開運ひと文字HAPPY
吉川壽一
SHO(1145)
たつや/福井のそば翁・中山重成さんの米壽・蕎麦壽翁あめでとうございます。
イケちゃん/どこにご縁があるのか、生まれてくるのか不思議、不可思議だ!!
花怜/コメントにお答えいたします。
花怜/北陸富山展開幕しました。
花怜/TOMATOの一品。味が涼しくておいしかったです。
☆/8月15日東京・有楽町にある東京フォーラムは学生さんのデッカイ文字で埋まる!!ホント!!
花怜/来年は、いよいよ日本・ブラジル移民100年の交流年。どんな企画が出てまいりますか?
光華/越前雲丹が我が家の食卓にやってきた。
Keiko/(イチ)の文字が精神の高揚を謳い迫力している
開運館(風水・開運・スピリチュアル・占い)比較/もぎとれたて天日干しの磯と潮風の香りいっぱいの新ワカメイッパイ!!いつもアリガトウ!!


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 皆さん 新年明けましておめでとうございます。初春のお喜び申し上げます。正月7日も過ぎてしまいましたが、昨日は誕生日ということで、知っておられる方々から"オメデトウ"がありましたが、言われても照れてしまうので、お誕生日の"オメデトウ"はもうイイカ・・・という感じですね。

 今日は、福井フェニックスR.Cの初例会で近くの佐佳枝廼社での礼拝から始まりました。ここでも今月の誕生日の方々のハッピーバースディ・結婚記念日お祝いがあって"オメデトウ"そして乾杯と続き、今年も愈愈おはじまりというところです。

 ということで、この開運ひと文字HAPPY!!もはじまり、はじまりです。今年は十二支のはじまりの歳で子どしです。何故って聞かれても答えようがありませんが、日本郵政の郵便事業㈱から12月3日に発売された子や戊子(つちのえのね)の字を題材にした記念切手が売り出されましたが、その揮毫者の1人として私が入っているのです。中央に金箔、藍の墨色とイタリアプラネタの赤ワインの色彩を使い、フランスで印刷されたというエンボレス加工で5色刷りされている為に子の文字が浮き出ていて不思議な切手に見えていて好感触なものです。

 そして、新年から忘れていましたが、これらの切手に使用された作品とそれ以外の各作家の揮毫作品展が18日まで東京・千代田区一ツ橋1-1-1のパレスサイドビル(毎日新聞社)1階のアートサロン毎日にて開催されています。

 又、銀座8丁目のセントラル美術館では、現代の書新春展~今いきづく墨の華として私の全く新しいSYOING作品も出品されています。今年も又、先が思いやられるような感じで、ヒタヒタと色々なことが芽生え、おこってきています。今年はどんなことがどんな凄いことがやってきてどんなSYO法で山ごえ・波ごえができるのかやはり娯しい・楽しい・嬉しい一年。明日・未来になりそうな初夢と予感を得てきました。頑張りま~す。ヨロシク!!
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 我フェニックスR.Cのガバナー公式訪問が来週ということだが、アブダビ・ドバイに行っていて、会合等に出席できない。

 15周年の式典には、ガバナーはお見えになるのだろうか。周年事業や行事も2650地区だけでもたくさんの数であるので100日を越してしまうほどの多忙さであるし、重労働ということのようです。

 10周年の折に記念事業として五木寛之先生をお招きして記念講演に来ていただいた。その時の御縁が今も続いていて、先日開催した「夢いっぱい・嬉び一杯RUNRUNの会」に伊豆高原にてブライアン・ワイルドスミス美術館館長をされている野村道子女史がわざわざに出席いただいた。

 何故わざわざかというと彼女(自称吉川壽一のオッカケ)は、だからということもなく、東京ではよくお会いし、常日頃のことを話題しあっているので蟹シーズンの四日前だったので別に来なくてもいいよと電話しておいたが、来なくちゃいけなくなったのよ!!と電話をされ、おいでいただいた。

 わざわざだから何かおしゃべりしてよ!!と言ったらよっしゃわかった!!という返事。昌昌会・百福会会長の栗田幸雄先生の開会の辞や参議院議員自由民主党幹事長の山崎正昭先生がSPを10名ほどつれて(この表現は逆かな)御来駕いただいた。そして内閣官房副長官をされていたので、小泉総理に「道」字を持参することになり、そのお話を総理につないでいただき、二人で官邸で拝眉し、謹呈した時の小泉総理の"これまでに見たことのない笑顔"のお話をしていただいた。

 そして、山崎福井テレビ会長挨拶と来て、野村女史、ふと見ると手になにやら一冊の本を持っておられる。昨夜東京で五木先生とお会いした際に明日福井で吉川さんの会があるのよって話したら是非このサイン入りのまだ発売されていない「人間の関係」を持っていってよといわれたのよ!!R.Cの時にお世話になったので是非届けて!!と言われたので持ってきましたと壇上でいただいた。是非手にとって読んでいただきたい。
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 12月8日~20日まで京都・嵐山にある天龍寺塔頭の宝厳院の書院を使用し、又、獅子吼庭園や枯山水、苔などのあるお庭でのアブダビの有名書家ムハンマド・マンディさんとの二人展「書の世界」が始まろうとしている。

 いろいろなことが巡ってきてどんな感性でどう整理すればよいかをここ数ヶ月やってきている。あの緑の多いアブダビの首都。常に花壇や町には花花である。そういう都市環境を砂漠の中に作り、それを常々維持していることへの驚き、柑橘類は100%自給自足。これはどの国を指しているのだろうか。全く暑いし、砂漠のど真ん中だから不思議である。

 そんなことを何回かのUAE訪問で知り、マンディさんとの二人展はどんな構え方でやるのかを常日頃から思考してきた。彼のふる里満天の星のもとにある壮大するアブダビの赤沙砂漠のもとにある「明かり」と140年間非公開の宝厳院の獅子吼庭園の「闇と明」この中でうごめくアラビアの書法と日本の書法によって「途方もない」と感ずる舞台を創りたいと考えています。

 お寺を巡っての思考は、やはり私が主体となってやらなければならない。日本には、宗派もたくさんあってそのお寺さんは何派で仏様は何であり、経は何であるかなど基本と根本に対しての感応が日本では大切で、イスラム教のようにアラーの神という"それそれそれだ"ということからの場の求め方はチョット違っているように感じている。

 従って、今、日本は宝厳院での禅は、天龍寺派とは臨済宗とはなど、などすべてが?で取り巻かれている中で吉川壽一はどんな仕事をしどんな"途方もない"を見せられるのか、頭の中は秒単位で廻り続けている。赤沙砂漠に対しての壮大さを思考しなければ悩みはほとんどないが、時代が2007年そして師走。あと何日で2008年の新しい年の幕が開くという"時"だったらおのずと解はよりよい壮大ということではないだろうか。
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 昨年の「第8回世界宗教者平和会議(WCRP)が京都にて開催され、その開会式の時に「道」字を揮毫することになった折も立正佼成会の庭野日曠会長はじめ、WCRPの関係の方々、そして他の宗教者の方々のご推薦をいただき、NEW YORKのWCRPの事務総長のウィリアム・ベンドレイ博士と京都で拝眉し、「道」字の3書体の5m×8mの実物の迫力を見ていただいた「御縁」が始り、今日も続いている。

 先日の立正佼成会福井教会・創立50周年記念式典では、左右対となる10m×3mの白布に「慈心・躍動」を7000名の方々がサンドーム福井に集まられる中で迫力十分に揮毫ができた。

 そして、昨日は、東京・中野にある立正佼成会の普門館の全国の青年幹部6000名が集まられる中平成19年次青年幹部大会が幕を開けた。太鼓が打鼓される中、愈々登場となった。若い方々の熱き視線とみ仏様・開祖様に対する謙虚さそして会長先生・光祥さまに対しての熱情などが会場に一固となって雲のごとくに存在していることを大筆を持ち15m×5mの白布の上に出て、大筆を置き、みなさんに「お願いいたします」と手を合わせた時に一瞬悟らせていただいた。

 こういう青年の息吹が「存在・ある」ということがわかり、一瞬にして気迫が蘇ってきた。5m×5mに三画の「大」の文字を昨日の夜も悩み続けた。3つの画数しかない文字であった。しかし6000名の気迫が入ってきたのか3画目の右ハライの線は何かが乗りうつったかのようにグイグイと右上に振り出し、迫力十分にSYOINGできた。

 そして「志」字。ここは少し楽しく、大きく、「士」字を書き、士字の終画でペットボトルに入った青き塗料をバンバンブッカケタ。そして心字の一画をうなり声を上げ、書き進む。そして二画目の止めにて又、バンバンブッカケ心字の中央の点を1m以上筆を振り上げて打ち込んだ。そして最終画は「ウェーン」という叫び声だったか「バァーン」と打ち込んだ。万雷の拍手が襲ってきたという表現が正しいくらい激しい「刻」を感じた。6000名の心がひとつになることの「大きさ・強さ」を感じた。立正佼成会次代会長の光祥さまとも拝眉を賜った。何回もお会いいただいているので笑顔・笑顔だったが、この1年間に賜った大きなご縁を一瞬思い出し、ハット目頭が熱くなった一瞬だった。今日も又「熱魂」をいただいた1日だった。
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 「日本の書法とアラビア書法」ということの方が正しいと感じているが、それは実作家としてのアブダビのムハンマド・マンディ氏と日本のJUICHI YOSHIKAWAの両雄展であり、出会いの二人展だからである。

 どんなコンセプトでと数回のメールが入ったり、問い合わせが来ているが、コンセプトを整えて作品展をするというのは二人の個が近似値値する時であり、これだけのSYOINGも書法も変幻している2人であればそんなフラットなる近似値を求めるのではなく、大いに離れ離れのところから奏でる風韻や音響をもとにしての作品展がよりBETTREと感じている。

 アブダビのムハンマド・マンディさんの実力はパットお会いした時からもうすでに実力が把握できているし、AUN(アウン)がしのび寄ってきていて自然体で2人の身体は天空や宇宙をさまよいはじめていたし、私が「愛」の文字をSYOINGすればかなり大きな平筆をパット手にとって右から左への書法で5mの空間を大なるアラビア書法を展開される。そして愛=HEARTということでハートの形をアラビア書法の線と線の中間へパット揮毫されたりする。

 詳細さや厳格なる楷書体。様ではないにしてもこれだけの感性を有する人には私はドバイでもアブダビでもお会いしていない。それだけに日本の書家同志の感性だっていまいちの世の中にあってアブダビで幸運にも凄い感性の持ち主にお会いしてしまったことになる。

 どんな変幻にも対応し、感応しての作品づくりに2人は自信しているとマンディさんも私も感じているが、2人にとっては品格・格調なのではないかと思う。どんなテーマ、どんなコンセプトでもよい。たとえばコーランを揮毫することならば写経である。ここでも日本の現在の写経は見るかげもない程に奈良朝に負けている。精神もそうだが、現代の写経体を有していないし、こなしてもいない。経を写すことはうつすことではない。そんな甘い甘い写経があること自体がおそろしいことである。

 コーランを写す土壌は日本ほど汚れていないと思える。なによりも品格を格調を有している作品が頭上しなくてはいけない。二人展も同様に。
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