== F R A G M E N T S ==

日常の断片

心のこと

2019-07-21 17:33:52 | 日々雑感
買った自転車が身体に合わなくて、乗らない日々に戻ってしまった。
その代わり、なのかは知らないが、やたらと本を読んでいる。

興味を惹かれたのは、マインドフルネスに関する本で、
心の構えを指南するようなものが多い。

と言っても、精神世界とか、仏教とか、そういうのとは違う。
宗教成分を濾し取ってから、心理学で味付けし直したような、
いわゆる現代的でニュートラルっぽいやつ。

で、過去や未来のことばかりでクヨクヨする私の心に、
「今、ここ」を思い出せ!と喝を入れてくれる。

さて、不思議なもので、
特別なことをしたり、考えたりしなくても、
「今、ここ」を思い出すだけで、心が少し活気づくことに
気づいた。

まとわりつく粘着物を洗い流すように、
ほんの少しだが、気持ちが軽くなる。

そうか、だから色んな人が、マインドフルだの何だのと
口にするんだと納得した。

で、改めて気づいたのは、
前回書いた、自転車の効用についてだ。

自転車に乗ると気分が軽くなると言った。
その理由は、少なくとも乗っているその時だけは
「今、ここ」に注意を払わざるを得ないからだろう。

刻々と変わる状況に集中しなければ、
事故に遭うからね。

しかし、なぜ、「今・ここ」に意識を戻すことが、
心を軽くするんだろうか。よくわからないな。

禅や、ちょっと仏教がかったマインドフルネスの本には、
それらしいことが書いてあるけど、
少し物語的、教条的で、心に直接響かないんだよね。

もしくは、私がそのレベルまで達してないだけかな。

ただ、個人的に感じるのは、
街にも、心にも、余りに人工物が多くて、
意味に満ち満ち溢れすぎている、ということだ。

人が作ったものには、どう足掻いても意味や意図が纏わりつく。
無意識にしろ、それを受け取った自己は、
それを判断し、それに引きずられる。
だから、疲れちゃう。

たとえ五分でも、今ここにだけ意識を持ってきて、
やたらと意味や意図に囚われないようにすることで、
心を休ませることができるのかな、と、
そんなことを思ったりする。

だからどうした、って話だけど。

時には考えない時間も大事だねって、
当たり前のことを長々と言っただけなわけだが。

変化の兆し

2019-02-11 23:52:23 | 日々雑感
あまりにも休日に外に出ず、無気力に時間が過ぎていくことに違和感を感じ、
何かのきっかけになれば良いと思い、ふとカメラを買った。

一眼ミラーレスの、エントリーモデル。
この景色を撮りたい!という気持ちになったときにだけ、
スマホではなくこのカメラで撮るのだ。

初陣は、鎌倉の海岸に行き、夕焼けを撮った。
これが、本当に美しかった。
特に狙っていったわけではないのに、無心にシャッターを切ることになった。



そうか。
いつでもこんな綺麗な景色が在ったんだ。
すっかり忘れていたが、
景色は美しいものだということを思い出した。

そこからしばらく、あちこち電車で出かけては、シャッターを切った。
でも、沿線だけでなく、もう少し自由に動きたいと思った。

そこで、思い立ってクロスバイクを買った。
これも、とあるメーカーの、エントリーモデル。

すると、ペダルを漕ぐことは、それだけで楽しいと気づいた。
寒くても、自転車で走るとこんなにも爽快なのか。


初日に10km、二日目に15km、
次の週には20km、さらに次の週(昨日)は30km。
走る距離が少しずつ伸び、休みの日は家に居着かなくなった。

途中、気になる場所に寄り、カメラで景色を撮る。
走る。
撮る。
走る。

すっかり生活が変わってしまった。
ペダルを漕ぐと、心が軽くなる。
腹が空く。よく眠れる。

アクティブな趣味など、自分にはそぐわないと思っていたのに。
何が切っ掛けになるかわからないものだ。

共通点と相違点

2018-08-04 22:05:20 | 日々雑感
ハイネケンのCMだったかと思うのだけど、
ある空間に2人を放り込んで、他の人は居なくなるの。

その2人は、政治信条や宗教や、人生経験で、
どうしても真逆の立場を取らざるを得ない人たちなんです。
もしネット上であれば、互いを罵倒しあって、きっと相容れることは適わない2人。

その2人が、部屋に用意されている指示書と資材を使って、
バーのセットを組み立てていく。

そのセットは、絶対に一人では完成しないようになっていて、
協力しないとやり遂げられない。

対立していた2人は、仕方なく協力して作業をする。
その間に言葉を交わす。
互いの考えや、経験を、言葉でやり取りする。

殴りかからんばかりに険悪だった雰囲気は、
互いの共通点を見つけたり、心通う瞬間を見つけたりしながら、
だんだん和らいでいく。

そして、バーが出来上がる頃には、
2人は対立を乗り越えて、心通う友人になっている。。。
そして、バーセットにハイネケンが運ばれてきて、
「乾杯!!」っていう。

どこまで本当で、どこからが演出なのかも分からないCMだけど。
でも本質を突いてるような気がしたんですよね。

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最近、会社がダイバーシティがどうのこうの、と煩い。

で、ダイバーシティを推し進めることのメリットを調べてみたら、
なるほど、と思うことがあった。

別にこれは、女性の活躍を進めるためだけの口実ではなく、
多種多様な価値観を交えてプロジェクトを進めていくほうが
効率的に仕事が進む、という調査結果があるからだそうだ。

例えば、人員を「性別」「年齢層」「専門知識」「国籍」などなど
様々なパラメーターに分けて考えたときに、
共通点もあるけど相違点もある、といったメンバーを揃えたら、
仕事のパフォーマンスが上がる、というような。

一方で、一つのパラメータしか考えずに人を集めると、
パフォーマンスが落ちることがあるとか。

とすれば、うちの会社の間違いは、ダイバーシティ=女性の活躍としか
捉えていないところ、ということになる。
パフォーマンスが落ちる典型的な勘違いをしていることになる。

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ここで面白いのは、やっぱり、相違点と共通点を併せ持つ他人同士が、
共通点をテコにしながら良好な関係を築いていき、
相違点は相違点として、認め合うところにあると思う。

「多様性を認めることは一枚岩になることとは違う」という意見もあるようだけど、
均質化するのではなく、ちゃんと相違点を認め合った上で一緒にいられる集団、というのは、
より強固な一枚岩、と言えないだろうか。

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そういう風になっていけば、もう少し人生やりやすくなると思うんだけど。

ネットを見てても、会社を見てても、社会を見てても、
何となく窮屈な気持ちになることが多い昨今、
そんなことを考えながら、休日の夜を過ごしている。

生産性

2018-07-30 21:53:44 | 日々雑感
杉田水脈という方が、LGBTには生産性がないのに税金を使っていいものか、といった主旨の
発言をして、界隈で炎上しているらしい。

新潮45に載ったというその全文を読んでみたけれど、
確かに、ちょっと残念なというか、前時代的な感じの論調で、
あらまぁ、という感じだった。

そもそも生産性とLGBTを結びつけて語ること自体に違和感を感じる。
というのは、いくらも語られてきた話だろうが。。。

生産性という言葉が「世帯の出生数」を指すならば、DINKSや(ストレートの)独身者も
槍玉に上げることになる。それは杉田氏の本意ではないだろうと思う。

じゃぁ、生産性が経済活動を指すのならば、それも変な話で。
というのは、労働のみならず「消費」だって生産活動の一部だと言えなくもないわけだから、
生きていながら生産性がない人なんて、探すこと自体が難しい。

ということで、おおよそ意味のない、チグハグな言説に思える。

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ただ、ね。

この杉田氏の言葉を見聞きして、「よく言ってくれた」と思った人も、
実は一定数いたのではないかと僕は推測している。

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13年前に亡くなった母の話をしよう。

僕は、母にカミングアウトをしたことがある。
もう16〜17年くらい前かな。

その前後で、母子の関係が悪くなることも、崩れることもなかったけれど、
母は全く理解を示さなかった。

そんな人(同性愛者)は居ない、そういうフリをしているだけだ。
時間が経てば普通に戻る。信じられない。

そういうリアクションだった。大変なショックを与えたと思う。

それから何年も経って、母は体調を崩し、僕は「お父さんお母さんの関係を見ていると、
結婚してみたくなった」と告げ、安心してもらうことにした。
僕を心配して、心残りのまま居なくなって欲しくはなかったから。

父は母をずっと優しく看病したし、結婚が良いものだと思ったのは嘘ではなかったけど、
今にして結婚してないから、やっぱり嘘ついたことになるのかな。
恋愛対象は、依然として変わってないしね。


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要は、僕みたいなのが身近にいることを知って、
それでも僕を息子と認めて、それ以後も愛してくれた母なんだけど、
「同性愛者なんて居ない、受け入れられない」ということが起こったわけ。

これが、一般的な、フツーの感覚なのかも知れないな、と思うんですよ。

だとすれば、LGBTが身近に居ない、ごくフツーの環境の中で暮らしてきた人が、
杉田氏の発言を見聞きして、「そのとおりかな?」と感じても、
そんなに不思議は無いかな、と。

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だとすれば、結局、LGBT関連で出来ることっていうのは、
言論を封殺することではなく、差別心を持つな!と迫ることでもなく、
粛々と法令を整備することなんじゃないかなぁと思うんですよね。


法令ってのは、冷たい風から身を護る外套にはなると思う。
冷たい風自体は、止まなくても。

いずれは、法令ができる前を知らない世代が多くなってくるでしょう。
そうして、変化は徐々に、常識に置き換わっていくんだと思う。
息の長い話だけど、そういうものじゃないかな。

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最後に。
それでも、喜ぶべき変化の一端を感じたことが。

ツイッターのリプ欄では袋叩きにされていた、あるゲイの方のツイッターアカウント。

その方は、同性婚を挙げて、幸せの真っ只中だったんです。
自分は差別されてないし、みんな祝福してくれたから、幸せだというのを、
思いっきり、満身で表現されていました。

それに対して、「差別されている人もいる!」「自殺した人もいる!」「偶然の幸運だ!」
「昔の活動の成果だから、感謝せよ!」などという言葉を投げかけて、
えらい剣幕で叩いている人も居たけれど。

ちょっとお門違いじゃないかと、僕は感じました。

だって、それらは事実かも知れないけれど、
これまでの人たちが必死に活動して、LGBTフレンドリーな世界を作ろうとした、
その一端が、現実に顕れてきた、と思うべきなんじゃないの?

幸せで、何も苦労していない、というゲイの人が出てくることは、
叩くようなことじゃなくて、真っ先に成果として誇り、祝福すれば良いんじゃないの?と思ったからだ。


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何にせよ、この件では、日本はまだまだ発展途上にあって、
これから良いこと・悪いこと、沢山起こると思う。

色んな人の言葉を見ていて、何より大切なのは「感情的にならないこと」、
そして、どんな言葉を発したとしても「相手の人格までは否定しないこと」、
ついでに、「他人の幸せは喜ぶこと」。

これらに尽きるのではないかと、不詳私は思ったのでございました。

命の重さについて

2018-01-06 17:15:35 | 日々雑感
祖母のお葬式の時の、父の喪主挨拶にタイトルを付けるとすれば、
これだと思う。

多くの人が、95歳は大往生と言う。
確かに、若い人が亡くなるほどの、刺さるような悲愴感はないが、
それでも人ひとりが居なくなったのは、途方もないことだ。

父はその感覚を、辿々しいながら、心をこめてスピーチした。

スピーチの内容は、親戚一同への感謝の言葉「ありがとう」から始まる。
そして、徐ろに祖父の話へ。

祖父が戦死し、祖母はシングルマザーとなり、生まれたばかりの父と一緒に
祖父の家から籍を抜き、旧家へ戻り、女手一つで父を育てていく。

再婚の話もあったろうが、それを断り、
祖父にどんどん似てくる父が巣立つまで、育て上げた。


祖父を失ってから、実に70年以上。
祖母は独り身を貫いた。

入院した後、まだそれほど体力が落ちていなかった時分、
病室で、祖母と父はふざけながら、こういう話をしたと言う。

「おらぁ生きすぎた。もう死にてぇ。」
そう言う祖母に、「そしたら一緒に死ぬか?」などと一通りうそぶき、
最後に父は、下記のように聞いたそうだ。

「じゃぁばあちゃん、死んだら誰に会いたい?」

すると、
「おら、○○(祖父の名)に会いてぇ。」
と答えたそうだ。

続く会話で、今度は父が訊かれる。
お前は誰か会いたい人はいるか?と。

そのとき父は、母の名を答えたそうだ。

「そらそうだな。。。」と納得して、
突然「いや、でもおらぁ100まで生きるぞ!」と
意気込んでいたらしい。

誰に一番会いたいか、という質問への答えとして、
ふたりとも、失った連れ合いの名を出した。



この切実さには、相手と出会ってから過ごした年月、
そして、相手を失ってから過ごした年月ぶんだけの
重さがある。
その重さは、人生で出会った人の数だけ、更に増していく。

これが、命の重さなんだと思う。


例えば祖父に対しては、出会ってから75年以上の思いがある。

父に対しては、産んでから73年分の思いがある。

兄に対して42年分の、私に対しては37年分の、
そういった思いを全て抱えて、祖母は生きていた。


そんなことを、祖母がわざわざ口に出すようなことは全くなかったけれど。
でも、時折見せる表情や、生活の姿を見ていると、
如実にそのことが表れていたように思う。

思いには、質量も無ければ、姿容があるわけでもない。
それでも、祖母が存在すれば、確かにそこに存在していた。

それが、もう、消えてしまった。
これが命が終わったということだ。


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また、祖母は、不自由だらけの入院生活の中でも、
常に「ありがとう」という言葉と、笑顔と、ユーモアを忘れなかった。

若い看護師の中には、患者を邪険に、乱雑に扱う人もいた。
そういう人に当たっても、文句一つ言うでもなく、
必ず「お世話さま。ありがとう。」と祖母は言っていた。

在宅介護となったときも、同じだった。
亡くなる前日、意識が朦朧とし、声が出なくなってからも、
漏れる息で、「ありがとう」と言っていた。

そして、亡くなる時。
いつもずっと支え合ってきた、親戚のおばさんが到着したときには、
安心した顔をして、少し唇が動いたのだという。

それもきっと、「ありがとう」だったんだと思う。


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祖母のそうした姿や人生、そして家族に残してくれた思い。
その全ては、きっと、僕らがこれから生きていくときの灯火になる。

教育というのも違う、背中を見せてくれたというのとも違う、
灯火という表現しか思い浮かばない。

それを祖母は、僕達に見せてくれた、と、父はスピーチを括った。

そして、参列している家族に、再び「ありがとう」を述べて、
深々とお辞儀をした。

THIS IS US (アメリカのTVドラマ)

2018-01-05 23:41:04 | 日々雑感
夜、腰痛に悩まされながら、珍しくテレビを点けていると、
掲題の「THIS IS US」というドラマの連続放送が始まった。

これがもう、ストライク。
毎話、ことごとく泣かされて、困ってしまう。

設定としては、けっこう無理があるというか、一見あり得なさそうな感じなんだけど、
その中で、登場人物たちが経験する1つ1つのエピソードには、どれも普遍性があって、
ドラマに強い説得力が生まれている。

36歳という年齢も、自分と同年代で感情移入しやすい。
(いわゆる「中年の危機」が描かれていく)


おそらく、この連続ドラマの主題にもなりうるセリフを1つだけ。

「人生がどれだけ酸っぱいレモンを差し出してきても、
 それでレモネードを作ることは出来る」

“There is no lemon so sour that you can't make somthing resembling lemonade.”

人生で、おそらく最も辛い部類の経験に打ちのめされている若夫婦に、
似た経験をしたことがある老医者がかける言葉。

夫婦を主人公に据えた1話で出て来るセリフだけど、
シーズンの中盤で、今度は老医者を主人公にした視点から語り直され、
それがまた深く胸を打つエピソードになっている。

久々にテレビに釘付けになるドラマに行き当たった。
DVDで発売されたら、、、、買っちゃうだろうな。

アランの幸福論

2017-12-30 19:58:29 | 日々雑感
好きな本。
時々手に取っては読み直し、感心している。
美酒のごとく味わい深い本だと思う。

流石に名作だけあって、色んな人が翻訳している。
新しい訳が出れば、思わず買ってしまう。

今回は、日本能率協会マネジメントセンターから出版されたものを買って、
またも飽きもせず読んでいる。

翻訳の良し悪しは分からないが、大人の文章だという印象は、
初めて読んだ時から変わらない。

心にとって、ゼロ点調整のような文章だと思う。
平常心になり、穏やかに礼節を持って生きることが、
いかに人生を豊かにするかを、さりげなく諭してくれる。

何となく、徳の高いお坊さんの言葉に似てるような気がしてくるのが、
不思議なところ。
成熟した知性というのは、案外そういうものなのかも知れない。

家族の話

2017-12-28 13:19:50 | 日々雑感
父は、祖母よりも、曾祖父母に育てられた印象が強いらしい。

これには事情があって、祖父がレイテ沖の海戦で戦死したとの報を受けてから、
祖父方の親戚と、生まれたばかりの父をどうするかについて、意見の相違があったことに依る。

というのも、祖父方の親戚筋には、男児がおらず、家を継がせたいとの気持ちから、
父を籍に置いておきたかったらしい。でも、祖母の籍は抜け、と言ってきた。

戦後間もなく、生きるのに精一杯の時代だから、仕方ないところだったのだと思う。
でも、曾祖父がそれを許さなかった。

祖母と父をセットで、籍を抜くか、籍を残すか、それ以外にはない。
母と子を引き裂くなど許さない、というわけ。

話し合いは決裂し、曾祖父が半ば強引に、
祖母と父を、祖父方の籍から抜いて、連れ帰ってきた。

当時祖母も若かったし、たしかに、人生いくらでもやり直すことは出来ただろう。
だけど、そうはならなかった。

曾祖父は、その行動に責任を感じたからかわからないが、
父が小さく、手が掛かるうちは、自分たちで面倒を見ると言い出した。
もちろん、祖母と一緒に暮らしながら。

そんなわけで、中学に入るまで、父の記憶には、祖母よりも、曾祖父母の
思い出のほうが多いそうだ。

曾祖父は、道楽者の名物じいさんで、かなり名が知られていたらしい。
弓道をやっていて、庭に弓場を作ったり、
自分で庭造りなどもして、池から、植える植物から、池にかける橋まで、
全てDIY。
山が好きで、父を山に連れて行っては、誰にも秘密にしている場所で、
自然を楽しんだという。

当時、曾祖父は店をやっていた。
山登りの連中が乗るバスの終着点の真ん前で。

曾祖父は山に詳しいので、その日山に入る人たちを集めて、
道案内の口上を述べるらしいのだけど、それがまた名調子だったという。

どの道を歩いていくか、見どころなどは言うに及ばず、
どの辺に大きな岩があって危ないから気をつけろとか、
足を滑らすなとか、そういうことまで事細かに。

曾祖父の写真を見ると、特に若い頃は、シュッと姿勢の良い、
涼しい目をした色男、という感じ。
爺さんになった姿も、知的な印象。

僕が小さな時分に亡くなったと聞く。ほとんど覚えてないんですよね。

言葉で聞いたところで、人となりを理解できるわけではないけれど、
ちゃんと聞いておきたいなと思った。

せっかく、珍しく父から聞けた昔話だったので、
忘れぬうちに残しておこう。

1週間

2017-12-24 11:35:43 | 日々雑感
前回の投稿の次の日、昇格試験のあと直ぐに、実家に電話をしたら、
祖母がもう危ない、ということで、トンボ返りで実家へ。

途中、鹿と電車の接触などがあり、なかなか電車が着かず、
実家に辿り着いたのは22時ころ。

祖母は息を引き取っていました。

いつだったかが分からないほど、本当に安らかな、静かな旅立ちだったそう。


ここで、喪主となる父が、腰痛で立っていられないほどになり、
丸々1週間、お通夜・お葬式の準備や、父の身の回りのことなどをしていた。


色々とあった1週間だったけれど、
祖母をしっかりと送ることができて、良かったと思う。

父も、ようやく腰痛が落ち着いてきたようで、安心した。


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それにしても父は、ケンカっ早いというか、気の短いところがあって、
週の半ばころに厄介になった整形外科で、大喧嘩。

元はと言えば、先生の態度が確かに悪かった。

「どうにか葬式まで、立っていられるように、痛みだけ何とかしてくれ」と頼み込む父に対して、
「もう何も出来ません。これ以上の治療を望むなら、別の医者に行けば良いんじゃないですか」
と先生が答えた。

這うように医院まで来た父に対して。

とは言え、「ほんなやったら、もう二度と来んわ!」と答えた父も父。

先生と言い合いが始まるも、父は痛くて立っていられないので、
ベッドにうつ伏せになりながら、顔を横に向けて応酬している。

何が始まったの、コレ。
こわばった表情で出ていく患者。
オロオロする看護師。
地獄絵図。


終いに、「ほしたら、どうしたらエエねん!」という父に対し、
「病院にいけ!」と答えた先生。

ここどこだよ。
病院じゃないのか。


申し訳ないながら、私は大笑いしてしまった。

父親「病院ってどこや?」
先生「◯◯病院!」

ということで、次に治療に行く医者が決まった。
おかげさまで、よく効く痛み止めを貰えて、何とかお葬式を迎えることができた、という、
どう表現すれば良いのかわからない出来事だった。

私は大いに面白がらせていただきました。


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そうは言っても、別れはやはり辛く、寂しいもので。

祖母が逝く日の前日に、手を繋いだらずっと離してくれない、
ってこともあったし、死に目にも会えなかったし、余計に辛くて。
こればかりは、言っても仕方のないことだけど。


ずっと祖母のすぐ隣の家に住んでいて、お互い支え合って生活していた親戚のおばちゃんが、
沢山写真アルバムを持ってきた。

そこには、戦争で亡くなった祖父や、若いときの親戚の面々、
そして、親戚さえ知らないような祖母の姿が、沢山収められていた。

あちこちを旅したり、皆で楽しそうに詩吟を唄ったり、大正琴を弾いたり、
編み物教室で沢山の生徒さんに教えていたり、
小さな売店をしていたので、そこに集まる小学生と記念写真を撮ったり。。。

僕も、そして親戚の多くも、ほとんど知らないような祖母の姿が沢山あった。

それがどういう写真なのか、祖母にもう聞けないことは、とても寂しいのだけど、
同時に、祖母が色々と楽しんで生きてきたことも分かってきて、
なんだか温かい気持ちになった。

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編み物は、先生をするほどに上手な祖母だった。
晩年も、沢山のあみぐるみを作って、手元に置いていた。

毎年、干支のあみぐるみを作ってたんです。

僕は、その中からヘビ(巳)の編みぐるみをもらうことにした。

もう、本当にかわいいんです。
赤い毛糸の舌がチョロっと出ている芸の細かさ。

大事に、持っておこうと思う。

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祖母も送り出したし、父の腰も落ち着いてきたし、
僕もまた、日常に戻っていこうかと思う。

どんどん人生から大切な人が居なくなっていって、
寂しくなるばかりだけど。

心が暖かくなる思い出さえあれば。


仕方ない。また頑張ろう。

リレー

2017-12-17 16:35:22 | 日々雑感
祖母の容態が良くないと、夜中3時に電話を受け、
急いで会いに来た週末。

幸いなことに容態は安定し、穏やかな週末になった。
まだ、もう少し頑張れるのではないか、と感じた。

私は、明日には昇進試験を受けるので、帰らなければ。
でも、祖母の様子を見ていれば、本当は帰っては
いけない気がして仕方ない。

挨拶に手を握ったら、手を離してくれない。
祖母にはもう、分かってるのかも。

行かないで。寂しくしないで。
もう声さえ出ない祖母の、心の叫びが伝わってくるようで。
でも、ごめん、ありがとう。訳の分からない言葉を発して、
実家を飛び出してしまった。

帰りのタクシーの運転手には悪いことを。
大の男が咽び泣くのには、困っただろう。