走れ、麦公

興味のあることや、その時思ったことなどを書いています

張り込み

2017-07-08 15:02:49 | 小説
 三崎町二丁目の神社の角に、パトカーが一台停まっていた。県警のパトカーである。連続食中毒事件の犯人を逮捕するために張り込みにきていたのだ。
 犯人は町の居酒屋数軒にメタノールを含有したウオッカを売りつけた。現在逃亡中だが、自分の家に残してある証拠品を処分するために必ず戻ってくるはずだった。

「警部はまるで本当のひま人のようであります」
 釣り人に変装した上司のすがたを。若い刑事が称賛した。

 警部と呼ばれた森田は県警二課刑事部長である。眉の濃い日焼けした五十男だ。青い雨合羽のヤッケを着て、釣竿を持った姿は、署できっちりとネクタイを締めた姿より、数倍も似合って見えた。森田自身もじぶんの変装に満足していたが、あまり感心されると少し面白くなかった。部下の若い刑事はきまじめな顔でうなずいている。

 二人がいるのは神社の裏で、逃亡中の犯人の家が運河の対岸に見えていた。ごく普通の瓦屋根の家だ。まもなく現れるであろう犯人の姿をここから見張ろうというのである。犯人の家ではいま、二階のベランダにひとりの女が出ていて、洗濯物を干していた。

 理子は学校へ向かって小走りに学生鞄を揺らしていた。掃除当番に当たっていたことを忘れていた。教卓を拭いたり黒板に今日の日付を書く当番である。やっとかないと先生に叱られる。
「10分前には校門をくぐらないとまずいな」
 I have to enter a gate of the school before ten minutes.
 理子は中学生である(ネイティブでなくてすまぬ)。そうつぶやいたとき、神社のパトカーに気が付いた。青い紫陽花の蔭の水たまりに前輪を入れて、隠すように停めてあった。
「おっと、これは」
 通学路を外れ、パトカーの脇をすり抜けていくと、見覚えのある顔があった。
「あれ、あそこにいるの森田のおっちゃんじゃないかね?」
 理子は学生鞄の動きを止めた。知り合いのオヤジが珍妙な服装をして、こんなところで何をしているんだろう。興味がわくとすぐに掃除当番のことなどは頭のなかから消えていた。

「あれが犯人の山岸と同棲している女です」
 ベランダの女は、長い髪で口紅の濃い二十代の女だった。半袖から白い二の腕をみせて男物の3Lのジーンズを干し物竿に掛けていた。
「打合せ通り、玄関に近づく人影を見たら無線機で連絡する。待機している捜査官たちには、それまで動かないように伝えてくれ」
 森田の命令を受けて、若い刑事は「ハッ」と敬礼した。

 森田はキャップの庇を目深にして目つきを隠し、いかにものんびりした様子で釣竿を運河へ振り出した。こうして岸に座っていれば、もしベランダの女がこちらへ目を向けることがあっても、警察だと気づかれる心配はないだろう。
「こんにちわー」
 理子のあいさつが、森田と、別動の捜査員の待機場所へ向かいかけていた若い刑事を驚かせた。

 重大な職務執行中のところへ、近くの中学校の生徒らしい女子が突然現れた。
「あ、理子ちゃんじゃないか」
 ふたりは知り合いのようである。

 実際、森田警部は理子をよく知っていた。奥さんと理子の母親が同じスーパーでパートをしているのだ。それで理子は母親と一緒にたびたび森田の家に遊びに来ていた。
 冷蔵庫を勝手に開けてつまみ食いしたり、飼い犬のゴン太を叩いたりするのには閉口するが、自分が持て余している生意気盛りの小五の娘を、ときどき大声でどやしつけてくれるので、とても好感をもっていた。

「これから学校かい」
「はい」

 若い刑事がふりかえって見ると、ベランダにいた女はすでに屋内へ姿を消していた。事態は緊迫している。今にも犯人が現れるかもしれない。なのに、そんな局面で、捜査の司令官である警部と一般人の学生は、なにやら世間話でも始めるふんいきである。

「何かあったんですか、おじさん。いつもとちがう服装ですけど、非番のひまつぶし?」

 森田が笑って答えるさきに、若い警部が割って入った。
「きみ、この近くの中学の生徒かな」
 わざと肩をそびやかして理子を見下ろした。警察官たる威厳いっぱいである。

 若い刑事は理子に生徒手帳を出すよう命じ、中をあらためた。なにごとにも生まじめな男だった。

「理子ちゃん、今日は大人だなあ」
 森田はやや驚いていた。理子がおとなしすぎると感じたのである。
 日頃の理子の奔放な姿から察するに、いきなりこんな居丈高な態度をされたら、相手が誰だろうと、むっとして食って掛かると想像された。が、意外なことに、理子はうつむき加減で黙って立っている。
 しかしつくづく考えてみれば、自分が知っている理子は、ジーンズにたいていはТシャツで、通学途中のいまのようなきちんとした学生の姿ではない。してみると、いわゆるカジュアルなときとフォーマルなときは、おのずからふるまいも変わってくるのだろうか。
「生徒手帳にまんがを描くのはやめなさい、わかったかね」
 理子はしおらしくうなずいている。
 森田には、理子の胸リボンの学生服姿が、なんとなく窮屈そうに見えた。

 若い刑事は理子を神社の前まで連れて行くと、
「車に気を付けて行きなさい」
 かたい口調で言って、自分は通学路とは反対方向の、橋のある方へ急いで去って行った。

 刑事の姿が見えなくなると、理子は大きな息をついた。
「よかったー、あれがバレたんじゃなかったんだ!」

 だれだって法律のひとつや二つは犯している、横断歩道の信号無視を無視したり、よその家の番犬をからかって動物虐待をしたことのあるひとは多いのではないか。
 理子はそのほかにもいろいろやっていた。
 町内の野球大会で、ホームランボールを三発、外野のフェンス越しに町役場に叩き込んでそのまま逃げたのは理子である。交番安全の催しの時、ゆるキャラのミニパトくんの足元に画鋲を撒いたのも理子である。たまたま学校を視察しに来ていたなんとかいう大臣を給食の台車で轢いたのも理子であった。
 後ろ暗いことがたんまりあった。理子はそれがバレたのかと、生徒手帳を調べられるあいだ冷汗をかいていたのだ。
 よかったな理子、まだ逮捕はされないようだ。

 さて、そのまま学校へ向かうかとおもったら、理子は動かない。
「『あんたは一般人、こっちは警察』そういう態度だったよな、あの刑事」
 いったん身の安全が確認されると、理子はいつもの調子に戻っていた。
 ぶつぶつ口のなかで言って 路ばたの、人の顔くらいの大きさの紫陽花へ指をさした。
「車に気を付けて、さあ、行った行った」
 若い刑事の口真似である。
「え、きみ、公務を妨害するつもりか? いいえ、バーロー」
 独り言の一人芝居だ。そして理子はさも不満げに手をふりまわした。
「邪魔にされたからって、このまま引き下がるもんですか!」
 元来、気の強い女である。そして興味を持ったことは最後まで見届けて、決着をつけないと気が済まない気性だった。

 森田警部が釣り人のふりをして釣り糸を垂れ、運河越しに見張っていると、くだんの家の玄関の前に、白いライトバンが着いた。
 ハンドルを握っている男は、細身で痩せた長い顔にサングラスをかけていた。いかにも怪しそうな男である。髪は短い。
「あれが山岸啓介か、馬づらだとは聞いていたが相当なものだな」
 さっそく、その近くに潜んで待機している捜査員たちに連絡をしようと、胸ポケットに仕込んだ無線機に口を近づけたときである。家の裏にある勝手口に、スーパーのワゴン車が近づいた。
 太った配達員が段ボール箱を抱えて降りてくる。
「あれ、もしかしたらこっちのほうの男が山岸か?」
 森田警部は目を凝らして、顔を特徴をとらえようとした。が、太った配達員は帽子を被りマスクをしているうえに、段ボール箱を顔の前まで上げているので、さっぱり顔立ちがわからない。
 
「しまった、あれでは馬面かどうかわからないぞ。どっちが山岸なんだ」
 森田はあわてた。警察が唯一つかんでいる手がかりは、犯人が馬面であるということだけだった。
 
 玄関に来た男と裏口に近づいていく男。逮捕の目標は一つに絞らないと危険だった。犯人の山岸は、食中毒事件を起こした偽物のウォッカを某国の貨物船から入手したことがわかっている。外国の犯罪組織が絡んでいれば、山岸は密造酒のほかに拳銃も入手しているかもしれないのである。

 もしまちがったほうを逮捕して山岸にすきを与えれば、逃げられるかもしれないし、最悪の場合、発砲で人が傷つくおそれがあった。

「どっちだ、どっちがこの家の住人の山岸なんだ」

 玄関の白いライトバンの痩せた男はサングラスで目元を隠していて怪しい。が、勝手口に現れた太った男もキョロキョロしていて、その落ち着きのないそぶりも充分に怪しかった。
 
 森田は判断がつかず、呆然と二人の怪しい男を見守ったまま声を飲んでしまった。

『警部どうしました、警部』無線機から、指示をさいそくする若い刑事の声がひびいた。
 そのときだ。
「勝手口に来た男を逮捕して。大根とかぼちゃが入ったマルタカスーパーの段ボールを抱えているデブのほう」
 森田がびっくりしてわれに返ると、理子が自分の肩越しに身を乗り出してきていて、胸ポケットの無線機に勝手にしゃべっていた。

「こら、まだどっちがホシかわからないんだ。いいかげんなことを伝えるな」
 森田は叱ったが、理子にガン無視された。
「ベランダに干してある3Lの特大のズボンが見えるでしょ、サイズが勝手口の男にぴったりじゃない。そいつがその家のひとよ。この家の住人を捕まえるのでしょ、そっちがそうよ、若い刑事さん、わかった?」
 
「あ、そうか、そのとおりだ。理子ちゃんよく気がついたな!」
 驚いた森田が目を丸くしたが、理子はおかまいなく無線機に話していた。
「それにライトバンで玄関に来たほうのひとは、銀行の外回りだから気にしなくてもいいの。本当よ、あれでも銀行員なの。友達のお父さん、遠藤さんていうの。友達はお父さんがサングラスするのすっごくいやがってるんだけど、素顔でも痩せて人相が悪いのにそれでグラサンってサイテーでしょ、いちどなんか暴力団にさらわれた少女に間違われたらしいわ、かわいそうに。でもお父さんは、鈴木雅之って歌手が好きで、その世代の男はこうするもんだってきかないんだって。そうなの、勝手口の男が犯人だから。じゃあがんばってね」

「なるほど鈴木雅之か、まあ、あこがれるのは自由だな」
 玄関前にとめたライトバンのなかで、ハンドルに手をおいているサングラスの中年男に、森田は気の毒そうな目を向けた。

 ひととおり話を終えて無線を切ると、理子は森田に顔を向けた。
 その顔は、森田がよく知っている、勝手に冷蔵庫を開けて晩酌のつまみのアタリメを生で齧っているいつもの顔つきだった。部下の刑事に生徒手帳を調べられている間、しおらしくしていたときとはまるで別人のようである。
「おまえ、ここへいつ戻って来たんだ?」
「いまよ。それよりおっちゃん、青いヤッケって、ダサすぎね?」
 若い刑事がほめた変装の青いヤッケを、理子があっけなくくさした。

 二人が見ていると、運河を挟んだ向こうの家の裏手では、配達員に化けて勝手口に近づこうとした犯人の山岸が、突然あらわれた捜査員に取り囲まれ、抵抗する間もなく手錠を掛けられていた。

 一方、玄関に停車した白いライトバンのほうは、ミニスカートの足を器用にはこんで家から出てきた女を助手席に乗せると、どこへとも知らず走り去ってしまった。

 女は山岸が同棲していた彼女である。そしてその女を乗せて、人目をはばかるようにそっと車を出して行ったのは、少なくとも理子と同じ年ごろの娘がいる家族持ちの男らしい。

「理子ちゃん、学校へ行かなくていいのか?」
 森田は咳払いして、大人の事情から健全な未成年の注意をそらそうとした。

「ん、いま忙しいから」
 理子は土手の草に寝転がりながら、いま撮ったライトバンの状況を、つまり二十代の色っぽい女性と同乗した友達の父親の写真を、メール付きで送信するのに忙しかった。

『ゆきのお父さんやるわね! でも写真撮っちゃったから送るね、いろいろ役立てて。もしお小遣い上がったらサーティーワンおごってネ、はーと。リコより』

 メールをのぞき見した森田は、少なからずゆきのお父さんに同情したが、かといってどうしてやれるものでもなかった。
 
 キンコンカンコン、学校の始業のチャイムが神社の屋根を越えてきこえ、理子はあわてて学生鞄を抱えて駆けだして行った。

 森田は思い出したように餌を付け替えると、また釣り竿を運河にのばした。運河の面は日差しが明るくただよっていて、ときどき小魚がはねた。
 あれが不倫だったにしてもひどい話だ。森田はおもわず顔をしかめた。
 娘たちが共謀してその父親を脅迫しようというのである。親子も何もあったものじゃない。なんという世の中だ、なんという時代なのだ(鈴木雅之が歌っていた時代はよかった)。森田は自分の小五の娘の生意気盛りの顔をおもいだしてぞっとした。

 若い刑事が息をはずませて戻ってきた。満面の笑みだ。

「山岸啓介が犯行のあらいざらいを供述しました。事件は解決です。しかし、こうして犯人の身柄を確保できたのは、さきほどの学生のおかげです。感謝状を出さなければならないとおもいますが、どういたしましょう」

「アイスクリームおごってやれよ、それだけでいいよ!」
 森田が大声で言った。


おわり。
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