「キヨシ、心配したよ!死んだのかと思った・・・。心配で心配で、昨日はチェンマイまで運転してゲストハウスまで行ったんだよ」
5日ぶりに電話すると、ベンは一気にこう言った。
非難めいた調子ではなく、さもホッとしたような口調だった。
「昨日?何時ごろ?」
「午前10時頃」
そういえば、昨日10時過ぎに携帯のバッテリーを充電した際、着信表示を見たような気がした。
だが、私はそのまま携帯の電源を切ってしまった。
あのとき、ベンはいつものようにゲストハウス(安宿)に着く直前に電話をかけてきたのだった。
最近、宿の前の路上には「駐車禁止」の標識が取り付けられてしまった。
だから、ベンは妙に神経質になって、以前のようにクルマを停めて部屋をノックすることはせず、宿の前の路上で待つように事前に電話してくるようになっていたのだ。
「クルマを停めて宿のマネージャーにあなたのことを聞いたら、『大丈夫、別に問題ないよ。いまは、市場に行ってるみたいだ』というから、警察が怖いのですぐにクルマを出したの。何度電話しても通じないし、一体どうしたの?」
*
どうしたのか、自分でもよく分からない。
19日にベンと一緒にチェンマイ・ラム病院に行き、20日に手術の件について改めて電話で話し合った。
そのときは結論が出ず、ベンが「また、明日電話するね」と言って別れを言ったのだが、その直後に私は携帯の電源を切ってベッドに倒れこんでしまった。
その翌日から、なぜか携帯の電源を入れる気になれず、あっという間に4日間が過ぎてしまったのだ。
おそらく、何らかの考えをまとめたかったのだと思う。
このところ、ベンの病気と家づくりに振り回されて、まったく自分のことを考えるゆとりがない。
ベンはとにかく、本格的な雨季(例年は6月半ばころから始まるらしい)がやって来る前に実家の建て替えを済ませ、そのあとで手術を受け、退院後は実家の部屋で母親や叔母や義妹の世話を受けながら静養しようと考えている。
ベンも私もアパートを引き払ったいま、それはやむをえない選択だろう。
手術の日程が早まる前までは、私と一緒にチェンマイに家を持つことを考えていた(銀行で働く友人が、時おり格安の差し押さえ物件情報を流してくれるのだ)。
だが、先日見に行ったコンドミニアム(分譲アパート)は格安ながら狭くてクルマを停めることができず、見に行く予定だった一戸建ては連日のスコールのおかげで「雨季に住むには向いていない」家であることが判明した。
そこで、再びアパートを借りることを考えたのだが、手術の日程が早まったいま、ベンはその案には反対だという。
「退院したあとに、どのくらいの間静養しなければいけないかまだ分からないらしいの。トイレやシャワーの介助も必要だし、食事にも気を使わなくちゃいけない。食べちゃいけないものもあるのよ。そうなると、とてもあなたの手には負えないでしょう?」
“そんなことはないさ。俺は、カミさんを30数年も看てきたんだ”
そう言いたいところだが、実際にはカミさんや私の家族の協力がなければとても無理だったし、ここは言葉もろくに通じないタイである。
ベンの家族の協力は不可欠なのだが、村の戒律を考えるとベンの母親と私がひとつ部屋に泊まることなどとても考えられないし、高齢の祖父母もベンを手元に置きたがるだろう。
現実問題としては、ベンの選択がもっとも妥当なようだ。
だが、そうなると、私自身の将来についてもここでもう一度立ち止まって考える必要がある。
そこで、ベンからの電話を一切遮断して、思考の殻の中に閉じこもろうと試みた・・・。
*
だが、実際に私のやったことといえば、宿の図書箱から分厚い『武田信玄全4巻』(新田次郎著)を見つけ出して、朝から晩までひたすら読みふけるだけだった。
ページをめくる手を休めれば、ベンとの出会いから今日までの日々が走馬灯のように脳裏を駆け巡り、頭痛に顔をしかめるベンの表情がまぶたの裏に浮かぶ。
かといって、電話をしても、今の私には何も解決策がない。
「頭痛はどうだ?薬はまだあるか?無理はするなよ」
言えるのは、それだけなのだ。
*
そして今日、何の結論も見出せぬままふらふらと5日ぶりに電話をかけたという次第だ。
少し落ち着くと、ベンがこう言い出した。
「わたしね、やっぱり手術を延ばしもらおうと思うの。いま入院すると、家づくりも治療も中途半端になってしまう。だから、まず家づくりに集中して、それから手術を受けることにしたいの。それだと、退院後も実家で母たちに介護してもらえるでしょう?」
だが、そうなると延期した1~2ヶ月の間に病状が急速に進むおそれがあって、にわかには頷けない。
私はただ「うーん」と唸るばかりだ。
「それでね、ショウライのことだけど、わたしはもう働けないかもしれないから、私の土地にキヨシの協力でアパートを建てたいの。そうすれば家賃収入があるから、私はもちろんキヨシも働かなくていいでしょう?アパートの中にわたしたちの部屋をつくれば、家もいらないわ。どう、いい考えでしょう?」
ベンが祖父から受け継いだ土地は、ランパーンの郊外にある科学技術系の大学のそばに位置しており、学生向けのアパートには最高の立地である。
出会った当初は3階建て・39室で見積もり図面を引いてもらっていたのだが、予算に無理があるため、今度は2階建て・18室で考えてみたいのだという。
学生向けだから家賃など微々たるものだが、タイで地道に暮らすには充分だろう。
「もう、俺は日本で仕事なんかしたくないなあ」
そんなことをベンに漏らした私にとっては魅力的な申し出ではあるのだが、あいにく、私はランパーンという町を知らない。
また、私と「村および村の戒律」との関係(なにせ、敵は“噂”という得体の知れない怪物である)の落ち着きどころもまだ明らかではなく、いきなり未知の土地でアパートの管理人になるには不安が大きすぎる。
ここでも私は、「うーん」と唸るしかない。
やむなく話題を変えて、「もう飯は食ったのか?」と聞くと「いま、ハハ(母)がタイ料理を作っているところ」だという。
「ダイク(大工)も食べるから、料理が大変」
「え?毎日、大工に料理を出すのか?」
「ほとんど、毎日。それに、ときどきウイスキーも飲んでいくよ」
「そりゃ、大変だ」
「だから、家族はヤサイばかり食べてる」
「ヤサイ?ああ、日本語の野菜か・・・また、新しい言葉を覚えたんだね」
「うん、ダイクがニクを食べるから、家族は野菜だけ」
「ニク?ああ、肉のことか・・・」
「うん、お金をいっぱいダイクに払って、肉もダイクに食べさせて、家族がかわいそう」
「でも、ベン。野菜は、特に病気の体にはいいんだぞ」
「うん、わかっているよ。でも、家族は病気じゃないから、かわいそう。だから、ショウライのことを考えたいの」
将来、大工、野菜、肉、かわいそう・・・
ベンの話すたどたどしい日本語が、初めは笑いを誘い、次第にいじらしく胸の奥深くに降り積もっていく。
*
あ、そういえば、先週末にふたりで買った宝くじは、確か23日の発表だったはずだが・・・。
5日ぶりに電話すると、ベンは一気にこう言った。
非難めいた調子ではなく、さもホッとしたような口調だった。
「昨日?何時ごろ?」
「午前10時頃」
そういえば、昨日10時過ぎに携帯のバッテリーを充電した際、着信表示を見たような気がした。
だが、私はそのまま携帯の電源を切ってしまった。
あのとき、ベンはいつものようにゲストハウス(安宿)に着く直前に電話をかけてきたのだった。
最近、宿の前の路上には「駐車禁止」の標識が取り付けられてしまった。
だから、ベンは妙に神経質になって、以前のようにクルマを停めて部屋をノックすることはせず、宿の前の路上で待つように事前に電話してくるようになっていたのだ。
「クルマを停めて宿のマネージャーにあなたのことを聞いたら、『大丈夫、別に問題ないよ。いまは、市場に行ってるみたいだ』というから、警察が怖いのですぐにクルマを出したの。何度電話しても通じないし、一体どうしたの?」
*
どうしたのか、自分でもよく分からない。
19日にベンと一緒にチェンマイ・ラム病院に行き、20日に手術の件について改めて電話で話し合った。
そのときは結論が出ず、ベンが「また、明日電話するね」と言って別れを言ったのだが、その直後に私は携帯の電源を切ってベッドに倒れこんでしまった。
その翌日から、なぜか携帯の電源を入れる気になれず、あっという間に4日間が過ぎてしまったのだ。
おそらく、何らかの考えをまとめたかったのだと思う。
このところ、ベンの病気と家づくりに振り回されて、まったく自分のことを考えるゆとりがない。
ベンはとにかく、本格的な雨季(例年は6月半ばころから始まるらしい)がやって来る前に実家の建て替えを済ませ、そのあとで手術を受け、退院後は実家の部屋で母親や叔母や義妹の世話を受けながら静養しようと考えている。
ベンも私もアパートを引き払ったいま、それはやむをえない選択だろう。
手術の日程が早まる前までは、私と一緒にチェンマイに家を持つことを考えていた(銀行で働く友人が、時おり格安の差し押さえ物件情報を流してくれるのだ)。
だが、先日見に行ったコンドミニアム(分譲アパート)は格安ながら狭くてクルマを停めることができず、見に行く予定だった一戸建ては連日のスコールのおかげで「雨季に住むには向いていない」家であることが判明した。
そこで、再びアパートを借りることを考えたのだが、手術の日程が早まったいま、ベンはその案には反対だという。
「退院したあとに、どのくらいの間静養しなければいけないかまだ分からないらしいの。トイレやシャワーの介助も必要だし、食事にも気を使わなくちゃいけない。食べちゃいけないものもあるのよ。そうなると、とてもあなたの手には負えないでしょう?」
“そんなことはないさ。俺は、カミさんを30数年も看てきたんだ”
そう言いたいところだが、実際にはカミさんや私の家族の協力がなければとても無理だったし、ここは言葉もろくに通じないタイである。
ベンの家族の協力は不可欠なのだが、村の戒律を考えるとベンの母親と私がひとつ部屋に泊まることなどとても考えられないし、高齢の祖父母もベンを手元に置きたがるだろう。
現実問題としては、ベンの選択がもっとも妥当なようだ。
だが、そうなると、私自身の将来についてもここでもう一度立ち止まって考える必要がある。
そこで、ベンからの電話を一切遮断して、思考の殻の中に閉じこもろうと試みた・・・。
*
だが、実際に私のやったことといえば、宿の図書箱から分厚い『武田信玄全4巻』(新田次郎著)を見つけ出して、朝から晩までひたすら読みふけるだけだった。
ページをめくる手を休めれば、ベンとの出会いから今日までの日々が走馬灯のように脳裏を駆け巡り、頭痛に顔をしかめるベンの表情がまぶたの裏に浮かぶ。
かといって、電話をしても、今の私には何も解決策がない。
「頭痛はどうだ?薬はまだあるか?無理はするなよ」
言えるのは、それだけなのだ。
*
そして今日、何の結論も見出せぬままふらふらと5日ぶりに電話をかけたという次第だ。
少し落ち着くと、ベンがこう言い出した。
「わたしね、やっぱり手術を延ばしもらおうと思うの。いま入院すると、家づくりも治療も中途半端になってしまう。だから、まず家づくりに集中して、それから手術を受けることにしたいの。それだと、退院後も実家で母たちに介護してもらえるでしょう?」
だが、そうなると延期した1~2ヶ月の間に病状が急速に進むおそれがあって、にわかには頷けない。
私はただ「うーん」と唸るばかりだ。
「それでね、ショウライのことだけど、わたしはもう働けないかもしれないから、私の土地にキヨシの協力でアパートを建てたいの。そうすれば家賃収入があるから、私はもちろんキヨシも働かなくていいでしょう?アパートの中にわたしたちの部屋をつくれば、家もいらないわ。どう、いい考えでしょう?」
ベンが祖父から受け継いだ土地は、ランパーンの郊外にある科学技術系の大学のそばに位置しており、学生向けのアパートには最高の立地である。
出会った当初は3階建て・39室で見積もり図面を引いてもらっていたのだが、予算に無理があるため、今度は2階建て・18室で考えてみたいのだという。
学生向けだから家賃など微々たるものだが、タイで地道に暮らすには充分だろう。
「もう、俺は日本で仕事なんかしたくないなあ」
そんなことをベンに漏らした私にとっては魅力的な申し出ではあるのだが、あいにく、私はランパーンという町を知らない。
また、私と「村および村の戒律」との関係(なにせ、敵は“噂”という得体の知れない怪物である)の落ち着きどころもまだ明らかではなく、いきなり未知の土地でアパートの管理人になるには不安が大きすぎる。
ここでも私は、「うーん」と唸るしかない。
やむなく話題を変えて、「もう飯は食ったのか?」と聞くと「いま、ハハ(母)がタイ料理を作っているところ」だという。
「ダイク(大工)も食べるから、料理が大変」
「え?毎日、大工に料理を出すのか?」
「ほとんど、毎日。それに、ときどきウイスキーも飲んでいくよ」
「そりゃ、大変だ」
「だから、家族はヤサイばかり食べてる」
「ヤサイ?ああ、日本語の野菜か・・・また、新しい言葉を覚えたんだね」
「うん、ダイクがニクを食べるから、家族は野菜だけ」
「ニク?ああ、肉のことか・・・」
「うん、お金をいっぱいダイクに払って、肉もダイクに食べさせて、家族がかわいそう」
「でも、ベン。野菜は、特に病気の体にはいいんだぞ」
「うん、わかっているよ。でも、家族は病気じゃないから、かわいそう。だから、ショウライのことを考えたいの」
将来、大工、野菜、肉、かわいそう・・・
ベンの話すたどたどしい日本語が、初めは笑いを誘い、次第にいじらしく胸の奥深くに降り積もっていく。
*
あ、そういえば、先週末にふたりで買った宝くじは、確か23日の発表だったはずだが・・・。