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「事業仕分け」は善で「天下り」と「箱物」は悪か

2010年05月24日 08時35分11秒 | 日々感じたこととか

 


現在、所謂「事業仕分け」の第2弾が進行中ですが、私はその仕分けを貫く論理に些か疑問を感じています。本稿はその疑問を記した覚書。畢竟、国家や行政おける「無駄」とは何かということを考えたいと思います。

最初に立場を明らかにしておきます。事業仕分けや天下りに関する私の認識と評価は以下の通り、

(1)公務員の不埒な特権は否定されるべきだ
わずか数年の勤務の後、高額の退職金を懐にしながら次々と所定の天下り先に転職する、所謂「渡り」、あるいは、労組の活動に専念しながら(専従職員として休職することも退職することもなく)公務員としての給与を受け取る所謂「闇専従」等々、極めて生産性の低い、正に、国家の寄生虫の如き公務員とその特権のあり方は全否定されるべきである。

(2)無駄な公共投資は廃止・削減されるべきだ
熊や鹿しか利用しない道路や民間の代替施設がありほとんど開店休業状態のコンファレンス施設等々、その維持費に比べて施設の利用実績が乏しい公共事業は、維持費のことを考えれば取り壊して更地にしてもおかしくはない。すべからく、公務員よりも遥かに生産性の高い民間が参入できる、例えば、図書館の経営等々のサービスからは行政は手を引くべきではなかろうか。

(3)民主党政権の事業仕分けは一定程度評価できる
上記の(1)(2)を踏まえるならば、55年体制的な、就中、「旧田中派-竹下派」的な、平成の大宰相・小泉純一郎首相や、世界金融恐慌への対処に忙殺された麻生太郎首相さえも本格的には手を付けられなかった行政の無駄に民主党政権が斬り込んでいるとすればそれは一定程度評価できる。而して、そういう行政の無駄への斬り込みこそ、「行政の無謬性-行政の継続性」を錦の御旗とした「政官財+労組」の<鉄の菱形>が温存してきたこの国の閉塞状況打開につながることも確かだろうし、昨年の夏の政権交代は<鉄の菱形>の打破を有権者・国民の多くが期待した結果に違いない。
  

  
なぜ政権交代が起こったのか。自民党は(より正確に言えば「保守改革派政党」は)どうすれば民主党から政権を取り戻すことができるのか。この点に関する私の基本的な考えについては下記拙稿をご一読下さい。

・自民党解体は<自民党>再生の道
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-767.html

 



畢竟、「事業仕分け」自体には私は好意的です。而して、問題は、

(イ)労組、就中、日教組・自治労を始めとする官公労に全面的にバックアップされた民主党が(1)公務員特権の剥奪、および、(2)無駄な公共事業の廃止を本当にできるのか。

(ロ)理念的には(1)(2)が「善」であり、天下りと無駄な公共投資(就中、箱物の公共投資)は「悪」であるとしても、すべての天下りや公共投資が否定されるべきなのかということでしょう。

    
蓋し、後者に関しては、特に、2008年の世界金融恐慌からの傷を引きずる現下の日本の経済情勢を鑑みれば疑問を感じざるを得ません。他の例で敷衍すれば、一時期盛り上がりを見せた所謂「世襲批判」とこの「事業仕分け」「天下り」「箱物への公共投資」は似てなくもない、鴨。

すなわち、選挙において有権者が世襲候補を選ぶ以上、(形式的に誰もが立候補できるだけではなく、実質的にも誰もが平等に選良になれる権利があるという、それこそ、究極的には「選挙」ではなく「籤」を導入すべきだと言うのでもない限り)世襲候補を否定する論理は民主主義からは演繹できないでしょう。 
   
ならば、()「世襲現象-前議員の親族なり姻族がかなりの高い確率で当選する事態」を「悪」とする前提自体がそれほど自明なものではないのです。畢竟、「彼や彼女がアホでも世襲候補が当選する」という事態が少なくないことは、(a)アホではない候補者よりもアホな世襲候補が当該の選挙区の有権者にとっては「良い議員=より頼りになる議員」であり「善い議員=より信用できる議員」ということ。他方、(b)その世襲議員のアホさ加減が国家の安寧秩序や栄枯盛衰を考えた場合にも、()のメリットを否定するほどの酷さではないと少なからずの国民が考えていることの帰結ではないか。と、そう私は考えています。尚、世襲批判への私の反批判については下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。

・世襲批判の批判的考察
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65361518.html

 


世襲批判と仕分けは通底する。「世襲批判への懐疑」を持ち出すことで私は何が言いたかったのか。それは、天下りや箱物の公共投資がこの半世紀以上に亘って繰り返されてきた裏には、(b’)上でも記した「渡り」や「闇専従」等々の不埒な類型、誰が見ても無駄としか思えない公共投資を除いて、(a’)失われた90年代以降、この国の経済と政治のあり方や比重が「官から民へ変更」されるべき事態になる以前は、天下りや箱物の公共投資を多くの有権者・国民がそれらは意味のある制度(少なくとも「必要悪」である)と考えてきた結果であること。畢竟、(’)それら事業仕分けが盛んに断罪している事柄は、アプリオリに「悪」とは言えないのではないか。少なくとも、天下りや箱物の公共投資の「善/悪」は時代背景の変数であるということです。


■性急な天下りと公共投資の撲滅は革命ではなく暴挙である
私は、前後15年以上、人事院と各省庁からの官費留学、すなわち、日本政府が派遣する官僚の海外留学生指導に携わってきました。これまた、何を言いたいのかと言えば(当然、守秘義務がありますのでブログには具体的なことは一切書けませんけれども)、私は海外大学院研修指導という極小さな窓からに限られますが、日本の官僚の「出世」のあり様を比較階層移動論的に把握しているということ。と、高飛車に構えましたが、ここで言いたいことはどれも常識論。

◎事業仕分けを巡る一般的問題(A)
(a)天下りは早期退職の慣行の裏面
(b)天下りは官庁とパイプを持つ人材を行政サービスの一翼を担う第三セクターに配置する智恵
(c)必要かつ有効な箱物への公共投資は存在する
(d)仕分け作業は本来国会の機能である
(e)素人による仕分けはその帰結に疑義を残す

◎民主党政権の事業仕分けが孕む特殊問題(B)
(a)天下りの廃止は公務員人件費の増大と新規公務員採用の縮小に直結する
(b)第三セクター機能を代替しないでする天下り廃止は行政の不統一と不効率に帰結する
(c)無駄な公共投資も建設業を含む地方の雇用の生命線
(d)法的根拠が極めて怪しい事業仕分けは議会制民主主義への挑戦である
(e)民主党政権には「箱物=悪者」という理念を越える経済戦略が欠けている
    

繰り返しになりますが、要は、各省庁と意思疎通のできる人材が、第三セクターに天下ることは、公務員人件費削減と第三セクターと官公庁トータルでの行政の効率を確保する智恵であった。これこそ、55年体制時代の昔話にせよ「成功した唯一の社会主義国」と評された日本の行政制度の隠された成功の秘密であった。また、日本の競争力の源泉の一つが間違いなく「アニメ」であることを鑑みれば、それが箱物にせよ、加えて、新しい書き手の育成措置は別途必要としても(現在、体系的にアニメ作品を収集・整理・保管・展示する施設がない以上)麻生政権が実現を期した「アニメ美術館」は民主党に「国立の漫画喫茶」などと揶揄されるものではなく、明らかに必要なインフラだった。

蓋し、漫画本は(特に、『少年ジャンプ』『花とゆめ』『LaLa』等々の漫画雑誌は)古書肆で一番入手が難しいジャンルの書籍であり、日々、日本の漫画作品の<初出原書>はゴミとして処分されているのです。更に言えば、ある社会の内部に自生する、すなわち、フッサール的に言えば生きてある規範コードを知る上で「性-家族」が最重要な契機であるとするならば、この日本の社会の今を知るためのインフラとして、漫画どころかアダルト書籍を系統立てて(「展示」は研究者に限定するとしても)収集・整理・保管・展示する施設さえ不要とは言えないと私は考えます。


■保守改革派政権における事業仕分け
55年体制からの脱却を期す限り「仕分け」「天下りの縮小」「無駄な公共事業の縮小」は、民主党政権から政権を奪取した次の保守改革派政権においても必然であろうと思います。しかし、それは、

(甲)特に地方における景気回復を睨んだ上で
(乙)第三セクター機能の民間への移行
(丙)賃金切り下げと解雇を大胆に導入してする人員削減の断行による公務員人件費全体の圧縮
(丁)産業構造の変換と地方再生のビジョンを両翼とする成長戦略に基づいた「無駄の定義」の明確化と具体化  

  
これら4個の施策と並行して行なうべきことではないか。而して、これら(甲)~(丁)を全く欠落して、人気取りの見世物として行われている現下の民主党政権の事業仕分けは、フランスをイスラーム女性からベールを奪い去って毫も恥じない文化帝国主義の巣窟に変貌させたフランス革命、あるいは、10年の間、支那を混乱と経済破綻に導いた「文化大革命」に匹敵する暴挙であろう。と、そう私は考えています。

蓋し、民主党政権は、「政治主導」の名のもとに、本来そうあるべき事業仕分けとは似て非なるもの、前政権の施策否定を行なっているだけではないのか。この点については「政治主導」なるものを俎上に載せた拙稿の中で私は概略こう書いています。

要は、①グローバル化の昂進著しい、②大衆民主主義下の、③福祉国家においては所謂「行政権の肥大化」は必然であり、与党の政治家が行政のすべての部面を監視して、「国家権力が取り組むべき行政サービスの行動予定を、形式的にも実質的にも内閣を握り国会を牛耳る政権与党の政治家が決める」などということは、土台、不可能なのです。ならば、

民主党政権は「政治主導-脱官僚支配」を標榜しながら、その実、官僚と労組が猖獗を極める社会主義国家を目指している。而して、民主党政権の言う「政治主導」とは、行政実務を任せる宛先を人脈的に自民党の与力だった「官僚A群」から民主党に尻尾を振る「官僚B群」に変更するだけのものにすぎない。ならば、「政治主導」は(大統領が変われば、特に政権与党が交代すれば、3000人以上の高級官僚が交代する)アメリカの猟官制的な官僚の人事制度を議院内閣制の我が国において導入する、すなわち、行政に赤裸々な権力闘争を持ち込む不適切な政策指針ではないか。
 


・政治主導の意味と限界
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/667c6ba4a092a16e5f746fec1ad1cdd7

 



畢竟、政権与党といえども「部分:part」にすぎない「政党:party」が、国会におけるその勢力に物を言わせて、本来、全国民を代表する国会の機能である事業仕分けを民主党政権の政府の枠内で実施している現下の事業仕分け劇場は、憲法論的と社会思想的には見世物以上の価値はない茶番である。

而して、フランス革命におけるルイ16世とマリーアントワネット王妃の処刑は、ある意味、単なる茶番にすぎなかったけれど、民主党政権の事業仕分けは日本経済を奈落の底に突き落としながらも、なんら国の進む指針を紡ぎだすこともない、単なる、文化大革命遊戯である。そう私は考えています。


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1 コメント

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『坂本龍馬と嫁:お龍(おりょう)との出会に、まっこと似ちょるぜよ』 (智太郎)
2010-07-18 22:57:50
お世話になります。 共通するキーワード=「行政サービス」、国民の生活自体を守るのが政治であるのなら、まさに地方自治体の政治行政が主役なのです。  中央:国会で日本国が担ってるのは、防衛費・年金ぐらいだと聞く。  警察 消防 学校教育 医療関係 その他 直接、国民の生活に必要な行政サービスの8割以上は、地方自治体により提供されいているのです。   そうでならば、地方自治体の地方政治家や地方行政官ほど、自覚を大いされた優秀なる人材が必要となるであろうと思ってやまないでありんすが、トラックバックをさせて戴きました。<m(__)m>
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