JOEは来ず・・・ (旧Mr.Bation)

なんの役にも立たない事を只管シコシコと

「処女が見た」

2011-10-20 | 映画(DVD)
昭和の銀幕に輝くヒロイン[第61弾] 伝説の美女・魅惑の独演 安田道代

「処女が見た」1966年 大映 監督:三隅研次

尼寺に預けられた非行少女。美しい庵主の道ならぬ情事を目撃した彼女は、やがて恐ろしい行動にでる──。安田道代の大映入社第一作。物おじしない度胸でタイトルの“処女”高校生を演じ、少女の無垢、生硬さをみごとに体現。

若尾文子と安田道代のコンビだから観に来たけど、実はそんなに期待していなかった。
しかし、これは良かった。

若尾文子の美しい庵主さん、西入庵の智英尼。
親寺永光寺の住職が亡くなり、その後釜に来た俗僧の行俊(若山富三郎)に蔵の中で無理やり犯される。
露出や濡れ場描写はほとんどないのに、このエロさ。事の最中は蔵の前に揃えられた二人の草履がきちんと並べられていて。
身の穢れを恥じた智英尼だったが、そこは男女の仲、奥底にねむっていた、女の性が呼び覚まされ、次第に行俊の魅力にとりつかれる。
人払いをした、西入庵に行俊が訪れての情事では、磨きぬかれた箪笥に事を終えた行俊の後ろ姿が映り込む。
若山富三郎のエロ坊主ぶりも良いためか、このエロティシズムは若尾文子の名作「雁の寺」にも匹敵、いや、それを凌駕しているかも。

和恵(安田道代)の方は育った環境などからちょっとグレてしまったようだが、まだまだ可愛らしく、智英尼への憧憬もあり、西入庵の生活での更正も時間の問題かと。
前半は若尾文子が、あくまで主演で脇役の感が否めない。
しかし、そんな和恵が智英尼の道ならぬ情事を目撃してしまう。

結局、行俊にもてあそばれていた事を知った智英尼は和恵に真相を認めた遺書を残し自殺してしまう。

ここから、和恵が智英尼の復讐をしようと永光寺を訪れるんだが、
真相を知っている彼女が寺の庭に立ち、意味ありげの、安田道代らしい、例の口元をキュッと上げる笑みを浮かべる。
主役の座が若尾文子から安田道代に入れ替わる瞬間だ。

俗人坊主の若山富三郎(ベレー帽なんか被ってる)を目いっぱい翻弄した挙句あっさり、復讐を遂げる。

智英尼の墓前で手をあわせていると、サイレンの音が聞こえてきてEND。

エロティック・サスペンスの秀作。サスペンスの方は兎も角、やはりシツコイようだが、若尾文子がエロい。
三隅研次、侮りがたし。

ラピュタ阿佐ヶ谷

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