2日目、桜島から知覧へ
親父が今回の旅行で一番行きたかった所です。
まず、武家屋敷群へ。
商売柄、標識とか案内板を見るのが習性であり
武家屋敷はサムライハウスだと今回知った。
テレビでよく見る藁葺き屋根の二つ家へ行ったのだが
家よりも室内に天皇陛下の写真が飾ってあるのが懐かしかった。
親父も子供の頃家に飾ってあったというか、祭ってあった。
天皇が神様だった名残であるし、今でも扱いは変わっていないような気がする。
町並みは非常に美しい。庭がとても美しいらしいがあまり興味は無い。
いよいよ、特攻会館へ。
途中に「富屋旅館」「富屋食堂」があった。
特攻の母『鳥濱トメさん』の店である。
行く道沿いは数知れぬ灯篭があり、葉も散った桜並木が寂しさを誘った。
特攻隊の事は色々勉強したが知識を披露する必要も無いので
写真だけを並べる事とする。ただ、会館内は写真撮影が禁止されていた。
特攻兵の指差す先は薩摩富士 開聞岳だ。
開聞岳の南を沖縄に向かって行った。
特攻兵のおかあさんの像である。
館内の遺書・手紙は母・女兄弟へが圧倒的に多い。
父親も戦地へ行っていたためだと思う。
館内にある海から上がったゼロ戦の尾翼等である。
日本が引き上げた特攻隊機はあまり存在しない。
館内の遺書・遺品を見て周り、
ただ、止めどなく涙がこぼれた。
詳しくは一度は行って見て下さい。
親父が一番印象に残ったのは
90歳ぐらいの車椅子のおばあちゃんが
ずっと、一つの遺書の前で涙を流しておられた事です。
そして、他の観光地と違い皆、静かに観覧していた事。
日本人も捨てたものやないなぁと思った。
武家屋敷群・特攻会館、親父たちと同じ時に
中国か台湾の観光客が多数来ていた。
どんな気持ちで視ているか知りたかった。
特攻兵でアリランを歌いながら戦地に散った兵隊がいる。
戦前の日本国は如何なものだったか。
戦地に散った特攻兵は東京都が一番多く。
大分県は25人滋賀県は10人であった。
戦没者に合掌し、鹿児島市内へ。