ぼくはがんを発病するまでは、自分の生き方はアクティブで思ったことは積極的に取り組み、とにかく攻めの生き方をしてきたと自負しています。
ところががんの発病で自分が思ったことはマイナスイメージが強く、悲観的な見方ばかりをしたり、精神的にびくびくしたり、何かにつけて怖気づいているような生き方になっているように思えます。
とにかく姿勢が守りに入った感じです。
そこで思うことはぼくは攻めには強いが守りには弱い人間ではないか、との自覚です。
当然長い人生には攻める時も守る時はありますが、正直今のぼくはがんを退治する攻めの生き方ではなく、本音ではがんの恐怖から逃れられないで、何とか進行を遅らせる守りの日々を送っているような弱さを感じてしまいます。
守りに強い生き方とはどんな生き方なのか、イメージがわかないのです。
がん治療でフィットネス、食事、サプリメント、意欲的な生き方、社会的活動などいろいろなことをしていますが、本音ではそれらの行動は攻めと言うより守りなのです。
曇天の札幌の土曜日、今朝も自宅から藻岩山登山口の一つである市民スキー場まで片道40分の散歩をしてきました。
最近は昼寝はできなくなりましたので、友だちから借りたDVDで昔懐かしいテレビ映画のローハイドシリーズに見入っています。
白黒ですが、今見ても楽しい西部劇です。
ところががんの発病で自分が思ったことはマイナスイメージが強く、悲観的な見方ばかりをしたり、精神的にびくびくしたり、何かにつけて怖気づいているような生き方になっているように思えます。
とにかく姿勢が守りに入った感じです。
そこで思うことはぼくは攻めには強いが守りには弱い人間ではないか、との自覚です。
当然長い人生には攻める時も守る時はありますが、正直今のぼくはがんを退治する攻めの生き方ではなく、本音ではがんの恐怖から逃れられないで、何とか進行を遅らせる守りの日々を送っているような弱さを感じてしまいます。
守りに強い生き方とはどんな生き方なのか、イメージがわかないのです。
がん治療でフィットネス、食事、サプリメント、意欲的な生き方、社会的活動などいろいろなことをしていますが、本音ではそれらの行動は攻めと言うより守りなのです。
曇天の札幌の土曜日、今朝も自宅から藻岩山登山口の一つである市民スキー場まで片道40分の散歩をしてきました。
最近は昼寝はできなくなりましたので、友だちから借りたDVDで昔懐かしいテレビ映画のローハイドシリーズに見入っています。
白黒ですが、今見ても楽しい西部劇です。
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