残りわずかな力でも伝えよう。-そして、再起。 

この難病は、私だから授かった『生きる上での宿題』と受け止めたい。生きる「希望」を
胸に。「P病撲滅」が夢。

尊いお方ほど、すんなり昇天なさるのか?使命を果たした方が逝けるのか?

2009-01-22 | Weblog
 「予定は未定であり、決定ではない。」小合先生のことの前に。

 今年、いえ昨年から、P病患者やそのご家族があっけなく昇天しておられるように思えてならない。

 1月19日 朝、 Nさんという患者歴18年の47歳の女性がお風呂でなくなっておられたと一報があった。ショック。
   20日のお昼、心筋梗塞で、やはり女性だが、こちらは多少ご年配の、伊豆悦子支部長さんが急逝なされたという。かねてより、慕っておられるお方も多く、私もその一人であるだけに、無力感というのか、喪失感というか、しばらく何も手につかない状態から我に返った時、泣きたいだけ泣いた。夢にも思っていなかった、お二人の悲報。
 DBS手術の先駆的成功例の方として有名で、地元でのご活動を優先され、患者仲間を励まし続けてこられて、伊豆さんファンは女性中心に多いと伺う。


 伊豆さんは、「能ある鷹は爪を隠す」ではないけれど、聡明なオールラウンドプレーヤーでありながら、自慢もなければ、背伸びも一切ない、自然体で飄々と肩の力の抜けた、いつも笑顔の素敵な女性だった。大きな和菓子やさんの奥さんで、ご主人と引退されて、いつもご一緒。実はお茶目なところもあったりして、若い患者の実状を、その大変さを強く訴えてくださっていた。なににたいしても、いつも感謝しておられた。誠実で几帳面な方だけに、信頼は厚く、かの高村大臣が、伊豆さんを見かけられた時の、ほっと心を許した方にしか見せないであろう満面の笑顔をなさったことがある。それを見れた幸運をつい思い出す。商工会議所の女性部長も務められたと聞いたようにおもう。ご人徳である。何かとご相談する機会もあって、すじを通す事の大事さを教えられたことも思い出される。広い懐に抱かれているかのように。

 Nさんは、かわいらしい奥さんと言うイメージのかた。手先が器用で、色々な作品と工夫の数々は、彼女の前向きな明るい性格を反映していて、多くの方に惜しげもなく分けておられたように記憶している。彼女の二人のお子さんも立派に成長され、お嬢さんは軟式テニス日本1になられたという。
彼女が先になんて、信じられない思い。

 お二人とも、いいえ、鳥取県の牧浦さんの奥様も笑顔の素敵な、すばらしい明るい方だったが、去る年末に天に逝かれた。多くの方の心にともし火を残して。
そして私は大きな示唆もいただいて今日があることに、深く感謝している。
 
 皆さん、一足先に逝かれた人は、この世の使命を大体果たしていかれたようにお見受けする。それぐらい、誠実に、かつひたむきに生きた方が多いように思うのは勝手な推測か。

 パーキンの方は、あっと逝く場合も多いとか、それが悔しいと、小合先生は言っておられたのを思い出す。整体師の先生。
 こういう方が、「品格」ある方と言うんだろうと、初対面から感動した。
お聞きすれば、人を助けてきておられる、その一筋の道。
「晴れ男」というのもうなずける。天までもが、力を貸してくれる、そんな人を想い、人を愛してやまない正義のお方。「たった一人も難病ですよ。あなた方パーキンソンも増えすぎたからといって難病対策から外すのはいかがなものか」と言われたか。穏やかな雰囲気を湛えつつ、大きなご使命を担っておられる方だと、背筋が伸びる思いがした。それにしても、握手した際の、なんともいいようのない、癒しの力みなぎる独特の手が、仏さまの手ってこういう手をしておられるのかも。だから『御手』とかいうのかも、などとつまらない連想をしておりました。