ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のFB 09/22

2016-09-24 06:20:16 | ツイッター
お早うございます。主の平和。二人で整骨院へ。散髪屋。帰路は自宅まで徒歩で。昼食後、1時間半昼寝。『悪魔の手紙』書き直し作業。自転車漕ぎ20分×2回。宇良は黒星。7敗。夕食後、「模倣犯」(前)を見て11時半に就寝、熟睡。5時半起床。体温:36.4、血圧(135,65:765)・体調・快調、チュンチュン。

26 寺田 由志子さん、Nozomi Moriwakeさん、他24人
コメント

久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。

村田 多鶴子 おはようございます~♪
シトシトとよく降る肌寒い朝です。今日は終日雨のようです。
先生ご夫妻の今日の歩みが守られ祝されます様にm(__)m

東山 富昭 おはようございます。今日も、主なる神にあって、よろしく、お願いします。

藤木 冨士子 こんばんは。


文屋 善明さんが写真2件を追加しました。
9月22日 6:04 ·

お目覚めの花。「今日は秋分の日だとか。毎日が休日だと、まして何とかマンデーだとかで、いつが国民の休日か分からなくなりました」「これでも結構、影響があります。今日は整形外科は休みだとか。せっかくの休日に何をしようかな。結局昨日と同じか」。
文屋 善明さんの写真

37 藤木 冨士子さん、堀 俊子さん、他35人
コメント

増野 真美 すばらしいローズマリーですね


文屋 善明
9月22日 6:30 ·

016 日々の聖句 09月22日(木)
(知りません。)わたしは弟の番人でしょうか。(創世記4:9)
めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。(フィリピ2:4)
私の黙想:
今日の聖句(?)、は聖句か。もちろん、聖書の言葉ではあるが、聖句と言えるか。例えば、色紙に書いて部屋に飾れるだろうか。今日の言葉は、アダムとエヴァの息子たち、カインとアベルの兄のカインの言葉である。カインは弟アベルに嫉妬して殺してしまった。人類最初の殺人である。まぁ、殺し殺されるのは原始社会の生存競争であり、その意味では理解可能な範囲である。それより前、アダムとエヴァとが禁断の実を食べたこと、それも、ありそうな罪である。彼らはそのことを除けば正直なものだ。その罪の半分は神の責任であると弁護士なら主張することも出来るかも知れない。しかし、カインの罪は弁解の余地がない。神から、弟のアベルはどこにいるかと訊ねられた時のカインの返事である。「わたしは弟の番人でしょうか」、これだけ取り出したら何のことか判らない。誰でも「そうだよ、あなたは弟の番人ではない」と言うであろう。ところが、この言葉にはその前の一言がある。「知りません」。これが決定的である。知らないどころか、カインがアベルを殺して埋めたのである。考えてみると、この言葉は人類は発した最初の「嘘」である。「嘘」という罪の、奥深さというか、知っていて「知らん」ということの犯罪性の深さは、底知れない。日本の諺に「嘘は泥棒の始まり」という言葉があるが、嘘は人間の罪の根源である。

33 藤木 冨士子さん、Izumi Naraさん、他31人
コメント

清水 行雄 おはようございます。ここ2、3日の先生の黙想は、正直神がかっています。ただただ拝聴しています。

清水 行雄 キリスト教的に言えば、聖霊が文屋先生の口を通じて、語っているということになるのでしょうが。

藤木 冨士子 色紙には書けません。でもこういう言葉が自分の口から出てくるなぁと思いながら読みますね。


文屋 善明
9月22日 6:37 ·

今日の名言:@E_Levinas_jp
聡明さとは、精神が真なるものに対して開かれていることである。そうであるなら、聡明さは、戦争の可能性が永続することを見て取るところにあるのではないか。戦争状態によって道徳は宙吊りにされてしまう。(エマニュエル・レヴィナス、『全体性と無限』)
<一言>深い言葉だ。要するに、馬鹿は戦争状態が続くことを願っている。何故なら戦争は道徳を破壊してくれるからだ。

27 藤木 冨士子さん、Izumi Naraさん、他25人
コメント

村田 多鶴子 !(>_<)!

川染 三郎 なるほど。


文屋 善明
9月22日 6:47 ·

「昨日のFB 09/20」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

12 藤木 冨士子さん、久保和男さん、他10人


文屋 善明
9月22日 6:49 ·

イミタチオ・クリスチ(253):
キリストと共に栄冠を受けたいのなら、キリストおよびあなたの隣人と苦しみを共にしなければならない。2:1:31

22 藤木 冨士子さん、寺田 由志子さん、他20人


文屋 善明
9月22日 15:27 ·

今日の「折々のことば」。口に出すのも気恥ずかしいが、牧師といえども普通の人間です。普通の人間が普通に人間の言葉で書かれた聖書を読むのです。その意味では、牧師も信徒も差はない。しかし、「そんな牧師が、同じ聖書を読んで」、説教をするのです。しかも、ほとんど毎週。
どうして「説教」が出来るのか、不思議と言えば不思議です。自分自身のことを考えてみると、このテキストから説教をしなければならないという一種の強迫観念の中で、何度も同じテキストを繰り返し読んでいると、突然「一線を越えて」説教が生まれるのです。だからその説教に最初に驚くのは牧師自身なのです。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1120073294736797&set=a.200492220028247.51380.100002024109092&type=3&theater

55 北村 良輔さん、松沢 直樹さん、他53人

最新の画像もっと見る