East, such power may not be exercised except on the decision of a majority of the Governments represented on the Tribunal, and on the recommendation of Japan.    



この『正論』の中で渡部さんもおっしゃっている通り、「日本の左翼は11条の judgments を外務省が「裁判」と誤訳したのを、そこだけ悪用して、「日本は東京裁判を受諾したのだ」と宣伝した。朝日新聞等はその誤訳を徹底的に利用して、「日本は東京裁判を受諾したのに、それに楯突くつもりか」とばかりに日本人を脅迫している」という見方には、しかし、私は素直に頷じえないものを感じるのです。

もちろん、左翼・リベラル派の主張は噴飯もの。しかし、渡部さんの主張は、その結論は正しくとも、その理路が少し怪しいのではないか、と。

畢竟、渡部さんの、「「judgments=裁判」→×;「judgments=諸判決」→○」説は、「judgments」の理解に関して左翼・リベラル派と同じタイプの誤謬に陥ってはいないか、少なくとも、渡部さんの主張は「鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん」の箴言違反があるの、鴨。と、そう私は考えます。

要は、(例えば、法律や裁判を通して、公立学校で英語や進化論や油絵を必須科目と決めることは可能であっても、法律や裁判で「英語の文法ルール」や「進化論の正しさ」、あるいは、「ルーベンスの作品の価値」を確定することなどできはしないのとパラレルに、)「judgments」が「裁判」であろうが「諸判決」であろうが、そもそも、国際法・国内法を問わず司法手続きや条約によって、歴史の事実や歴史認識、あるいは、歴史観や世界観を確定することなどできるはずはないよ、とも。

ならば、「judgments」を「裁判」と理解するとしても、「日本は東京裁判を受諾した」という命題から、「judgments」を「諸判決」と理解する渡部さんの解釈と異なるサンフランシスコ条約の解釈が出てくるはずはない、とも。蓋し、流派を問わず、法哲学の「法概念論」からはそう言わざるを得ないのです。

白黒はっきり言えば、渡部さんも左翼・リベラル派も、「judgments:裁判」を<物象化>する間違いを犯しているのではないか(だから、渡部さんは「judgments」を赤鬼のように顔を真っ赤にして「裁判」ではないと力説され、他方、左翼・リベラル派は形相青鬼の如く憤怒に打ち震えつつ必死に「judgments」は「裁判」であると言い張っているの、鴨)。と、そう私は考えるのです。

尚、<物象化>の意味については取りあえず
下記拙稿をご参照ください。

・愛国心の脱構築-国旗・国歌を<物象化>しているのは誰か? (上)~(下)
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11137623212.html

・キムヨナを<物象化>する日韓の右翼による社会主義的言説
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11139033860.html






<続く>




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