おはようございます。
生き生き箕面通信2425(150814)をお届けします。
・戦後70年の検証⑧ 日本政府が世界に発信する「歴史修正主義」
「お詫びしたくないよ~」と、ダダをこねてきた安倍晋三という男は本日8月14日、結局、「お詫び」の言葉を入れた70年安倍談話なるものを閣議決定するのだそうです。でも、もう遅すぎますよね。中国や韓国も、またアメリカなどもとっくに、「アベはお詫びしたくないんだな」ということがよ~く分かってしまいました。安倍談話に「お詫び」の文字が入っているとしても、それが本音でないことは、世界中の人が知ってしまったわけです。
これが、日本政府の“戦後総括”という事実です。安倍氏とその考えを同じくする一群の人たちは、「先の大戦」は、日本がやむにやまれず追い込まれてやらざるをえなかったものだ。また、列強各国からのアジア植民地支配を解放したのだという意義があり、悪い面ばかりだったわけではない。むしろ、“正義の戦争”だったとすら言いたいくらいなのです。
これは、外から見れば、日本が受諾したポツダム宣言や東京裁判、さらにはサンフランシスコ講和条約をちゃぶ台返しするものと映りかねません。安倍首相が就任当初から強調してきた「戦後レジームからの脱却」とは、つまるところ、マッカーサー占領政策を否定し、天皇制を中心とする戦前の体制へ回帰しようとするものと映るようになっています。
明日15日は、「敗戦の日」。そして、恒例の式典で「天皇談話」が出されます。これまでの天皇の挨拶では、満州事変から始まる歴史を直視し、憲法を遵守して平和な道を大切にしたいと表明してきました。満州事変とは、よく知られているように先の大戦を始めたきっかけとなる戦いです。1931年(昭和6年)、関東軍という日本の軍隊が、勝手に中華民国奉天郊外の柳条湖で満鉄の線路を自ら爆破して”支那”の仕業と宣伝した陰謀事件であり、これ以後、満州全土を占領。戦火を広げ、ついには真珠湾攻撃にまで拡大させ、その挙句に広島、長崎の原爆投下を経て無条件降伏したのでした。
戦後70年。歴史が風化しつつあります。私たちは私たちの歴史に今一度目を向け、そこからの教訓を学び直す時期にあるようです。そうでなければ、安倍勢力の「歴史修正主義」がはびこる一方となりかねません。きょう、あすは、静かに70年の歴史、できれば明治維新からの日本が歩んできた富国強兵の道とその結果に今一度、思いを致したいものです。
にもかかわらず、掛け声ででも声だかに主張することは、米国の属国、同盟国になりきって、初めて、形式的には「戦後レジームからの脱却」が可能である。
あいつらは、国際政治学の悪・先生達、外務官僚は、そこが狙いだったのか。純正の右翼の人達や西尾幹二なんかも容認できないことではないでしょうか。
「戦前の日本を取り戻す、ただし、アメリカの庇護の下に」---これは、日本国民(現天皇も含む)の受け入れられない。市民としての誇りが毀損されています。
パク・チョンヒ・韓国には賠償で値切り、中国には円借款、ODA、技術協力により、賠償は未請求。国民政府・中国からの賠償請求は寛容にされた、と理解しています。
きちんと「お詫び」に相当することをしないで、蹴飛ばすようなことはアコギです。口だけのお詫び、日本に見識、品位が問われる訳ですが、もう、時の経過も有り手遅れです。後ろ指を指されても無自覚で行く、相手国の市民、貧困に有る人たちに対してもそうしていくことは「敬意を払われない国民」になることになります。
それがわからないから,いつまでもヤクザの誠意扱いされちゃうんですよね~。
誰かはっきり言ってくれないもんでしょうか。
このお爺ちゃんだね。
日本=悪玉、米軍=解放軍、戦前日本=暗黒社会
こんな刷り込みは「修正」しなけらばならん、当然だろ。
「お わ び」という用語があまりにも軽い。 五輪誘致で喧伝された「お も て な し」に近い軽さだと思います。メディアの日本語感覚に因るものかどうか。
たとえば、従軍慰安婦の問題: 率直な過去の理解・追究とそこから得た知見により、河野さん、村山さん、三木睦子さん、和田教授が尽力された。それでも解決に至らなかった。 日韓条約の存在、日韓の国としての体面、なによりも従軍慰安婦に関わる方の苦痛。
3億円で解決、どうや!?といった金満ニッポン・現政権の意向も伝えられます(未確認)。それでは不可でしょう。 日韓の関係者のレベルは高い。
解決を見ることは容易である、と考えます。
結局,具体的には何も提示できないということですね。
というか,中韓には和解する気なんて無いですし(それで日本揺さぶれるんですから,全員死ぬまで使い切るでしょうね。),いわゆる慰安婦のことなんてどーでもいい存在なんですよね。挺対協とか見てると,よくわかります。
何言っても無駄だし,何渡しても無断なんですよ。
ある程度の日本人は気付いてきたから,対韓アンケートとかの結果になっているんでしょうね。
物質的な、金銭的な賠償(損害賠償)については、日本が「無い袖は振れない」時代から「気持ちばかりの賠償」が十分できる時代になりました。
どの程度の賠償になるかは、政府間の交渉に委ねられます。 不利益をこうむった人、法人は各政府内で調整されることになります。
このような問題は、日本国内で戦災に遭った非戦闘員、民間人にたいする補償、たすけつぐなうことにも適用されます。
反省の「負い目を、次の世代の人たちに継承させたくない」、という安倍は、国内向けには甘言ですが、「血債」を償え、とか、過酷な日本軍による性暴力は看過できないと主張する人たちには、「もらい泣き」することです。
痛切な反省って具体的にどうすることなんですか?
仮にまともさ様が痛切な反省をしても,相手から,「反省がなってない」と言われる場合,それは痛切な反省ではないということになると思うのですが,その場合はどうされます?
相手が理解するまで続けるということですか?痛切な反省レベル2とか痛切な反省レベル3とか,痛切な反省∞とかになるのでしょうか?
鳩山さんの土下座は,謝罪じゃなくて慰霊だそうです。本人が言っていたので間違いないですよ。どっちでもいいですけど。
「心がこもっている」って何ですか?どこで評価するんですか?これは心がこもっているって,はっきりわかるような指標でもあるのでしょうか。心がこもっていなかったと言い切られてますけど,なにが基準なんですか?御自身の心なんでしょうけど,百人いれば百人とらえ方違いますよね。そんないい加減な基準で物事決められるんですか?
どう思われます?