▲ 藤井寺市教育委員会 『倭の五王の時代』 1996年
『季刊考古学 別冊22 中期古墳とその時代』 2015年 雄山閣 に関連して その1-2
その1-2 では、倭の五王を比定した勇気ある!? 考古学・古代史研究者
それぞれ、倭の五王を誰に比定しているのか、その古墳名は何か、また比定の根拠は、何なのか?謎は尽きない。
1970年代頃までは、倭の五王の比定は、日本古代史の文献研究者が中心となり、解明に取り組み、進められてきていたのだが、1980年代以降は、考古学発掘資料の増加、進展により、考古学分野からの接近を試みる研究者も増加している。
私にとって、倭の五王についての関心を一気に増させてくれたのは、稲荷山古墳鉄剣の解読の発表からである。そのころ、全国的な調査の研究成果である『前方後円墳集成』も出版されておらず、当時参照できたのは、
原島礼二・石部正志・今井堯・川口勝康らが編んだ『巨大古墳と倭の五王』1981年 青木書店 だった。
この本僅か292頁の1冊本であるが、1980年までの大型古墳の情報・年代観・副葬品、倭の五王の研究状況の概観もあり、古代史文献と考古学の古墳研究をなんとか一体化させようという苦心惨憺の賜。
当時は、インターネットも存在していないわけで、文献検索もそれぞれの研究者が研究室・図書館・博物館通い、検索カードをめくっていたのだろう。
私はこの本の巻末にある10頁ほどの参考文献表を頼りに地方の研究者に、考古学研究雑誌のバックナンバーを借り出しに遠出をしたり、基幹の県立図書館に通ったりしていた。この本は今はよれよれになって、傷んできているのだが、この青いカバーの本を取り出すと、当時の思い出とともに、私の生気をとり戻してくれる。
私には、ピカソの「青の時代」を思い起こさせる。青い装丁の本。
当時恵まれない研究環境の中でも、人一倍古代史探求に時間を割いていた当時のそれぞれの研究者の熱気が伝わってくる。
この本が出版された頃、私はようやく、長い発掘アルバイト生活から抜け出し、まだ勤めはじめたたばかりで、給料は少なかったのだが、落ち着いた研究テーマを探そうという計画も芽生えてきた頃だった。
今でも私にとって、読み返す気持ちが湧いてくる特別な、不思議な本。
▲原島礼二・石部正志・今井堯・川口勝康らが編んだ『巨大古墳と倭の五王』 1981年 青木書店
日本の古墳時代の王墓の可能性ある古墳の多くが、古代天皇の陵墓・陵墓参考地として厳重に管理されているため、最重要な古墳の直接的な資料については、依然として不明のままである。
しかし、古墳墳形形態の研究や埴輪、土師器・須恵器・銅鏡等遺物の精緻な研究の蓄積から、仮説の域を脱したのではとする研究者の論説も現れ始めた。
今日は、考古学的資料を元に倭の五王を比定した研究者3人の比定一覧を先に紹介し、その後、その比定するにあたって、どのような根拠をもとに、判断したのか、また、古墳の特定はできるのか、その見解を確認していこう。
① 藤井寺市教育委員会 『倭の五王の時代』 1996年
1994年秋に開かれたふじいでらカルチャー・フォーラムⅢ 「倭の五王」 講演会記録
天野末喜 「倭の五王の墳墓を推理する」より
▲ 天野末喜 「倭の五王の墳墓を推理する」 より
② 『前方後円墳と古代日朝関係』 から
▲ 朝鮮学会 『前方後円墳と古代日朝関係』 2002年 同成社
東 潮 の説
▲東 潮 「倭と栄山江流域ー倭韓の前方後円墳をめぐって」
(朝鮮学会 『前方後円墳と古代日朝関係』 2002年 同成社 より 152頁)
東 潮 は、このほかにも別論文でも、倭の五王についての比定に関して、発表している。論文数では一番多いかも知れない。
③ 『国立歴史民俗博物館研究報告 第110集 』 から
▲ 『国立歴史民俗博物館研究報告 第110集 』 2004年
▼ 東 潮 「弁辰と加耶の鉄」 より
▲ 『国立歴史民俗博物館研究報告 第110集 』 2004年 51頁
④ 『アジアの境界を越えて』 国立歴史民俗博物館・国立民族博物館 連携 展示図録 2010年 から
▼東 潮 「東アジア古代の王権・王陵・境域 」より
▲東 潮 「東アジア古代の王権・王陵・境域 」
『アジアの境界を越えて』 国立歴史民俗博物館・国立民族博物館 連携図録 2010年 (184頁)
パソコンの接続状況のトラブルで今日はここまで
つづく