怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

2月1日  壊れたロボット 2

2012-02-01 09:19:32 | 学校に対して
事故が起き当時の校長の連日連夜の、先生達を引き連れての弔問が続いていた梅雨の頃だっただろうか。
(校長一人では、弔問に来たことはない。学校も部活も休みの日曜は奥さんを連れての、裸の王様。)
娘の初めての月命日を境に、四十九日まではと粘る校長を、(うちの負担も考えてと)暗に遠慮して欲しい と断った後の猛暑の頃だっただろうか。

平然と校長職を続ける元校長に対し、弔問に来てくれた娘の友人の保護者達から、数々の不安の声を聞いた。

1年と3年に生徒を持つ保護者からは、「3年になっているうちの娘が、1年の時の野外学習は山だったが、生徒が負傷し(火傷か怪我かは覚えていない)、救急車を待たず校長が独断で運転して、場所もわからない救急施設まで負傷した生徒を運び大変なことになりそうになった。」
1年の保護者からは、「娘が自転車で登校中に、校長の運転するアウディにひかれそうになった。」
同じ転覆したボートに乗り入院した生徒の保護者からは、夏休み前の暑い時期に校長から、勤め先に電話で呼び出され、短時間だろうと思い娘を炎天下の校庭で待たせたが、勤め先の名札を付けているのにもかかわらず、長時間話をされ、娘が熱中症になりかかり怖かった。」
そして、前任校の教師時代でも いつか何か起こすだろう という話も伝わってきた。

学校運営に収拾がつかなくなり、市教委から休職を勧められ、重度ウツ病とし三月の円満退職を待った元校長。
うちが元校長に依願退職を要望しても、国交省の調査報告が出るまでは応えられないと、三月までに出るハズもない調査報告を盾にして断った元校長。

事故状況が知りたくても、重度ウツ病で表に出ない 元校長のところで止まってしまう・・

「医師の診断書を見せて下さい。」も
プライバシーだから。」と断られ、
うちの要望に、教育長も「学校の休職届けに、診断書が付いているだろう。探せ。」と幹部に言ったまま、見せてくれない。
4月に入り市教委幹部の顔ぶれも変わり、再度幹部の連絡時に診断書を問うたが、そのまま無しのつぶて。

そんな19ヶ月・・              



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