【タイ山岳民族の村に暮らす】

チェンマイ南西200キロ。オムコイの地でカレン族の嫁と綴る“泣き笑い異文化体験記”

【松下センセはにっくき恋敵】

2005年01月18日 | 天翔ける我がカミさんに捧ぐ相聞歌
 作家・松下竜一といえば、たいていの人はテレビドラマにもなった『豆腐屋の四季』を思い浮かべるらしい。
 
 短歌を軸に構成された『豆腐屋の四季』は、高校卒業を待って結ばれた愛妻・洋子さんへの極上の相聞歌だが、その“べた惚れ”ぶりは昨年6月に逝去されるまで一貫して変わることがなかった。

 だが、終生根を張り続けた大分・中津の海を破壊する豊前火力発電所建設差し止め裁判を機に、松下さんは『草の根通信・・・環境権確立に向けて』と題するミニコミ誌の発行に踏み切り、以降一貫して“濫訴の民”として反権力の立場を貫いてきた。

 その闘いの軌跡の中から、苛烈なダム建設反対闘争を鬼気迫る筆致で描ききった『砦に拠る』、企業を相手に一歩も譲らぬ九州女たちの腰の据わった闘いぶりを描く『風成の女たち』、冤罪事件の構造を鋭くえぐった『記憶の闇』、関東大震災の混乱の中で憲兵甘粕に惨殺された大輪の向日葵の如きアナーキスト大杉栄遺児・伊藤ルイの生涯をたどった『ルイズ・・・父に貰いし名は』(講談社ノンフィクション賞受賞)、企業爆破実行グループ“東アジア反日武装戦線 狼”大道寺将司(死刑確定)等の止むに止まれぬ思いを浮き彫りにした『狼煙を見よ』などの名作を次々に生みだし、その執念の筆刻は『松下竜一 その仕事全30巻』(河出書房新社)という巨大なる巌となって浮薄の世の重しとなったのである。

 そんな偉い松下さんを、カミさんと私は「松下センセ」と親しみを込めて呼ばせていただいていた。
 松下さんは「取材に言っても自分からは絶対に口を開かない」という伝説の持ち主で、私が初めて東京でお目にかかったときも苦虫を噛みつぶしたような顔貌にとりつく島もなかったほどだ。

 だが、軽妙なエッセイ、とりわけ愛妻の洋子さんを題材にした文章には巧まざるユーモアが散りばめられ、読む者をホンワカとした幸福感に包み込んでくれる。
 そんな松下さんが、作家や著名人を「先生様」と呼んで崇めたてまつる出版業界や世間の風潮をからかうべくひねり出した自称が「松下センセ」であった。

 カミさんは、私が購読を始めた『草の根通信』を読んで、すぐにセンセの大ファンになった。
 いや、正直に言えば“憧れの君”を見つめるようなキラキラした眼差しでセンセを仰ぎ見るようになった。
 これは、危険な兆候である。

 懸念通り、私がいくら頑張ってビジネス・ルポを書いても、カミさんは序文をざっと流し読む程度でろくに感想も聞かせてくれない(“カミさんにも分かり易いように”と心を砕いて書いた労作であるというに・・・。しかも、言いたくはないがセンセの本よりはずっと売れたのである)。

 そのくせ、松下センセの全集刊行が決まるや否やたちまち全巻先行予約を済ませ、あの重厚な全30巻をこれまたアッという間に完全読破してしまった。

 洋子さんには大変失礼ながら、私にとっての松下センセは“にっくき恋敵”以外の何者でもない。

 そんなカミさんが初めて詩画個展を神田神保町で開くことになり、私が友人のデザイナーと共に苦労して作った案内状を、彼女はさも当たり前という顔をしてルンルンと鼻歌を歌いつつ愛しき松下センセ宛てにお送りしたのだった。

 すると、さすがあっぱれ恋敵(一部ではあらゆる人に只で原稿を書かせる“人たらし”という噂もあった)、センセはさっそく直筆の手紙を寄越し「あなたの素敵な絵と文章を送ってください」と甘く囁きかけやがったのだ!(洋子さん、ごめんなさい)

 もちろん、カミさんはふらふらっと恋に落ち、「小さな茄子にもひとつの命 みんなみんなひとつの命」という言葉を添えた小茄子の葉書絵と、頸髄損傷から復活するまでの軌跡をたどった“生きるっていいな”と題するエッセイをまとめ上げ、その絵は『草の根通信』1998年9月5日号の表紙を飾り、エッセイも無事掲載されたのである。

 話は、ここで終わらないから人生は面白い。
 
 そのど素人が書いた“生きるっていいな”は、なんとなんと“日本エッセイスト・クラブ編'99年版ベスト・エッセイ集『木炭日和』”に収録される運びとなり、「吉田幾子」というカミさんの名は、井上ひさし、五木寛之、城山三郎、橋本大二郎、宮城谷昌光などなど豪華絢爛たる執筆陣と肩をならべ、その鼻は天にまで届かんほどの勢いで伸び続けた。

 と、そこでまたセンセが絶妙のタイミングで寄越す葉書がなんとも憎らしいのだ。
 こっそり盗み読むと、そこには味わい深い達筆で「私はエッセイの達人とひそかに自負しておりますが、まだエッセイで賞を貰ったことがありません」という殺し文句が書き連ねられてあったのである。

 カミさんの鼻、さらにぐいぐい伸びたこと、言うまでもない。
 
 そこで、一念発起、にっくき恋敵を蹴散らさんとセンセに負けぬ“底抜け貧乏暮らし”覚悟で挑んだのが、「第一回開高健ノンフィクション賞」(集英社主催)という次第である。

 先にも書いたように、センセはカミさんよりも2ヶ月ほど早く脳内出血で倒れ、カミさんより4ヶ月ほど早く旅立たれていた。
 そこで私は、旅立ちの報告をセンセの盟友である中津の梶原得三郎さんにお送りした。
 得さんは、さっそく事情を洋子さんに話してくださり、その葉書はセンセの祭壇に飾っていただく仕儀とあいなった。

 心優しき得さんは、「今ごろは二人とも病気や障害から解放されてにこやかに会話を交わしていることでしょう」という添え書きと共にそのツーショットをお送りくださり、私はその写真をカミさんの笑顔の写真の脇に添えた。

「よかったな、イク。センセとツーショットだぜ。なんだお前さん、笑ってるのか?よかったなあ、そうか、今ごろはセンセとおしゃべりしてるんだ・・・。でも、センセは洋子さん以外の人とはほとんど喋らないらしいから、お前さんが俺にそうしたように一方的に喋りかけているんだろうな・・・」

 そう語りかけながら、私は横目でセンセをちらっと睨み「あんまり仲良うせんでくだはりまっせ」ときつい肥後弁で大人げない台詞を吐いてしまった。妬けるのである。

 とまれ、カミさんは憧れの君・松下センセのそばで、今日も賑やかにお喋りを楽しんでいるのだろう。
 心優しいセンセは私みたいに「うるさい!」と怒鳴ることもなく、「ふん、ふん」と適当に相づちを打ちながら、実はしっかりと耳栓をはめて、べた惚れの洋子さんに向け絶え間なく熱い相聞歌を詠み贈り続けているに相違ない。


















 




















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