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ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」番外編:「防人まつり2009」

2009年11月04日 11時07分16秒 | 徒然日記



2009年11月1日、古街道研究家の宮田太郎先生率いる「歴史古街道団」主催の「さきもりまつり2009-万葉時代・防人の道ウォーキング」にブログ仲間と参加しました。京王聖蹟桜ケ丘駅から(麻生区黒川地区と隣接する)「多摩よこやまの道」の「防人見返りの峠」まで、約6キロの歴史ウォーキング。このイベントを通して、古代・中世の物流や社会について多くのことを学ばせていただきました。有意義、かつ、愉快な半日。


・歴史古街道団
 http://rekishikokaidodan.a.la9.jp/index.html

・「さきもりまつり2009【今後リンク切れの場合はご容赦ください】
 http://rekkodan.a.la9.jp/2009/chirashi/091101.pdf


而して、このイベントを通して学ばせていただいた「古代・中世の物流や社会」に関する知見は、大凡、下記拙稿を参照いただくとして、本稿では「愉快」だったイベントの様子、そして、このイベントを通して考えさせられた<防人>という存在に対する雑感を記すことにします。


・ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」:小田急多摩線沿線-縦走編
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58827717.html

・ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」:岡上地区-完全包囲編
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58724474.html




http://www.youtube.com/watch?v=hWSFZleJ2O4



上にも書きましたように「さきもりまつり2009」の報告は京王聖跡桜ヶ丘駅からスタート。

■さきもりまつり2009の行程
京王聖蹟桜ケ丘駅集合、聖蹟桜ケ丘駅から徒歩3分の九頭竜公園で受付。その後、関戸の渡し場道、大坂、連光寺、春日神社、(古代東海道の)打越山遺跡を通り、大谷戸公園で昼食休憩して「防人」達と合流。午後は、武蔵国府(府中)から相模国・駿河国を経て難波、而して、難波から舟で任地の九州に向かう「防人」達と「防人」を見送るその家族、および、「防人」を統率する兵部省の防人検校の人々とともに、多摩よこやまの道の防人見返りの峠に向かいました。


KABUを含め6名の我々の仲間も(オフ会前の「余興」などトンデモない!)国防を担う「防人」達を真剣に見送り地点までしっかりエスコートしました。その後は、1300年の時空(正確には、正に、その「地点」を巡ったのだから「時・空」ではなく「時間」ですが、)を越え、貴い国防の使命に応える「防人」達の誠心誠意に感銘を受けた我々は、その豊饒鮮烈な至誠の余韻を反芻すべく小田急新百合ヶ丘駅近辺で旧交を温めつつ歓談に移行した次第。
    

・さきもりまつり2009の移動行程地図

 http://www31.ocn.ne.jp/~matsuo2000/sakimorifesa.jpg



集合時間は午前9時半、集合場所は京王聖蹟桜ケ丘駅西口。実は、新百合ヶ丘から聖蹟桜ケ丘までは直線距離は7キロ余り、けれど、正に、その間に多摩丘陵が横たわっているので、鉄路で行く場合にはどの経路でも迂回になり、結構不便。

でもって、駅スパート大明神にお伺いを立てたところ、「新百合ヶ丘(小田急線)→登戸(南武線)→分倍河原(京王線)→聖蹟桜ケ丘」が一番安全で安くて速いというご託宣をいただいたので、この経路を選択。而して、この経路は片道21キロ、47分、510円。

下は、たどり着いた集合場所の様子。暗くて見えにくいでしょうが、駅改札ピロティーには、さきもりまつりの参加者を出迎え、受付場所を案内する歴史古街道団のスタッフの方が写っているのですよ。







と、駅構内を出ると、そこには「聖蹟桜ヶ丘は「アニメ映画-耳をすませば」のモデル地」との案内板が。何を隠そう、法律よりも哲学よりも、英語よりも歴史よりも「アニメ&漫画」が大好きな私は、不覚にもこのことを知らなかった。で、この案内板を熟読吟味しちゃいました(笑)



・『耳をすませば』
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%B3%E3%82%92%E3%81%99%E3%81%BE%E3%81%9B%E3%81%B0

・『耳をすませば』物語の舞台となった風景
 http://www.asahi-net.or.jp/~hn7y-mur/mimisuma/mimilink08.htm




なんとか「耳をすませばウォーキング」に移行したい欲望を抑えて受付場所に向かいます。
而して、受付番号「1番」! 何か無意味に自慢(笑)。

「俺はやったぜ!」(←vanilleさんの真似♪)

自分の受付を先に済まして、私の新百合ヶ丘などより遥かに遠く、そう、1853年、黒船4隻を率いたペリー提督が上陸した地、横須賀市久里浜から参加する、正に、現在の「海の防人」の仲間達をピックアップすべく、もう一度聖蹟桜ケ丘駅西口に。で、無事合流成功。安心したのと時間に余裕があったので、受付場所の九頭竜公園を散策。下はそこで見かけた歴史案内板。




■関戸(せきど)
『関戸』の町名は、かつて関所が設置されていた所からこの名がついたといわれています。

この関は一般に『霞ノ関』といい、吾妻鏡によれば建暦3年(1213)『武蔵国に新しい関を置く』とあります。現在、熊野神社境内に南木戸柵跡があります。

当地は、元弘3年(1333)に新田義貞軍と北条軍が戦った古戦場として有名であり、江戸時代中頃まで宿場として大いに賑わっていました。・・・
    


б(≧◇≦)ノ ・・・なるほど!






仲間と談笑するうちに時はすぎ、10時少し前、昼食休憩を取る大谷戸公園までは車も多い街中を歩くこともあり、150人近い参加者と歴史古街道団のスタッフ、さきもりまつりを後援している多摩市と町田市の教育委員会のメンバーが4班に分かれていよいよ出発。

中世期の「旧鎌倉街道上ノ道→鎌倉街道早の道」をなぞる形で「向ノ岡橋→春日神社」に出て、後は基本的に古代東海道(とそれとほぼ重なる、中世の鎌倉街道早の道)に沿って大谷戸公園まで、和気藹々、良い意味でダラダラと進みます。途中、連光寺では、実際に道幅12メートルの古代東海道がマンション工事の時に発掘された現場を訪れ、発掘時の写真など示していただきながら宮田太郎先生から説明を受けました。

正午少し前には大谷戸公園に到着。そこで仲間と楽しい昼食。







KABUは聖蹟桜ヶ丘の駅前で求めた、ほっかほっか亭の大好きな「海苔弁当」(290円)。食事の後は、新鮮な二酸化炭素を吸い、レジャーシートを広げただけの歴史古街道団の簡易ブースで過去の宮田先生が書かれたレジュメを物色、5点ほど求めました。

無料だけど、もちろんカンパしましたよぉー。

而して、いよいよ「防人」達の登場です。










腹ごしらえも済み、 万葉歌研究家の今野耕作先生(埼玉大学特任教授・歴史古街道団顧問)から、<防人の歌>の「歌唱指導」と、「何故、万葉集に防人の歌が収録されてたのか」という文献学的な説明を聞く。畢竟、実際の「防人」達を目にして、我々の気分は一気に1300年の時空を越えます。そう、気分はもう国土防衛の戦士を送り出す万葉の時代の日本人。いざ、見送りの地、防人見返りの峠に向け出発です。



と、ハイテンションばかりでは戦に勝てるはずもない。下は、道中の半ばで寛ぐ「防人」達。







大谷戸公園から道筋で2キロ、(途中3-4回の小休止を挟みながら)1時間程かけて多摩よこやまの道の入り口、多摩東公園に到着です。ここで、「防人」達とその家族が整列。一般見送り者たる我々の記念撮影の要望に快く応えてくれました。



而して、下は多摩東公園から1.3キロ。古代東海道が横山の峠に差し掛かっていた地点と推定される坂道で、遠く九州に旅立つ夫・父・兄弟と最後の別れの言葉を交わす「防人」とその家族達。その下はその光景を目にして万感の思いを胸に宿しつつ、自身、国防の職務を全うしようと決意を新たにしている防人検校と女官。畢竟、この防人検校こそ誰あろう、現在で言えば、エリート職業軍人家系出身の国防次官補、兵部少輔・大伴宿禰家持。







丈夫の靫取り負いて出でて往けば
別れを惜しみ嘆きけむ妻
【万葉集・20巻・4332番:大伴家持】

戦士が、靫を背負って防人の任地に向かおうというとき
別れを惜しんでさぞ嘆いたであろう、その妻は




    


防人に行くは誰(た)が夫と問ふ人を
見るが羨しさ物思ひもせず

【万葉集・20巻・4425番:昔年の防人の妻-伝大伴家持作】

見送りの人たちがたくさんいる中に交じって、
「防人に行くのはどなたのご主人ですか」などと、
何の心配もなく尋ねている人を見ると、羨ましい限りです。






http://www.youtube.com/watch?v=dpNQE62ieOI




赤駒を山野に放し捕りかにて
多摩の横山徒歩ゆか遣らむ
【万葉集・第20・4417番:武蔵国の椋椅部荒虫の妻、宇遅部黒女】

武蔵国の椋椅部荒虫が、防人に召集され、国府(現在の府中市)に集合するよう命ぜられ、至急出発しなければならなくなったときに妻の宇遅部黒女が詠んだ歌

召集されたとき、乗って行くはずだった赤駒(=騎乗用の雄馬)を
あいにく山の方へ放牧していたため
どこへ行ってしまったか探しても急には見付からず
多摩の横山を通って行くのに
とうとう徒立てで出発させることになってしまったわ
    




畢竟、今でなら「反戦歌」とも言うべきこれらの歌が(国家権力のプロパガンダアンソロジーとも言うべき)『万葉集』に収録されていることこそ、実は、防人があたかも<奴隷狩り>のように無理やり集められた集団ではなく、(心中には万感の思いが去来しつつも)国家防衛の大義のために集った戦士集団だったことの証左ではないか。そして、防人の家族達は別離に涙しつつも、名誉ある使命を果たそうとする夫・父・兄・弟を誇りに思っていたのではないか。と、そう私は感じました。



と、上はそこから多摩よこやまの道を5分程進んだ「防人見返りの峠」で行なわれた、「さきもりまつり2009-万葉時代・防人の道ウォーキング」の最後の記念撮影です。その後、我々は国士舘大学横の山道を通り、同志の「東京都と神奈川県の県境にこんな田園風景が広がっているとは思わなかった」というコメントに微苦笑しつつ黒川地区の谷戸群を抜け、20分で小田急黒川駅に到着、オフ会の場、新百合ヶ丘駅に向かいました。

下は、我が街「新百合ヶ丘」を縦断している津久井道の景色。
一気に1300年の時間を戻ってきた感を覚えました。



ということで、楽しければ楽しい程、また、現在の日本の政治に対する批判がてんこ盛りであればあるほど、甲論乙駁・談論風発の楽しい懇親会は「アッ!」という間に慌しく終宴の時刻。横須賀、千葉に帰る仲間がいればそれもまた致し方なし。再会を誓い今回のウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」番外編:「防人まつり2009」は無事終了したのでした。




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