80分の1丁目16番地

ペーパースクラッチによる車両作りを中心に1/80、16.5ミリゲージの鉄道模型を楽しんでいます。

今年もお世話になりました

2015-12-31 10:38:38 | 総務部
本ブログをご覧の皆さま、2015年もご愛読、ご助言いただきありがとうございました。

2009年9月に立ち上げたブログも、はや7年目に突入。つい気付かずにいたのですが、アクセス数も50万IPを突破していました。本当にありがとうございます。

そして今年も仕掛品が乱立しました(笑)。2015年の〆にあたり、その中でも奇跡的に完成に至った車両を振り返ってみたいと思います。

★JR貨物DF200“レッドベア”
2年越しの製作でしたが、ハリボテ屋根ドームを載せた1次完成段階を経て、晴れて完成&運転会デビューをすることができました。車体は紙とプラのハイブリッド構造で、内装に気を使わなくてよいことから補強にも留意した結果、金属製に劣らない丈夫なボディを実現しました。下回りにKATOのEF510の既成パーツを使ったので、オーバースケールのデメリットを差し引いても、安定した走行と十分な牽引力という機関車として重要な性能面でのメリットが上回ったものと思います。厳密にはまだナンバーがプリンタ出力の暫定品なので、さらにブラッシュアップしていこうと思います。



(こてはし鉄道様レイアウトにて)


★サハシ165改造サハシ169
KATOの165系を169系化するプロジェクト。編成全体では完成に至りませんでしたが、サハシ165をタネ車とするサハシ169が完成しました。ドアや窓の大幅な移植が必要で大変でしたが、片方だけ下がった調理室の窓など、その特徴がなんとか出せたのではないかと思います。






★モハ164改造サハ164
サハシ改造に気を良くして実施したプラ車体改造第2弾。余剰だったモハ164の車体を使って「売店車」サハ164を作りました。そういえば貴重な車内の写真をご提供いただいたので内装も作りましょう、なんて話をしてたのを思い出しました。2016年の宿題(汗)。





★日立電鉄モハ13形15号車
りゅーでんさん主催の花月園運転会のお題に沿って製作した車両。気動車から電車に化けたという経歴を持つ愛らしい13m級電車をペーパースクラッチし、運転会15周年を記念してモハ15号車としたものです。ワンマン灯、各種サボ、ジャンパホースなどのフィニッシュが必要ですが、一応完成扱いで。。



(banushi様製作のお立ち台にて)



一方、今年は久々に完成品の入線もありました。

★JR貨物EH200“ブルーサンダー”
待ちに待ったTOMIXのプラ製品です。ディティール、走りともに抜群なのに、こてはし鉄道様で足ならしをしただけで、残念ながらまだ自線デビューしていないので、来年はレイアウトの方もがんばって作り込んでいきたいと思います。




仕掛品については書き出すとキリがないので、来年の本ブログでその動向をお楽しみいただければと思います。

それでは皆さま良い年をお迎えください!


「80分の1丁目16番地」管理人 isao



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(自由形)東海電鉄モハ700形の製作4

2015-12-30 23:58:18 | 自由形
こんばんは。

今年もいよいよあと1日となりました。早いですね。
大晦日も当工場は稼働しています。(笑)


昨日の投稿では、モハ700形の格下げに際して中間にサハ2両を挟んで4連化したと書きました。今日はそのサハの製作についての話です。
といっても、実はすでに車体は組み立て済みなんですね。だいぶ前に東武2000系らしき仕掛品をお見せしたと思いますが、それが今回の改造ネタになっています。台車、床下機器などのことを考えると、もはや8連をスクラッチするのは無理と判断し、自由形にでも転用しようかと考えていたのです。


こちらがその車体群。上の2両は両側が広幅貫通路になっているので今回のモハに合わないためパス。中段のアイボリーが吹いてあるのは窓の上部にRがついているのですが、同じタイプは1両しかないのでこれもパス。下の2両は片側が狭幅、もう片側が広幅貫通路となっていますが、広幅貫通路どうしを突き合わせて連結すればOKなのでこれを転用することにしました。




台車はジャンク箱から拾ってきた伊豆急100系用のTS-316です。左はオリジナルの両抱き式ブレーキのもの、右はブレーキシューをすべてカットして片押し式に似せたものです。自作の京王5000系に使っていたものの廃車発生品です。




床下機器もストック品をかき集め、それらしく配置しました。真鍮エアタンク以外はすべて木工用ボンドで接着しています。今は亡きロコモデルが何でもかんでも木工用ボンドで接着してしまうことで有名でしたが、実際、金属パーツでもかなり強力に接着してしまいます。




従来からあるボンドでもよくつきますが、今回はたまたま見つけた「ボンド木工用多用途」というのを使ってみました。塩ビや金属も接着できると書いてあります。見た目は普通のボンドと変わらず、水性なので有機溶剤の匂いに悩まされることがありません。




こんな感じになりました。ベンチレーターはモハに合わせてグローブ形を乗せる予定です。





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(自由形)東海電鉄モハ700形の製作3

2015-12-30 02:58:04 | 自由形
こんばんは。

先日来ちこちょこ紹介している自由形電車は、私が中高生の頃に考えていた「東海電鉄」なる妄想電鉄のロマンスカー崩れという設定です。同名の空想鉄道をお持ちの方は何人かいらっしゃるようですが、当方は静岡駅~三保ノ松原駅間を結ぶ全長17キロあまりの小私鉄であります。

製作に当たり、なんかストーリーがないとカッコつかないなーということで、こんな設定にしてみました。

時は昭和30年。沿線に久能山東照宮、日本平、三保ノ松原などを抱える当電鉄は、戦後の観光ブームの訪れとともに利用客も右肩上がりで伸びていました。乗車時間は短いものの観光客向け電車への期待は高まるばかり。そこで、窓が大きくゆったりとしたクロスシートを備えた「ロマンスカー」製作に踏み切るのですが、いかんせんお金がないので17m級国電を譲り受け、車体を新製してモハ701+モハ751+クハ1701の3連1本が完成。主要駅停車の急行「はごろも」として人気を博していました。

ところが、登場から17年目の昭和47年某月某日午後、静岡行として運行していた列車は登呂遺跡駅(そういう駅があるんです!笑)手前の踏切で立ち往生していたダンプカーと衝突しクハ1701が中破。復旧を画策するも、すでに観光ブームが一段落し、代わって沿線の宅地化が進んで通勤ラッシュが深刻になっていたことからロマンスカーとしての復旧は断念。モハ751に運転台を取り付け、中間にサハ2両を挟んだラッシュ対応の4両固定編成として復旧したのです。サハは両開き3ドアの純通勤車仕様で、表向きは新規に製作されたことになっていますが、どちらか1両は事故車クハ1701の部品が多々流用されているのでは?との疑惑が拭えないまま平成10年に廃車されましたとさ。


とまあこんな感じでしょうか(^^ゞ


前回の投稿でA車としていたのがモハ701、B車がモハ751です。写真はモハ701の前面を作っていくところで、乗務員ドア部分を切り出したところです。




モハ700形は湘南顔。ただしフロントガラスの傾斜や左右の後退角が小さい“湘南ちゃって顔”なので、各パーツはイモ付けにして、カッターとやすりで角のRをつけていく手法としました。車体下部に補強材を渡し、そこへ緩く「く」の字に曲げた窓下部分を接着します。




窓部分も「く」の字に曲げ、鼻筋の裏側に補強帯を貼っておきます。わかりにくいですが、手前の補強帯が出っ張っている方が屋根側になります。




貼り合わせた状態。幕板の広い部分は屋根板を乗せてからカットします。




屋根板を乗せ、屋根Rに合わせて前後妻板の上部をカットしたところ。ベンチレーター、パンタ、台車はすべて仮に組み合わせたものです。ちなみに台車はDT11で、このモハ701がMPギヤ仕様の動力車となります。




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客車準急アルプスの製作2

2015-12-29 01:15:07 | 中央東線方面
こんばんは。

オロ36は窓枠を貼り、サフがけをしました。窓枠はt0.2mmくらいの薄紙を使い、側板に貼り込んだのちに窓を抜いています。窓を抜いてから貼り合わせると微妙にズレたりするため、最近たまにやる工法なのですが、側板の厚さ分浮いた状態でカッターの刃を動かすことになるため、並行に動かさないと返って見苦しくなります。今回もイイ感じで抜けたのは半分くらいでしょうか?(汗)




調子に乗ってナハ10もケガいてしまいました。正確には手ケガキではなくPCで作った型紙を出力したものです。軽量客車にあやかったわけではありませんが、この車両では初めて#300の薄手のスノーマット紙(t0.35mm)を使ってみました。いつもは#400(t0.45mm)なので手触り感としては少し弱々しい感じがしますが、裏貼りや補強材で強度を確保していきます。まだやってませんが屋根の曲げや窓抜きは、こちらの方がだいぶ楽そうです。結果が良好なら当工場の標準素材としていきたいと思います。




しかしこの10系の屋根カーブを再現するのは難しいですね。何度も描き直したのですがまだ納得がいきません。3つくらいの円弧が合成されているような感じです。とりあえず今回はこれで作りますが、できれば図面で実際の寸法を確認したいところです。




所属記号の表記場所の疑問については「客車倶楽部」の掲示板の過去ログの中に正解を発見しました。クモイ103氏が投稿者の質問に答えているもので、形式番号の上に所属表記を行うようになったのは昭和27年8月からで、昭和34年6月の車両塗色及び標記方式規程の改定に伴って現在の位置(車体側面左下隅)に変更されたとのことです。ぶどう色1号が同2号に変更されたのと同時だったというわけです。
準急アルプスは昭和33年に登場し、昭和35年に昼間のDC準急に名前を譲って「準急穂高」として生まれ変わっていますから、わずか2年の運転期間のまん中あたりで規程が変わっていることになります。これはやっかいですね。さてどうしましょう。

もっとも、車両称号規程(形式)の変更と違って表示位置の変更だけなので、直ちに一斉書き換えが行われたとは考えにくく、塗装の塗り直しに合わせて書き替えられたのではないでしょうか。つまり、所属と形式番号と2段書きで、塗色もぶどう色1号のまま「アルプス」としての運行を終了した車両が多かったのではないかと推定されます。

というわけで、この模型では所属と形式番号は2段書き、塗色はぶどう色1号という仕様でまとめてみたいと思います。ただ、EF13とマヌ34はもう少し時代が下った昭和40年代の客車も牽かせたいので、ぶどう色2号+新表記としたいと思います。



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客車準急アルプスの製作1

2015-12-28 02:38:03 | 中央東線方面
こんばんは。

今年も残すところあと4日となりました。毎度のことながら今年もあっという間の1年だったような気がします。(笑)


さて、昨日投稿した客車準急アルプスですが、編成と素材をいま一度整理しておきたいと思います。昭和33年10月改正時の編成を想定しています。

※印はペーパースクラッチ(予定)

↑新宿
スニ30(※)
ナロハネ10(フジモデルキット組み)
オロ36(※)
ナハ10(※)
ナハ10(※)
オハ46(※)(スハ43からの編入車)
オハ46(※)(同上)
ナハフ10(ナカセイキット組みを改修整備)
↓松本


スニ30は17m旧ダブルルーフのたいへん古い車両で、昭和30年代すなわち私が生まれた頃は、まだこんな車両が優等列車につながってたのか!としみじみ思ってしまいます。スエに改造されていたのを復旧した車両が碓井峠鉄道文化むらに保存展示されています。文化むらは何回か行っていますが、あまりに古すぎて当時は興味対象ではなかったため写真を撮っていません(笑)。リベット付なのでペーパーで作るのは難しいのですが、ちょっと試してみたい技法があるので落ち着いて取り組むことにします。


オロ36は丸屋根の2等車で1300mm幅の超ワイドな窓が特徴となっています。あまりに広すぎて窓の開閉が大変との苦情が絶えなかったといいます。模型的には窓が大きくて数が少ない車両は逆に作りやすいので、1日でこのとおり側板の窓抜きまでやってしまいました。屋根板はストック品の中から反りが少ないものを探し出して確保、床板は電車用の穴あきしかないため端材を埋め込んで使いたいと思います。台車はたまたまKATOのプラ製TR23が1両分あったので使うことにしました。




ナハとオハはプラ完成品を使えば楽ですが、現時点で市場在庫がほとんどないためペーパースクラッチでいくことにしました。オハ46は2両とも窓抜きが終わり、サフを吹きました。ナハはまだ着工していません。




ナハフ10は既報のとおりナカセイのプラキットを組んだ「ナハフ11」があるので、これを改修整備して充当する予定です。ナハ・ナハフ10は後年の近代化改造で、折戸だったドアを普通の開き戸に改造し、室内灯を白熱灯から蛍光灯に換装してナハ・ナハフ11と同等になったとされています。しかし近代化改造が行われたのは昭和39年以降とのことなので、この編成に入れるにはオリジナルスタイルに戻す必要がありそうです。塗色も青ではなく茶色の時代です。



それにしてもここまで古くなると時代考証が非常に骨が折れますね。大きなところではまず塗色。ぶどう色の1号から2号への変更は昭和34年から、青15号への塗り替えは昭和39年かららしいので、この当時は編成全体がぶどう色1号であったと思われます。

それから車両形式や所属表記の表記方法がちょうどこの前後で切り替わっているようで、車体中央に所属表記と形式番号が2段書きになっている古い表記だったのか、それとも今のように所属表記が車端部に移動した後なのかがわかりません。

細かいところではオハ46の扉の形状も気になるところです。スハ43からの編入車は基本的にスハ43と同等のスタイルなはずですから、Hゴムではないプレスドアではないかと思うのですが確証がありません。ナハ・ナハフ10の扉も折戸かどうかということに加えて塗装されていたかどうか(登場時はアルミ地肌そのままだったらしい)などなど、昭和40年代以降の列車・車両とは比べ物にならないくらい考証案件が多く、ネット万能の時代でありながら、正解にたどりつくのはとても大変なことと実感しました。

こうした疑問点について何か情報があればぜひお聞かせください。



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