世界はキラキラおもちゃ箱・第3館

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小さな小さな神さま・1

2017-05-20 04:18:11 | 月夜の考古学・第3館


  1

 昔、どことも知れない深い深い山の奥に、小さな谷がありました。
 谷は、青々と、湿っていて、絹糸のようなせせらぎや、日の光に力強く盛り上がる緑や、たわわに実る木の実、梢や水辺を飾る色とりどりの花々などがあって、それは美しいところでした。
 せせらぎには、磨いた水のかけらのような透明な魚が、川底の石に紛れた珠玉のように息をひそめていたり、冠のような角をした鹿や、翅に瑠璃をはめこんだ蝶々などが、水を飲みに訪れました。樹上には品よく装いした小鳥たちが巣作りにいそしみ、枝々にはどんぐりを追いかける栗鼠が走りました。
「ああ、美しいなあ。こんなに美しいところは、きっとめったにないに違いない」
 さて、今、谷をおおうもやの向こう、小さな山のてっぺんに、ちょこんとお座りになって、ため息を深々とつきながら、谷を見下ろしておられる小さなお方は、いったいどなたでしょう?
 きらきらしいお顔立ちに、穏やかでやさしいほほ笑みをうかべ、豊かとは言えませんがやわらかくつややかなお髪を、ちまりと角髪にまとめておられます。赤子のようなお姿をなさってはおりますが、このお方は、この小さな谷をつかさどっておられる、りっぱな神さまでありました。
 この神さまのご本名は、大遅此芽稚彦の神さまと、おっしゃるのですが、ここでは単に小さな神さまと、呼ばせていただきましょう。
 小さな神さまは、しばし満足そうに谷をごらんになっておりましたが、やがてひょいと腰をお上げになると、ほんの一足で谷のせせらぎに降りられ、みぎわに咲いている小さな花に尋ねられました。
「野の花よ、風や光のぐあいはどうだい?」
 すると花は、恥ずかしそうに頭を垂れて、言いました。
「風も光も、ちょうどよいぐあいです」
「そうか。ここで花を咲かせているのは、どんなぐあいかな?」
「とてもうれしいことです。幸せなことです」
「それはよかった」
 小さな神さまは満足してほほ笑まれると、また一足で、今度は木の上の巣のほとりへとゆかれました。
「どうだい、卵のぐあいは?」
 小さな神さまがお声をかけられると、母鳥は、そわそわと翼を動かしながら、言いました。
「はい、順調です」
「そうか。ここで巣作りをして、どんなぐあいかな?」
「ここは暖かく、食べるものもいっぱいあって、子育てにはとてもよいぐあいです。赤ちゃんが生まれたら、ご報告にまいります」
「そうか」
 小さな神さまはうれしそうにうなずかれますと、すいと天に上られ、そのまま飛ぶように天を走ってゆかれました。
 小さな神さまは、谷の一番奥の、小さな滝のところへとゆかれました。その滝の向こうには、小さな神さまが最も丹精してこしらえられた、水晶の洞窟があるのです。
 滝は、頭上を深い緑におおわれた、つややかな黒い崖に、ほっそりとかかっておりました。小さな神さまが滝に近づかれますと、微細な水の粒がしっとりと辺りを包み、光が頭上の梢から射しこんで、小さな虹がいくつか、水気の中に遊んでいるのが見えました。そして、その薄衣のような帳を、小さな神さまがくぐられますと、辺りは急に夜になりました。
 暗く湿った洞窟のあちこちには、天井にも壁にも床にも、水晶の株が無数に植えこんであり、それは輝かしい昼の神を畏れて、星々がすべてこの小さな空洞に逃げこんできたかのようでした。滝がもたらす冷気が、ひえびえと辺りに満ち、微かな空気のそよぎが、水晶の内部に秘められた弦をやさしくかなでて、それは静かで、清らかな宇宙の水辺のせせらぎを思わせる涼しい音楽となって、小さな神さまのお耳を楽しませるのでした。
 洞窟の中央には、小さく平らな岩が横たわってあり、小さな神さまはそこをご自身の御座と決めておいででした。小さな神さまはその小さな御座にお座りになりますと、ひととき水晶たちの調べに御魂を泳がせ、やがて歓喜の息をおつきになりました。小さな神さまの吐息からは、時折小さな星のような光が生まれて、それはしばらくふわふわと空中を漂い、やがて水晶の柱の一つに、ひょいと吸いこまれました。すると水晶は、瞬間燃え上がるように青く光り、ぱちぱちと音をたてながら震えました。しばらくすると何もなかったかのように静かになりましたが、小さな神さまは、水晶の内部で、繭をほどくように先ほどの光がほぐされていくのを、ごらんになりました。やがてその小さな光の糸は、ゆっくりと再び織り上げられて、新しい水晶の株がまた、この世に生まれてくるのでしょう。小さな神さまは、そんな水晶たちのつつましやかな仕組みが、こつこつと行われていく様子を、目を細めながら喜ばれました。
「ああ、よい」
 小さな神さまは、おっしゃいました。すると、小さな神さまがそうおっしゃったとたん、谷じゅうの生き物が、同時に喜びに震えました。小さな神さまが喜んでいらっしゃる。それは谷の生き物たちにとって、この上ない幸せでありました。小さな神さまがこの谷に住んでおられ、にこにこと笑顔でいらっしゃる限り、この谷は永遠に平和で、美しくあることができるのです。ですから、この谷の全ての生き物は、今とても幸せでした。あまりにも幸せすぎて、小さな神さまが時々、ほんの少しの寂しさにお胸を染められることに、誰も気づくものは、ないほどでした。

   (つづく)





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