今夜のNHK「ブラタモリ」の舞台は京都伏見。豊臣秀吉の伏見城築城と城下町・周辺交通整備の話で、晩年の数年間で作り上げた(しかも途中で慶長伏見地震に遭っても再度作り直した)のはそりゃ驚くわなと思ったわけですが、視聴後のネット上の反応を見ると、秀吉の死後に整備された部分もあるのではとの指摘があり、そこは考慮しなきゃいけないのかなと。秀吉死後しばらくのうちに秀頼も諸大名も大坂に移転してしまい、挙げ句に関ヶ原の戦いの前哨戦で落城するは焼き払われるはとなるわけですが、戦後間もなく再建されて二条城と並ぶ徳川氏の京での拠点となり、1606年に家康が駿府に移転した後も1623年に廃城されるまでは一応あったわけで、少なくとも家康が在城した数年間はそれなりの整備がなされていたと考えるのが自然なんでしょう。
今夜のNHK「ブラタモリ」の舞台は京都伏見。豊臣秀吉の伏見城築城と城下町・周辺交通整備の話で、晩年の数年間で作り上げた(しかも途中で慶長伏見地震に遭っても再度作り直した)のはそりゃ驚くわなと思ったわけですが、視聴後のネット上の反応を見ると、秀吉の死後に整備された部分もあるのではとの指摘があり、そこは考慮しなきゃいけないのかなと。秀吉死後しばらくのうちに秀頼も諸大名も大坂に移転してしまい、挙げ句に関ヶ原の戦いの前哨戦で落城するは焼き払われるはとなるわけですが、戦後間もなく再建されて二条城と並ぶ徳川氏の京での拠点となり、1606年に家康が駿府に移転した後も1623年に廃城されるまでは一応あったわけで、少なくとも家康が在城した数年間はそれなりの整備がなされていたと考えるのが自然なんでしょう。