月光館

ここはネット監視者、体育協会主催の『月光館』。電網問題、成年誌、電磁遊戯のペエジ、月光館。来たい奴だけ来い。

twilight in the forbidden city (リプリント 第四判版)

2009年06月22日 19時41分33秒 | 紫禁城の黄昏関連
英語さっぱりできないのに、amazon.co.jpで"twilight in the forbidden city" (リプリント 第四判版)を買った。
典型的なペーパーバックだが、写真が奇麗で見やすい。

ざっと見た感じだが、なんかミステイクが数か所あった。
付録にジョンストンがダライ・ラマ13世について書いた記事が入ってた。

リットン報告書 その2

2008年07月04日 20時15分13秒 | 紫禁城の黄昏関連
実はリットン報告書を読んでますと「紫禁城の黄昏」の第16章の帝政派の夢と希望にあるとおり「満州での独立運動は1931年9月以前は認められない」(外務省の仮訳だと「1931年9月以前に於いて聞かざりし獨立運動が日本軍の入滿に依り可能となりたることは明らかなり 」)(*)と書いてあるのですが、よく考えれば中華民国(支那)の影響が随所に表れてるんです。

支那の外交総長として顧維鈞≪Wellington・koo≫ (彼が行ったプロパガンダについては詳細は後述)が参加してるんですよね。

かなり誇張した政治宣伝をしてます。そういった過程で満州独立運動が排除されていたのだと思います。

そういった状況をジョンストンは憂いて第16章の「帝政派の夢と希望」を書いたのでしょう。

ちょっと話はずれますが、英文の固有名詞が現代の表現とはずいぶん違いますね。

臺灣(Taiwan)が古名であるフェロモサ(Formosa)だったり、琉球諸島の綴りがLuchu island(現在はRyukyu)等々……


例えば雲南省はYunnanですが營口はYingkow(現在はYingkou)です。

錦州はChinchow。辞書引いたら現代表記はJinzhouでした。

これ以上書くと管理人の無学ぶりがばれるのでやめますが(笑)

これじゃあ素人にタンチェンシーが誰だか判りませんわ。



第6章「滿洲國 」の結論部分を全文記しておく

「1931年9月18日以來、日本軍憲の軍事上及民政上に活動は本質的に政治的考慮に依りて爲されたり。東三省の前進的軍事占據は支那官憲の手より順次齊々哈爾、錦州及哈爾賓を奪ひ遂には滿洲に於ける總ての重要なる都市に及びたり。而して軍事占領の後には常に民政が快復せられたり。1931年9月以前に於いて聞かざりし獨立運動が日本軍の入滿に依り可能となりたることは明らかなり。
 日本における新政治運動に密接なる接觸を保ち居たる(第4章參照)日本の文官及將校の一團は其の現職にあると否とを問はず9月18日の事件後に於ける滿洲の事態の解決策として此の獨立運動を計畫し組織し、且つ遂行したり。
 彼等は右目的を以て支那人の生命及行動を利用して前政權に對し不平を抱く住民中小數のものを利用したり。
 日本の參謀本部が當初より又は少くとも暫時を經て斯くの如き自治運動を利用することを覺りたること亦明らかなり。其結果彼等は此運動の組織者に對し援助及指導を與へたり。
各方面より得たる證據に依り本委員會は「滿洲國」の創設に寄與したる要素は多々あるも相俟つて最も有效にして然も吾人の見る所を以てせば其れなきにおいては新國家は形成せられざりしなるべしと思考せらるる二つの要素ある其は日本軍隊の存在と日本の文武官憲の活動なりと確信するものなり。
 右の理由に依り現在の政權は純粹且自發的なる獨立運動に依りて出現したるものと思考することを得ず」

南京漢口事件眞相 揚子江流域邦人遭難實記

2008年06月20日 11時34分09秒 | 紫禁城の黄昏関連
以前大東亜戦争(というか雪作戦)を調べていたら、『南京漢口事件眞相 揚子江流域邦人遭難實記』(発行年は昭和3年ぐらいだったような)という本のコピーを知人に見せてもらった。

そのとき武漢政府の役人の名前で唐生智の名があった。

南京事件で将兵をおいて逃げた、あの唐生智なんでしょうか?


『リットン報告書―日支紛爭に關する國際聯盟調査委員會の報告』角川書店、2006年

2008年06月12日 18時14分40秒 | 紫禁城の黄昏関連
戦前、国際連盟協会から出た本の復刻版で、あきらかに写真をそのまま取り込んだ本。

なので文字が一部消えていたり、刷りが薄い部分があったり、ピンボケしたページもある。

邦訳文は、研文社、英語原文はジャパンタイムズ。
訳文は外務省で二十数時間で翻訳したものだそうです。

だから気になった点を挙げればトルキスタンを表す"Turkestan"が「ターキースタン」、USAが「北米合衆国」とかちょっと?な訳文が散見されます。


あと緒方の婆の帯の紹介文がウザかった

『全文リットン報告書 』ビジネス社、2006年

2008年06月05日 12時00分36秒 | 紫禁城の黄昏関連
日没する国さんのサイトで紹介されていた渡部昇一先生(上智大学名誉教授)版「リットン報告書」

戦前版と同じで英語原文との比較はできますが、訳文はすべて新かな、略字表記です。

値段はビジネス社版は2,415円、角川書店版は5,800円……
ページ数も版の規格も違います……


ビジネス社版は渡部昇一先生の解説が入ってます。角川書店版は戦前の復刻そのままで解説はありません。

角川書店版はなんか洋著のリプリントと同じ感じで写真かなんかでスキャニングしたふうです。ぜひ(高価なので図書館か公共施設で)読んで頂ければわかりますが文字が現代のそれと違います……

読み易さと値段からいえばビジネス社版、戦前の文書がどんな感じか調べるため、あるいは《渡部昇一先生のバイアスがかかってるのがいやだ》と思ってる人向けって感じです。

しかも角川書店は渡部昇一先生の翻訳本が出されて一ヶ月後に出すのは何かの嫌がらせですかね。

そういえば瀧澤一郎先生がジェイムズ・バムフォードの『全ては傍受されている』の前編の『パズル・パレス』と全く同じ邦題で、ダン・ブラウンの空想小説(原著は"Digital Fortress")を出すという意味不明なことを行った前歴がありますからね。

角川書店は保守派の本をつぶしてるんですかね?
最初から「デジタルフォートレス」という邦題で出版してくれた方がよかった。

北京の五十五日(1964年、米国)

2008年05月18日 06時20分12秒 | 紫禁城の黄昏関連
先日、名優のチャールストン・ヘストンが亡くなった。

彼の主演している映画で有名なのは(歴史スペクタクルものに限って言えば)「ベン・ハー」、聖書(バイブル)から題材をとった「十戒」、あと義和団事件をモチーフにした「北京の55日」ぐらいだろうか。

たぶん挙げればきりがないのでこの辺にしておくが。

北京の55日は英米人の視点から書いた貴重な映画作品である。現代でリメークをやったら酷くシナ寄りの見るに堪えない作品になったであろう。

映画は史実をもとにしたフィクションなので、ルイス少佐(チャールストン・ヘストン)とロシア人男爵夫人(エヴァ・ガードナー)のロマンスが中心に展開されます。

作中、至る所でのロシア大使の横柄さが目につきました。
ホントそのままなのでニヤニヤしながら見てました

日本人武官や大使らが非常におとなしくて何か影役っていうかチョイ役でした(史実では大活躍しますよ)。

伊丹十三監督は柴五郎大佐役(史実は中佐)なのを3回目で気づきました。
サーベルをずっと差してなかったのが非常に気になりました(応援に来た一万三千人の日本軍士官はサーベルを帯びてました)。
刀の扱いはうまいんですから、サーベルぐらい持たせてあげればよかったのに……(今だったらラストサムライの影響で、サーベルじゃなくて日本刀帯びてるんだろうな。多分。)
史実通りに連合軍の指揮官役でした。
かっこよかったなぁ。

そういえばほとんど脇役だった西徳二郎北京公使って誰だろうか?
劇中でずっと黙ってましたね。


あとルイス少佐(チャールストン・ヘストン)が北京に入場する際に海兵隊員に、勝手に支那人から泥棒するなと説いてたのは史実通りなので感心しますた。

だから支那人はみんな日本国旗を掲げて日本軍に保護を求めるんです。

そこまで書いてほしかったなあ。

映画は米ソ冷戦下ということもあってか、意外とこの時代にしては親日的でした。

そういやなんか「會議は踊る」とおんなじで外交官たちは口ばかりで全然活躍しませんでした。史実だとドイツ軍なんかロクスポ働かなく勝ったら勝ったで略奪に走ったそうですが……


史実を知るというよりはその時代の雰囲気を知るというためには役に立つ映画ではあることは間違いないですね。学校の授業や人に教える場合は、史実に基づいた解説を入れないとわかりにくいですね。


そもそも端郡王(ロバート・ヘルプマン)が皇太子ってこと自体が……光緒帝がセリフの中にすら出てきません。

そういえば外交官関係者にフランス語をしゃべる人が出てきませんでしたね。アメリカの映画だから仕方ないか。



上は実際の北清事変の写真。紫禁城での高級将校の集合写真。

ジョンストンで洋著検索結果

2008年02月23日 16時07分53秒 | 紫禁城の黄昏関連
サー・レジナルド・フレミング・ジョンストン(Reginald Johnston)で洋著を英文検索したら、1913年の『仏教徒の支那』(Buddhist China)が去年の11月に復刻されていた……

20年近く前に『北支の獅子と龍』(Lion and Dragon in Northern China)と『現代支那における儒教』(Confucianism and Modern China)が復刻されてましたが……、北支から雲南、チベット、ビルマを冒険した『北京からマンダレーへ』(From Peking to Mandalay: A journey from north China to Burma through Tibetan SsuchÊ»uan and Yunnan )も30年くらい前に復刻されてた模様ですね



しかしジョンストンの伝記、『龍帝の帝師 サー・レジナルド・フレミング・ジョンストンの生涯』(Tutor to the Dragon Emperor: The Life of Sir Reginald Fleming Johnston)がアマゾン(日本)で、2万円近い高値を付けていた。


この本の価値を高めたのは中山理先生の『完訳 紫禁城の黄昏』あとがきによるご紹介のせいかな。

でも本家のamazon.comを見たら95ドルを付けていたからもともとこの本は評価が高いのかな。

ペーパーバック出たら買ってみたいな。英語全然読めないけど。


しかし、amazon.comの、Tutor to the Dragon Emperor: The Life of Sir Reginald Fleming Johnston、に関するシナ人のレヴューの落書きは酷い。
ジョンストンが独身だったことをネタに溥儀にジョンストンがホモセクシャルを教えたとか書いてある。

証拠は?

溥儀はホモセクシャルの気があったとWIKIには書いてありますが信用できません。


それじゃ『チベットの7年』のハラーもホモセクシャルにされてしまいそうな勢いです。

ま、ハラーは独身だったのでダライ・ラマの洋人帝師に選ばれたのですが……仏教の戒律が関係していたそうです。

奥さんのイングリットがいたから違うでしょう。多分。



チベット王朝では仏教の教義(厳密には仏教の一派のラマ教)が重要視されたので、僧侶に関しては普通の男女間の恋愛よりホモ・セクシャルに寛容であったとハラーは書いてあります。


だから浄土真宗のように僧侶の肉食妻帯は邪道視されたようです。

この禁忌のことでダライ・ラマは毛沢東に『生産性が低い』と1955年(?)の全人代に出席した際に注意され、3万人の仏僧と尼僧の結婚を実施したようですが……

映画『ラストエンペラー』は嘘八百

2008年01月26日 09時01分07秒 | 紫禁城の黄昏関連
昨日、初めて映画版のラストエンペラーを見たが酷ぇーの一言。

溥儀が日本公使館ではなく英国公使館に避難したことになってるし。

ちゃんと紫禁城の黄昏の序文で、『甲子十月予自北府入日本使館……』って書いてあるのに……

そのあとで、甘粕大尉がなんか溥儀を日本公使館に避難させたことになってますが……

というか甘粕さんは大杉榮事件で、たしか刑務所の中ですが。



これだけでも嘘だらけ

「セブンイヤーズインチベット」もかなり脚色が強かったけど、こりゃ脚色って度合いじゃないよ。

支那のプロパガンダ映画ですか?


そういや「セブンイヤーズインチベット」の中華民国公使館(民国政府はある時期からチベットを外国扱いしていた)の職員が劇中で、みんな支那服を着てたので吹いた。

ハラー(ブラット・ピット)もずっと洋服だった。
劇中でポタラ宮に参内する時も洋服のまま。
特例で洋服でOKだったのですが儀式の際はちゃんとチベット服を着なくてはいけなかったようです。


気にしてたら映画なんて見れないか。

広辞苑の嘘

2008年01月26日 08時03分45秒 | 紫禁城の黄昏関連
渡部昇一先生の聞き書きの部分で、

「紫禁城の黄昏」の著者がレジナルド・ジョンソンになってたり、愛新覚羅溥儀(宣統帝)を紫禁城から追い出したのが馮玉祥ではなく段祺瑞になってますた。

たぶん光文社の社員が、渡部先生の東北弁をちゃんと聞きとれなかったせいだと思いますが……


ジョンストンをジョンソンと聞き間違えるほどひどくはないと個人的に思うのですが……

外国語は発音の問題もあるので何度か聞かないと駄目ですね。

一時期、VENONAをデノマ文書だとおもってますた……

どう考えてもベノナですが……

新訳 紫禁城の黄昏 2

2007年12月30日 15時24分53秒 | 紫禁城の黄昏関連
岩波版は原著から訳の削除が1~10章、16章に及んでいるので完全翻訳の形をとっている祥伝社版と本の風景社版の違いの一例を早速。


日没する国のサイト主さんには僭越ですが非常に気になった部分なので当方で指摘させていただきます

まずは朱勲(明王朝の末裔)の年齢と息子たちの話の部分。

彼は四十三歳で、七歳と四歳の息子がいることを話した。(本の風景社版、p255)

当年四十三歳で、九歳と四歳になる息子が二人いるという(祥伝社版、下巻、p230)

同じ本から訳したのになんで年齢の違いが出てくるんでしょうかね?

最後の訳注

西太后は後宮から出世して、教育も受けておらず、一般常識もなかった。(本の風景社版、p255)

彼女は婦人部屋の階級から身を起したが、教育もなく、世間事にも無知であった(祥伝社版、上巻、p412)


これは意味不明ですね。

かなり意味が違ってきますし……

機会があればリプリント版の原著をあたってみたいと思います。


最後にtakehope22 さん、本ブログの紹介ありがとうございます。

ああやってサイトで取り上げていただくのは非常に光栄ですが、私自身がまだまだ未熟で恥ずかしいくらいです。

新訳 紫禁城の黄昏

2007年12月22日 17時38分43秒 | 紫禁城の黄昏関連
先日、本の風景社版の「新訳 紫禁城の黄昏」を手に入れた。

祥伝社から出ている、渡部昇一先生監修の「完訳 紫禁城の黄昏」(翻訳は中山理麗澤大学教授)より読み易い訳だった。

ただ原著が間違ってるのか、祥伝社版(完訳版)が間違ってるのか、本の風景社版と微妙に差異が見られた。

話によると祥伝社版は、ジョンストンの記述どうりだとその時期にすでに死んじゃった人が生きて出てたりとか、シナ文からの翻訳で人名が地名と間違ってたりとか(よーするに原文ママってことかな?)。

祥伝社版と比べて、値段も1600円で薄いし、内容もそんなに変わらないので、渡部昇一先生にこだわりがなければ、本の風景社版を買ったほうが得です。

正直、上下巻揃えるのは厳しい。

学生なんかは上下巻で4000円近くとられるのは非常に厳しいのではないであろうか?

中山理先生も上下二段組みにして一冊の本にまとめて3200円ぐらいで分厚い訳本にすればよかったのではないか?

スダプラートフの回顧録
みたいにもともと上下2巻なら分からないでもないけど……
(瀧澤一郎先生の訳本『すべては傍受されている』はあれだけの分厚い原著をよく一冊に纏めたと感心してます)

上下巻ではなくすし、本屋で片方しか置いてない場合もある時はどうするのだろうか?

岩波版は論外。


日没する国
。このサイトを見てを買う決心がついたんですけどね。



ビバ・渡部昇一先生!

2007年09月29日 21時56分42秒 | 紫禁城の黄昏関連
今日、用事があったので出かけたのだが帰りにブックオフ二件を回ってきたら渡部昇一先生の本が新品同然で適正価格(!)で売っていたので速、買った。

なんだかんだいって渡部先生監訳の『紫禁城の黄昏』を持ってなかったんで買いました。

岩波書店版の『紫禁城の黄昏』を学生時代に読んだのだが、なんかすげー削除だらけらしいことを渡部先生の本、『国民の教育』扶桑社、2001年で読んで、大学時代、懇意にしていた教授(後で俺はその先生のゼミ生になった)に聞いたら本当だった。



本年2月に出た本の風景社からの岩倉光輝訳は小生は未読。岩倉光輝氏とはどんな人物であろうか?