ひできの八ヶ岳ブログ

未来に残したいリジェネラティブな社会づくりを考える

人が優しくなれる社会へ

2013年09月22日 08時33分09秒 | 共生社会の姿を求めて・・・

昨晩から久しぶりに八ヶ岳に帰っています。
息子たちが2年ぶりに小学校の運動会に顔をだしました。
以前とかわらず、多くの人が暖かく迎えてくれます。本当に幸せな体験です。

もちろん、八ヶ岳のこの地域でも、
いろいろな人間関係や摩擦はありますが、
それよりも、どこか根本的なところに、
他人に対するやさしさがあることを感じます。
直接相手のことを知らなくても、
必ずその人のことを知っている知り合いが存在するといった、
比較的小さなコミュニティーであることが、
どこか、お互いを認め合える基本になっているのかもしれません。

今夜、息子が寝入る直前に、
街の人々にくらべて、八ヶ岳の人々は優しい人が多いね、
と、つぶやいて眠りにつきました。
たぶん、それは事実なのでしょう。

私は、街暮らしの人が優しくないとは思いませんが、
人間関係が希薄で、見知らぬ多くの人が行きかう街では、
その人が本来もつ優しさを内に閉じ込めてしまうような出来事が多々起こります。
優しさを内に閉じ込める人が増えてくればくるほど、
さらにそれは街の中に伝播し、人はますます他人に対して距離を置くようになってしまいます。

お互いが重なり合い、譲り合い、
お互いをもっと認め合い、尊重しあうことによって、
その適度に密な相互関係の中から、
ひとりでは決して実現できない、
真の幸せが生まれてきます。
それは、人間の一番の醍醐味と言っても良いかと思います。

人間関係が希薄になった街の中で、
どのようにしたら人と人とが適度に密な相互関係を取戻し、
人の真の優しさを表に出していけるのでしょうか。
ここのところ私が仕事を通じて取り組んでいきたいと思っている一つの課題でもあります。

いま自分で気づきましたが、
こんなことを仕事に織り込もうとするから、
どうしても仕事のハードルが高くなってしまうのですね。

心の傷を“癒す”しごと

2013年09月01日 15時42分03秒 | 幸福なくらし

日本人で中国の天安門事件に遭遇した人はいれども、
あの文化大革命を直接経験した人は殆どいないはず。
ところが、その文化大革命の時に中国に住み、
あの騒乱の被害者として巻き込まれた日本人がいたことに驚きました。
しかも知り合いの女性。

妻の古い友達である佐藤真由美さん。
私たちがイギリスに留学していた時に、
丁度ロンドン郊外に住んでおられていて、
とてもお世話になった方です。
シューマッハカレッジや八ヶ岳にも、
何度か遊びに来てくれたこともあります。

その彼女が最近出した本がこれ。

跳べ! 世界へ ―エアラインから国連、国際NGOへ―
解放出版社


東ベルリンで生まれ、中国で育ち、その後に日本に。
有名国立大医学部に入ったものの、
退学して米国の大学、大学院に留学。
その後、彼女の類まれな才能と行動力とが導いた、
航空関係の仕事から、国際NGO、国連職員、
ユーゴスラビアやマザーテレサの修道院などでの、
様々なボランティアといった、
世界を舞台にした様々な体験を綴った半生記です。

国連職員として、
戦闘中のアフガニスタンに派遣され、
子供たちを救う活動の最中に経験した、
生か死の極限状態の体験には圧倒されます。

この本を読んでいると、
彼女の人生の根底には、今生における魂の使命のような、
何か強く一貫したものが在る様に感じます。

私が感じる、その一貫したテーマとは、
人間のエゴや無関心によって傷ついた人々を癒すということ。
文化大革命では幼い時分に親子を引き離されたり、
また日本や世界で受けた差別の体験があるからこそ、
心が傷ついた人に何が必要かが分かるのかもしれません。


戦争や政変の原因を突き詰めていくと、
必ず人間のエゴや無関心に突き当たります。
世界の至る所で、あらゆる時代で、
エゴや無関心が、実に多くの人を傷つけてきました。
それは戦争や政変のみならず、私たちの今の日常においても、
家庭や職場、学校の教室といった身近な所でも起こっています。

人間は、肉体に宿ることによって知覚を制限され、
他人の事情や想いのすべてを知ることができないことから、
どのような人であれ、
他人の心を傷つけないで過ごすということは不可能といっても過言ではありません。

しかし、その代りに、
お互いがお互いを思いやり、
それぞれに足りない部分をお互いに補完し合うことを通じて、
そこに私たちは、一人では決してできない体験と、
“幸せ”を感じとることができます。
自然界が人間に与えてくれた絶妙なしくみです。

ところが現代社会では、
多くの人がモノやカネや権力に心を奪われ、
人と人との距離が離れ、思いやりや寛容さが失われているがために、
“幸せ”を感じるより、心に深い傷を負っている人が大勢います。
それはいわば人類が負った傷であり、
そのままにしておくと未来に負の影響を残していきます。
そういった傷を癒す活動は、
今の世界に本当に必要とされています。

傷ついているのは人間の心だけではありません。
多くの人が知らず知らずのうちに傷つけている地球もそうです。
先進国の資源の浪費のみならず、途上国の急速な経済発展によって、
環境破壊と様々な天然資源の減少が急速に進み、
地球自身も大きく傷ついています。

癒す(Heal)とは、全体(Whole / Holistic)に還る事。
「個」に「全体(大自然、神)」との調和をとりもどさせることです。

この佐藤さんの本は、
特に、そういった癒すための何らかの活動をしたいと思っている人に是非お薦めの一冊です。
ちょっとやそっとではくじけない勇気と、
本当の癒しということはどういうことなのかを考えるうえで、
貴重な材料を与えてくれます。

トップダウンからボトムアップへ

2013年08月17日 16時04分47秒 | 共生社会の姿を求めて・・・

そういえば2011年3月11日 金曜日。
仕事先の愛知県で打ち合わせをしていた午後。
俄かに、ささやかな振動があった後、
建物がまるで宙に浮いたかのように、
ゆっくりと横に揺れ続けました。
大した揺れではありませんでしたが、
これまでに経験したことのないその異様な揺れ方は、
どこかで大地震が起きたこと如実に教えてくれました。

その夜、仕事を終えて東名高速にのると、
何台もの大型の化学消防車が東に向かって走っていました。
いつもより交通量が極端に少なかった中央道を走り八ヶ岳に着くと、
そこは信号機もついていない真っ暗な闇。
遠く甲府盆地の方に街の明かりが見えるだけでした。

3月の八ヶ岳はまだ真冬の様相です。
暖炉以外のほとんどの暖房器具は電気を必要とすることから、
多くの家庭は暖房なしで夜をこしました。
暖炉のある家庭も、大きな余震で煙突が崩れることを恐れて、
火を入れないでいるところもありました。

暗く寒く、地震警報が鳴り響いた夜。
東北の凄まじい状況に比べれば、
まるで大したことはない八ヶ岳でしたが、
東北の惨状を想いながら、眠れぬ夜を過ごしました。

震災によって多くの人々の暮らしの場が失われ、
それから2年半が過ぎました。
しかし、その復興は未だに遅々として進んでいません。

戦後60年以上たち、
技術も、経済も、その復興のために十分な余力を持っているにもかかわらず、
何ゆえに復興が前に進んでいないのでしょうか。
何が阻害要因となっているのでしょうか。

今、行政や政治が充分に機能できなくなっている現実があります。

かつては、お役所は御上と呼ばれ、
市民は政治と行政の行うことに従ってきました。
それと同時に、市民からすると行政は、
「何かしてくれるところ」という、
何かにつけて頼る先でもありました。
しかし、全ての人々に一様のサービスを提供する行政は、
財政的にもその支出に耐えられなくなり、
多様化した市民のニーズの全てに答えることは難しくなりました。

今後、行政はサービス提供者というよりも、
全体を調整、推進するファシリテーターとしての役割へと変わっていくことと思います。
政治も、何かを行政に行わせる役目から、
限りある公の財源を有効に使うための、
調整役が主な役目になってくるでしょう。

では、何を行うかを考え、それを実行するのはどこが行うのでしょうか?

きっと、それは市民・民間が担っていくことになるでしょう。
それは企業組織でいま進行中の、
トップダウンからボトムアップといった組織転換の流れが、
もっと大きな流れで、行政、政治の分野でも起こってくることを意味します。

行政や政治が変わっていく一方で、
市民側も、行政に対する期待と態度を変えていく必要がでてきます。
何でも行政に期待するのではなく、
必要と思えば自らがそれを担っていく、
一市民としての責任と役割が求められてくるはずです。
これは、真の民主主義の大事な一面であろうと思います。

こういった大きな変化の流れの先端で、
東日本大震災の復興を舞台に、
そのパイロットプロジェクトのような象徴的な活動がこれ。

アーキエイド

話題にもなっているのでご存知の方も多いかと思います。

まさしくボトムアップの復興のためのまちづくりデザインを行っています。
その活動状況を紹介するイベントが愛知県で行われます。


「アーキエイドの活動展」
東日本大震災 ~3月11日と今日~
「知っていること」
「知っているつもりでいたこと」
「知らなかったこと」

2013年8月20日(火)〜9月1日(日)
10:00〜18:00 最終日17:00まで 26日(月)は休館
場所: 愛知県岡崎市 名鉄東岡崎駅南側 葵丘会館
入場無料

20日16:30からアーキエイド事務局による講演会・レセプションもあります。

詳しくはこちらまで
http://earthworker.blog.fc2.com/ 

あの“おかざえもん”も展示会に来るようなので、
見たい方はついでにどうぞ。
(20日 13:00ごろ)

デザインの力を社会に活かす

2013年07月07日 14時58分08秒 | 時事~経済の流れ、社会の動き

社会や暮らしにおいてデザインはとても大切。

同じものでも、デザインひとつで、
その魅力や使い勝手、人の気持ちも大きく変わります。

デザインというと目に見える何か形のあるものを思い浮かべますが、
デザインには目に見えるものだけではなく、
目に見えないデザインというものもあります。
それは、モノを作ったり、サービスを設計したりする上での、
理念やプロセス、設計思想といった分野です。
この目に見えないデザインは、目に見えるデザインの良し悪しを左右する、
とても大事な部分です。

さて、日本では、
デザインは、大事とは言われながらも常に二の次にされてきたのが現実です。
日本製品の信頼性への評価は高い一方で、
そのデザインや機能については魅力的でないものが少なくありません。

街の景観はその最たるところです。
日本を代表するの観光都市、京都でさえ、
なかなか景観整備が進まないのが現状です。
京都を訪れた海外からの旅行者から、
京都の街は醜くて失望したと聞いたことがありますが、
私も京都に住んでいたことがありますが、
確かにそこは、観光客に胸をはって紹介できる街並みではありません。
海外からの観光客を増やしたいなら、
もっと、足元の景観、デザインを見直さなければなりません。

日本において、デザインの力がこれまで充分に活かされてこなかったことには、二つの大きな理由があると私は思っています。

一つは、デザイン感覚を育てる子供の時からの教育の不足。
その為に、大人になってもデザインに対する意識と理解とが低いことから、様々な分野においてデザインへの取り組みが二の次に回されてしまいます。

二つ目は、市場や市民のニーズをくみ取り、そのニーズを実現するためにデザインをどのように活かしたら良いかを理解し、プランニングから実現までの様々な諸要素を調整しながら、それを世に送り出すことのできるプロデューサー的な人材が少なかったことです。

新たな可能性を切り開くためには、
そういったデザインに対する教育やデザインを活かす能力の開発は、これからの時代には、なくてはならないものだと思います。

20年近く前のことですが、
私自信、そのことを痛切に感じ、
デザインを社会に活かすために何か手伝えないかと、
デザインコンサルティングの仕事に携わっていた時があります。

当時、気鋭のデザイナーの方々とチームを組んで、
集合住宅や土地開発などのデザインプロジェクトを行っていました。
そこには、建築家の内藤廣さんや芦原太郎さん、横河建さん。
造園家であり、近年は“生き方”に関する著書が、
次々にベストセラーとなっている枡野俊明さん。
照明設計では、当時まだスタートしたての照明デザイン事務所LPA。
ここは後に六本木ヒルズの照明などを手掛けた事務所です。
そして、私が今やっている会社の共同経営者もしていただいている、
環境建築プランナー/インテリアデザイナーの
小原淳さんなども参加しておられました。
意匠建築に詳しい方ならお分かり頂けると思いますが、
今振り返るとドリームチームです。

当時、その中心として活躍されていたのが船曳鴻紅さんという方で、
早くから社会におけるデザインの重要性に気づき、
1990年代に五反田に東京デザインセンターを設立。
以来、デザイン、意匠建築の分野を中心に、
その情報発信や、デザイン業界を支援する活動をされてきました。
あのGOOD DESIGN賞の審査員も長年務めてこられ、
また、日本デザインコンサルタント協会の事務局長もされてこられました。

この協会には、このブログでも時々ご紹介する、
ジャパンライフデザインシステムズの谷口正和さんや、
企業のCIの草分けである中西元男さんら、
蒼々たるプロデューサーが名前を連ねていて、
そういった方々が執筆するここの会報誌は、なかなか勉強になります。

このようにデザイン、意匠建築の分野で、
そのキーマンとして活動されてきた船曳さんですが、
デザインの重要性を広く認知してもらい、
産業や国の施策にもデザインの力をもっと活かしていくためには、
国政のレベルにもその声を届けなければならないということで、
実は、今回の参議院選挙に出馬されることとなりました。

詳しくはこちらをご覧ください。

https://cocodesign.jp/

デザイナーの浅葉克己さんが選挙ポスターをデザイン。
出馬は、みんなの党の比例代表からです。

先日お会いした時に、なぜみんなの党なのかとお伺いしたところ、
一番大事なのは、デザインの重要性を国政のレベルに届けることであって、
縁あって、みんなの党の浅尾慶一郎さんに繋がり、
ここから出馬することになったと伺いました。

浅尾さんというと、以前にこのブログでもちょっと触れましたが、
私自身、政治家の中で人物として、最も信頼している一人です。

もし、ご関心のある方は、こちらの著作もどうぞ。
デザインが日本の未来を創る
ジャパンライフデザインシステムズ


メイド・イン・ニッポン―日本の資産「技」を生かす
デザインブックス


ところで、政治の話は別として、
船曳さんの東京デザインセンターはなかなか面白いところです。
雑然とした五反田と、高級住宅地の白金台との境にあり、
ちょっとストイックな表玄関とは反対に、
人工的とはいえ、内部や裏側は、
都会とは思えない素敵な空間が広がります。

様々なインテリアのショップが並ぶほか、
デザインや建築に関連する様々なイベントが開催されています。
ここのレストラン、カフェはお薦めです。
もっとお薦めなのが、1階にあるデザインブックス。
デザイン、建築に関連する、
国内、海外の様々な本が集められています。

私はかつて、そこの店長さんから、
「もしかしたら、この本、ご興味あるのではないかと思ってとっておきました」と、
一冊の本を紹介されました。
それがジム・ヴァンダーリンとスチュワート・コーワンの、
「エコロジカルデザイン」という本。
環境デザインの最も基本的な考え方が書かれている、
世界的なバイブル的書籍です。
今においても、この本を凌ぐものは見たことがありません。
その本のリファレンスに紹介されていたのがシューマッハカレッジでした。

実は私が東京デザインセンターや船曳さんを通じて得た様々な経験や人との出会いは、その後の私の人生を大きく変えていきました。
まさにそれは人生のリ・デザインでした。

船曳さんには、是非とも、日本を美しく暮らしよく変えるリ・デザインを推進する力になっていただけたらと思います。


地域の活性化に挑む

2013年06月29日 12時02分23秒 | グローバルからグローカルへ

4月に入ってから新しい仕事が加わり、
暫くの間、落ち着かない日々を過ごしていたことから、ブログの更新も間が空いてしまいました。

今、私が働きに来ている街の市長が、
地域の活性化を促進するために、
民間の知恵やノウハウが活かせる観光、文化、経済の分野を中心に、
全国でも珍しい試みとして、公と民とが協働して政策立案や事業を行う新しい組織を作ると宣言しました。

それを受けて、地元の商工会議所やNPO,企業等が連携して、
大手旅行代理店、金融機関、イベントプロデューサー、
経営コンサルタント、事業プランナーらが参加する一つの組織が編成され、
私もその一員として加わる事となりました。

そして早速に、市の観光イベントや中心市街地活性化、
公園などの公共空間のデザインや整備方針の策定、
全国への市のPR政策の策定などの数々の市の事業について、
その支援を行ったり、一部を受託するなどして公と民の協働作業がスタートしています。

この組織の理念、ビジョンについて私が作らせて頂きましたが、
その時に一番大事にした点は、“地域の活性化”とは一体何かということでした。

“地域の活性化”とは何を意味するのかといった場合、
観光、文化、経済の観点から言うと、
普通は、観光の活性化といえば観光客が多く来ること、
文化の活性化といえば文化活動が盛んになること、
経済の活性化といえば景気が良くなることを意味しています。
行政の中においては、観光、文化、経済をそれぞれに担当する部課があって、別個にそれらを担当しています。

しかし、単に観光客が増えれば良いというものではありません。
お金を使って有名演奏家の演奏会や美術展を開けば良いというものでもありません。
大手ショッピングセンターができたとしても、それだけで市民の暮らしが潤うものでもありません。

市民にとって本当に大事なことは、
その地に住む人とその地に何らかの形で関わる人々全てが、
日々の暮らしや活動の中で、
心身ともに活き活きとした毎日を送り、
生きる喜びと幸せとを実感できる健全で豊かな地域社会が実現されることです。
これは、様々な分野が有機的に繋がってはじめて実現できることです。
その為には、分野別に専門分化した縦割り行政では、
全体を見通すことが難しく、
中途半端なことになってしまっていたり、
市民の暮らしにとって役に立っていなかったりする場合も少なくありません。

新しい組織に求められることは、
そういった行政のもつ避けられない課題を補完できるように、
全体を見渡すホリスティックな視点を持ち、
また、仕事が市民生活の質的な向上に着実に結び付くようにしなければなりません。

新しい組織の発足にあたっては、
その横断的かつホリスティック、そしてエコロジカルな視点を欠かさないために、
あえて行政で使っている区割りの用語を用いずに、
まずは地域の「活性化」とは何かについて再定義した指針を作成することにしました。

新しい組織においての全ての活動は、
この指針の実現に結び付くものでなければならないこととなっています。
何か判断しなければならない時の基準となります。

その指針とは以下のとおりです。

“活性化の5つの指針”
*******************

1)人と人、人と自然の、質の高い豊かな交流が増加していくこと

2)あらゆる層の人々の暮らしの中における楽しみが向上していくこと

3)市民/市外の人々を問わず、地域への親しみと誇りが増していくこと

4)多様性に満ちた、安定度と循環度の高い地域経済の実現につながること

5)地域の皆に開かれた変化へのチャンスと刺激とを創り出していくこと

*******************

既にこの組織は立ち上がり、活動を始めています。
活動を始めて感じるのは、
ここの市役所は八ヶ岳のある北杜市とは違い、
数千人規模のかなり大きな行政組織ということもあって、
企業でいう、大企業病が顕著なことです。
もちろん、とても熱心に前向きに働いている職員も少なくありません。
しかし、組織のなかで、その力が発揮できていません。

地域行政のレベルアップは、これからの地方分権、ローカリゼーションの流れのなかで、極めて重要なポイントとなるでしょう。
今のままでは地方分権しても、十分に地方は機能しないでしょう。

そのような組織と協働を行う私たちの新しい組織自体も、まだ必ずしも盤石ではありません。
前途はまだまだ多難が予想されますが、良い方向にもっていければと思っています。

始まっている未来 ~ 新しい経済学は可能か 宇沢弘文・内橋克人

2013年04月09日 23時31分55秒 | 共生社会の姿を求めて・・・
始まっている未来 新しい経済学は可能か
岩波書店



世界的に高く評価されている経済学者の一人である宇沢弘文さんが、
「始まっている未来」という内橋克人さんとの対談本の中で、
新自由主義は「経済学とはいえない一種の信念」と評しておられます。

フリードリッヒ・ハイエク、
ミルトン・フリードマン、ラリー・サマーズ、
日本で言えば浜田 宏一氏や竹中平蔵氏らが、
新自由主義の代表的な経済学者と言われています。

ミルトン・フリードマンと同じ時期にシカゴ大学におられた宇沢先生は、
フリードマンの発言に憤慨することが多かったとのことです。

「資本主義の世界では儲けを得る機会に儲けるのが紳士の定義だ。儲ける機会があるのに儲けようとしないのは紳士とはいえない。」

「麻薬をやる人は、麻薬をやったときの快楽と、麻薬中毒になったときの苦しみとを比較して、麻薬をやったときの快楽のほうが大きいと自ら合理的な判断をして麻薬をやっているのだ。決して麻薬を規制して、個人の選択の自由を制限してはいけない。」

「黒人は子供のときに、遊ぶか勉強するかの選択において遊ぶことを選んだ。だから上の学校に行けないし、技能も低く、報酬も少ない。不況になれば最初にクビになる。それは、子供のときに遊ぶことを合理的に選んだのだから経済学者としてとやかく言うことではない。」

正常な市民感覚としては、信じられないフリードマンの発言。
とにかく、こういった考え方が原点にあるのが新自由主義です。
でも何故このようなとんでもない論理展開になるのでしょうか?

宇沢先生は新自由主義を、
「人間の一人一人の能力が最大限に発揮され、様々な生産要素が効率的に利用できるという条件下で、全ての資源、生産要素を私有化し、全てのものを市場を通じて取引すること。」
と定義されています。

私が思うに、
ポイントは、「人間の一人一人の能力が最大限に発揮され、様々な生産要素が効率的に利用できるという条件下で」というところ。

私たちの社会は自然界の生態系と同じく、
お互いがお互いの制約となることは避けることはできず、
そのような条件が揃う事は決してありえません。
新自由主義が完全におかしいところは、
現実にはありえない前提を、ありえることとして認め、
その上で議論を進めていることです。
つまり、議論を始める前に、
既に“現実”からの大きな飛躍が存在するのです。

私には、一種のトリックとしか思えません。
物理で言えば、開放系かつ複雑系である空気の動きを、
閉鎖系の理想気体で理解しようとしているようなものです。
別の表現をすれば、
量子論を、ニュートン力学で解けると考えているようなものでしょう。

先のフリードマンの麻薬や黒人の発言も、
現実的ではない状態を前提として論理を展開しており、
それに気づかない人たちが、
何となく納得させられてしまっているのが怖いところです。
危うい新興宗教や健康食品、エステと似ています。
宇沢先生が、新自由主義のことを“信念”と表現されているのは、
こういうところに理由があるのだと思います。

ミルトン・フリードマンの考えは、
レーガン大統領、ブッシュ親子、そして、
先にあげたラリー・サマーズ、ティモシー・ガイトナーへと受け継がれているとのこと。

イギリスでは新自由主義の元祖の一人であるハイエクに傾倒していた、
故サッチャー元首相も同じです。
私は、サッチャーが首相を勤めた前と後とにイギリスを訪れましたが、
サッチャー後のイギリスが、明らかにすさんだことは間違いありません。
経済系の新聞などでは英国病を立て直した人と喧伝されていますが、
あくまでそれは一面的な話で、
実際には大量の失業者を生み、医療は崩壊し、
総合的に庶民の暮らしの質は劣化しました。
IRAの爆弾テロは頻発し、フォークランド紛争も引き起こされました。
彼らが勝手に考える「正義」のためなら、
人の命やささやかな幸せでさえ犠牲にすることを、
まさに実行した人でした。

新自由主義が前提とする完全な公平性が、
決して実現できない現実世界において、
極端な規制緩和と自由化とを行うならば、
結局、不均衡な経済、不均衡な社会が出来上がり、
自律的な回復力をも失ってしまいます。
つまり、行き着く先は破綻することを意味します。

新自由主義に対峙して、
宇沢先生が提言されるのは、
簡単に言えば「守るべきものはきちんと守る」こと。

例えば、自然環境、農業、社会インフラ、
そして制度資本(教育、医療、金融、司法、行政、出版)などの、
基本的に市場競争にそぐわない分野については、
社会共通資本として社会全体で守っていき、
その管理には、職業的な知見と高い倫理観を持った人が携わる必要があるとのことです。

宇沢先生は、特に日本の農業については、
それを経営的、組織的に運営することは難しいことから、
社会的共通資本として守っていくべき重要なものと位置づけられています。

そういった「守るべきものは守る」考え方の経済学者として、
宇沢先生は、“sanity”= “人間らしい気持ち”、を持った経済学者、
という表現をしながら、神野直彦さん、金子勝さんを高く評価されています。

私もそれに全く同感です。

スペースシップアース ~ なぜ人類の危機は解決しないのか?

2013年03月21日 22時56分41秒 | グローバルからグローカルへ

昨晩のこと、
NHK-BS1で放映されていた、
ドキュメンタリー「スペースシップアース」を、
小学生の息子と一緒に見ていました。

番組は、人類の急速な増加と産業発展から、
すでに回復が難しいくらいに大きく破壊されてしまった、
宇宙船地球号「スペースシップアース」の舵を、
今後、どのように切っていけばよいかについて、
世界の賢人たちにインタビューした番組でした。

番組の冒頭からサティシュとヘレナが取り上げられ、
また、シューマッハカレッジの図書館などが画面に出てくるのを見て、
思わず懐かしいなとつぶやいていると、
隣に座っていた子供から、
「そんなこと言っている場合じゃないでしょう。
 これだけ危機なのに、
 どの大人も、なぜすぐに行動しないの?」
と怒られる始末。

ついこの間までオムツを取り替えてあげていた気がしますが、
いつのまにかサティシュの話を理解している子供の成長に、
ちょっと嬉しい反面、
地球環境問題の根本的な解決が、
未だになされていないことを再認識させられ、
こつんと目を覚まさせられた感じでした。

さて、そんな人類と地球の危機についてのテレビ番組を、
親子で一緒になって見た経験は、
実は、私にとっては二度目のこと。

一度目は、
それは年を溯ること1970年代。
私が息子と同じくらいの年だったころのことです。
父とともに、
やはり同じようなNHKの特集番組を見ていました。

その番組のテーマは、
環境汚染、人口爆発、地球寒冷化により、
将来、人類は危機に直面するだろうというもの。

私の記憶にあるのは、
大気汚染のためにマスクをしなければ外に出られないほど大気は汚れ、
大通りにある大スクリーンの前に、
マスクをした群集が集まり、
政府が発表する危機的な宣言を聴いている場面。
その番組は、私にはとても怖かった記憶があります。

全員がマスクをしている風景など、
当時は、まさか起こらないだろうと思っていましたが、
いつしか、それは現実のものとなりました。

地球寒冷化は地球温暖化に差し替わったものの、
あとの環境汚染と人口爆発は相変わらずの問題です。
解決しないうちに一世代がたってしまいました。

どの国も、
ブータンのように、
子供のときから精神的教養を教えられ、
国全体が質素を重んじ、心の豊かさを尊重する文化であれば良いのですが、
現代において、ブータンは例外中の例外ともいえる存在。
大半の国では、
物、お金、娯楽に心を奪われる価値観が広がっています。
地球規模の環境問題よりも、自分の目の前のことのほうが大事です。
日本も例外ではありません。
環境省こそあるものの、本腰を入れた活動はなされていません。

国の政治はどうしても、
そのマジョリティーに迎合します。
従って、国といった大きなレベルで、
舵を一気に反対側に切ることは、極めて難しいのが現実です。

多分、解決への方法は、
小さな部分から変わっていく事。
まずは自分自身が変わること、
そして、家族や知り合いといった身近な人から、
一人ずつエコロジカルな価値観を持つ人を増やしていくこと。
そして、そのような人が増えて、
その地域、或いは、何らかのコミュニティーの、
マジョリティーとなること。

小さな一歩ですが、
そのような小さな地域やコミュニティーが増えていくほどに、
国や世界も変わっていくはずです。

“Small is Beautiful.”

様々な意味で、含蓄の深い言葉です。

「豊かさ」のバランス ~ 三側面の豊かさを考える

2013年03月16日 16時33分51秒 | 幸福なくらし

一般的に、
暮らしの豊かさというと、
経済的、物質的な豊かさのことを意味することがほとんどです。

その、物やお金こそ豊かさの象徴とする価値観は
世の中の空気の中にいまだ色濃く存在します。

すでに江戸時代において、
暮らしの中に占める貨幣の比率は高かったものの、
明治以降に国を挙げて西洋化をめざしてから、
共同体的な暮らしは急速に崩れ、
人々はお金がなくては暮らせなくなっていきました。

その為、
経済活動を活発化させて、
人々の懐具合を良くすることこそ、
豊かで、幸福であることの基本と考えられるようになりました。

しかし、その考え方に沿った諸活動の影で、
まるで薬の副作用のように、
多くの問題点が表面化してきました。

現代においても、
マクロな視点においては、
まだまだ経済発展をしていかないと、
社会全体の経済的な豊かさが保たれないとして、
経済優先の政策が推し進められているものの、
その一方で、
ミクロな視点で世の中を見るならば、
“豊かさ”や“幸せ”とは逆の、
様々な心理的、社会的、環境的な問題が、
いたるところから沁み出てきて、
それらは、じわじわと広まってきています。

個別の問題に対しては、
後手後手で、部分的ではありますが、
対処療法的な対応がなされてきたものの、
今のままでは、
今後も形を変えながら、いろいろな問題が出続けるはずです。

そのような不整合をいつまでも続けるわけにはいきません。

そのためには、
私たちは、物事を考えるときに、
一つの新たなルールを課すことが必須であろうと思います。

それは、物事を考える際のガイドラインとして、
これまで「経済的豊かさ」一本だったものに対し、
必ず、「精神的豊かさ」と「生態系的豊かさ」の視点を加え、
その三側面の豊かさについて、
それぞれ等しくバランスをとって検討することを、
社会のルールとして組み込むということです。

これは、サティシュ・クマールが、
物事を考えるうえで、常に、
Soil(土)、Soul(魂)、Society(社会)
の三つを考え合わせることを奨めておられることにも共通します。
それぞれ、どれに偏ってもダメです。
その三つが必ず同時に成立することが必要です。

しかしながら、
一つの視点だけの判断であれば、
比較的容易に白黒の判断ができますが、
三側面を総合的に判断するとなると、
とたんに判断は難しくなります。

じっくりと多様な人々の考えに耳を傾け、
可能な限り十分な事実に基づきながら、
真の対話を通じた合意形成を行うことが必要になります。
その、到達した答えは、
「経済的豊かさ」のみを考えていた時とは、
全く異なるものになるはずです。

「精神的豊かさ」には、
まずは、人間の基本的な欲求である、
生命の安全や基本的な暮らしが営めることによる安心感が得られ、
基本的な家族愛、或いは、それに代わる愛に満たされた、
人と人との交流のある暮らしができることが必要でしょう。
そして、社会的に基本的人権、自由、公平性が確保されていること、
さらに、前述の基本が保障された上において、
様々な創造的な活動や体験による幸福感を得られるということが、
より精神的豊かさを増していくのだと思います。

「生態系的豊かさ」には、
グローバル的には、
地球生命系が多様性と安定性と強靭さとを保つに十分な、
地球全体の自然システムが保護されることが大事でしょう。
そして、ローカル的には、
地域において健全な自然生態系を保ち、
人間と自然の共生関係が築かれていることが求められると思います。
また、
遺伝子操作作物のような、
自然生態系を破壊する可能性のあるものを自然界に持ち込むことは、
明らかに「生態系的豊かさ」を脅かす行為として、
厳しく制限をする必要があろうかと思います。

国際関係や国政においても、
或いは、地域行政やまちづくりにおいても、
さらには、企業による商品開発や生産、サービスの提供においても、
何かを計画したり、行動を起こしたりする際に、
この、経済的、精神的、生態系的豊かさの三側面を考えることは、
きっと未来においては当たり前のことになろうと思います。

きちんと三側面の豊かさを考え、実行していく国や地域から、
本当の幸せな社会が実現されていくのでしょう。

日本の民主主義はどこへ行く?

2013年03月05日 20時42分18秒 | 時事~経済の流れ、社会の動き

この頃、進み始めたと思った時計の針が、
いつのまにか後退しているような出来事が続きます。

自然エネルギーの方向に進むと見られた米国でも、
シェールガスブームで、省エネなどどこ吹く風。

日本でも政治、経済のあらゆるところで、
過去の亡霊が現れて暴れているかのような状況が、
展開されています。

今日は、こんなことがあってよいのだろうかと、
目を疑うような記事。

「中環審「脱原発派」の就任取り消し」朝日新聞

環境大臣の諮問機関である中央環境審議会の委員から、
原発に慎重な人達が除かれるとのこと。

権力を持つ者が反対意見を持つ者を排除し、
強引に意図する方向に政策を決めてしまうという、
あるべき社会には許されないこと。
遥か昔、約70年も前に、東条英機が行ったことと同じです。
野田前首相あたりから、官僚と政治家がタグを組んでの横暴な政治が目立ちます。

これでは日本は世界に取り残されるどころか、
20世紀以前の状態に逆戻りしようとしています。

いま日本は、
国政のみならず、地方においても、
ものごとが密室で決まってしまいます。

情報を隠して、裏で決めてしまうのではなく、
情報のオープン化と政策決定の透明性を確保することは、
真の民主主義を実現する上でとても大事なことだと思います。
また意見を異にする人たちの話を聞くことこそ、
自分たちの過ちを少なくすために不可欠なことです。
ですから、
しっかりといろいろな意見の人が、
話し合いに参加することこそ大事です。
政治だけではありません。
あらゆる組織においても大事です。

裏で決めることは、
権力者にとっては都合の良い事ですが、
その影響を受ける大多数の者にとっては、
国や組織に対する信頼を失い、貢献意欲を減退させる原因となります。

まずは、
この不完全な日本の民主主義の問題に、
より多くの方がおかしいと気付くことが必要でしょう。
そして、利権を優先する政治家を国会に送り込むことを、
やめていかなくてはいけません。

自分が死ぬまでに真の民主主義は実現するのでしょうか・・・
いや、実現しなければなりません。

Work-Love Balance

2013年02月26日 20時17分37秒 | 幸福なくらし

以前にスイスのシュタイナー学校の先生をされている方と、
お話しする機会がありました。
スイスでも、小さな子供を持つ世帯で、
経済的な理由から、
共働き夫婦が増えているとのこと。
子供がまだ小さいうちは、
十分な親の愛情が必要なのですが、
年々、それがなかなかできない家庭が増えており、
子供の成長に影響を及ぼしているのだそうです。

私は教育者や心理学者ではありませんが、
自分の経験や今まで出会ってきた人たちを見てきた中で、
子供時代にどのように愛が与えられてきたかということと、
その人が大きくなってからの性格とは、
とても深く関連しているように思えてなりません。

本当の愛に十分に包まれて育てられた子供は、
大人になると、
やさしさに満ちた人であるのみならず、
不安や恐れや、思い込みにあまり影響されない、
素直で、冷静な判断のできる、
全体的にバランスが取れた性格を持つ傾向が強いのではないかと思います。
形でいうなれば、きれいな丸い形の心が育まれているような気がします。

しかし、子供時代に受けるべき愛が不足していたり、
親がよかれと思って子供に接していても、
実は子供にとってマイナスな影響を及ぼしていた場合などには、
本来、丸いはずの心に窪みができ、
その形質はその人の性格の一部となって、
ほぼ一生にわたって影響しているのではないかと思います。

その心の形質は、遺伝とは関係なく、
親から子へと継承されていく傾向があるように思います。
なぜかと言うと、
その心の窪みは、必ずその代償を求めるからです。
足りなかった愛の埋め合わせを求める言動が、
ネガとポジの関係のように、
子供の心にその形質を転写してしまうのです。

その代償は人それぞれに意外な形で出てくるようです。
食欲に向かう場合もあれば、過剰なコレクションに向かう場合もあります。
わがままな自己中心的な性格として現れる場合もあるでしょう。
いずれにしても、埋め合わせを満たすための執着的な要求が特徴です。
また、その窪んだ傷痕に触れられるようなことがあると敏感に反応し、
場合によっては周囲の人を驚かすほどの過剰な反応を示すこともあります。

例えば、親にしつこく叱られて育った子供は、
これ以上、叱られないようにと完璧な子供を演じようとします。
それは本来の調和のとれた丸い心に、
悲しいかな、意図せずに窪みを作ってしまいます。
その子供が大人になったとき、
その人は自分に対する批判や非難に敏感となります。
子供ができ、親になれば、
自分の子供が言うことを聞かないと、
子供に自分を否定されているような感覚に陥り、
子供をしつこく叱ってしまいます。

子供は最初のうちは抵抗しますが、
抵抗すればするほど、親も過剰に反応します。
従順な子供は次第に抵抗することを止め、
叱られないために自分自身を殻に閉じ込めます。
そして、その親の影響を抜け出せない限りは、
その親が育った経緯を繰り返し、
その形質をさらに次の世代に伝えていくこととなります。

この心の窪みの影響は、
ストレスが重なるとさらに前面に出やすくなります。

例えば、若い世代の子育て夫婦が、
子供を保育園に預け、働きに出ることは、
身体的にも、精神的にもストレスを増やします。
そうなると、これまで大丈夫だった心の窪みでさえ、
表に出てくるようになり、それが子供に転写されてしまいます。
そして、その転写は、その次の世代へと繰り返されていきます。

どこで最初に目にしたのか忘れましたが、
“Work-Love Balance”と言う言葉。
多くの人が仕事に追われて生活している現代社会の、
本質的な課題の一端を如実に表しているように思います。

残念ながら経済なくしては暮らしていけない現代において、
経済を優先する陰で、愛を犠牲にしていることが多々あります。
必要な愛が欠如したとき、そこには必ず影ができ、
マイナスの影響が出てきます。
それは個人のみならず、会社や組織、地域にも同じことが言えます。

この問題は社会全体に関連することから、
皆がこの重要さを再認識して、
社会全体で取り組まなければ、
解決しないでしょう。

ホリスティックな世界観とは ~ サティシュの想い

2013年02月12日 23時09分47秒 | 大自然のしくみから学ぶ社会

この連休の八ヶ岳はちょっと冷えた日々でした。

その寒い冷え冷えとした夜のこと、
何だか肩のあたりが寒いなと感じる寝床の中で、
ふと、
この冷え切った八ヶ岳で突然に外に放り出され、
もし自分が何の道具も持たないまま、
たった一人で生きていかなくてはならなくなったとしたら、
一体どのように生き延びたらよいのだろうかと気になってしまいました。

暖をとるのには薪がいります。
薪を切るには斧かのこぎりがいります。
のこぎりを作るには鉄がいります。
どこにその鉄を含んだ山があるのでしょうか?
どうやってその山から鉄を掘り出したらよいのでしょうか?
仮に鉄を含んだ岩があったとしても、
どうやってそれを溶かすことのできる高温を作り出したらよいのでしょうか?

私はそれなりの文明をもった時代に生まれてきましたが、
私自身は、小さな鉄や銅の破片さえ作ることができません。
できるとしたら、石の矢じりや斧くらいしか作れません。
仮に鉄鉱石の在りかや、鉄の作り方を知っていたとしても、
私一人では作ることは難しいのは目に見えています。
結局、どう考えても、
私は縄文人以下の暮らししかできません。

それを考えると私たちの文明は、
仕事の分業と集約によって豊かになってきた、
と言っても過言ではありません。
誰かが鉄鉱石を山から掘り、多くの人の手を経て、
鉄鉱石が鉄の塊となり、鉄の塊から様々な道具や部品が作られていきます。
私たちの豊かな暮らしは、
究極的には世界中の全ての人や会社、団体のおかげで成り立っています。

考えると当たり前の話なのですが、
こう世の中が複雑になってくると、
こういった世界の繋がりといったものがよく分からなくなってきてしまいます。
そのために、”何か”に不都合を感じると、
全体の関連性までは考えずに、
安直に因果関係を決めつけてしまいがちになってしまいます。
そして、一旦原因を決めつけると、
すぐにその”何か”を排除してしまおうという思考に走りがちになります。

「こんなに住みにくい世の中になったのは経済優先の社会が悪いからだ」
「資本主義は悪だ、変えるべきだ」
「反××・・・」
といった論調が後を絶ちませんが、それらも似たようなものです。

その思考の根底には、
私と相手(対象)は別であり、切り離されたものであるという、
一種の分離意識があります。
今や世界の殆どの人が、生まれてから無意識のうちに植えつけられてきた世界観です。
機械論的世界観や二元論とも言われます。

私たちの社会やこの地球の生命系の実際は、
まったくその逆で、
お互いがお互いに強く影響を与え合い、
お互いがあるからこそ「個」が存在できる、
全てを含む一つの全体システムです。
そこにある「個」は、決して全体から切り離すことも、
独立して存在することもできません。

その全体システムでは、
”何か”の問題が起こった場合、
それは特定の”何か”を原因として起っているのではなく、
それを取り巻く全体の相互の影響から問題が浮かび上がってきます。
例えば癌の場合では、
その臓器がおかしくなったから癌が発生したわけではなく、
その人を取り巻く環境、食、仕事、人間関係、その人自身の想念など、
様々な複合的な要因が重なって、
癌細胞が増殖できる素地が出来上がり、癌細胞が自然に増えていくと言われています。

こういった全体の相互関係に気付くことによって、
問題を解決するアプローチも変わってきます。
そのホリスティックなアプローチは、
これまでの、単に部品を修理したり交換したりするような解決法というよりは、
いわば、「場」を調整すると表現した方が適切かもしれません。
それは、より質に重点がおかれた本質的な対策となる可能性をもっています。

3月の末から4月のはじめにかけて、
再びサティシュ・クマールさんが来日され全国講演ツアーが行われます。
サティシュが世界を駆け巡って人々に語りかけている、
最も重要なポイントこそ、
このホリスティックな世界観についてです。

私たちが従来の分離意識による世界観のままでいるのか、
それともホリスティックな世界観を併せ持つのかによって、
私たちの未来は大きく変わってきます。
サティシュがダーティントン財団とともに、
イギリスにシューマッハカレッジを作り、
ホリスティックな世界観をもって活動や研究をしている数少ない先駆者達を、
世界中から招聘していることも、
原点はここにあります。

サティシュの今回の来日では、
嬉しいことに、初めて中京圏でも講演が行われる計画もあるようです。

近くツアーの予定が公表されることと思います。
(詳しくはこちらで・・・ ナマケモノ倶楽部HP

いつも招聘にご尽力くださっている辻先生やそのスタッフの方々、
それに各地での実行委員会の方々に本当に感謝です。

Seven Life Lessons of Chaos

2013年02月02日 11時12分21秒 | 大自然のしくみから学ぶ社会

シューマッハカレッジの後輩のエッセイ(レポート)を読んでいたら、
ある書籍を頻繁に引用しているので、
ちょっと気になってリファレンスを見たら次のような本でした。

Seven Life Lessons of Chaos: Spiritual Wisdom from the Science of Change
HarperCollins e-books


byJohn Briggs, F David Peat

左のおすすめ本にもある、
“Science, Order and Creativity“を、
David Bormと一緒に書かれたDavid Peatの著作でした。

日本語訳も出ていました。
実に10年以上も前に出版されていて、
これまで気付かなかったのが情けなくなります。

バタフライパワー―カオスは創造性の源だ
ダイヤモンド社


この本の内容としては、
かなり前に、このブログでも複雑系と自己組織化について書いたことがありますが
概略においてそれとほぼ同じです。
この本はその内容がもっと分かりやすく、
しっかりと書かれています。

複雑系の大きな特徴の一つが自己組織化です。
私たちの世界では、
原子のレベルから、宇宙の星々の動きまで、
無生物の世界から、地球生態系といったあらゆる側面で、
「個」がお互いに影響し合い、
そこから一定の秩序が創出する自己組織化が起こっています。
つまり、私たちの宇宙は複雑系のしくみによって、
その多くができていると言っても過言ではありません。

自己組織化は、
様々な相互の力の働き方が、
極めて特定の条件を満たしたときに起こります。
これが自然界でごく当たり前に起こっていることは驚愕に値することです。

宇宙がビックバンに始まり、初期の混沌とした状態から、
自己組織化によって今日の世界へと形づくられてきたことを考えると、
この宇宙の諸物の全てには、
宇宙の始まりから永遠の未来のことまでを全て見通したかのように、
人間の知恵を遥かに超えた調和律が埋め込まれているとしか考えられません。

そのような自然界がもつ、
複雑系や自己組織化の特徴を考察することで、
私たちの人生や社会のよりよい在り方のために、
何か学べることがあるのではないかというのが、
この本の目的です。

この本、とてもお奨めなのですが、
既に絶版となっており残念ながら中古でしか買えません。
この手の本は日本では本当に売れません。

さて、この本の日本語訳は複雑系の専門の方が監修しているだけあって、
大方において問題ないと思います。
しかし、P111~P118でDavid Bormの”dialogue”が紹介されているところで、これを日本語で「問答」と訳しています。
もちろん、これは「対話」のほうが適切でしょう。
「問答」だと本来の意味の反対になりかねません。
この部分は読み替えて頂くほうが良いと思います。

神は自分 ~ 谷口正和さんのブログより

2013年01月25日 12時36分59秒 | 大自然のしくみから学ぶ社会

マーケティングプランナーの谷口正和氏が、
さらりと大事なことを書いておられるのでご紹介。

谷口正和さんのブログ ~ 発想の画帳
「神は自分」


この宇宙、大自然が神であるなら、
私も、あなたも神の一部。
この世の中で神でないものはありません。
一見穢れたように見えるものであっても、
それでも神の一部と考えられます。
全ては尊く、究極的には同じ一つの存在なのでしょうね。きっと。

本当の“エコロジカル”を実現するために

2013年01月22日 06時18分55秒 | 大自然のしくみから学ぶ社会

エコロジカルという言葉は、
最も狭義の意味では“生態学的”となりますが、
一般的には、
地球に負荷をかけずに、
地球に優しいものやことを表す言葉として、
使われていることが多いかと思います。

日本ではあまり見かけませんが、
英語ではもっと深い意味を持たせた使い方をしている場合もあります。

それは語源のとおり、
宇宙万物の道理に即していること。
大自然の摂理に調和していることを意味しています。

そもそも人間も他の動物と同じように、
直感を通じて、
エコロジカルであるか、そうでないかの区別ができると言います。
その直感は、心の感情を通じて、
それが想いや思考となり、
行動へと変化していきます。

一人一人のエコロジカルな直感が、
お互いの“真の対話”を通じて共鳴して増幅され、
それが社会の意思決定につながっていてこそ、
大自然と基礎を同じにし、それと調和した状態の、
本当のエコロジカル社会と言えると思います。

会社でも同じことです。
本当にエコロジカルな会社=宇宙万物の道理に則した会社、
を目指すためには、
社員一人一人のその奥深い直感が、
想いや考え、行動を通じて、
確実に経営に直結できていなければなりません。

過去数千年続いてきた封建社会を、
いまでも続けている上位下達の組織では不可能です。

上司部下の関係から、
それぞれの能力を活かしたチームワークの関係へ変わっていかなければなりません。
チームワークを活かす為には、お互いが必要な情報を共有し、
真の対話を行える場が必要です。
真の対話を行うためには、一人一人の自覚と自主性が必要です。
その為には組織としても、
一人一人が必要な考え方や知識を学び、
コミュニケーションのトレーニングなどもできる、
教育の場を提供していくことも重要です。

組織には、その組織がなぜ存在しなければならないかを示す、
社会的使命と責任が明確でなければなりません。
それに賛同したメンバーが集まり、
その実現のために、それぞれが力を合わせるのです。

現代において一番柔軟に変わっていけるのはNPOや会社です。
一気に変革していくのは難しいですが、
まずは教育の機会をつくり、チームワーク作りを行っていくなど、
少しずつ変革していくのが良いと思います。

私の回りにも、少しずつ変わって行っている会社が出てきています。
10年後、20年後が楽しみです。

天外伺朗さんのレポート

2013年01月04日 21時48分24秒 | 時事~経済の流れ、社会の動き

八ヶ岳のお正月は、
12月の寒波と年末の雪が嘘のように、
晴天でおだやかな、お正月らしい三が日でした。

トンネル事故のために、
東京方面から来られる方が少なかったこともあって、
いつもなら年末年始はそれなりに賑わうリゾート地も、
なんとなく静かな感じでした。

さて、日本で名前が通っている方々の中で、
私と一番考え方の近い方というと、
それは、天外伺朗さんではないかと思います。

人間の本性のレベルから物事を考え、
そこからビジネス、経済、社会などの世界を読み解き、
ホリスティックな視点をもって自ら分析し考えたことを、
公に発信し続けている方は、
天外さんは唯一無二の方だと思います。

天外さんが、元旦に出されたレポートですが、
人間の心理学的、精神的な発達段階の観点から、
今の日本の情勢を論じておられます。
とても端的に書かれており、分かりやすいので、
ここに転載させていただきます。

天外さんのレポートは、
このブログをお読みいただいている方にも、
きっと気に入っていただけると思います。
お奨めです。(購読無料)

では、ここから転載。
*****************


  天外レポート No69 (2013年1月1日)

 明けましておめでとうございます
一昨年は大震災、原発事故があり、昨年は竹島問題、
尖閣問題と続き、自民党の圧勝で終わりました。

 直前の反原発運動の盛り上がりから見ると、選挙結果
に対する違和感の声も多く聞こえてきましたが、いまの
日本の民意が反映していることは確かでしょう。

 今回の福島原発事故は、原子力村やその支配下にある学者
たちの実体を明らかにし、国、科学、報道に対する信頼を
失墜させました。戦後67年年が経過し、日本の社会は
はたして進化してきたでしょうか。
 昨年10月のメルマガ(天外レポートNo67:尖閣問題と社会
の進化)で取り上げた「社会の進化」の問題を、もう一度
掘り下げてみましょう。

 北朝鮮や中国のように「国民を洗脳しないと体制が維持
できない」社会より、今の日本の方が進化した社会である
ことには、あまり異論がないと思います。
 「洗脳」は、依存の残った「中期自我」というレベルに
人々を押しとどめてしまいます。国の扇動に乗って、軽々
しく反日デモで荒れ狂うのは「中期自我」の人たちです。

 中国は、天安門事件のときには、依存を脱して独立を
達成した「後期自我」のレベルの人がかなり育ってきた
ように見えましたが、その後の弾圧によって社会の進化
は遅れました。中国にはまだ、「中期自我」の人が溢れて
いる証拠が昨年の破壊的な反日デモです。

 ただ、私が個人的に知っている中国人は、国の洗脳政治に
批判的な人ばかりであり、例外なく「後期自我」のレベルに
まで育っています。
 サッカーの岡田武史、前日本代表監督は、いま中国の地方
チームの監督をやっておられますが、尖閣問題の影響は
まったくなく、人々は親切で熱狂的にサポートしてくれている、
といっておられます。

 新聞報道だけ読んでいるとわかりませんが、中国社会は
国の洗脳政治にもかかわらず、「後期自我」の人たちが少し
ずつ育ってきており、底辺から社会が揺れています。
 「後期自我」の人口が一定以上に増えると、今のような
強圧的な政治はできなくなり、外からも社会の進化が見える
ように枠組みが変わるしょう。
 このように、人々の意識のレベルが少しずつ向上し、次の
レベルに達した人が一定以上になった時に、古い体制が壊れ、
誰の目にも社会の進化が見えるようになるのです。

 さて、ひるがえって日本の社会はどうでしょうか。
信じたくないかもしれませんが、戦前までは全体主義、
軍国主義のとんでもない洗脳政治だったので、社会の進化
という意味では今の北朝鮮と同じレベルだったと思います。
 安保の風が吹き荒れた40年前は、会社の中のほとんどの
社員は、上司の命令に忠実で、滅私奉公をする「中期自我」
でした。つまり、戦前の洗脳政治の後遺症が、まだ残って
いたと思います。

 いまはどうでしょう?ひとつには、年功序列、終身雇用、
面倒見の良い日本型の経営スタイルが崩れて、いつリストラ
されるかわからない不安定な雇用状況になったせいもありますが、
会社に対して依存心が残っている人はめっきり減りました。
 親や配偶者や宗教などに、まだ依存している「中期自我」の
レベルの人は、かなりの数いますが、圧倒的に独立心のある
「後期自我」のレベルが増えてきました。

 「後期自我」の人は、他人に対する依存を脱したレベル、
と書きました。さらに詳しくいうと、表面的には立派な
社会人というペルソナ(仮面)を演じていますが、深層意識には
巨大なシャドー(影=抑圧された部分人格や衝動)の
モンスターが隠れている、というレベルです。
 いわば、人間に化けた狸がズボンの下に巨大な尻尾を隠して
いるようなものです。
 特徴としては、常に何かに戦いを挑んでいないと精神が安定
せず、多くの場合「悪」と戦う「正義の味方」に自分を同一化
します。したがって、自分とは意見の違う人たちを「悪」と
決めつけて粉砕しようとする傾向があります。
また、自己顕示欲が強いことが多いです。

 戦後の平和な67年のお陰で、日本は「中期自我」から
「後期自我」に向かう成長を遂げた人が増え、それに伴う
社会の進化をしっかりと歩んできたと思います。
 つまり、北朝鮮や中国がこれから直面しなければいけない
社会の大きな変局点は、日本では既に過去の話であり、
その次のレベルの社会へと移行しつつある、というのが
私の見解です。

 「後期自我」の次のレベルは、シャドーのモンスターが
少しおとなしくなった「成熟した自我」と呼ばれています。
 やたらに戦いを仕掛けることがなくなり、自己顕示欲が
少なくなり、自分と違う意見の人とも溶け合えるのが特徴です。
 東北にボランティアに行っていた若者たちと話すと、この
「成熟した自我」に達しているな、と感じる人が多く、日本も
次の社会の変革に差し掛かっていることがよくわかります。

 昨年10月のメルマガに書いたように、「成熟した自我」まで
達した人は自己顕示欲が希薄なので衆議院選挙に立候補する
ことはないでしょう。でも彼らも投票権があるので、選挙結果
を見れば、「成熟した自我」の人口比率がわかるはずです。

 もちろん、候補者は全員「後期自我」ですから、「成熟した
自我」の人たちが本当に投票したい人はいないかもしれません。
 そういう視点で、今回の総選挙の結果を見ると、不謹慎だと
叱られそうですが、投票率の低さは社会の進化の証かもしれません。

 原発に関して言えば、推進派は経済成長を最も重視しており、
いまの競争社会の価値観を肯定している「後期自我」の人が多い
でしょう。
「成熟した自我」の人は戦いを好まなくなり、経済的な
発展にあまり価値を見出さなくなります。そういう人が増える、
次の社会は競争がゆるやかになり、GDP(国内総生産)が下がり、
原発がなくなるという方向性を持っています。

 しかしながら、反原発派のほうが進化した人類かというと、
そんなことはありません。多くの反原発論者が、原発推進論者
のことを「人命の尊重より、経済原理を優先する、とんでも
ない連中だ」と否定し、粉砕しようとしています。
 これは、自分と違う意見の人を許容できず、すべてを
「正義と悪」という構図にあてはめ、自分を正義の味方に
同一化している「後期自我」の典型的な思考パターンです。

 1970年代の石油ショックの時、産油国に経済の首根っこを
抑えられたらかなわないと、日本は全面的に原発推進に舵を
切りました。同時に、クエート大使を外務省ではなく通産省
から出すなど、石油が安定的に供給されるための手を次々に
打ちました。

 私自身は、生理的に原発が嫌いで、そのときに東京湾に
巨大な堤防を築いて潮汐発電をするという、大規模クリーン・
エネルギー開発のプロジェクトを推進しました。いわば、
チェルノブイリや福島以前からの筋金入りの反原発論者です。
だからといって、原発推進派を非難しようとは思いません。
彼らも、真剣に日本の将来を憂いて、知恵を絞ってきたのです。

 手塚治虫は「鉄腕アトム」のころまでは「正義と悪」の
対決を書いており、「後期自我」だったと思いますが、
『火の鳥』あたりから「成熟した自我」に成長しています。
 宮崎駿のアニメは、「正義と悪」の呪縛にとらわれていません。

 いま日本が直面している社会の進化は、「正義と悪」という
ステレオタイプの思考パターンから抜け出し、意見の違う人
達がお互いに尊重し合い、共存できる社会へ向かっています。
 まだしばらく過渡期が続きそうですが、新しい年を迎えるに
あたって、次の社会に向かう希望あふれる道を、皆さまと
ともに歩んでいきたいと思います。





 さて、以下はお知らせです。


1.大阪で心力教室を開いているPLAでの
天外の講演会と天外塾
 
講演会 2013年1月12日(土)、7月27日(土)

天外塾 2013年10月25日、11月22日、12月20日
    2014年 1月24日、2月27日、3月28日
    (いずれも金曜日) 

インフォメーションは下記の無料メルマガより発信される予定。
http://www.tengeshiroh.com/

こちらの主催は、㈱office JKではなく、

PLA株式会社

〒553-0001
大阪市福島区海老江2丁目1-31 青山ビル7F
TEL:06-4798-0213 / FAX:06-4798-0210
フリーダイヤル:0120-50-3601
http://pla-samurai.jp/index.html


2.2013年度札幌天外塾

日程は、2013年4月5日、5月10日、6月7日、
7月5日、8月2日、9月6日の全6回(いずれも金曜日)。


 こちらの主催は、㈱office JKではなく、

太田綜合法律事務所(元塾生)。

詳細情報、お申込みは下記。

【申込み窓口】
 
太田綜合法律事務所    担当者 森祥子
http://oota-law.com/tenge-page.html
 
 お問い合わせメール: tenge.sap@gmail.com

  札幌市中央区大通西4丁目道銀ビル7階 
  電話011-222-3251 FAX011-222-5127


3.天外塾 現在募集中のセミナー

① ネッツトヨタ南国、横田英毅さんによる特別セミナー5期生 
(残席わずか)

――「人が育つマネジメント」――

第1講2013年1月25日(金)

「一番大切なことは何か」
――成功する秘訣は問題を発見して解決すること――

第2講2013年2月22日(金)

「戦略としての人材開発」
――できない理由を探さない集団の実現に向けて――

第3講2013年3月22日(金)

「人が輝く人間性尊重の組織づくり」
――働く喜びと人間力――


②  未来工業の山田昭男さんの特別セミナー3期生

――「未来工業に学ぶ『 従業員が主役! 』のマネジメント」――

 第1講 2013年4月26日(金)
「ホウレンソウは糞喰らえ!」

第2講 2013年5月31日(金)
「常に考える。なぜ!なぜ!なぜ」

 第3講 2013年6月28日(金)
「ケチケチ主義、でもドーンと気前よく!」


③  「フロー体験」に接地するための
インナーチャイルド・ワーク

 第1講 2013年2月15日(金)
(楽しい体験・つらい体験の瞑想)

 第2講 2013年3月15日(金)
(フォーカシング瞑想)

 第3講 2013年4月19日(金)
(インナーチャイルド・ワーク)

 これは、「フロー」に入るための自己改造ワークです。
「フロー経営」を実行したり指導したりするためには、
まず自分自身がしっかりと「フロー体験」をしていなければいけません。
しかしながら、多くの人が幼少期のつらい体験を通じて
情動に蓋をしてしまい「フロー」に入れなくなっています。
このワークショップは、幼児期に遡ってそれを解消します。

天外塾2009年以降の卒業生のみが対象です。

④  親子の葛藤を解消するワーク

第1講 2013年5月24日(金)(親殺しの瞑想)

第2講 2013年6月21日(金)(感謝の瞑想)

第3講 2013年7月19日(金)(リバーシング・ワーク)

 多くの人の多くのトラブルの底に、
じつは「親子の葛藤」が潜んでいます。
それに対する的確なアプローチにより、
人生は見違えるように変わります。
後継者問題に悩んでおられる方にもお薦めです。
天外塾2009年以降の卒業生のみが対象です。


⑤ 経営者のための運力強化ワーク

第1講 2013年9月20日(金)(「死」と直面するワーク)

第2講 2013年10月18日(金)(ハイア―セルフと出会うワーク)

第3講 2013年11月15日(金)(「感謝の祈り」のワーク)

 これ は、去年から始めている「運力強化」のためのセミナーです。
社内手続きのために「経営」という言葉を入れてくれ、
というご要望が多かったので、タイトルを変えました。
 名経営者と言われるような人は、往々にして大病を経験しています。
それは偶然ではなく、大病により死と直面し
「意識の変容」を起こすからです。 
このワークショップは、大病にならずとも
同様な「意識の変容」へ向かう方向性を持っています。
できれば毎年の受講をお薦めします。
   
 天外塾2009年以降の卒業生のみが対象です。

⑥ 天外塾は、2013年後期生を募集中です。

日程は、2013年10月11日、11月8日、12月13日、
2014年1月10日、2月7日、3月7日の全6回(いずれも金曜日)。


 いずれも場所は東京、六本木の国際文化会館です。
 
上記、6つのセミナーの「お申込みフォーム」です。
http://www.officejk.jp/category/1327009.html


4.天外塾 すでに満席のセミナー
(キャンセル待ちは受け付けています)

① 天外塾、2013年度前期生。

日程は、2013年4月5日、5月17日、6月14日、
7月12日、8月9日、9月13日の全6回(いずれも金曜日)。


5.天外塾 現在開講中のセミナー

① 天外塾、2012年度後期生。
  
日程は、2012年10月5日、11月2日、12月7日、
2013年1月11日、2月8日、3月8日の全6回(いずれも金曜日)

天外塾の詳細、お問合せは下記。
http://www.officejk.jp/
officejk@onyx.ocn.ne.jp



6.その他の天外の講演会

① 札幌での講演会(その1)

日時 :2013年1月26日(土)
     13:00開場 13:30開演

タイトル:フロー人生、フロー経営の奇跡

会場:札幌パークホテル
     札幌市中央区南10条西3丁目
     TEL011-511-3131

チケット ¥3,000円

お問い合わせ・お申込は

弁護士法人太田・小幡綜合法律事務所
TEL011-222-3251(担当:森)まで!


② 札幌での講演会(その2)

日時:2013年1月27日(日)10:00~18:00  

会場:ホテル ロイトン札幌 

〒060-0001  北海道札幌市中央区北1条西11-1
TEL : 011-271-2711

セミナー名:ホロトロピック・ネットワーク札幌、
国際和合医療学会共催セミナー

「北海道健康づくり宣言」

講演

10:00「北海道健康づくり宣言」 西谷雅史(響きの杜クリニック院長)

11:20「食と免疫」 白畑實隆(九州大学教授)     

13:30「ホロトロピック・ムーブメントのこれから」 天外伺朗
        (作家・ホロトロピック・ネットワーク主宰)  

14:50「和合医療の目指すもの」 陰山康成
      (国際和合医療学会常任理事・高輪クリニック理事長)

16:10 パネルディスカッション「北海道のこれから」
   ゲスト:石澤匠(高輪クリニック匠院長)
       秋田真元(真言密教阿闍梨)

お申込み:響きの杜クリニック
(電話: 011-632-8331、FAX: 011-632-8331 )

  e-mail: hibiki.no.mori@gmail.com



③ プロジェクト・マネジメント学会春季大会 

日時:3月13日(水) 15:30

場所:東洋大学白山キャンパス 5号館
 
基調講演:
「フロー経営」のすすめ-プロジェクトマネジメントに奇跡をおこす-

④ ホロトロピック・ワールド2013

日時:3月17日(日)10:00-18:00

大会タイトル:「All You Need Is Love 、Again〜愛こそ、すべて2013〜」

天外講演タイトル:「無分別智」を生きる

他の講演者:星川淳さん、田口ランディさん、保江邦夫さん
ピアノソロ:ウォン・ウィンツァンさん
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以上


天外伺朗
(どうぞご自由に転送、引用して下さい)
http://www.officejk.jp
officejk@onyx.ocn.ne.jp

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転載ここまで。