おはようございます。
生き生き箕面通信2415(150804)をお届けします。
・戦後70年間の検証② 「経済に偏重し、大事なものを見失った70年」
俳優の渡辺謙が、次のようにツィートしました。「一人も兵士が戦死しないで70年を過ごしてきたこの国。どんな経緯で出来た憲法であれ僕は世界に誇れると思う、戦争はしないんだと!複雑で利害が異なる隣国とも、ポケットに忍ばせた拳や石ころよりも最大の抑止力は友人であることだと思う。その為に僕は世界に友人を増やしたい。絵空事と笑われても」と。最大の抑止力は、「いざとなれば、戦争するぞ」という脅しではなく、「友人力」だと明確に発信しています。
戦後の70年間に失った大事なものの一つが、「心から平和を求める」切実な思いだったといえます。それでも、「平和を求める心」をまるっきり失ったわけではなく、最近は少し復活してきたかもと感じられるようになりました。
ところが、政治の世界、永田町では、庶民感覚があまり通用しません。永田町では国会議員の多くの先生方が、平和を軽んじて平気という風潮が強くなっています。
「平和」を平気で踏みにじるトップが、安倍晋三という首相です。歴史は次のように展開してきました。安倍首相の祖父、岸信介首相が強引に推し進めたことで国民的な反発が盛り上がった1960年のいわゆる「60年安保」。これが自然成立するや、平和と民主主義を求める運動が潮が引いて行くように下火になりました。代わって登場したのが、池田勇人首相が掲げた「所得倍増政策」。時代は、政治の季節から経済の季節に変えられました。
日本人が長年にわたって育んできた「こころ」を大切にする価値観が軽視され、カネが重視される経済先行型に変わってきたのは、ご存じの通りです。
この流れは、もっと長い視野でみると、明治維新にまでさかのぼります。「列強に追いつけ、追い越せ」の掛け声の中で、西洋崇拝、西洋至上主義がまん延し、昔からの日本の良さが急速に失われていきました。それは、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の「日本の面影」に詳しく描写されています。それは、高度成長後に振り返る「ALWAYS 三丁目の夕日」という映画の景色にダブるものといえます。
現在は、市場原理主義の時代。グローバル企業が大手を振って闊歩しています。TPP(環太平洋経済連携協定)が締結されれば、強欲なグローバル企業の力はさらに強大になります。国家権力を自分の召使いのように 使って、例えば医療保険制度を変更させて、強欲企業のえじきに差し出します。私たち日本人の貯蓄も、いいようにむさぼられます。そうした過程で、「カネがすべて」意識がいっそう増長させられます。
振り返ると、白砂青松の海岸線は、コンクリートで固めた岸壁に替えられました。街中から緑が大幅に減る一方、いなかの山は手入れする人がいなくなり荒れ放題です。
そして政治は、若者の非正規化に真剣な手を差し伸べようとせず、年寄りも「下流老人」が急速に増えつつあります。シングルマザーの生活困窮化。子どもの貧困化。
高度経済成長期にめざした社会福祉国家の建設という目標はある時期、成功しつつあるように見えました。ところが、アメリカからの圧力により、新自由主義経済の方向に変更させられ、見るも無残な格差社会に変貌しました。TPPはその総仕上げになります。
安倍政権のもとで、日本は醜いカネの亡者国家に化けさせられつつあります。弥生時代から稲作文化の中で日本人の中に育まれてDNA化してきた「心」がやせ細り、「ゼニカネ亡者」が幅を利かす、そんな社会はご免です。安倍政権は唾棄すべき政権と言わざるを得ない。戦後70年の総括、検証の結果、安倍政権には一日も早く退陣をいただかなくてならないといえます。
国家間って言うから,理想が先走っちゃうんですかね。
営利法人と営利法人の間に友情が成り立つかって考えれば,無理だべさと思うはずなんだけどな。
戦争の時のほうが多い、人類社会。
宿命ってものを そろそろ受け入れにゃ。
寸土でも侵略されれば戦争をもって応じる。
このつぉい姿勢が戦争を防ぐのである。
この世に警察が不要な日は永遠にこない
のとおなし
地獄への道は善意と言う敷石で敷き詰められている。