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教会用語豆事典(補遺1)

2016-12-24 08:28:10 | 雑文
教会用語豆事典(補遺1)

(1) 特祷について
「特別な祈祷」ではなく「特定の祈祷」という意味であり、各主日に特定された祈りである。カトリックでは最近「集会祈祷」と呼ばれている。英語では「 collect 」と呼ばれる。その意味は集められた祈りで、二つの起源説がある。第1の説は、4世紀頃の東方教会の式文に記録されている祈りの形式で、いわゆる代祷項目が読み上げられ、それぞれの祈りが終わる毎に「主よ憐れみ給え」と唱え、その全体の祈りを主教がまとめた祈りという意味であった。第2の説は、やはり4世頃のローマの教会の習慣によるもので、ローマ市内には7つの教会があり、大祝日には一旦各教会で集まって祈った後、一つの教会に向かって行進(プロセッション)して集まり、そこで主教が捧げた祈りが Collect と呼ばれるようになったらしい。今では日本聖公会の全教会が同じ主日に一つの同じ特祷を捧げることに意味がある。(2016.12.1)

(2) 聖書の日曜日(バイブル・サンデー)
昔から、降臨節第二主日は「聖書の日曜日」とされ、その日の献金(信施)は聖書の印刷・普及のために捧げられることになっている。(具体的には、聖書協会へ送金された)。そして、その日の特祷は以下の祈りであった。
わたしたちを教えるために聖書を記させられた主よ、どうかこれを聞き、これを読み、心を込めて学び、深く味わって魂の養いとさせてください。また、み言葉によって強められ、耐え忍ぶことを習い、み子によって授けてくださった限りない命の望みを抱き、常にこれを保つことができますように、み子イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン
また、使徒書もロマ書15:4~13で聖書に関するテキストであり、福音書もルカ21:25~33で、そこには「天地は過ぎ行かん、されどわが言葉は過ぎ行くことなし」と書かれていた。
ところが、新しい祈祷書になってからは、バイブル・サンデーの意識は完全に払拭され、特祷の方も聖書とのは無関係の祈りにされてしまった。もっとも、さすがにこの特祷までは消す訳に行かなかったのか、諸祈祷の中の「聖書を読む前に祈り」として残されている。
要するに、新しい祈祷書では聖書に関する関心は後退したという訳である。(2016.12.1)

(3) 教役者の日曜日
ついでに降臨節第三主日についても述べておこう。この主日は昔から、「教役者の日曜日」と呼ばれて、教役者はいかにあるべきかについて学ぶことになっていた。それで、使徒書では1コリント4:1~5が読まれ、「キリストの役者または神の奥義をつかさどる家づかさ」に関するテキストで、福音書ではマタイ11:2~10が読まれた。そこには教役者のモデルとして洗礼者ヨハネのことが述べられている。特祷も以下のとおりであった。
主イエス:キリストよ、始めにくだりたまいし時、主にさきだちて道を備うる使いをつかわしたまえり。願わくは今、主の奥義をつかさどる仕えびとをめぐみ、もとれる者の心を正しき人の悟りに帰らす力を与えて主の道を備うることを得させ、再びくだりて世をさばきたもうとき、我らを御心にかのう民となしたまえ。主は父と聖霊とともに一体の神にましまして世々統べ治めたもうなり。アーメン
新しい祈祷書になって、「教役者の日曜日」も、その特祷、使徒書、福音書と共に消されてしまった。という訳で信徒たちが教役者のために祈ることもなくなってしまった。
実は、このことによるもっと大きな影響は、この主日のゆえになされていた「聖職按手節」との関連もなくなってしまった。昔は、この主日との関連で、この週の水曜日、金曜日、土曜日が「冬期聖職按手節」となっていた。(聖職按手節については別に解説する)(2016.12.1)

(4) 降臨節、降誕節、顕現節
降臨節は降誕日の前の四つの主日から始まり降誕日(12月25日)で終わる。その祭色は紫。降誕日から顕現日(1月6日)までが降誕節で祭色は白色。この期間が12日間で「十二夜」ともいう。シェークスピアの喜劇「十二夜」は降誕節の終わり頃に上演されるという意味で、その内容とは無関係である。顕現日から次の主日が「主イエス洗礼の日」とされ、この期間が顕現節で祭色は白色。(2016.12.5)

(5) 降誕日には聖餐式は3回行われる。第1ミサ(深夜)、第2ミサ(早朝)、第3ミサ(日中)。古来からの伝承では、第1、父なる神のふところでの誕生、第2、聖母マリアの胎内からの誕生、第3、信徒の心への誕生を象徴するといわれている。そのため、降誕日の日課は3セット準備されている。なお、この日の特祷は、12月31日の朝まで、その日の特祷に合わせて唱えるようにと定められている。(2016.12.5)

(6) クリスマスの馬小屋、クリッペ(独)、クリブ(英語)
この馬小屋をはじめて作ったのはアッシジの聖フランシスコだと言われている。彼は1223年イタリアのグレッチオでイエスの降誕の馬小屋を飾って、村人と共にクリスマスを祝った。クリブには飼い葉桶が置かれ、その中に幼児イエスの人形が納められている。(2016.12.5)

(7) 降誕日第1聖餐式(深夜ミサ)
これは何の根拠もない私の個人的経験である。数年前、長崎の大浦天主堂でのクリスマス・イヴ礼拝に参加した時の経験である。確か午後7時からのイヴ礼拝でしたが、礼拝が始まると聖堂内の照明は消され、微かな明かりの中で司祭が幼子の人形を抱いて登場し、静かにクリブ(馬小屋)まで進み、そこで厳かに飼い葉桶の中に人形を収めると同時に聖堂内の照明が点灯されました。キャンドルサーヴィスではありませんでしたので、明るい中でミサが執り行われました。礼拝後に伺いますと、この聖堂では「深夜ミサ」を前倒しして午前零時ではなく、この時間にもたれるとのことでした。深夜ミサ(降誕日第1ミサ)のプロローグは幼子を飼い葉桶に収めることだとのことでした。幼子が収められていない飼い葉桶には聖書が置かれているとのことでした。
これは私にとって新しい経験でした。私は京都の聖アグネス教会時代には毎年「深夜ミサ」を行っていましたが、それは文字通り、午前零時からで祭色は白。
カトリック教会に行くと、ほとんどどこでもほぼ等身大のクリブがある理由も分かりました。玩具のようなクリブではこのパーフォーマンスが死んでしまいます。(2016.12.5)

(8) エッサイの根、エッサイの株
「エッサイの根」というのが面白くて子供の頃から好きな歌である。聖公会の歌詞では「エサイの根」になっているが、讃美歌21の方では「エッサイの根」となっておいる。「エッサイ」ってどんな野菜なんだろうと思って、いろいろ想像していたものである。子供ながらに、この聖歌によって「イザヤ」という預言者にも親しみを感じていた。
エッサイとはダビデの父親の名前で、ダビデはエッサイの木から生まれたという意味である(ルツ4:22、1サムエル17:12、他)。(2016.12.15)

(9) 聖歌第72番「エッサイの根より」(「讃美歌21」248番)
この聖歌はドイツのライン地方に15世紀以前から伝えられている宗教民謡である。16世紀の聖歌編集者ミカエル・プラエトリウスによって取り上げられ、カトリック、プロテスタントを通じて全世界に広められ、クリスマスには必ず歌われるものとなった。この歌は元々聖母マリアを讚美した28節におよぶ長い歌であったが、プラエトリウスはこの歌の最初の2節「エサイの根より、生(お)いいでたる、くすしき花は咲き染めけり」だけを残して、幼児イエスを強調するものに編纂しなおしたといわれている。(2016.12.15)

(10) おとめマリア(処女降誕)
イザヤ7:10-17で言われている「おとめ」(14節)いう表現が処女を意味するのか、そうではないのかということについては古来よりいろいろな解釈があり正しい答えはない、というのが最も正しい答えであろう。
マルチン・ルターは、「処女降誕」を立証するために、この言葉が「結婚している女性」を意味しているという聖書的根拠を発見した者に100グルデンを与えると懸賞金を出したという噂があるほどである。もっとも、この100グルデンという金額がどれほどの値打ちがあるか分からないし、その結果について何の報告もないので、嘘か本当か不明である。ともかく、このイザヤ書7章14節の「おとめ」という言葉については確定したことは何も言えない。(2016.12.15)

(11) インマヌエル
旧約聖書において「インマヌエル」という言葉は、イザヤ書の7:14、8:8、8:10の3個所に出てくる。8:10については口語訳では8「神がわれらと共におられるからだ」というように文章として普通に訳されている。8:8も固有名詞として解するのには無理がある。要するに「インマヌエル」という言葉を人名として用いられているのは、7:14だけだと思ってもいい。新約聖書の方では、預言者イザヤの言葉としてマタイ1:23に引用されているだけだる。(2016.12.15)

(12) 早祷、午祷、晩祷、終祷
古い祈祷書には聖餐式の他に上記の4つの礼拝の式文が載っている。これらが日本聖公会法憲第2条で言われている公祷である。これらは公同の礼拝においても、また個人的な祈りにおいても用いられきた。特に早祷あるいは晩祷などは司祭が不在の場合の信徒による主日礼拝等ではこれらの式文が用いられてきた。これが新しい祈祷書では早晩祷については「朝の礼拝」「夕の礼拝」と名称が改められ、もっぱら公同の礼拝で用いられるようになり、個人の朝夕の祈りにおいては「朝の祈り」「夕の祈り」として新たに加えられた。これに合わせて、午祷、終祷も「昼の祈り」「就寝前の祈り」と名称が改められた。もちろんその他に洗礼式、堅信式、聖職按手式、その他の式文もある。(2016.12.17)

(13) キリエ・エレイソン(Kyrie eleison)
教会の伝統が生み出した最も短い祈り。意味は「主よ、憐れみ給え」。イエスがくどくどした祈りを軽蔑されたことは有名である(マタイ6:7)。その意味では、主の祈りでも長すぎる。「生みだした」と言ったが正確には「発見した」というべきであろう。聖書原文では「kyurie eleeson」(マタイ20:31、マルコ10:47、ルカ18:38)。
聖餐式では開会の祈り、懺悔の祈りに続いて、キリエが3回繰り返して歌われる。朝の礼拝、夕の礼拝では主の祈りの直前に、司祭と会衆との応答形式で読まれる。(2016.12.17)

(14) ロザリオ (rosarium)
ローマ・カトリック教会において、聖母マリアへの祈り(アヴェ・マリア)を繰り返し唱える際に用いる数珠状の祈りの用具。「ロザリオ」という名称は、「バラの冠」を意味する。キリスト教の伝統の中で、聖母マリアへの祈りは初代教会から始まったとされる。1980年代にアメリカの聖公会の司祭が、アングリカン・ロザリーを考案したと言われているが、私はまだ見たことがない。
和歌山県にある親愛修女会ではロザリオを使っての祈りがなされるが、それは聖母マリアの祈りとは違ってキリエを繰り返す祈りである。(2016.12.17)

(15) 日毎の糧
日毎の糧が極度に不足してくると、単に経済問題では終わらず、政治的な問題となり、最終的には宗教的な問題になる。イエスが主の祈りの中で「日毎の糧を今日もお与えください」と祈ることをお教えになったことの意味は深い。日毎の糧の問題は、宗教の本質に関わる問題である。(2016.12.17)

(16) クリスマス・キャロル
13世紀頃から「キャロル」は一般民衆が祝歌収穫祭などで歌われていた世俗的な音楽である。それが宗教改革者ルターによって取り上げられ、特にクリスマス・キャロルは良きキリスト教徒としての人格の涵養の為、肯定的に捉えられた。それが教会音楽の一部となったものである。当初はアドヴェント・キャロル、イースターキャロルなど、教会の特別の祝いごとにおいて歌われた。
日本聖公会の古今聖歌集では降臨節、降誕節の聖歌とは別に「クリスマス・カロル」(27番~37番)があったが、新しい聖歌では区別がなくなった。「きよしこの夜」、「うまぶねに」、「まきびと羊を」、「星影さやけき」、「いざ歌え」、「荒野の果てに」等。(2016.12.19)

(17) キャロリング
クリスマス・イブのあと、教会に集まった子供たちが、神の御子の誕生を知らせるために街の家々を訪ねてクリスマス・キャロルを歌う慣習が生まれた。これを特に「クリスマス・キャロリング (caroling)」と言うようになった。その意味では、世俗のハロウイーンに対する教会的な慣習である。(2016.12.19)

(18) オクテヴ(8日間の祭)
教会における特に重要な三つの祝祭、クリスマス、イースター、ペンテコステについては、当日とその8日目、あるいはその8日間祭りが続く習慣がある。復活日では8日目の復活節第2主日まで、各曜日に祭りが繰り返される。聖霊降臨日ではその8日目つまり聖霊降臨後第1主日が「三位一体主日として祝われる。降誕日については、やはりその8日目が「主イエス命名日」である。これを特に「オクテヴ」(8日間の祭り)という。
その名残が、「最初の殉教者聖ステパノ日」(12月26日、祭色「赤」)、福音記者使徒聖ヨハネ日(12月27日、祭色「白」)、聖なる幼子の日(12月28日、祭色「赤」)である。(2016.12.19)

(19) 最初の殉教者聖ステパノ日」(12月26日)
初代教会が発足して最初の殉教者が聖ステパノで、イエスの誕生日の翌日、この殉教者を覚えて祈ります。
聖ステパノの死は、十字架上で死んだイエスの死に最も類似しています。「人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、『主イエスよ、わたしの霊をお受けください』と言った。それから、ひざまずいて、『主よ、この罪を彼らに負わせないでください』と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた」(使徒言行録7:59~60) 。祭色は「殉教者の赤」。
特祷
天の父よ、わたしたちが主の道を世に証しして苦しみに会うとき、主イエスと最初の殉教者聖ステパノの模範にならい、迫害する者を愛し、これを赦すことができるようにしてください。神の右に立って、み名ために苦しめられる者を救われる唯一のとりなし主(ぬし)イエス・キリストによってお願いいたします。(2016.12.19)

(20) 聖なる幼子の日(12月28日)
教会暦における聖人の日のはほとんどの聖人は成人であるが、一つだけ2歳以下の聖人の日がある。古い祈祷書では「聖嬰児日」という難しい言葉が使われていた。英語では「Holy Innocents7 Day」で、「聖なる、無実の幼児たちの日」を意味している。イエスの誕生の出来事を知ったヘロデ王が自分の地位が脅かされるのを恐れて、「ベツレヘムとその周辺一帯にいた2歳以下の男の子を一人残らす殺させた」とされる。この幼子たちを「殉教者」たちとして、この日を覚える。祭色は「殉教者の赤」。
特祷
全能の神よ、ベツレヘムの聖なる幼子たちがヘロデ王によって苦難の死を受けたことを覚えて祈ります。どうかこの幼子の死を慈しみ深いみ腕の中に受け入れてください。そして強いみ力により圧制者の企てをくじき、正義と愛と平和の支配を確立してください。主イエス・キリストによってお願いいたします。(2016.12.19)

(21) クリスマスの由来
何故、12月25日がクリスマスなのかということについては、古来、いろいろ想像されているが、はっきりしたことはわからない。そもそも、初期のキリスト教会においてイエスの誕生については関心は薄く、4つの福音書でもマタイとルカだけが触れている程度で、恐らくそれは紀元70年以降のことで、ほとんど神話的な描写である。まして、日付については確かな証言はない。それらの中で、最もスッキリしている説は、273年、ときのローマの皇帝アウレリアヌス(在位:270年~275年)は太陽神崇拝を国教とし、12月25日をその誕生日と定めたということに由来すると思われる。
それに対抗して、313年にコンスタンティヌス帝によって公認されたキリスト教は、325年のニケア会議でこの日を「義の太陽」であるキリストの誕生日と定めたらしい。そしてローマ教会がこの日に降誕祭を行うようになるのは354年(教皇ユリウス1世)以降。379年から東方教会もこれに従うようになった。(2016.12.21)

(22) クリスマス・ツリー
起源はドイツのライン川の上流地方から始まったものと思われる。どういう理由で始まったのかは確かではないが、いずれにせよ、その地方に住んでいた人たちの風習によるものであろう。その中で、興味深い説明は、その地方のお祭りなどで上演される演劇に由来し、創世記の「生命の木」伝説に関連しているらしい。
最古の記録は11世紀の宗教劇で、そこではモミの木にリンゴをつけてエデンの園を表し、樹形の三角形が信仰・希望・愛を象徴したという説明がなされている。呪術的動機からくるとしてピューリタニズムの系譜に連なる教派では飾らない。基本的には聖公会では聖堂内にクリスマス・ツリーを飾らない。クリスマス・ツリーもサンタクロース同様、アメリカで流行し、19世紀半ばから世界に広がったと思われる。(2016.12.21)

(23) 主イエス命名の日(1月1日)
ルカ福音書によると、イエスは誕生から8日目に割礼を受け、「イエスと名付けられた」(ルカ2:21) とされている。ユダヤの社会では、割礼により正式にユダヤ人として受け入れられるのであり、これでイエスが人性を取りということが完了した。
降誕日特祷
全能の神よ、あなたは独りのみ子に人性を取らせ、この時、清いおとめから生まれさせてくださいました。どうかその恵みによって、再び生まれ、神の子とされたわたしたちを、常に聖霊によって新しくしてください。父と聖霊とともに一体であって世々に生き支配しておられる主イエス・キリストによってお願いいたします。
主イエス命名日特祷
全能の神よ、あなたはみ子に割礼を受けさせ、わたしたちの救いのしるしとして、イエスと名付けられました。どうかこのみ名によってみ民に力と平安を与え、その尊いみ名をすべての国に宣べ伝えさせてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。(2016.12.21)

(24) 降誕後の主日
今年は12月25日と1月1日とが日曜日であるので、降誕後第1主日の出番はないが、たとえば、降誕日が12月24日の場合、その翌日が降誕後第1主日に当たり、1月2日が降誕後第2主日にあたることになる。現行の祈祷書ではこれらもそれぞれ主日として日課・特祷等が定められている。ところが古い祈祷書では降誕後第1主日については日課は定められているが、特祷については降誕日の特祷とまったく同じである。降誕後第2主日には特祷も日課も定められていない。
新しい祈祷書では降誕後第1主日も、降誕後第2主日も、それぞれ、特祷、日課が定められている。
特に注目したいのは降誕後第2主日で、カトリック教会では「聖家族の日」とされ、祝日である。日本聖公会では「聖家族の日」とはしていないが、日課、特祷等は明らかに「聖家族の日」を意識している。
降誕後第1主日の特祷
全能の神よ、あなたは驚くべきみ業によりわたしたちをみかたちに似せて造られ、さらに驚くべきみ業により、み子イエス・キリストによって、その似姿を回復してくださいました。どうか、主が人性を取って、わたしたちのうちに来られたように、わたしたちも主の神性にあずからせてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。
降誕後第2主日の特祷
天の父よ、恵みに満ちたみ子は、ナザレにおいてこの世の家庭生活をともにされました。どうかみ助けによって、わたしたちが愛と服従で結ばれた聖なる家族として生活し、ついに天に備えられた住まいに至ることができますように、主イエス・キリストによってお願いいたします。(2016.12.21)

(25) 顕現日(1月6日)
顕現日は英語ではEpiphanyで、要するにイエスが「現れた」という意味である。カトリック教会では「公現日」という。この日はもともと東方地中海沿岸では冬至の日に当たり、異教の救いの神の誕生日として祝われていたが、それをその地方の教会では救い主イエスの出現日とされた。つまり東方教会ではこの日がクリスマスであった。これが後に西方教会のクリスマスと調整されて降誕日・顕現日として祝われるにようになったとされる。降誕日から顕現日までを降誕節と言う。先ず祝日があって、その後で意味付けをされたと言える。その意味付けが世界へのイエスの出現ということで、この日に3人の博士の物語が付けられた。
特祷
星の導きによって、独りのみ子を東の博士たちに現された神よ、どうかすべての国人を導き、いま信仰によってあなたを知り、後の世にはあなたの栄光を親しく仰ぎ見させてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。(2016.12.21)

(26) アーメン
あまりにも有名なキリスト教用語。真理、真実、誠実等を意味するヘブル語の「エメス」の派生語である。創世記42章でヨセフの兄弟たちが敵の回し者と疑われた場面で、ヨセフは兄たちに「お前たちの言うことが本当かどうか試す」という場合の「本当のこと」とはエメスである。つまり、ある事柄あるいは言葉が、確かであることを承認し、その意志を表明する場合に「アーメン」と唱える(申命記27:15)。ユダヤ教の教会では祈りの最後に会衆が「アーメン」と唱和した。それがキリスト教会にも受け継がれた。そこからにキリストを「アーメンである方、誠実で真実な証人」(黙示録3:14)等という表現にもなった。(2016.12.21)

(27) アガペー
アガペーとは普通にギリシヤ語において「愛」を意味する名詞である。日本語でも「愛」を意味する言葉はいろいろある。「慈」、「情」もあれば「好き」もある。ギリシヤ語にだって、アガペーの他に「エロース」「ストルゲー」「フィリア」等ある。エロースは性愛、ストルゲーは親子の愛情、フィリアは友情などと使い分けされるが、それは決して厳密な区分ではない。特にアガペーについてはもともと師に対する尊敬の念を意味していたが、これが神との関係における「愛」を示す言葉として用いられただけである。ニグレンがアガペーとエロースとを神の無償の愛と人間の自己愛とを対立するものとして鋭く対比させたことから、キリスト者の間ではもっぱらアガペーは「神の愛」という単純すぎる思想が一般化したが、もともとそのような区別はない。プラトンは人間が真理を探究する内的動機としてエロースを取り上げたが、これも「神への愛」でもある。通常友情を示す「フィリア」も、例えば、「主を愛さない者は、神から見捨てられるがいい」(1コリント16:22) ではフィリアの動詞形「フィレイン」が用いられている。これを形容詞形で言うと「神を愛する者(フィロセオイ)」と「快楽を愛する者(フィレドノイ)」と平行して用いられている(2テモテ3:4)。有名なヨハネ21:15~17ではアガペーとフィローがほとんど区別なしに使われている。(2016.12.21)

(28) ロゴス
ギリシヤ語のロゴスは通常「言葉」を意味する。それとよく似た言葉では「レーマ」があるが、新約聖書ではロゴスは330回用いられレーマはたったの67回である。ロゴスについてはヨハネ1章の「ロゴス賛歌」が有名で、ここではロゴスが言葉であると同時に神自身を示す思想を含んでいる。レーマにはそのような意味灰はない。(2016.12.21)

(29) ディアスポラ
元々の意味は、植物の種など、「撒き散らされたもの」という意味のギリシャ語で、元の国家や民族の居住地を離れて暮らす国民や民族の集団ないしコミュニティ、またはそのように離散すること自体を指す。ユダヤの歴史でいうと「(バビロン等の)捕囚民」はもとの居住地に帰還する可能性あるいは希望を持っているが、ディアスポラは離散先に永住し、そこに定着している人々を意味している。旧約聖書の歴史においては何らかの理由により、バビロンから祖国へ帰還しなかった人々が最も大量にディアスポラになったと思われる。数回のユダヤ戦争を経て、ローマによって祖国を追われたユダヤ人が大量に発生した。使徒言行録には
「ギリシヤ語を語るユダヤ人」(使徒6:1、9:29)が登場するが、彼らのことを原語では「ヘレニスト」と読んでいる。(2016.12.21)

(30) ハルマゲドン
黙示録16:16にただ一回だけ出てくる地名で、こんな言葉をわざわざキリスト教用語として取り上げる必要もないと思うが、実は、キリスト教会と言うより、教会の外でこの言葉が盛んに用いられているので、簡単に説明しておく必要があろうかと思う。「ハルマゲドン」または「アルマゲドン」ともいわれるこの言葉はもともとはヘブライ語で「メギドの丘」という意味で、北イスラエルの戦略上の要衝であったため、古来より幾度も決戦の地となった。黙示録では、「世界最終戦争」の地として語られている。もっとも黙示録のこと、基本的には世界の終末神話である。
この言葉がSF小説、SFアニメ等サイエンス・フィクションの作品で取り上げられている。1998年に公開された映画『アルマデドン』もその一つである。この言葉に限らず、黙示録はキリスト教類似の新興宗教等の教理形成の温床になっているので、お互いに気を付けなければならない。(2016.12.21)

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