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ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」:柿生-新百合ヶ丘編

2009年01月25日 21時11分18秒 | 徒然日記

再々掲:ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」シリーズ記事の目次ですよ

https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/2b680910fc0d58497ba6e371f165236b



今回は柿生から出発します。新百合ヶ丘駅と百合ヶ丘駅の開業は各々1974年と1960年、それに対して柿生駅の開業は1927年。つまり、昭和40年代後半から50年代前半にかけて武蔵野の風景を一変させた造成により新百合ヶ丘や百合ヶ丘が小田急線沿線でも人気の新興住宅地エリアになる遥か前から麻生区の中心は間違いなく柿生だったのです。

実際、多摩区から旧柿生村の全域、および、旧生田村の一部等が分区して「麻生区」が設置されたのは新百合ヶ丘駅開業よりも後の1982年のこと。そして、新区設置の際の「新区名」を決める住民投票では、鎌倉時代に遡る「麻生郷」にちなみ有識者が押す「麻生区」よりも「柿生区」を支持する票が多かったそうです。今回は柿生から新百合ヶ丘まで歩いてみます。大体、1時間15分前後のコース。前回までの記事と併せて一読いただければ分かりやすいと思います。また、記事末尾の地図画像を適宜参照してください。


・ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」 」:麻生川花見&総合目次編
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/608a9c0e185fa7a994299f5dabae8483





柿生駅南口改札。10年ほど前までは(臨時改札口を除けば)この南口しか改札がなく、北側の片平方面に住んでいる人々もこの南口から出て線路を横断しなければなりませんでした。一説によれば南側にある古くからの柿生の商店街と小田急との取決めで「柿生駅北口改札」はご法度だったからとも(笑)

下の画像はその現在の北口改札辺りから撮った南口改札に続く町田方面の下り線フォーム。実は、これまた10年ほど前までは、このフォームでは通学時に柿生駅が最寄り駅の女子校・鶴川高校の生徒が当時流行の「ルーズソックス」を校則で定まっている「ハイソックス」に集団で履き替える光景が毎朝見られました。それは正に「女子高生の生足のお花畑」。而して、ルーズソックスの退潮とともにそんな現象もなくなった。そんな柿生駅のフォームを久しぶりに訪ねて一句。

 初春や 子ギャルどもの 夢の跡

   










上の画像は新興住宅地の新百合ヶ丘にはいまだに一軒もない「純喫茶」。下はその内部から撮影した柿生駅南口改札と店内の様子です。これを含めて柿生駅周辺には純喫茶が2軒あります。この喫茶店「フクダ」の「ナポリタン」はこれまた昔ながらの懐かしい味で片平に住んでいて柿生が最寄り駅だった頃から今に至るまで私も時々食べに行っています。













喫茶店「フクダ」の一階にある野菜と果物の「福田商店」。安い上に品質は最高。下はその福田商店の対面の和菓子屋さん。これまた江戸時代から栄えた街ならではで、柿生には和菓子屋さんも数軒あるんですよぉー♪















そんな柿生駅前の謂わば「出城的な諸名店」の遠景と柿生の商店街中軸の画像。下はそんな商店街の中でもKABUお気に入りのパン屋さん「ミツバチ洋菓子店」。美味しいです。まだ、新百合ヶ丘も百合ヶ丘も武蔵野の雑木林に毛の生えた程度の時代、王禅寺地区や(当時は新百合方面に通じる道路がまだ造成されていなかった)白山地区に東京や横浜の<都会>から転居してこられた有閑マダム層御用達の店だったとか。それも頷けるクオリティーです。

・ミツバチ
 http://e-mitsubachi.com/

一番下のミツバチさんの前に立っている石碑とその説明の画像に注目。説明書きには「寛政11年の題目塔とお召講」「題目塔は麻生・片平・奈良・能ヶ谷・三輪・金井村の日蓮宗を信仰する人々によって建立された。旧六ヶ村では現在も池上本門寺の日蓮上人像にお召物を奉納する講を行なっている」、と。これまた文化と伝統を感じる石塔ですよね。













この画像は分かりにくいとは思いますが、これまた、新百合・百合ヶ丘がまだ武蔵野の雑木林だった頃から、新百合ヶ丘に転居して来た<都会人>御用達のジム、麻生フィットネスクラブ。そんな由緒正しさを感じます。

由緒正しいと言えば、しかし、こちらでしょう。柿生の誇り「紫陽花寺」として有名な「浄慶寺」の山門です。紫陽花のシーズンにはまた詳しく紹介したいと思います。それにしても、柿生駅から徒歩10分の所にこんな落ち着いた光景が広がっているなんて、流石、伝統の街・柿生ですよね。

・浄慶寺紹介のサイト
 http://www.dejikame3.com/jyoukeiji/index.htm











浄慶寺から柿生中学方面に丘を下りて、再び柿生の旗艦商店街に続く道筋に出た所。柿生駅はこの画像の左手奥、画像の中央上部に広がる林はこれから新百合ヶ丘方面に帰還する際に縦走しなければならない<山塊>の外れです。と、そこで見かけた政党のポスター。頑張れ麻生総理! 山内、本当に麻生総理を裏切るなよ、裏切ったら次の選挙は民主党の笠候補に投票するかんね!











柿生駅前の商店街に戻ってきたところで見つけた「柿生中央商店会」のバナー。浄慶寺を訪ねた後のこととて「柿と寺のまち」というキャッチコピーに思わず納得してしまいました。さあ、これから新百合方面に移動します。

・王禅寺と禅寺丸
 http://www.city.kawasaki.jp/88/88bunka/home/top/stop/dokuhon/t0712.htm

・禅寺丸(wikipedia)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%85%E5%AF%BA%E4%B8%B8







柿生駅からこれまた徒歩10分、美山台公園手前から柿生駅を望む。








美山台公園を過ぎて行くこと更に10数分、柿生駅から25分程度の行程にある茶臼山の尾根伝いの風景。下はこの丘の名前の由来を書いた案内板。曰く、「茶臼山緑地」「旧王禅寺村日光と道一つ隔てて、旧上麻生村山口の小高いここを茶臼山という。慶長19年大阪冬の陣、翌元和元年夏の陣に、徳川家康が大阪城攻略の本陣を天王寺村茶臼山(大阪市天王寺区)においた。後年、家康は江戸幕府に近いこの丘で鷹狩りに興じ、天下人の感慨に耽ったと云われる。「茶臼山緑地」の伝承である」、と。











茶臼山緑地から日光隧道に至る高台から白山グリーンタウン方面を望む。
画像左手の林は「むじなが池公園」です。

さて、下の画像とこの記事Topの画像は、実は、「我が街-新百合ヶ丘」の誇り洋菓子&カフェのリリエンベルグ。いつ行ってもほとんど観光地並みの賑わいです。今度「美味しい店特集」の際には詳しく紹介しますね。と、ここから新百合ヶ丘駅までは前回と同じ行程になるので今回はこれで終了にさせていただきます。

・リリエンベルグ
 http://www.lilienberg.jp/









【地図画像】

http://www31.ocn.ne.jp/~matsuo2000/shinyurimap5a.jpg


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2009-04-06 07:47:47
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