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ドナルド・キーン『日本文学史 古代・中世篇四』土屋政雄訳(中公文庫)

2014-02-13 11:19:54 | 国内・エッセイ・評論
ドナルド・キーン単独の日本文学通史である。僕が今回読んだのは、その一部も一部、ほんの一部、「古代・中世篇四」の中の、「新古今集の時代」。
面白かった。単に学問的な(お勉強的な)本ではなく、歴史を読む愉しさを味わうことができた。
歴史的資料を示し、それから推察できることを書く。そこに一般性とキーンの着眼が書き込まれている。文学的資料も当然、提示され、それについての鑑賞、批評を加えていく。きちんとした手順が踏まれているのだ。しかも、その手順が堅苦しさを感じさせない。通史的な流れと同時に、その作品、作者のそれぞれにも言及していく。また、手法やスタイルの特徴や文学史的な位置も記されていく。つまり、面と垂線で描きだされた立体性があるのだ。読む「文学史」の醍醐味かもしれない。

「新古今の時代」は序文、「本歌取り」、「歌合」、「定歌数」、「後鳥羽院と『新古今集』の編纂」、「『新古今集』の内容」、「藤原定家」、「西行」という章構成になっている。
例えば、「本歌取り」。

  『新古今集』の歌人の借用しかたには、いくつかの暗黙の前提がある。
 まず、歌人に作歌意欲を起こさせるのは、自然観照や情緒的な直接体験
 にかぎらないということである。過去に読んだ歌の数々も、それに劣ら
 ないインスピレーション源となりうるし、むしろ、過去の作品となんの
 関係もない歌より、その一部を下敷きにした歌のほうが深い内容をもち
 うると、『新古今集』の歌人は信じていた。また、一読して本歌がわかる
 ことを読者(同じ宮廷社会の住人)に望んでいた。そして、その本歌か
 ら何百年もあとに生きている作者が、本歌の意味をどう変化させること
 で自分だけの感情を伝えようとしたのかを、読者が的確に読み取ってく
 れるものと期待した。この手法を「本歌取り」と呼ぶ。本歌取りが『新
 古今集』以前から行われていたことは、すでに見たとおりだが、その可
 能性を最も深く追求したのは『新古今集』である。

そして、『古今集』の僧正遍昭の歌と式子内親王の歌を例に引く。

 わがやどは道もなきまで荒れにけりつれなき人を待つとせしまに
              (僧正遍昭)
 桐の葉も踏み分けがたくなりにけりかならず人を待つとなけれど
              (式子内親王)

さらに式子内親王の歌は、『和漢朗詠集』の白居易の句に基づいていて「いっそう大きな余韻を生んでいる」と書き示す。

 秋の庭には掃(はら)はずして藤杖(とうちょう)に携(たずさ)はて
 閑(しず)かに梧桐(ごとう)の黄葉(こうよう)を踏(ふ)んで行(あ
 り)く
               (白居易)

このあとにも幾つかの歌を引き、「本歌取り」の変遷を語り、比重の変化や美意識の動きなどを論じる。そして、こんな推察を加える。

  『新古今集』の歌人たちが本歌に使った歌には、平安朝がその黄金時
 代にあったとされる三百年ほど前の作品が多い。宮廷社会が無秩序の恐
 怖におびえずにすんだ過去……その過去への郷愁が、本歌取りという形
 をとって、『新古今集』の「新古典主義」を生んだのかもしれない。
 (中略)
 だが、平安末期に貴族階級が没落して厳しい生活を強いられ、過去の歌
 に栄光の時代への憧れをかきててられるようになったことと、本歌取り
 が方法手論的な自覚のもとに行われるようになったことことのあいだに、
 なんの関係もないとは考えにくい。

このあと、藤原定家が提唱した規則が要約される。

 一、『古今集』『後撰集』『拾遺集』の三代集を中心とする古歌(『万葉集』
  や『後拾遺集』も含まれる)のうち、すぐれたものを本歌とし、その
  一、二句、せいぜい二句と三、四字程度を取り込む。
 二、取った歌句は一首全体の中で本歌と異なった箇所に置くことが望まし
  い。
 三、四季の歌を取って恋や雑の歌を詠むというように、本歌の主題をすっ
  かり変えることが望ましい。

 また、近い過去を含め、同時代の歌から取ることは厳しく戒められた。

ただ、この本でも引用されているが、定家自身がこの戒めを破って詠んだ歌もある。寺山修司、どうする?

95ページほどのうち30ページほどが「藤原定家」の章になっている。定家と後鳥羽院との確執や定家とそのライバルとの話などのエピソードが面白い。そして、ドナルド・キーンによる鑑賞と批評が書き込まれた定家の歌を味わうことができる。こんな一節が書き込まれている。

  定家が青年時代に詠んだ歌は、その難解さから「達磨歌」と批判され
 た。禅問答のようにわかりにくいという意味である。後年、目に見えて
 保守的になってからは、歌もわかりやすくなった。しかし、長い間批評
 家泣かせだった達磨歌も、象徴的イメージによって三十一文字の中に哲
 学的観念を盛り込んでいる点が、今日の歌人には魅力的に映るらしい。

もちろん定家を批判しているわけではない。本邦雄などなどを連想できて愉しい。
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