英語と書評 de 海馬之玄関

KABU家のブログです
*コメントレスは当分ブログ友以外
原則免除にさせてください。

民主党監視塔☆学力低下と教育力の偏倚低迷(下) 

2009年09月12日 18時01分11秒 | 教育の話題

 


■学力低下の思想的背景 - 戦後民主主義的教育観批判
単線的な出世のイメージが神通力を失った今でも、学習や努力に価値を置く家庭は存在します。福翁の『学問のすすめ』に所謂、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり。(中略)されども今広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。その次第甚だ明らかなり。実語教に、人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なりとあり。されば賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとに由って出来るものなり」という経緯は現在でも人生の正しい一点を突いているでしょうし、他方、そのような功利主義からの学問のすすめとは異なり、端的に「努力することこそ人生の真善美である」という美意識に共感する家庭も少なくないのだから。

重要なことは、しかし、功利主義にせよ学問の自己目的化を促す美意識にせよ、家庭の教育力にインカーネートしたそれらの価値体系と行動規範が日本の広範な家庭の子供達に基礎基本の学力を担保していた古き良き時代が、戦後民主主義の教育観と、その教育観を信奉する勢力と妥協した「臨教審路線→ゆとり教育路線」の失速によって過去のものになりつつあることだと思います。

蓋し、学力で勝負するタイプの子供達にはその適性に合わせてより高度の学習の機会を与え、学力以外の道で生きていこうというタイプの子供達には最低限の基礎基本の学力をしっかりと身につけさせた上で、より早い段階から将来の職業に適した経験を積むことを可能にすること。室積光『都立水商』(小学館・単行本2001年11月:文庫本・2006年4月)が提案する風俗産業に焦点を合わせた公教育の立上には少し時間がかかるとしても、具体的には、習熟度別クラス編成であり飛び級であり、様々な施策を動員して日本の子供達の基礎基本の学力の整備と子供達の適性に合わせた教育に舵を取ることの提言。足掛け20年の数次に亘る答申を読む限り、これこそ、本来「臨教審路線→ゆとり教育路線」が目指したものなのです。

少なくとも、「子供は誰もがどの科目でも100点取れるポテンシャルがある」「進路選択や入学選別、クラス編成や成績評価で子供達に差別感を与えてはならない」等々の、戦後民主主義の教育観からの戯言を否定して、実際、「七五三」と言われる(授業内容を理解できる児童・生徒の割合が小中高と学年が上がるに従い「70%→50%→30%」と減っていくそれまでの)学校現場の現状を直視して、学業で身を立てる適性も意志もない子供達を<学校に幽閉>してきた戦後民主主義的な教育観からの決別こそが「臨教審路線→ゆとり教育路線」であったはずです。而して、「臨教審路線→ゆとり教育路線」の方向性は全く正しかったと思います。

けれども、「臨教審路線→ゆとり教育路線」はその具体化の過程で、戦後民主主義の教育観を信奉する勢力(すなわち、学校現場に巣食う政治活動にかまけ教育を放棄した日教組・全教の教師や朝日新聞・プロ市民等々)との妥協を経る中で、その哲学を放棄して、単なる、「教科内容の3割削減+完全週5日制+総合的学習の新設+絶対評価制度すなわち無評価制度の導入」に終ってしまった。ならば、階層に関わらず子供達の学力低下が惹起したのも当然であり、他方、各家庭の教育力の差異にともない学力低下の様相が<斑模様>になったのも自然なことだったと思います。

学力低下の原因は(少なくともその1つは)教育力の低下でしょう。ならば、今後の日本の文教政策は家庭と地域の教育力を蘇生させるものでなければならないことも自明ではないでしょうか。然るに、戦後民主主義の教育観は学力と教育力に関して我々と全く異なる認識を持っているようです。

蓋し、彼等は、(a)「勉強は悪-強いられた勉強は悪」であり、その結果生じる学力差は邪悪なものである、(b)「努力は悪-強いられた努力は悪」であり、その結果生じる能力差は不正なものである、(c)すべからく、「競争は悪」であり、競争を煽る親の虚栄心や世間に伏在する学校間の序列意識は醜悪なものである、而して、(d)「差異は悪」であり、個性の差異を所得や社会的威信の差異に直結させる諸々の制度は(大学入試であれミスコンであれ、)不埒で非人間的なものである。と、私は戦後民主主義の教育観をこのように理解しています。もちろん、これはあくまで私の捉えた戦後民主主義的な教育観の理解でしかないけれど、このような理解を日教組や<進歩的な教育評論家>の書いた文章や発言から抜き出すことはそれほど難しくないことも事実なのです。

15歳の春は泣かせない。これは30年前、それまで30年近く革新府政が続き教育も都市開発も破綻した1970年代当時の京都のスローガンでした。ことほど左様に、戦後民主主義の教育観は「受験は悪であり、強制された教育は悪である」という論理と倫理で教育を壟断した。その結果、確かに子供達は15歳の春には泣かないですんだかもしれないが、その子供達も地域も現在に至るまでそのつけの重さに泣いている。畢竟、今般の「民主党-日教組」政権によって、日本全体の教育が30年前の京都の惨状を呈するようになることは断じて阻止しなければならない。と、そう私は考えています。


■学力と教育力の再興 - 保守改革派の教育思想
戦後民主主義の教育観は逆立ちしている。すなわち、「どの子供もどの教科でも100点を取れる潜在的な資質を持っている」、あるいは、「子供は自然にしておけば自分に必要な能力を選び身につけるものだ」という妄想です。この「妄想=イデオロギー」の規範的拘束力がゆえに、このイデオロギーを信奉する者には絶望的なばかりの子供達の能力差や目も眩まんばかりの子供達の個性差が見えないのかもしれません。

簡単な話です。戦後民主主義者こそ、受験や学力という一元的な指標でしか子供達を評価できていない。だからこそ、「差別は悪だ、差異は悪だ、社会的評価と直結する個性は悪だ」というイデオロギーと子供達の実像が衝突する場面では、差異に目を瞑るしかない。こう考えれば、戦後民主主義の教育観を信奉する日教組やプロ市民が、全国学力テストの結果公表を推進している大阪府や鳥取県に対して批判を強めていることは自然なことなのでしょう(実際、2002年早春に実施された全国一斉の学力テストは1960年代に日教組の反対で中止に追い込まれて以来、30数年ぶりに実施されたものなのです!)。

子供達の能力差と個性差に着目しつつ、子供達が自己の適性と能力に合った道で生計を立てる方法を教えること。而して、このことを通して、日本の国際競争力を維持向上せしめ、日本社会の安寧秩序と醇風美俗を維持継承することが教育と文教政策の社会的使命であると私は信じています。その点、一種の<寓話>であるはずの室積光『都立水商』の描く教育改革の姿は極めて合理的で穏当であるのに対して、「戦後民主主義者は逆立ちしている」と私が断じる所以です。

繰り返しますが、戦後民主主義の教育観は、すべての子供達を同じ能力を持つと仮定する点で荒唐無稽なものであり、かつ、学力エリートとしての単線的な社会階層上昇の道筋しか個人が世間に貢献できる道はないと考える点で言葉の正確な意味で彼等は差別主義なのです。而して、この教育観に骨絡みになってしまったことから、戦後民主主義の教育観は、子供達が学力以外の個性で生計を立て自己のプライドを獲得する回路を凄まじく細らせたのではないでしょうか。

畢竟、学力低下の原因の一つが家庭と地域の教育力の低下であるとするならば、学力低下を克服する方途の一つもそれらの教育力の蘇生であるに違いない。而して、私は、教育力の向上のためには戦後民主主義的な教育観の打破が不可欠であることを疑いません。

では、戦後民主主義的な教育観に対するアンチテーゼの基盤は何か。蓋し、それは、子供達に基礎基本の学力を強いて身につけさせることは重要であり、なにより、「努力することこそ人生の真善美である」という常識を家庭と社会が「再確認-再獲得」することでしょう。そして、人生において学力で勝負するタイプの子供達は学力における優位性を自己の個性としてその道で活躍すればよいし、誠実さや勤勉さ、度胸や愛嬌を始め学力以外の様々な適性で人生を生き抜いていこうと思う子供達はその道で存分に活躍すればよいというあたり前の道理を家庭と世間が「再確認-再獲得」すること。これこそ、学力低下と教育力の低下を打ち破る教育観の構図ではないか。そう私は考えています。

日本社会の指導者の中核部分はこれからも学力エリート層が占めるでしょう。しかし、福翁も言う如く、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」。別に指導者だから偉いというわけでも、市井の庶民だから愚かというわけでもない。自己の適性と運命を引き受け誠実に努力することは貴く、そのような人物は偉く賢いに違いない。進歩が希望でも、脱亜入欧が国家の赤裸々なスローガンでもなくなった現在、また、脱米入亜などは民主党政権の白昼夢にすぎない日本のおかれた現状において、「各人が自己の得意な分野で世の一隅を照らすこと」を美しいことだと思い、そのような価値観と美意識を抱きしめて歩き始めた子供達を称賛し激励するような社会。戦前の日本のような、そんなキラキラ輝く日本に戻れたのなら学力低下と教育力の低下は早晩解決するに違いない。私はそう確信しています。



【参考記事】


・砂上楼閣のゆとり教育と総合学習の蹉跌
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65344745.html

・OECD諸国中最低水準の教育に対する日本の公財政支出は問題か
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11184560305.html


・教員の質☆「感情ではなくデータ」で語りましょう佐久間亜紀さん
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-299.html

・ゆとり教育路線批判 寝言は寝て言え<文部官僚>
 http://www31.ocn.ne.jp/~matsuo2000/E/E29.htm

・続・ゆとり教育路線批判 寝言は寝て言え、朝日新聞
 http://www31.ocn.ne.jp/~matsuo2000/E/E56.html


・民主党の反動に抗して義務教育において教育改革の目指すもの(上)(下)
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/4c6963ebfaaf4ba1c0f7060d7f12873d


・民主党監視塔☆教育の核心は強制であり国家の本質は演出である
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/0a14ac4e535d5a718ecb255d403aceb0

・民主党監視塔☆既得権としての戦後民主主義的な教育論の滑稽と害毒
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/a599c5052582c31d6ec49f2194e240e1

・民主党監視塔☆子供が学校を仕切れば教育も日本も良くなるという幻想の姑息と危険
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/d05db3837bdf445d1f0d8341857233dc





☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
かなり真面目にブログランキングに挑戦中です。
よろしければ下記(↓)のボタンのクリックをお願いします。 

ブログランキング・にほんブログ村へ 海外ニュース部門エントリー中です♪

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★





最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。