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日常の断片

トリスタンとイゾルデ

2016-09-18 22:06:28 | 音楽
ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」を見てきました。

ずっと思ってましたが、やはりどうにも妙な歌劇です。
真面目にやればやるほど、ほとんど喜劇に私は思えます。
こんなもの映画にしたら、総スカンを食うんじゃないかという。

ところがどうして、二幕、三幕と進むに連れて、
それなりに舞台が整ってきて、
最後にガタガタと現れ出てくるキーワード(忠義、愛、友)に
無理やり納得させられている、という、やはり妙な歌劇なんですね。
一体何なんでしょうか。

印象的なのは、二幕の最後から三幕のはじめ、
王の不安、トリスタンの不安という、暗い暗い音楽が続くところ。
不安という感情を、こんなに見事にオーケストラが奏でている、というのは、
やはり尋常ではない気がします。

この曲でよく言われるような官能性というのは
今回の演奏ではあまり感じなくて、
どちらかというと、尽きることのない不安なり、
相手に届かないもどかしさだったり、
そういうところが上手く表現された舞台だな、と、
ずっと感じていました。

休憩入れて五時間の長丁場。
思ったよりも冷静に楽しんできました。

洗練された舞台装置の上で、内面的で適度に品のいい演出と
スッキリした演奏のロペス=コボス、読響。

比較対照が少ないので、出来の良し悪しはわかりませんが、
寝なかった以上、面白かったのは間違いないと思います。

東京二期会の方でしょうか、フランゲーネとクルヴェナールのお二人は、
大変に素晴らしかったです。
バランスを無視したくらいにデカイ音を出すオケに負けない、
堂々とした美声を披露されていました。

あの二人が主人公やればよかったのにってくらいでした。

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さて、この歌劇でとても大切な役割を果たす「愛の妙薬」について。
そして、トリスタンと王様の関係性について。

これらの扱いは、かなり演出家を悩ませるのではないでしょうか。
というのも、今日この歌劇を見ていて一番引っかかったのが、この2つでした。

薬の作用のせいでトリスタンとイゾルデが愛し合ったのだと知ったからこそ、
王様はこの二人を赦す気になる。実際、三幕でそのように描かれています。

ところが、ワーグナーが描きたかったのは「永遠の死に二人を追いやっていく
〈真実の愛〉」のはずで、そうでなければ真実味が無くなります。

とすれば、薬の作用は一時的なものでなければならないし、
それに気づかないほど王様もバカではないと思います。

なのに、王様は「薬のせいでああなった」と知って、二人を赦そうとする。

この部分は、かなり繊細に描かないと、不自然に映ります。


このあたりを解くカギは、一幕でさらっと暗示される、王様の孤独さに
あるように、僕は感じました。

王様は、もはや結婚する気がない、孤独で優しい人として描かれています。
一方で、トリスタンの忠言であればこそ、イゾルデを妃として迎えようとするほど
彼のことを心の底から信じている、とも語られます。
ここには、主従関係というより、もはや「親友」に傾いたような雰囲気を感じます。

この微妙な関係性を上手く描いているかどうかが、この歌劇をメロドラマにするのか、
感情のドラマにするのかを決めているような気がしました。

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