心象日記

日々の中で印象に残った場面、言葉、音、味わい、ふれあいなど、五感に最も訴えたモノについて記します。

もみじ饅頭。

2005-10-31 | 日々の心象風景。
平泉&花巻の旅ではムードメイカー的な存在で、いつも楽しい雰囲気にしてくれた
広島在住のYさんから、『もみじ饅頭』を戴きました。
その他にも「川通り餅」と言うきな粉をたっぷりまぶした美味しいお菓子まで戴き、
しばらくの間家族みんなではまっておりました。(実は今も、です)


もみじ饅頭。なんて美味しいんでしょう。こういうご当地の名物名産品って、良いですねぇ。
行った事もない「ご当地」の匂いを嗅いだような気になってしまうのですから不思議です。
広島には、残念ながらまだ足を運んだ事がありません。この目の黒い内には(オーバー)
必ず広島へ行って、「原爆ドーム」や「原爆資料館」を目の当たりにせねばと思ってはいる
のですが。その広島の地にお友達ができたのですから、何だか嬉しくて仕方ないのです。
Yさんはとってもキレイな方なのですが、お話をするとすごく気さくでとっても陽気なので、
その容姿から漂うイメージがいつの間にかどこかへ吹き飛ばされてしまうのです。
本当に、不思議な人です。

この10月から彼女もブログを始めたそうで、実はさっき遊びに行って来ました。
デジカメで撮った美しい写真がふんだんに使われていて、ちょっぴり羨ましかったな。
私もデジカメが欲しくなりました。日常の情景を気軽に記録しながらも、「何でもない日」が
後々、思いもかけない「記念日」になったりするかも知れません。
たった今、そこにしか存在しない空気、匂い、気持ち、視線、モノ、人・・・。
その一瞬をデジカメで切り取って、日記に残す。
良いですなぁ。
一日一日のかけがえのなさを、改めて実感できるかも知れませんね。

Yさん、もみじ饅頭ありがとうです!
とっても美味でありました。


「どですかでん」

2005-10-29 | 心象映画。
ごくたまにですが、特に理由もないのに眠れなくて仕方がない事があります。

コツコツとちまちまと録画を続けて、私の小さなビデオライブラリーは現在230本ほどの
ビデオテープに映画だのドキュメンタリーだのが残されており、それは消去してしまうには
あまりにも惜しいと思わせてくれるものばかりですので、今でも大切に保管しております。
そのどれもが、眠れない時の子守唄となってくれる代物ばかりなのです。
ところが。
私とした事が、以前にBSの特集で放映されて録画していた黒澤明監督作品の何本かを、未だに
鑑賞していない事実にようやく気付きまして、先日の眠れぬ夜にしんみりと拝見したので
あります。

それが、「どですかでん」と言う作品です。
貧乏のどん底と言った暮らしを営んでいるような人々の、それぞれが様々な事情を抱えて生きる
姿が描かれているのですが、登場人物一人ひとりに向けるカメラの目線はどこまでもやさしくて、
どんなに常識外れでも、どんなに卑しくても、どんなに無能のように見えても、それを全て肯定
するかのように彼らの滑稽で可笑しい行動も言動も、包み込むようにしてカメラは見ています。
極悪人が登場する訳でもなく、ヒーローが現れて貧乏のどん底から救ってくれる訳でもなく、
見事などんでん返しでハッピーエンド!なーんて展開がある訳でもなく、ただ淡々と人々の暮らし
をスケッチして行くのです。人間て、可笑しくて可愛くて哀しい生き物なのですね。

「どですかでん」このタイトルは、近所の住人たちや小学生から「電車ばか」と罵られて馬鹿に
されている六(ろく)ちゃんと言う男の子の、パントマイムのように自分だけにしか見えない
電車を毎日自ら運転して貧しい町中を走り回る時に、線路を軋ませる電車の音を真似て、
「どですかでん、どですかでん、どですかでん」と叫ぶ所からきています。

人間関係に疲労を感じている人。
人間不信に陥っている人。
自分をどうしても好きになれない人。
オススメです。

旅のアルバム完成。

2005-10-20 | 日々の心象風景。
優しい友人たちから分けて戴いた旅の思い出がたくさん集まって、一冊のアルバムが
完成しました。
先日、友人のNさんと待ち合わせて柴又にある美味しいお蕎麦屋さんへ連れて行って
もらいました。旅の間に彼女が撮った美しい写真の数々を、私のためにたくさん焼き
増ししてくれて持参してくれたのです。本当に感激しました(涙)。


そこは「やぶ忠」(やぶちゅう、と読みまする)と言う有名なお蕎麦屋さんだそうで、私は
天麩羅そばをNさんは鴨南蛮を戴きました。これが、とっても美味しかったのです。
店の入り口からすごく雰囲気があって、これからお蕎麦を食べるのだとわかっているのに何故か
ワクワクさせられて不思議でした。入るとすぐに下駄箱があり靴を脱いで店の中へ上がりました。
店内はそれほど広くはありませんでしたが、掘り炬燵式の席(4人掛け)が五つか六つあって、
私たちは入り口に一番近い席に腰を下しました。

えび天が大きくって太くって、実に食べ応えがありましたな。珍しいピーマンの天麩羅が入って
いて、ちょっと驚かされました。ピーマンの天麩羅ってあまり食べた事がなかったものですから。
手打ちの麺もとっても腰があって、必死に咀嚼して美味しく戴きました。
私たちの席のそばには、日本中から集められたような日本酒の瓶が天井までつづく高ーい棚の中
に威風堂々と並んでいて、すっかり目を奪われました。
酒の棚の隣には「爪楊枝入れのコレクション」と言う感じで、どこのご家庭にも必ず一つは
置いてありそうな様々な形や装飾の爪楊枝入れが酒瓶に負けないくらいたっくさーん並んでいて
目が釘付けになりました。見ていて飽きなくて面白かったです。

すっかりお蕎麦を食べ終わったと言うのに、私たちはお喋りに花が咲いてしまってなかなか
収まらず、喫茶店に居座るような乗りでずいぶん長居をしてしまったのでした。
センスの良いNさんの撮った写真は本当にどれも鮮やかで、私はさんざん見惚れてしまい、
絵葉書のような小岩井農場の風景を見つめていたら思わず、あそこに流れていた風の匂いが
蕎麦のどんぶりの上を横切ったような錯覚を起こしてしまいました。

「また行きたいね」

できたてほやほやの思い出に、二人で浸ったひと時でありました。

その後帝釈天まで足を伸ばし、「帝釈堂彫刻ギャラリー」&「大庭園」(邃渓園・すいけいえん)
をゆっくり見学しました。
法華経説話より取材し、当時(帝釈堂の完成時である昭和四年)の名人により彫られたと言う
帝釈堂の外壁の木彫の細やかさは目を見張るものがありました。
まるで一枚の絵のようにとてもわかりやすくて、花弁や葉の一枚一枚が繊細に彫られていて、
説話の絵本を眺めているようでした。

「大庭園」も美しかった。どの角度からも眺められるように木造の回廊がお庭をぐるりととり
囲んでいて、すごく演出されておりました。一番眺めの美しい正面にはちょっとした休憩所が
ありまして、そこでは熱いほうじ茶やウーロン茶が無料の飲み放題でして、平日のためか人も
まばらでしたので、私たち二人はその場所でずいぶん長いことお話しをしたのでした。
時間がゆっくりと流れていて、本当に心地良かったのです。
Nさんとの会話のキャッチボールが実に楽しくて、閉館時間ぎりぎりになるまでどちらも全く
気付かずに二人はお喋りをつづけていたのです。

Nさんとは今回の旅で、今まで以上に親近感を覚える友人となりました。
完成した旅のアルバムももちろんですが、彼女との「心のふれあい」をこれからも大切にして
行きたいと感じました。Nさん、これからもヨロシク、ね。

キレイになった扇風機。

2005-10-15 | 日々の心象風景。
体調が優れず、二日も仕事を休んでしまいました。
昨日は丸一日寝込んでいたので、今日はようやく布団から起き出しました。
しばらくは大分調子が良かったのですがね・・・。
とうとう欠勤してしまいました。


久し振りに熱も出してしまったのですが(まぁ、いつもの風邪のパターンですがね)、
やっと今日は下がり始めて来ました。同時に下痢も始まりました(これもいつものパターン)。
ただひとつだけいつもと違う症状が。
それは、下腹に違和感があると言うか、鈍痛があるのです。
生理時のそれとはまた違う痛みであります。それがとってもうざったいのです。
ところが下痢が始まり出したら少し鈍痛が無くなりました。不要のモノをきれいさっぱり出した
せいでしょうか。私は普段全く便秘はしないのですが、体に悪い「宿便」と言うモノが残っていた
のかも知れませんね。婦人病の何かだったらどうしよう、と少し気に病んでいたものですから。

午後になったら少し元気が出てきたため、昨日は泣く泣く中止した「踏み台昇降」をやって、
お風呂で汗をさっぱり流し、いつものように扇風機で髪を乾かしていたのです。そしたら。
その扇風機の汚れていることといったら(汚)。あまりの汚れっぷりに呆れ果てて仕方なく、
濡れた髪のまま扇風機の掃除を始めてしまったのでした。(疲)
またまた汗をかいてしまいましたが、すっかりキレイになった扇風機で思う存分涼みました。

という訳で、キレイなった扇風機をパチリ。
あ~あ、私きっと情緒不安定なんだわ。扇風機なんか撮って日記に載せるなんて。
なんて情緒がないんだろう。心に栄養が足りないんだわきっと。
心を打つ美しいモノを観たり聴いたり読んだりしなくちゃ。

詩のボクシング。

2005-10-09 | 日々の心象風景。
10月8日、イイノホールで開催された「詩のボクシング全国大会」
を観に行って来ました。
今年でもう5回目を迎えるそうです。第1回の全国大会からかかさず
足を運んでいます。


今年の優勝者は北海道大会のチャンピオンとなった、大学生の男の子でした。
「詩のボクシング」をご存知ないと言う方は公式HPがありますので是非そちらへ
遊びに行ってみて下さいまし。

「ボクシング」と名の付く通りたった3分と言う短い間に、自身の声と風貌とパフォーマンス
(朗読、演技)とそして何より自分で紡いだ言葉の力を最大限に発揮して「見せて聴かせる」
大会です。各地方の大会でチャンピオンになった者だけが、この全国大会に出場する権利を
得られる訳です。
リングに上がったどの人も見た目はごくごく普通の人なのに(大変失礼)、ゴングが鳴って
いざ言葉を発するとたちまち回りを煙にでも巻くように、「自分の世界」を展開させて見せて
くれるのです。魔法にでもかかったように、言葉のつぶてを投げつけて来るのです。

様々な色や形や匂いのする言葉の洪水をいっぱい浴びせられて、いささか疲労困憊して家へ
帰って参りました。でも、とても有意義なひとときを過ごす事ができました。

今年の大会の審査に参加していたのは、嵐山光三郎さん、しりあがり寿さん、森絵都さん、
ダンカンさん、泉麻人さん、第4回全国大会のチャンピオン林木林(はやし・きりん)さん、
全国高校生大会のチャンピオン小島麻奈未さん、の7名でした。

ちよっと驚いたのは、今年のチャンピオンも決まり審査員の方全員が一言ずつコメントを
求められた時、トップバッターの嵐山氏は北海道の大学生(チャンピオン)があまりお気に
召さなかったらしく準優勝した長野大会チャンピオンの男性の事ばかりに言及し、(言葉を
緻密に並べていたと大絶賛)今年のチャンピオンの事もその他14名の挑戦者たちの事も
全く触れずに素通りしていたのに対し、一番最後に話した高校生チャンピオンの女の子の方が
審査員らしく総評を述べきちんとまとめていた事です。(呆)

恐るべし、嵐山光三郎・・・。

それにしても、生身の人間の声で言葉を振り絞る行為がこんなにエキサイティングな事だとは。
毎年足を運んでいながら、毎回その事に改めて気付かされるのです。
そしていつも決まって、こんな私でさえも自ら言葉を紡いで「詩」とやらを書いてみたく
なっちゃったりするのです。
今年はまだ、書いていませんが。



旅のアルバム作成。

2005-10-06 | 日々の心象風景。
旅の仲間たちから、できたてホヤホヤの思い出スナップが送られて参りました。

(写真は「宮沢賢治記念館」の入場券を写したモノです)



私は写真を撮るセンスがまるで皆無でして(汗)、どうもカメラを持参して出掛けると言う習慣
を持たずに今まで来てしまい、幸い先日の旅の間は友人たちが持参したカメラのおかげで彼らの
フレームに何度か収めて戴く機会に恵まれたのです(感謝)。

それともうひとつ、写真に撮られる事が苦手と感じる理由があります。
もう13年も前の話になりますが、当時原因不明の「帯状疱疹」を発症しまして、
右耳の中にびっしりと水泡ができてしまったのです。そのせいで右顔の顔面神経が全てやられて
右顔だけが顔面麻痺になってしまったんです。
今でも欠伸をしたり笑ったりすると右顔だけが歪んでしまいます。発症した頃よりは大分麻痺が
わかりにくくなりましたが、やはり顏の歪みは隠せません。
写真に撮るとそれが一層目立って写ってしまうのです。
それで、どうしてもカメラの前には積極的に立てないでいる訳です。

今回の旅は特別な想いを持って参加しましたので、「もう顏なんか歪んでてもいいや」と言う
やや開き直りに近い気持ちで友人たちのカメラの前に立たせて戴きました。
偶然に朝の散歩をご一緒した哲也さんとの唯一の2ショットも無事に手元へ届けられました。
哲也さんと私の間には微妙な距離があって、大好きなんですけどなかなか近付き難い・・・
と言う私の気持ちがその写真の距離に表れていて、何故か大いに笑ってしまったのでした。

旅の間の小さな思い出をひとつひとつかき集めて、アルバムを作り始めました。
別の友人からも写真が送られて来る予定なので、楽しみに待っていようと想います。

相変わらず私の顔は歪んだままですが(溜め息)、仕方ありませんね、ありのままの自分の姿
から目を逸らさずにこれからも生きて行きます。
(何だかオーバーで参っちゃうなぁ・・・)



さよなら、タージマハール。

2005-10-03 | 日々の心象風景。
職場でまたひとり、退職者が出ました。

紛らわしくって申し訳ないですが、「タージマハール」と言うのはその方のあだ名であります。
T島さんと言う名前だったので、彼女の姓名がそっくりそのまま入っている「タージマハール」
がいつの間にかあだ名になっておりました。
あだ名を付けるのに抜群のセンスを持つ方が一人職場におりまして。
未だに「上手いネーミングだよなぁ」って、感心している私です。

そんなつまらない事より、タージマハール女史とはオープニングスタッフとして現在の職場で
ご一緒させて戴いてました(かれこれもう5年になります)。人生の上でも大先輩にあたり
いつも頼りにしていた方でした。1年に1回くらいのペースで必ず「仕事を辞めたい病」にかかる
人でしたが、今までは何とか思い留めてくれたようでしばらくすると元のさやに収まるのが
ほとんどだったのです。しかし、とうとう本当に退職してしまう日が来るとは。
「(仕事を)辞めたい、辞めたい」と言う人に限って、なかなか辞めないものだと勝手に思い
込んでいたので、彼女もきっとそうに違いないと踏んでいたのです。

日頃から彼女は「やりたい仕事(作業)」「やりたくない仕事(作業)」の分別がはっきりして
おり、職場のほとんどの人間がシフトやローテーションで決められた通りどんな作業もこなして
いたのに対して、彼女の「やりたくない仕事」に向ける態度はすごく消極的であり、時には欠勤
もやむ無しとしてしまうほどの我儘を見せつけるものでした。
周囲の人間と比べても、仕事に対する姿勢はかなり逸脱していたのです。
いろんな事を教えて戴いた先輩でしたので、このような後味の悪い形(彼女自身はどうだったか
わかりませんが)で職場を去って行ってしまうのはいかがなものかと言う残念な気持ちがとても
強くて、正直な所、がっかりしてしまったのです。
結局嫌な仕事はどうやってでも、何が何でも「したくない」ので、辞めた訳です。

9月20日に上司と話し合いをして、29日付けで退職が決定し、それを聞いた誰もが「きっともう
10月から新しい職場で働く事が決まっているに違いない」と考えていました。もちろん私も。
そこで本人に直接尋ねてみました。本人の返事はこうでした。

「新しい所なんか決まってないよ~。実は家族にもまだ辞める事は話してないのよ。心配する
から内緒にしてるの」

同居している家族にも内緒だなんて、そんなの大変じゃないですかと私が思わず返すと、

「体調不良でしばらくの間有給休暇をもらうって、嘘をつくことにするつもり」

と、溜め息交じりに答えていました。これから年末に向って益々仕事も忙しくなるのは
目に見えていますので、その中でベテランばりばりの彼女に抜けられてしまうと言うのは
残された私たちにとってはかなりの痛手になる訳で、それを思うと溜め息つきたいのは
こっちじゃ!と思わず突っ込みたくなる気持ちがある反面、家族に内緒にするのでは
家にいても息がつけないんじゃないかと彼女の事をついつい心配してしまう気持ちもある
のです。(複雑なの)

とにかく、タージマハール女史は職場を去って行きました。
さようなら、タージマハールさん・・・。