買った自転車が身体に合わなくて、乗らない日々に戻ってしまった。
その代わり、なのかは知らないが、やたらと本を読んでいる。
興味を惹かれたのは、マインドフルネスに関する本で、
心の構えを指南するようなものが多い。
と言っても、精神世界とか、仏教とか、そういうのとは違う。
宗教成分を濾し取ってから、心理学で味付けし直したような、
いわゆる現代的でニュートラルっぽいやつ。
で、過去や未来のことばかりでクヨクヨする私の心に、
「今、ここ」を思い出せ!と喝を入れてくれる。
さて、不思議なもので、
特別なことをしたり、考えたりしなくても、
「今、ここ」を思い出すだけで、心が少し活気づくことに
気づいた。
まとわりつく粘着物を洗い流すように、
ほんの少しだが、気持ちが軽くなる。
そうか、だから色んな人が、マインドフルだの何だのと
口にするんだと納得した。
で、改めて気づいたのは、
前回書いた、自転車の効用についてだ。
自転車に乗ると気分が軽くなると言った。
その理由は、少なくとも乗っているその時だけは
「今、ここ」に注意を払わざるを得ないからだろう。
刻々と変わる状況に集中しなければ、
事故に遭うからね。
しかし、なぜ、「今・ここ」に意識を戻すことが、
心を軽くするんだろうか。よくわからないな。
禅や、ちょっと仏教がかったマインドフルネスの本には、
それらしいことが書いてあるけど、
少し物語的、教条的で、心に直接響かないんだよね。
もしくは、私がそのレベルまで達してないだけかな。
ただ、個人的に感じるのは、
街にも、心にも、余りに人工物が多くて、
意味に満ち満ち溢れすぎている、ということだ。
人が作ったものには、どう足掻いても意味や意図が纏わりつく。
無意識にしろ、それを受け取った自己は、
それを判断し、それに引きずられる。
だから、疲れちゃう。
たとえ五分でも、今ここにだけ意識を持ってきて、
やたらと意味や意図に囚われないようにすることで、
心を休ませることができるのかな、と、
そんなことを思ったりする。
だからどうした、って話だけど。
時には考えない時間も大事だねって、
当たり前のことを長々と言っただけなわけだが。
その代わり、なのかは知らないが、やたらと本を読んでいる。
興味を惹かれたのは、マインドフルネスに関する本で、
心の構えを指南するようなものが多い。
と言っても、精神世界とか、仏教とか、そういうのとは違う。
宗教成分を濾し取ってから、心理学で味付けし直したような、
いわゆる現代的でニュートラルっぽいやつ。
で、過去や未来のことばかりでクヨクヨする私の心に、
「今、ここ」を思い出せ!と喝を入れてくれる。
さて、不思議なもので、
特別なことをしたり、考えたりしなくても、
「今、ここ」を思い出すだけで、心が少し活気づくことに
気づいた。
まとわりつく粘着物を洗い流すように、
ほんの少しだが、気持ちが軽くなる。
そうか、だから色んな人が、マインドフルだの何だのと
口にするんだと納得した。
で、改めて気づいたのは、
前回書いた、自転車の効用についてだ。
自転車に乗ると気分が軽くなると言った。
その理由は、少なくとも乗っているその時だけは
「今、ここ」に注意を払わざるを得ないからだろう。
刻々と変わる状況に集中しなければ、
事故に遭うからね。
しかし、なぜ、「今・ここ」に意識を戻すことが、
心を軽くするんだろうか。よくわからないな。
禅や、ちょっと仏教がかったマインドフルネスの本には、
それらしいことが書いてあるけど、
少し物語的、教条的で、心に直接響かないんだよね。
もしくは、私がそのレベルまで達してないだけかな。
ただ、個人的に感じるのは、
街にも、心にも、余りに人工物が多くて、
意味に満ち満ち溢れすぎている、ということだ。
人が作ったものには、どう足掻いても意味や意図が纏わりつく。
無意識にしろ、それを受け取った自己は、
それを判断し、それに引きずられる。
だから、疲れちゃう。
たとえ五分でも、今ここにだけ意識を持ってきて、
やたらと意味や意図に囚われないようにすることで、
心を休ませることができるのかな、と、
そんなことを思ったりする。
だからどうした、って話だけど。
時には考えない時間も大事だねって、
当たり前のことを長々と言っただけなわけだが。