ジネンカフェだより

真のノーマライゼーション社会を目指して…。平成19年から続いているジネンカフェの情報をお届けします。

ジネンカフェVOL.112レポート

2017-04-11 09:45:32 | Weblog
6年前の3.11、私たちはどこで、なにをしていただろう? 私は確か自宅にいて、午前中からPCと向かいあっていた。その日の午後、何気なくTVをつけたら、家とか車が津波によって流されて行く映像が映し出されていた。「なんだ、これ?」それが私の第一印象であった。東北で大地震が起こり、建物の倒壊や津波によって多くの被害が出ていることを知ったのはその後だ。それがあのような大災害になろうとは、想像も出来なかった。あの震災で多くの方々が犠牲になられた。いまでも行方が解っていない方々もいらっしゃる。まちの復興も、人々のこころの復興も、まだまだこれからで、福島原発も含めてあの震災が抱える問題も、まだ解決してはいない。しかし、それについて今回はテーマではない。あの大震災からこちら、日本中のあちらこちらが揺れている。まさかの御嶽山の噴火もあったが、東海地方は何故かぐらりともしない。気持ち悪いぐらいだ。こんな時だからこそ身を引き締めるべきだろう。それでなくても、東海地方でも南海トラフ地震がいつ起きてもおかしくない現状におかれている。今回は過去の災害から〈自然災害から我が身や家族の身を守るにはどうすればよいのか〉を学ぶために、災害ボランティアコーディネーターで、エンジェルランプ代表の椿佳代さんをゲストにお招きした。お話のタイトルも、ズバリ『自然災害から身を守る3つの秘策~みんなができれば怖いものなし!!』

【災害に備えて非常食も用意しておこう】
椿さんはこの日の午前中、久屋大通公園で行われる追悼記念式典の準備に行っていたそうだ。6年前の東日本大震災は、椿さんたち災害ボランティアコーディネーターにとっても衝撃的なもので、それまでは「災害時のための〈非常持ち出し袋〉を用意しておいて下さい」とは言っていたものの、「〈非常食〉を3日分用意しておいて下さい」とはっきりと言って来てはいなかったという。それにも理由があり、自然災害に遭って餓死した人はいなかったからだ。しかし、東日本大震災では食べ物がなくて亡くなられた方もいらっしゃるので、それからは食料もしっかり確保しておきましょうと言うようになったのだという。南海トラフ地震が起きた場合、もしかしたら一週間は食料が届かないかも知れないといわれているのだ。

【東日本大震災と南海トラフ地震の相違】
東日本大震災のことを考えてみると海側でドンっと起こっているが、南海トラフではもっと陸側で起きると想定されている。なおかつ距離的には同じでも、東日本大震災は岩手・宮城・福島で大きな被害が出たのに比べ、南海トラフは静岡から九州の入り口までが一緒に揺れるのだ。都市名だけでも多いし、それに加えて京阪神の工業地帯や人も、ものも多いので被害は東日本のそれよりも大きくなるだろうと予測されているという。

【災害に打ち勝つための3つの秘策】
災害に打ち勝つための3つの秘策とは言うものの、これは全然秘策でもなんでもないのだが、平常時には差し迫った生命の危険はないし、非常食を用意しましょうと言っても、食べ物がなければ財布を持ってコンビニに行けば食料は手に入る。そういう状態で生活しているのに、災害対策のために水や食料を備えましょうと言ったところで、やはり備えて貰えない。なので椿さんは防災についてお話をされる際に、〈災害に負けないという強い意志を持つ〉〈防災の知恵を身につける〉〈誰よりも備える〉この3つを「秘策」と称してお話をされているという。

【地震に打ち勝つには…】
地震に打ち勝つために必要なことは〈丈夫な家に住む〉〈家具や家電を転倒防止のためにしっかりと天井とか壁に留めておく〉〈ガラスの飛散防止フィルムを貼る〉この3つが重要で、よく「水や食料を用意しています」と言う人がいるのだが、水とか食料は揺れている時には必要がない。揺れている時には身を守らないと。車いすの方はブレーキをかけていれば少々の揺れでは動くことはないが、パーカーでも構わないので、とにかく地震が起きたら先ずは身近なもので頭を守らないといけない。阪神・淡路大震災の時はテレビが飛んで来て頭に当たり、体には何の損傷もないのに頭蓋骨の陥没骨折でお亡くなりになられた方や、机の下に潜ったのはよいのだけれど、建物の強度が弱ったためにご遺体が机の下から発見されたケースもあるそうだ。だから常に自分がいるところの状況を把握し、避難経路を考えておいてほしいという。

【幸いにして未災地にいる我々は…】
災害が起きて椿さんたち災害ボランティアが被災地に入ると、被災された人たちから一様に聴く言葉があるそうだ。「まさか自分がこんな目に遭うとは思わなかった…」「自分だけは大丈夫だと思っていた」「こんな目に遭うと解っていたら、もっと用意しておいたのに…」それはいつ、いかなる被災地においても同じだという。幸いに未災地にいる名古屋圏の人たちはまだ備える時間があるので、ぜひ防災の知識を身につけて、備えて下さいとお話を依頼される度に椿さんは伝えておられるそうだ。

【それは〈非常持ち出し袋〉になりません】
非常持ち出し袋について「夜寝る時に頭の上に置いてある」という人がいるが、災害は夜に起きるとは限らない。日中起きて避難しようとした時に、そうなるとわざわざ寝室まで取りに行かなければならないことになってしまう。非常持ち出し袋が幾つか用意出来る場合はところどころに置いておけばよいが、普通は自分が避難する時に持って出るものなので、その時にすぐ持って出やすい場所に置いておくことがよい。よく「非常持ち出し袋は用意してあるが、押入の中にいれてある」と言われる方がいるが、それでは〈非常持ち出し袋〉にはならない。同じように〈非常持ち出し袋〉に何を入れておくかも、その家庭や個人によって様々なので、非常持出袋は家族一人にひとつ用意し、自分に必要だと思うものを入れておけばよいという。

【玄関周りはさっぱりと】
そしていざ避難しようとした時に玄関周りに靴箱があり、それが地震の衝撃で倒れて逃げ道を塞いでしまったり、姿見などがあってそれも倒れて鏡が割れて飛び散ったりして足下も危険な状況になることがあるので、なるべく玄関周りには何も置かないか、置くのなら壁に固定して避難経路は確保しておいた方がよいそうだ。

【3R8Kで備える備蓄と非常食】
非常食は何日分用意すればよいかと言えば、内閣府や名古屋市や愛知県からも〈一週間分は用意しておいて下さい〉という通達が出されているそうだ。それは一週間まるごと非常食でという意味ではなく、普段から食べるものを多めに買っておき、使っては買って、使っては買ってというふうに、ランニングストックをしておきしょうということだ。3R8Kというのは、3R=冷蔵庫・冷凍庫・レトルト食品のことで、8K=米・缶詰・乾物・乾麺・カップ麺・氷砂糖・菓子・乾パン。みなさん異口同音に「非常食に乾パンを用意してあります」と言われるのだが、普段から乾パンを食べてないのに、災害時に食べられるか? という話で、普段美味しく食べているものを被災後も食べられるように在庫をストックしておいて、調理もできるようにカセットコンロとかも用意しておくとよいという。被災後に救援物資が来るようになるまでに、どういうものを家の中に置いて食べられるかを考えておくとよいと、椿さんは思っている。しかし、非常食で気をつけなければならないのは〈塩分過多〉になってしまうことだ。最近の非常食は昔と比べて美味しくなっているが、それだけに味が濃いために普段は塩分控えめな食事を心がけている人でも、塩分過多になって血圧が上がったりする危険性があるというのだ。

【自分の生命を繋ぐための手段】
健康な人はそれでなんとか一週間ぐらいなら過ごせるが、病気の人や持病を持っていて定期的に病院に通って治療を受けたり、薬を処方して貰っている人たちは、薬が途切れたら体調を維持することが難しい。そういう人たちは災害に遭ってもすぐにどんな薬を処方されているのかわかるように薬の予備や〈お薬手帳〉を持っておいて、それをみせたらすぐにその薬を貰える状態にしておくことが必要だ。また、なんらかの医療処置が必要な方や、在宅医療を受けている方たちも災害時には厳しい状況になるという。災害による負傷者が出てそちらの医療行為も必要になり、DMATも入ったりするのだが、日常的に医療行為が必要な方たちよりもそちらの方が優先されるからだ。人工呼吸器などの電子機器を使っている方たちの電源確保も重要な課題になる。東日本大震災の時には車のバッテリーから電源を取ったそうだ。電圧が不安定なので本来は医療機器には使えないのだが、緊急時ということで使用していたらしい。現在ハイブリッド車や電気自動車があたりまえになって来て、いざという時にはそこからも供給出来るようになっているが、そういう方々は自分の生命を繋ぐための手段を幾つか考え、用意しておいた方がよさそうだ。

【ペットと一緒に避難するには?】
ペットを飼ってる方の心配は、そのペットを避難所に連れて行けるかどうかだが、名古屋市の場合は一応OKになっているそうだ。しかし、そこの避難所を運営する方々の判断に委ねられているのが実情。ペットの食料やトイレの砂とかを用意してケージに入れて連れて来て下さいと言われるとか。熊本震災の時にゲージがなくて咄嗟に猫を洗濯ネットに入れたので、洗濯ネットが歩いているようにみえたという笑い話のような話があるが、咄嗟にはゲージでなくても何でもよい。宮崎の水害の時にペットを置き去りにして避難して、水が引いて掃除をするときに物陰にペットの死骸が発見され、それが原因でPTSDになってしまったという話もあるそうだ。その後、ペットの愛護団体が水害時に使える犬用・猫用の浮き輪をペットボトルで作るのをひろめていたという。人は生まれてこの世を去るまでいつの時点で災害に遭遇するか解らない。だから0歳児には0歳児の防災が必要だし、高齢者には高齢者の防災が必要になる。災害が起きてもその後の自分の余生を恙なく送れるように環境を整えておかなければ。それと同じでペットも共に暮らしている方にとっては家族も同然なのだから、災害が起こっても餌や水が食べられたり飲めて、猫としての日常生活が送れて生を全う出来るような環境を整えてあげないといけない。

【災害はTVの向こうの世界?】
人間というのは残念なことに、自分の経験値以上のことは想像つかないように出来ているらしい。何か災害が起こるといっても、「前も大丈夫だったから、今回も大丈夫だよね?」となりがちで、どこそこで災害が起きてもそれはTVの向こう側の世界で、我が事として捉えられないから、備えも出来ないのだろうという。

【出先で災害が発生したら…】
出先で災害が発生した場合、電車が動くかどうか解らないし、出先にたまたま避難所や居場所があればよいが、ない場合もあり、知りあいも誰もいない場合のことを考えて、この駅で被災した時にはどうすればよいのか? 一番近い避難所はどこかなど調べてシミュレーションしておく必要がある。介助が必要なら声に出して頼まなければいけないし、自分がどうしていると気持ちが安定しているか、精神的な面だけではなく物理的な面(バリアフリー)も含めて、考えておく必要もあるという。

【ライフラインの復旧は?】
椿さんが災害のお話をされる時に、よく尋ねられるのは『ライフライン』の復旧までに何日かかるかだという。つまり水道や電気やガス、そして電話だ。しかし、同じ地域で災害を受けていても、その地域によって復旧の時間も異なるので一概に言えないし、災害の規模によっても復旧までの日数も違ってくるので、最悪の状況を想定しながら備えるものを備えるようにしておきたい。


【トイレが流れない…さて、どうする?】
水洗トイレがあたりまえに完備されている現代にあって、ひとの糞尿処理はほとんど手を汚すことなくレバーかボタンだけで済ませられている。しかし、災害が起こって上下水道管が破損し、水道から水が出ないし、排水も流れない…となった時にどうすればよいのか?
椿さんもはじめて訊かれた時に答えられなかったという。トイレに関しては自宅が倒壊せずに残っていれば、ポリ袋を用意しておき、満杯になったらその袋を蓋付きのバケツに入れ、ゴミの収集がまわって来たらやっと出せる…みたいなところだそうだ。そういうことは知識として得られなければ解らないことで、だからこそ椿さんたちは災害に打ち勝つ秘策として、〈防災の知恵を身につける〉ことを勧めているのだ。

【運は身につけるもの】
椿さんが熊本に行った時、熊本の災害支援の方たちと話していて「運は身につけるものなのですね」と言われたという。よく「地震が来たらそれはその時の運で、死ぬときには死ぬし、怪我する時には怪我するし、生き残れる時には生き残れる。その時の運だ」と言われる方がおられるが、その熊本のひとが言ったのはそういう意味ではなく、防災の知恵を身につけておけば、いろいろな判断が出来るようになる。南海トラフが起こるとしても、お住まいの地域が震度幾つで揺れるかとか、大雨が降った時に家の近くに川がないか、避難経路上に危険な箇所はないか等々、学んでいれば生命を落とすこともないが、それがなく何となくで生きていると判断材料が少なくなり、怪我をしたり、生命を落とす結果になるという意味で「運も身についている」ということなんだと思ったという。

【避難所での生活】
熊本から帰る飛行機の中から街中をみると、ところどころの家にブルーシートが掛けられていた。これは被災後に瓦などが落ちて雨漏りが酷いのでかけられているのだが、まだシートが掛けられている家はよい方で、掛けられていない家々もあったそうだ。屋根にブルーシートを掛ける作業は、高所作業になるので特殊ボランティアの作業か業者がすることで、一般のボランティアでは出来ないのだ。どちらにしてもこの状態では住めないので避難所で寝泊まりすることになるのだが、避難所になるところは学校の体育館とか公民館などの床に布団などを敷いて、そこで何日も生活しなければならない。当然車いすの人や高齢者はベッドでないと寝起きがままならないから、そういう人たちに配慮された避難所を運営している人がいるかどうか。福祉避難所に指定されているところはいくつかあるものの、災害が起きてすぐに開設されるわけではないという。一般の避難所が立ち上がって、そこではケア出来ない人が出て来てはじめて福祉避難所が立ち上がるという仕組みなので、災害が起きたら直ぐに入れるわけではないとのこと。指定避難所でないところでもちょっと広いところでブルーシートを敷いて、みなさんがそこに集まっているところもあるし、ペットを飼っている人たちは避難所の外で寝泊まりしているという。

【避難所での食事は…】
熊本震災の時のある避難所での食事は、一ヶ月ぐらいは基本的に缶詰めに菓子パン、おにぎり、カップ麺。炊き出しがあればよい方。一ヶ月が過ぎてやっとお弁当が加わる。けれど、それも三食ではなく、一食がお弁当であとはパンという程度。その地域によって必ずしもそうではないかも知れないが、椿さんが入った地域がたまたまそういった状況だったという。

【トイレ問題】
トイレ掃除は女性だ…みたいなことになっているけれど、誰でもトイレ掃除が出来るようにしておかないと…。何故かといえば、トイレは生命と直結しているからだという。汚いトイレは万病のもとで、最近はどこのトイレでもキレイになっている。椿さんが熊本で経験した避難所のトイレには、「使用後は水を流して下さい」と張り紙がしてあった。ということは上下水道管とも壊れていない状況だと解る。その一歩前、水があまり使えない状況になると「オシッコは流さないで下さい。ウンチをした人は水を流して下さい」という状況になる。とにかく避難所のトイレは直ぐに汚くなるので、トイレをきれいにしましょうと言っているとか。簡易トイレも来るけれど、臭くて汚くてなかなか使えないそうだ。トイレが汚いと、トイレを使いたくないという理由から、トイレを我慢して、飲食も控える。そうすると免疫力の低下に繋がり、あらゆる健康被害の温床になるのだ。それが悪化すれば、死に繋がってゆく…。だから、トイレはきれいにしておかないといけないのだ。東日本大震災の時に東松島市の保健師さんが余震も落ち着いたので、各避難所をまわったところ、あるひとつの避難所を若いお母さん方が運営されていて、トイレがピカピカだったという。その避難所からはノロウイルスやインフルエンザの感染者はひとりも出なかったという。

【一番よい被災生活とは?】
そのお母さん方は、避難者のひとりひとりの様子を観察していて、「この人はちょっと元気がない」とか「動いていない」などの記録を書きためていて、医療関係者が入った時にその記録を渡し、ひとりひとりについて説明していったら、的確な医療行為や福祉避難所への移送などができたそうだ。そんなふうに人を見る目を持っている人たちが避難所を運営されていると、不安や恐怖心を抱えた避難者たちが少しでも安心出来る場になる。避難所に行かないことが一番よいのだが、それにはそれ相応の準備をしておかないといけない。それでもし余力があるのなら、自宅での生活を続けながら、避難所でお手伝いをしていただくということが一番よい被災生活だという。

【避難所の実情を知っていますか?】
避難所というのは大概地域の学校の体育館になるのだが、そこに毛布が何枚あるとか、食料はどんなものがあり、備蓄がどれぐらいあるか、知っているだろうか? 大概のひとはわからないと思う。防災講座をしていると、避難所に行けば何とかなると思っているひとが結構多いのだが、現状はそういうことでもないという。現在増やしつつはあるそうだが、基本的には一般的な避難所で毛布は50枚。その毛布をどういう人に分けるかという話しあいがなされていればよい。しかし、我先に欲しいという人たちに毛布を渡していたら、高齢者や体が弱っている方たちに行き渡らなくなってしまうというのだ。

【震災関連死は人災?】
東日本大震災では本当に多くの方が犠牲になられた。資料として被災現場の写真や動画を見せるのは簡単なのだが、お亡くなりになられた方々の気持ちを伝えることは、私たちは出来ないと、椿さんはいう。こんな目に遭うんだったら、こうしておいたのに…という伝えられないのが非常にもどかしいと…。交通事故で子どもさんを亡くされた親御さんたちが〈二度とこんな悲しい思いをしないために、こうしましょう〉という運動がある。自然災害の被害はいろいろとあって、地震で直接亡くなることを〈直接死〉といい、その後の生活の中で亡くなることを〈関連死〉という。熊本では〈直接死〉50人に対し、〈関連死〉
が177人にも上っている。それだけ多くの方が避難所生活で亡くなられているという実状があるという。確かにエコノミークラス症候群とか、災害に遭われた時に傷を負って手当を受けている最中に亡くなる方もおられるけれど、それは別に避難所へ来たからではない。そうではなく元気に避難所へ来たのに、避難所での生活の中でトイレの問題や、それに伴う免疫力の低下、生活不活発病だとか、脱水だとか、膀胱炎やノロにインフルエンザ…。避難所に来なければ亡くなられることはなかったのかも。そう考えると〈震災関連死〉というのは人災かも知れないと、椿さんは思っている。その震災関連死をなくすために災害系の人たちは考えているのだが、いろいろな条件や地域性が異なるから、過去の例を挙げても通用しない場合もあり、残念ながら未だに解消されていないという。

【税金の無駄遣いをなくすために】
国もいろいろと対策を出してはいるのだが、それが末端まで届いてない現状もある。最近椿さんが講演の中で〈税金の無駄遣いをなくすために〉というフレーズをよく使われているという。例を挙げると『ハザードマップ』などが各市区町村から配布されている筈なのだが、それを知っている人は少ない。これを読んで学べば椿さんの話を聴かなくても良いぐらいのもので、災害から身を守るための情報がぎっしりと書かれてあるのだが、重要なものとしての渡され方をされておらず、まるでデリバリーピザ屋の広告のようにポストに入れてあるだけで、何の説明もない。渡す方に「これは重要なものだ」という認識があったとしても、受け取る側にそういう認識がなければそのまま新聞と一緒に括られて、廃品回収に出されてしまう。これは名古屋市なら名古屋市の税金を使って作られているものなのだ。災害対策のものは名古屋市だけではなく、保健所から出しているものもあるし、警察からや消防や都市センターからもだされているのに、それもあまり知られていない。ゴミの減量にしてもそうだという。震災が起きると冷蔵庫などの電化製品は倒れて使えなくなる。そうするとゴミとして廃棄しなくてはならなくなるのだが、冷蔵庫を留めておけば倒れなくて、壊れないかも知れないのだ。電子レンジでも飛んで来て床に落ちたら、もう使う気にならない。また買わないといけなくなり、その分ゴミが増えてゆく。そのゴミを処分するのにも税金が使われるわけだ。つまり防災対策をすることは、税金の無駄遣いをなくすことに繋がるというわけである。おまけに余分な出費もなくなる。

【避難所では住めない?】
東日本大震災の時に宮城県七里ヶ浜町の避難所には、開設当初でも1800人~1900人ほどいたが、近くの石油コンビナートの火災があり、更に避難者が増加した。座ることが出来ず、立ったまま体育館で一夜を過ごしたという。学校の校舎やグラウンドも解放してマイカー組も受け入れたらしい。でも、マイカー組はヒーターが使えるうちはよいけれど、ガソリンがなくなるとヒーターも使えず、寒いので結局は校舎の中に入ってきたそうだ。東日本大震災の場合は日中だったので、家族が全員揃ってなく避難場所もバラバラで、自分の家族を探すのに車を使わねばならず、それも大変だったという。行方不明者も多く、ひょっとして…と、遺体安置所に確認に行き、でもガソリンが切れたのでそれもままならず、安否確認が出来ない状態で幾日も過ごさねばならなかったという。体育館のようなところに人がびっしりといるわけで、その中でトイレに行くのも一苦労。チェアウォーカーの方は顕著で、もう住めないと言って出て行かれる方もいらっしゃられたそうだ。

【帰宅困難者対策】
帰宅困難者対策も進められつつある。駅をイメージすると解るのだが、電車が次々に来るからひとも流れて行き、駅はひとで溢れかえらない。でも、電車が来ないのに人ばかり増え続ければ、駅は飽和状態になってしまう。東日本大震災の時、東京で電車が動いていないのに自宅へ歩いて帰ろうとした人たちで、車道に出て歩き出す人がいて車が走れなくなり、緊急車両が通れなくなったことがある。その教訓から東京でも名古屋でも、そういう状況に遭遇した時には出先に留まるような対策が取られるようになった。名古屋駅前の新しい高層ビル群の通路が広めにとってあるのは、災害時の帰宅困難者対策のためでもあるのだろう。

【椿さんが望むこと】
災害直後には医療関係者とか、いろいろな職能団体が入って支援をしてくれるのだが、自分たちの仕事が一段落したら帰ってしまう。気がかりな人がいるのだが、引き継ぐ人(先)がいないので何も言えない。そうするとまた次の人が診ることになる。それがドクターならよいが、介護関係の人だったりして、医療的になかなか連続性がとれなかったりする。そんな時には周りにいる人たち同士気を遣いあい、「調子よさそうじゃないけど、どうです? 一緒にご飯食べに行きません?」と誘ったり、「今日元気がないのよね、あの人」「気になるよね? 先生に言ってみようか」みたいな、避難所の中にいる人たちでこういう会話が交わせるようにしなければいけない。そのために椿さんは講演する時、災害があってもみなさんには家にいて、時々避難所へ手伝いに来て、そういう人になってもらいたいなと話をされているそうだ。「避難所に行けば何とかなる」ではなくて、生命に関わってくることなので、家の耐震性を高めて引っ越しをするとか、備えを万全に自宅で食事も出来て避難所に行ってお手伝いをする生活が望ましい。そういう人をたくさん作らないと、避難所は大変なのだ。なにしろ避難所運営をしたことがない人が、避難所を運営するのである。「避難所」というものが、どんなところなのか解らない人たちが集まって運営するのでわからないし、先読みが出来ない。それで後手後手になり、気がつけば震災関連死が出てしまう…。それをなくしたいのだという。

【その時、その地震、その場所によって】
避難所の問題はそれに留まらない。プライバシーがないし、熊本の場合は本震の前に割と大きな前震があり、その前後にも震度6以上の余震が五十数回あって、建物の中に居ること自体が怖いので車の中で生活する人たちが多かった。しかし、その結果エコノミークラス症候群を起こし、家に戻った人もいたとか。エコノミークラス症候群は中越地震の時から注目されだしたそうなのだが、熊本では本当に多かったという。そのようにその時、その地震、その場所によって、いろいろ被害の様相が違うそうだ。

【被災地で実際にあった話】
ある避難所で実際にあった話。そこの避難所は大きなところだったが、ある女性がトイレの前の通路を割り当てられた。しかし、トイレの前ということで衛生的に芳しくない。公共施設のトイレなど靴を履いたまま利用する。つまりその女性の鼻先をトイレから出てきた不特定多数のひとたちが行き交うのだ。不衛生このうえもないが、この女性は周りに気を遣ってか何も苦情を言わなかったという。この場合の対策としてはトイレの出入りにスリッパを履き替えてもらったり、車いすのタイヤの幅に濡れタオルを敷いたり、女性が寝ている周りに間仕切りを立てたり、知識があればそういうことも出来るのだ。障害があろうとなかろうと、そういう知識があれば「こうやって下さい」「こうしてあげないと、あの人たち病気になりますよ」ということが言えるだろう。

【ひとりひとりに対応する避難所は…】
ひとにはそれぞれの人生があり、ひとりひとり違うように、避難所での対応もひとりひとり異なるべきなのに「障害者」「健常者」「男の子」「女の子」「女性」「男性」と一括りにされてしまう。国際交流関係の人たちも「外国人」だけをまとめた避難所にすれば、良いのではないかと言っているひともいる。しかし、近くの人ばかりならよいが、遠くの人たちまでそこにまとめようとするには無理がある。LGBTの方たちやイスラム教の人たちの祈りの場やハラール食や特定の食物によるアレルギーの問題もある。これまでのような避難所運営をしていてはこういう問題は解決出来ないどころか混乱を招き、避難所を忌避する人たちが出て来よう。この問題を解決するには避難所を運営する人たちに防災の知識はもちろん、ひとに対する幅広い理解と見識が必要になってくる。しかし、実状は…。LGBTの人たちが全員カミングアウト出来ればよいが、出来ないひとが多いし、避難所を運営する人たちは割とお年を召した方が多く、そういう方々に理解が及ばないかも知れないので、現状では非常に難しいだろうという。

【マイノリティーな人々にも配慮する】
しかし、最近東京の渋谷区では、「渋谷区男女平等及び多様性を尊重する社会を推進する条例」に基づいて、男女の人権の尊重とともに、「性的少数者の人権を尊重する社会」の形成を推進し、多様な組み合わせの二者間によるパートナーシップ証明書の交付申請の受付を平成27年10月28日から、証明書の交付を11月5日からはじめている。徐々にLGBTという言葉が知られるようになったことはよいことだが、その知識がある人が運営する避難所と、ない人が運営する避難所とでは大違いだという。炊き出しの講習をする際、アレルギーの方やイスラムの方のことを気遣い、椿さんは最低限のものを作り、その方が食べられるものを足して行って差し出すのだそうだ。例えば炊き出しで今日のメニューが〈うどん〉だとすると、〈お汁〉だけを作っておく。〈うどん〉も茹でておいてアレルギーのない人には〈お汁〉に〈うどん〉を入れて「はい、どうぞ」と。アレルギーの方には〈うどん〉を入れない〈お汁〉を渡して〈おにぎり〉をプラスするそうだ。肉が駄目な方がいる場合は全体的に肉を入れず、「お肉もありますけれど、どうです?」と。プラスの食事を考えているという。そうすると、誰にでもやさしい食事になるだろう。

【避難所の環境で生命を落とす】
避難所というのは何もすることがなく、一日中ボォーとしているところだという。家にいれば植木に水をあげたり、洗濯物を取り入れたり、新聞を取りに行ったり、高齢者でも子どもでも何かしらの役割はあった筈なのに、避難所に入ってしまうと家に帰ったり、行き来するのに車がなく足がなかったり、迷惑かけるといけないからと避難所にいることになり、仕事がないので一日ボォーとしている。持って来た荷物も開けずに無気力で何も出来ないという人もいるとか。地震に遭ってストレスを受けていて、苦しい想いをされていて、この先どうするんだろう? 行方不明になっている家族はどうなっているのだろう? 怪我をしていたり病気をしている人はどうしているのだろう? と考えたりしているとふさぎ込んで動きたくなくなる。いろいろ心配で眠れなくて、睡眠薬を飲む。そうして機能低下になってくるのだ。避難所の環境で生命を落とすとは、そういうことだろう。被災のショック、厳しい生活環境。体育館はひとが住むところではなく、運動する場所や人が集まって式典をする場所なのだ。東日本大震災の時には2012年の一年間で638名の方が震災関連死で亡くなられているという。しかし、これは医者が震災関連死だと認めたもので、申請書はもっと出ている。せっかく震災から生き延びた生命が、避難所の生活で亡くなるなんてあってはならないこと。エコノミークラス症候群を起こすのは、自動車の中だけではなく、避難所でじっとしているだけでもなってしまうそうだ。認知症が驚くほどに進行してしまったとか、杖をついて歩いていた人が車いすを利用するようになったとか。

【避難所を快適な環境にするために】
災害が起きた時に慌てて立ち上げるから、こういった様々な問題が起きて来るわけで、平常時に避難所運営をする人たちを集めて、避難所を運営するにはどういう機能があったらよいか、どういうものを備えておおいたらよいかという話しあいがなされていて、災害が起きていざ避難所を立ち上げましょうといった時にそのノウハウをもった人たちが集まって開設出来れば、起こる問題も少なくなるでしょうし、問題について話し合いができるということにつながる。声を出すことも大切で、酷い環境にあったり、困ったことがあっても誰に言えばよいのか、ひとりだけわがままは言えないから、自分が我慢すれば何とかなるって何も要望しない人がいる。こういうことが重なり、要望を言わないことがよしとする空気になってゆくと、高齢者の方たちも何も出来ないストレスから体調が悪くなるということに繋がってゆくという。赤ちゃんが夜泣きをするからと、お母さんが寒い中外に出て赤ちゃんをあやすことがたくさんあったと聞いている。赤ちゃんはお母さんのことを見ているから、お母さんが大きなストレスを抱えていれば、赤ちゃんもそれを感じ取り機嫌が悪くなるのは当然なのだ。お母さんが「大丈夫だよ」「楽しいね」「嬉しいね」「いい子だね」「元気だね」「可愛いね」と言っていれば、赤ちゃんもいい気分でいる。おとなでも叱られるより、褒められる方が気持ちがよいもの。そう考えるとお母さんの気持ちが安定していないといけない。そういうような環境をつくってゆかなければいけないよね…と、椿さんは若いお母さん方に言っている。

【普段ではあり得ないことが起きるのが災害時】
平常時では考えられないことが起きるのが災害時であり、避難所なのだという。家族揃って避難している子どもたちは元気だ。学校が休校になるのと、忙しい大人の目が届かないのでやりたい放題になる。静かに遊んでいれば何の支障もないのだが、そこら辺を走り回ったり、騒がしいと大人たちに「うるさい!」と叱られて、それが6年の時間を経て子どもたちにPTSDの症状として現れてくる…。そのように普段の生活ではあり得ないことが起きるのが災害時だという。温和しい子が急に暴力的になったり、怒りっぽくなったり、落ち着いていた子が落ち着きがなくなったり、赤ちゃん帰りしたりするそうだ。

【必要な情報の出し方はそれぞれに配慮する】
避難所に届けられる救援物資の配布は大混乱。物の取り合いで、今度いつ来るか解らないから、貰えるものならなんでも貰っておこう…みたいなことになり、取りあいになってしまうというのだ。情報も解りづらいという。自分の生活に必要な情報なのか、そうでないのか区別もついていないような掲示の仕方がされているとわからない。外国人に対してもやさしい日本語やイラストで示してもらえるとよいだろうし、聴覚や視覚に障害をもたれている方たちはどういう風に案内をしたらよいのか。必要な情報の出し方はそれぞれに違う。そういうことも避難所を運営する人たちが理解しているか、いないのかによって、そこに避難している人たちがきちんと情報をもらえるか、かなり左右されるそうだ。

【男女共同参画で避難所運営を】(名古屋市は男女平等参画)
東日本大震災の後に出来た防災紙芝居に、こんな場面がある。ある避難所の運営委員の中年男性、頑張って救援物資の受け渡しをしていた。そこへ若い女性が下着か生理ナプキンを貰いたくてやってくるのだが、受け渡しを行っていたのがその男性だけだったので恥ずかしくて、貰わずにそのまま帰ってゆく…。というストーリー。男性に罪はない。自分の役割をこなしているに過ぎないのだが、運営委員の中に女性が入っていれば、こんなことにはならなかったろう。それでなくても避難所の運営は町内会長とか、区長とかお年を召した方が多く、そんな方が三日三晩働き続けて、よく「どこどこの会長さん、倒れて入院しました」ということを聞くという。男女共同参画で運営しましょうというところで、男性5人が運営しているところなら、そこに女性も5人入れて10人で運営して役割分担すれば、ちょっとは楽になるのでは…と、椿さんは思っている。女性のことは女性でやりましょうよ…と女性が言って分担すれば、男性も倒れなくても済むし、女の子も救援物資の下着が貰えるわけだ。

【救援物資の担当は女性が適任】
近頃は男性も家事を手伝ってくれる機会も増えているけれど、家の備品を旦那さん(男性)がひとりで行って、ひとりで買って来ることなどあまりない。車は運転して行ってくれても、〈トイレットペーパーはこの種類のものを買う〉とか、〈台所の洗剤〉〈トイレ掃除の洗剤〉〈洗濯用の洗剤〉などを選んで購入するのは奥さん(女性)だ。なにがいるのかを書き出すのも日頃から家事をこなしている女性ならお手の物だが、男性には苦手な人が多い。だから物資の係は、女性が担当した方がよいのだ。

【仮設住宅はバリアフル】
熊本地震の時に、熊本学園大学が福祉避難所になった。それはこの大学が福祉学科を持っていたからで、インクルーシブな避難所として近隣の誰でも、障害の有無に関係なく受け入れていた。そこの人に聞いたお話によると、仮設住宅が出来た時に割り当てられた住居のトイレが狭くて車いすでは使えなかったり、お風呂が狭くて入れないとかあったそうだ。健常と呼ばれる方たちはトイレやお風呂が狭かろうと住めるが、車いすの人はそういうわけにもいかない。つまり健常者にとってお風呂もトイレもある普通の仮設住宅が、車いす使用者にとってはお風呂もトイレもない住居と同じことになってしまうのだ。何とかしてくれと言ったら、「特別扱いは出来ません」という回答が返ってきたという。お風呂もトイレもない住居なんてあり得ないし、県の事業にしても、福祉課があるのにどうしてそこと情報交換したり、一緒に進めようとしないのか? これも縦割り行政の弊害である。

【報道されない被災地もある】
福祉避難所の必要性は東日本大震災の前から言われていたのだが、東日本の場合は被災した範囲が広く、原発の問題もあったから、あまりマスコミも取り上げていなかったのだがその点熊本ではこぞって取り上げていた。名古屋でも福祉避難所の情報はなかなか公にしないところがあって、公にすると普通の健康な人も行ってしまうからとか。被災地の情報なんて100%入って来ないと思っていた方がよいという。広島の水害が起きたのとちょうど同じ時に、兵庫県の丹波市でも水害が起きたのだが、それを取り上げたマスコミは皆無に等しかった。それは何故と言えば、広島の方が水害による被害が大きかったからだという。マスコミは同時期に水害が起きていても、どうしても被害が大きい方、悲惨な方を取り上げ、報道する傾向がある。マスコミに報道されると、そこにボランティア・救援物資・義援金が集まってくるが、報道されない被災地は市民団体のネットワークを通じてしか支援の手が入らないのだそうだ。

【避難勧告、避難指示は早めに】
広島の水害があれほど甚大な被害を出した背景には、水害が起きたのが夜中で、しかも避難勧告が遅れたことによるのだが、避難勧告や避難指示というものは、本来首長が出すもので、首長の責任には重いものがある。夜中に避難指示や勧告が出されたとしても、それに気づいて速やかに避難出来た住民はどれぐらいいたのだろう。首長は災害対策の専門家ではないから、対応が後手後手になってしまったということもあるかも知れない。

【避難準備情報】
しかし、これは行政の責任ばかりを言うのではなく、私たちも自分が避難するタイミングの判断が必要だという。車いす使用者であれば大雨や台風が来る前にバリアフリーで安全なところに避難するとか、高齢者や妊産婦さんでも明るい内に早め早めの避難が大切で、それが「まだ避難しなくても大丈夫」とか「今までここにはそんな災害来てなかったから、今回も大丈夫」みたいな『正常性バイアス』というそうだが、そのような思い込みで避難する頃合いが遅れて被害に遭ってしまう人も結構いる。避難準備情報だから避難の準備をすればよいと勘違いして、玄関に座っていたおばあちゃんがいたという冗談がある。最近では『避難準備・高齢者等避難開始』と名称は変わった。それは「速く避難してくださいね」という意味で出しているもので、まだまだ理解がされていないのかなと、椿さんは感じているという。

【大川小の悲劇からの教訓】
椿さんは東日本大震災の時の石巻市の大川小学校の被害を検証した報告書を読んだそうだが、現在の学校教育の中では、どこでもあり得るようなことだと書かれてあったとか。しっかりとした防災訓練が出来ているかといえば、出来ていないところの方が多いからだという。確かに教育現場における防災教育の必要性も感じる。子どもたちのみならず、先生たちにも。大川小学校に対して、釜石市の鵜住居小学校と釜石東中学校はしっかりと防災教育を受けていたので、幼稚園や保育園、地域の人たちも巻き込んでとにかく高台へと逃れて学校にいた子どもは皆無事だった。この対比を思う度、私(大久保)は小泉八雲が実話を基に書いた『稲むらの火』の物語を思い出さずにはいられない。あれは教育現場の話ではないけれど、地震が起きたら津波が来るから高台に逃げろという、そんなあたりまえの先人の知恵が詰まった物語である。東日本大震災から6年が過ぎた今日でも、危うく難を逃れた子どもたちが被災現場の掃除に毎月集まって来るという。ここがなくなってしまったら、自分たちの思い出も消えてしまうからと…。

【日本に住まう覚悟】
過去に世界中で地震が起きたところに赤色の点を置いてゆくと、日本列島は真っ赤になる。それをみると、やはり地震が起きて当たり前だと思う。南海トラフも100年~150年周期ではない時もあるのだが、ここ20年で阪神淡路が21年目で、中越があり、能登半島があって、岩手・宮城内陸地震、中越沖地震があって、現在は東京直下型もあり、南海トラフも来る…と云われている。活断層もいっぱいあって、まだまだ%は低いけれど、動く可能性があると云われている。だからそのために備えないといけないなと思う。そうはいうものの、自分たちの学生時代の防災訓練も、緊張感に欠け半ば儀礼的に行われていたものだった。他の地域はあちらこちらで震災なり、水害なり被災しているが、名古屋圏に関しては東海豪雨以来、大きな災害は起きていない。だから〈災害ボケ〉しているのだ。熊本でも、周期的に地震が起きていて、その度に熊本城の一部が崩れ、修復されているという。地元のボランティアさんにお話を訊くと「やはりここが崩れたね」と言っている。その地中深くに地震の巣が走っていて、熊本も周期的に揺れているのだ。そうしてみると「地震が来るとは思ってなかった」という感想は、なんでかなあ~と、椿さんは不思議に思っている。名古屋市や内閣府のHPをみてみると、防災対策をしておけば亡くなる人が減りますよという数字が出ている。耐震をしたり、家具止めをしたり、揺れて避難する経路に物があって逃げられないとか、倒れた家具の下敷きになって逃げられなかったり、周りの人たちが避難してしまったら「助けて」と叫んでも助けてくれる人がいない。そういうことを考えると、やはり家具や家電をきっちり留めて、避難する経路を確保して備えていただければ…と、椿さんはお話を結んだ。