パオと高床

あこがれの移動と定住

徳永洋『横井小楠』(新潮新書)

2008-10-17 03:06:00 | 国内・エッセイ・評論
勝海舟の『氷川清話』の「人物評論」をつらつら読んでいたら、横井小楠にぶつかった。この本にも度々引用されていたが、 「おれは、今までに天下で恐ろしいものを二人見た。それは横井小楠と西郷南州とだ。」 「その思想の高調子な事は、おれなどは、とても梯子を掛けても、及ばぬと思った事がしばしばあったヨ。」「横井の思想を、西郷の手で行はれたら、もはやそれまでだと心配して居たに、果して西郷は出て来たワイ。」 「かれは、ひと通り自己の見込みを申し送り、なほ、『これは今日の事で、明日の事は余の知るところにあらず』といふ断言を添えた。おれは、この手紙を見て、初めは、横井とも言はるる人が今少し精細な意見もがなと思ったが、つらつら考へて、大いに横井の見識の人に高きもののある事を悟った。世の中の事は時々刻々転変窮まりなきもので、機来り機去り、その間、実に髪を容れずだ。この活動世界に応ずるに死んだ理屈をもってしては、とても追い付くわけでない。横井は確かにこの活理を認めて居た。」 と、こんな感じだ。それにしても勝海舟の語り口は面白い。勝海舟というのも十分変な人だが、この『横井小楠』という一冊、熊本生まれの著者の小楠への思い溢れる入門書だ。かつて、司馬遼太郎が『花神』で示した、変革期における思想家、戦略家、技術者の段階で考えると、小楠はどの位置になるのだろう。体制を作る技術でいけば最終段階の技術者なのかもしれないが、その図版を描いたという点では思想家だったのかもしれない。ただ、思想家というには観念を具体化していたといえるだろうか。この本の副題は「維新の青写真を描いた男」となっている。1869年、明治二年に刺客に殺されたところを考えると、大村益次郎に重なったりもする。制度を練り上げるための困難を具体的に解決していける手腕を持った技術者。そして、それはヴィジョンを明確に描き出す理念を抱えこんだ柔軟さから生まれるものなのかもしれない。この流動性の表層が誤解を受けないためには、時宜の先を見通す視力が必要なのだろう。近視眼にはわからないのだ。そして、そのために多くは凶刃に倒れてしまう。歴史の中から、ぬっと現れる魅力的な人物。江戸時代の後半も、様々な個性のるつぼだ。もちろん、ヒロイックな個性にだけ時間が収斂されるわけではないのだが。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 佐々木幹郎『アジア海道紀行... | トップ | 渡辺玄英『けるけるとケータ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

国内・エッセイ・評論」カテゴリの最新記事