ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

12月24日(月)のFB

2018-12-26 14:34:48 | ツイッター
12月24日(月)、主の平和。お早うございます。今夕からクリスマスイヴだ。日曜日にクリスマス礼拝を済ませた教会ではイヴをどうするのだろうか。
今日は振替休日でコール・メディカルも訪問看護も休みデ、私の病気も休みのようだ。
体調・快調、チュンチュン。
50京都上桂伝道所、Kei Kurosawa、他48人
コメント13件
コメント
Noriko Tama Corl 文屋先生、おはようございます!<(_ _)>☆彡 体調がよいとのこと、とてもうれしいです!今夕からのクリスマスイヴ、そして明日のクリスマス、豊かに豊かに光あふれてお過ごしになられてください。ささやかながらお祈り申し上げております。<(_ _)>♡☆彡♰

小貫 ツマ 主の平和!今夜はイブの礼拝。
聖歌隊(5人)で歌います。
近隣の方が来てくださるといいのですが、、

Mabune Tatsuo おはようございます。
大いなる主の御名を誉め称えます。
今日も主に忠実に全ての事に愛と感謝を持って歩めますように!
アーメン。

京都上桂伝道所 おはようございます。

藤木 冨士子 こんにちは。

村田 多鶴子 こんにちは~♪
終日体調快調でお過ごしになられますようにm(__)m
明日の在宅聖餐式の上に豊かな祝福が注がれますようお祈り致しますm(__)m

コメントを削除または非表示にします

立松佐吉 体調が良いのですね 🧣🐱
寛解。、

立松佐吉 鼻に酸素管入れると楽なんだけど、鼻血が出るから難儀、わたしはコンプラビン飲んでるもんで、直ぐに出血するから、今宵はミサの後で、パーティーでどんちゃん騒ぎになると思います。
コメントを削除または非表示にします

糸原 由美子 うちの教会では、23日アドベント第4主日礼拝とクリスマス礼拝、今夜はイヴ賛美礼拝、明日の朝、早天礼拝です。昨日と明日
聖餐があります。

文屋 善明 よく考えられていると思います。

久保和男 主の平和。

Minae Moriwaki 降誕日深夜聖餐式を待つ聖アグネス教会です

文屋 善明
お目覚めの花。今週はかなり忙しそう。ともかく、正月は無事に迎えられそうなので、家内もおお慌てで餅を注文したりで大騒ぎ。
明日の我が家での在宅聖餐式には教会の人たちの他に長男夫婦と孫娘、奈良からは娘と孫娘も陪餐するようです。私も体調を整えておかねば、それが最大の課題です。
画像に含まれている可能性があるもの:花、植物
52髙橋明子、京都上桂伝道所、他50人
コメント6件

コメント
望月 克仁 在宅聖餐式の上に、豊かな祝福が注がれますように祈ります。

Satoshi Tanaka お祈りしています。

コメントを削除または非表示にします

京都上桂伝道所 宝物の日。

Masumi Yamanaka メリークリスマス
コメントを削除または非表示にします

佐藤 静代 クリスマスおめでとうございます。聖餐式の上に、ゆたかな祝福がありますように祈ってます。
コメントを削除または非表示にします

Takako Umakoshi クリスマスおめでとうございます。ご健康が支えられますように。

文屋 善明
今年も、山形の弟から白鷹名物啓翁桜が贈ってきました。まだ、花は不十分だけど正月には満開になり予定です。
画像に含まれている可能性があるもの:植物

50京都上桂伝道所、Kei Kurosawa、他48人
コメント2件
コメント
京都上桂伝道所 蕾が膨らんでますね。
コメントを削除または非表示にします

Miyuki Kawahara 満開の桜を又アップしてくださいませ!

文屋 善明
2018 日々の聖句 12月24日㈪
主よ、あなたを呼び求めます。わたしの岩よ、わたしに対して沈黙しないでください。(あなたが黙しておられるなら、わたしは墓に下る者とされてしまいます。)(詩28:1)
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。(ルカ2:11)
私の黙想:
「沈黙しないでください」という部分、共同訳聖書は同じ、口語訳では「耳しいとならないでください」、フランシスコ会訳では「耳をふさがないでください」、新改訳では「耳を閉じないでください」、聞こえているのに黙っているのと、聞こえないのとではかなり違う。要するに、ここでは神に私の声が届いているのかどうかが問題である。ただの「沈黙」ではない。聞こえているのか、聞こえていないのかが問題であり、それが不安なのである。こちらの願いや意志が相手に届いているのか、私と相手との関係が通じているのか通じていないのか。それは人間にとって「根源的と言っていいほど」深刻な不安となる。
こういう感じというのは、通常は、普段は、いつもは必ず通じているという確信があるときに、通じないということが不安になる。通じてさえおれば、安心できる。現代人には「便りのないのは良い知らせ」なんて悠長に構えておれない。外国に旅行中の友人のことを想定すれば分かる。昔なら通じないということが普通であるが、SNS等を通して「通じている」ということが当たり前になると通じないことは不安になる。
さて、神との関係、日本人にとって、神との音信不通ということは不安の材料にならない。日本人は「我らは神の中に生き、動き、存在する」(使徒言行録17:28)と信じている。ところが、ヘブライ人たちは、常に「神に見放されるのではないか」という不安の中で生きているようである。さぁ、どちらの方が信仰的で、幸せなのだろう。変に通信機器が発達しすぎて、音信不通になることに異常な不安を感じる現代人は、果たして「古い人々」よりも濃密な人間関係を持っているのだろうか。
31京都上桂伝道所、永島大資、他29人

文屋 善明
「12月23日(日)のFB」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

14京都上桂伝道所、永島大資、他12人


最新の画像もっと見る