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日帰りモニターツアー~元寇史跡めぐり part1~

2016-02-19 08:50:00 | 学問


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前回、元寇についての歴史をかる~く振り返ったかと思います。
知ってる方も、知らない方も、忘れた方も!!
前回のブログをご覧ください(*´艸`*)

ジェットフォイルでの船旅は、あっという間でした!!
壱岐に到着!!
主催である壱岐市観光連盟の方々が、港までお出迎え♪からスタート

ツアー参加者も、船を降りて続々と集まってきてます。

福岡の空模様はあんなに悪かったのに・・・

壱岐到着後は、青空が!!(テンション上がりますねぇ)

そして、ツアー開始前に最初の思い出づくり☆彡
参加者全員で【集合写真】を撮りました

よーく見ると、いろんな方向に視線が行ってますが…複数のカメラが多方面から狙っていたので・・・どこ向いていいかわかりませんでした(;´・ω・)

さぁっ!!バスに乗り込みます

よろしくお願いします☆彡

みんな揃ったところで、しゅっぱーつ♪行ってきまーす

少し、バスが走ったところで、、、
壱岐のことを知り尽くしているプロフェッショナル、『壱岐 島おこし応援隊“チーム防人(さきもり)”代表者の中山さんの紹介があり、ガイドとして、元寇ゆかりの地を案内して下さいます。

席に着くと、工程表と番号が記載された地図をもらいました。
工程表には、史跡名称はもちろん、関連のあるチェックポイントも記載!!もちろん車窓から見えるポイントものってます。優しい~~(*''▽'')初めての人にもわかり易い配慮に感激です。 

地図を見ると、壱岐を【ぐるっと一周】してるんです!!

今までに、沢山の方を案内されたんでしょうね。お話が上手♪
印象的なお話として、「壱岐は、福岡市北区壱岐と紹介してます。福岡には北区という地域は無いのですが((笑))」
など、ところどころに、面白いお話をされるので、テンション上がりっぱなしです。

楽しくお話を聞いていると、最初の史跡スポットに到着。
バスを降りて、向かいますよ~。





当時生き残った人が隠れてた穴です。このような隠れ穴がたくさん点在しているそうです。

この隠れ穴は、壱岐では一番大きな穴で、高さ2m・幅3m・奥行5m!!かなり深いんだなという印象を受けました。

隠れている人の中には、赤ん坊を抱えている人もいて、赤ん坊の泣き声が敵に聞こえないよう、きつく口を押えすぎて窒息死したというお話も聞きました。

他にも・・・
島民が殺された理由として、
元寇は、「元」という国だけでなく、朝鮮の高麗(こうらい)軍も多くいたため、高麗軍の士気を高めるという目的での虐殺もあったかもしれないとのことです。

最終的に生き残った壱岐島民は、63~65名(少なすぎます(´;ω;`)ウゥゥ)。また、3000頭という牛が食べつくされたそうです。
文永の役では、200名の少年少女が奴隷として連れ帰られ、戦い方は、偵察も兼ねていたそうです。
弘安の役では、700人の軍隊が入ってきてそうですが、この時は、日本軍の反撃にあってます。元軍は、壱岐を捨てて、平戸に逃げたとのこと!!
文永の役と弘安の役では戦い方が違うと、お話を聞いて初めて知りました。


ツアー参加者の方も、かなり勉強をされていらっしゃる方も多く、たくさんの質問もありました。
(私は、そのガイドさんの説明を聞いて驚くばかりでした(;´・ω・))



壱岐には大きい湾が5つある。そのため、島全体が「“雪”の結晶」のようだとも言われてもいます。
そのうちの1つである湯ノ本湾!!この湾には、小さい島がたくさんあります。

(↑↑↑湯ノ本湾です)

元軍の兵力4万人。軍船900隻。その内訳は、大きい船が300隻、中くらいの上陸用の船が300隻、食糧等を積んでいる船が300隻です。
(ちょっとした、大移動ですよね!!!)
文永の役の時に元軍が上陸した場所が、ここ!!【浦海海岸】なのです。対馬から一番近い湾なんですって!!!

(↑↑↑浦海海岸です。)

上陸跡地が分る史跡があります。
当時の記録によると、10月14日午前4時頃、2隻の船で400人くらいが上陸したそうです。

と、まだまだツアーは続きますが、、、
長くなりますので、本日はここまで☆彡
続きは、次回♪お楽しみにぃ

 

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