神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

雲富山 池光院 大慈恩寺

2014-02-22 23:58:56 | 寺院
雲富山 池光院 大慈恩寺(くもとみさん ちこういん だいじおんじ)。
場所:千葉県成田市吉岡183-1。国道51号線「大栄工業団地入口」交差点から北東へ約500mのところで左折(北へ)、道なりに約300m。駐車場有り。
寺伝によれば、天平宝字5年(761年)、鑑真和上によって創建された。鑑真が当地を訪れたとき、紫雲に富み、池が異光を放つという瑞祥があったので、慈悲恩賜のため「雲富山 池光院 慈恩寺」を建立したという。鎌倉時代後期、千葉氏の一族である大須賀氏の厚い保護を受け、奈良「西大寺」の真源上人により中興された。室町時代になると、光明天皇の時に勅願寺となり、暦応4年(1341年)には足利直義(足利尊氏の弟。副将軍)が境内に下総国利生塔を建立したほか、明徳2年(1391年)には後小松天皇から「大」の一字を賜って「大慈恩寺」と改称された。利生塔は後醍醐天皇を始めとする戦没者の菩提を弔うために一国一塔の仏塔として建立したもので、当寺の利生塔は明治35年に暴風により倒壊し、現在は1辺45~50cmの礎石14個が残るだけとなっている。なお、江戸時代までは真言律宗であったが、現在は真言宗智山派に属する。本尊は清涼寺様式の釈迦如来立像で、平成4年の修復の際、胎内に明応4年(1495年)作という墨書が見つかったという。


「ちばの観光まるごと紹介」のHPから(大慈恩寺)


写真1:「大慈恩寺」勅使門


写真2:境内参道


写真3:利生塔礎石群(成田市指定文化財)。雑草に覆われて見えない・・・


写真4:板碑群(成田市指定文化財)


写真5:梵鐘(千葉県指定有形文化財)。延慶3年(1310年)銘があり、中興の真源上人の名が記されている。


写真6:本堂
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神崎神社(千葉県神崎町)(下総国式外社)

2014-02-15 23:07:18 | 神社
神崎神社(こうざきじんじゃ)。
場所:千葉県香取郡神崎町神崎本宿1944。国道356号線佐原バイパス「神崎大橋際」交差点から南下、「神宿」交差点を北に入り、道なりに進むと駐車場がある。
創建時期は不明。社伝によれば、白鳳2年(662年)に常陸国と下総国の境である大浦沼二つ塚から現在地に遷座したという。明治時代になってから現社号に改称したが、それまでは「子松神社」であり、「六所鎮守」、「神崎大明神」、「神崎大社」等ともいわれていた。延喜式神名帳には載せられていないが、 「日本三代実録」の元慶3年(879年)の条に「駿河国従五位上の御廬神に正五位下、下総国正六位上の子松神に従五位下を授ける」とある、その「子松神」であるとされる。いわゆる式外社、国史現在社に当たる(なお、同時に神階授与された「御廬神」は、駿河国三宮で式内社の「御穂神社」(2010年10月5日記事)である。)。
主祭神は、天鳥船命、大己貴命、少彦名命の3神であるが、このうち天鳥船命(アメノトリフネ)は鳥之石楠船神(トリノイワクスフネ)ともいい、いわゆる国譲り神話では建御雷神の副使として葦原中国に派遣された神であるとされる。建御雷神は常陸国一宮「鹿島神宮」の祭神であり、建御雷神と対を成す(一説に同一神ともされる)経津主神は下総国一宮「香取神宮」の祭神であることから、この2つの神社との関係が深いことが窺われる。
現在、当神社の境内地は約7千坪あるというが、社叢林は「神崎森」といわれて全域が千葉県の天然記念物に指定されている。その中でも、拝殿の横にある「神崎の大クス(楠)」(国指定天然記念物)は幹周約8.5m、高さ約27mという大木で、明治40年に火災に遭ってかなり傷んではいるものの、なお樹勢は旺盛。延宝2年(1674年)に水戸黄門こと徳川光圀公が当神社を参詣した際、「この木は何というもんじゃろうか」と言ったというところから、「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれるようになったという。


千葉県神社庁のHPから(神崎神社)

玄松子さんのHPから(神崎神社(神崎町))


写真1:「神崎神社」境内入口。「双生山」・「ひょうたん山」などと呼ばれる小高い場所にあり、北側は利根川が間近で、古代には「香取海」に面していただろうと思われる。なお、参拝時は東日本大震災の後で、鳥居が失われていた。


写真2:社殿


写真3:「神崎の大クス」、一名「なんじゃもんじゃの木」。樹齢推定約1300年


写真4:同上(横から)
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耀窟神社

2014-02-08 23:44:41 | 神社
耀窟神社(ようくつじんじゃ)。
場所:千葉県成田市西大須賀1892。県道161号線(成田滑河線)「下総町滑川」交差点の南西、約260mのところ(浄土宗「雲通山 智光院 昌福寺」の東側)に参道入口があり、社殿は丘の上。駐車場なし。
創建時期不明。千葉県神社庁のHPにも、千葉県の宗教法人名簿にも掲載されておらず、由緒等もよくわからない。小生も「滑河観音」参拝のついでに、地図を見ていたら変わった名の神社があるので、訪れただけだったので、悪しからず。
祭神は稜威尾羽張神(いつおわりばり)で、伊都之尾羽張神とも書く。「古事記」で、伊邪那岐命が迦具土神を斬ったときに使った十拳剣の名前が「天之尾羽張(あめのおはばり)」であり、葦原中国を平定するために派遣する神として思兼神が推薦したのが伊都之尾羽張神とその子である建御雷之男神である(結局、伊都之尾羽張神が辞退したため、建御雷之男神が派遣された。)。建御雷之男神は常陸国一宮「鹿島神宮」の祭神で、当地にも所縁があるのかとも思うが、必ずしもそうでもないかもしれない。「耀窟」というのは「輝く岩屋・ほらあな」という意味で、当神社が鎮座する丘の麓に横穴墓群があることが知られているので、それに因むのではないかと思われる。稜威尾羽張神は、「日本書紀」では天の石窟に住む神とされているからである。なお、当神社の西側にある川は「尾羽根川」という。
さて、当神社では、4月に「湯立神事」と「神楽」(獅子舞ほか)が行われることで有名だそうで、「湯立神事」は禊の一種で、神前の大釜に湯を沸かし、神官が熱湯に笹の葉を浸して参詣人に降りかけ、無病息災を祈願するという古式ゆかしいものだという。


「ちばの観光まるごと紹介」のHPから(耀窟神社)

横穴墓群は、当神社の北側の山裾にあるらしい。墓の数も多く、下総地方では珍しいとのこと。

「埼群古墳館」さんのHPから(成田市西大須賀横穴墓群)


写真1:「耀窟神社」境内入口の鳥居


写真2:鳥居脇の社号標


写真3:丘の上にある社殿


写真4:社殿裏にある「耀窟神社之跡」という石碑

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滑河山 龍正院

2014-02-01 23:58:56 | 寺院
滑河山 龍正院(なめかわさん りゅうしょういん)。通称:滑河観音(なめがわかんのん)。
場所:千葉県成田市滑川1196。県道161号線(成田滑河線)「滑河観音脇」交差点の南側。滑河小学校の北隣。駐車場有り。
寺伝によれば、承和5年(838年)、当地の領主小田宰相将治の発願により、慈覚大師(円仁。第3代天台座主)を開基として創建されたとする。天台宗の寺院で、本尊は一寸二分(約3.6cm)の十一面観世音菩薩。この本尊は、後に定朝作の一丈二尺(約3.6m)の観音像の胎内に納められて「滑河観音」と通称され、当寺は「坂東三十三観音霊場」の第28番札所となっている。ところが、当寺の本堂裏から、白鳳時代の様式の、所謂「山田寺式」と呼ばれる瓦が出土した。ここは瓦を焼く窯跡とされた(「龍正院瓦窯跡」)が、瓦窯を自ら持つ「龍正院廃寺」という古代寺院跡とする資料もある。とすれば、出土した瓦の様式から、7世紀第4/四半期頃に遡る古代寺院の後身かもしれないという。なお、永正13年(1516年)鋳造の鰐口に「下総州行河山勝福寺」とあるので、「勝福寺」と称していた時期もあるらしい。
さて、当寺の縁起によれば、承和5年は冷害で大凶作となったことから領主の小田将治が仏の加護を祈ったところ、結願の日に「朝日の前」(朝日姫)と名乗る少女が現れ、小田川の河畔に案内して姿を消した。そこでは老憎が船を浮かべており、川から掬い上げた一寸二分の観音像を将治に与えたうえ、「この淵より湧く乳水を舐めよ」と教えた(これが滑河という地名の由来という。)。その教えの通りにすると、穀物の実りが回復した。この観音像が当寺の本尊であるとされる。また、その観音出現の地が、当寺の西、約300mのところにある「朝日ヶ淵(けさがふち)」で、そこに「観音応現碑」が建てられている。
江戸時代には、天台宗の古刹として「東叡山 寛永寺」の末寺となり、延命開運・安産子育の観音として江戸からの参拝客も多かったようだ。また、仁王像も、享保年間(1716~35年)、門前で火事があったとき、観音堂の屋根から大きな扇で火炎を扇ぎ返し、本堂から下の集落は焼失を免れたという伝説があり、火伏せの仁王尊として信仰されたという(仁王門の注連飾は、このとき火難を逃れた集落の人々が毎年正月に奉納するものと伝える。)。


「天台宗 滑河山 龍正院」のHP

「坂東三十三観音霊場」のHPから(龍正院へ御来山歓迎)


写真1:「龍正院」境内入口


写真2:駐車場の脇、県道沿いに立つ石造の宝篋印塔群


写真3:仁王門。室町時代に再建され、桃山様式を伝えるものとされる(国指定の重要文化財)。


写真4:銅製の宝篋印塔(千葉県の有形文化財)


写真5:本堂(千葉県の有形文化財)


写真6:「朝日ヶ淵」。今は田圃の中だが、かつては利根川の水運も与って当寺への参拝の便も良かったものと思われる。


写真7:同上「観音応現碑」

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