つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

第50回東北地区躰道優勝大会(その2)

2024年09月20日 | 躰道
 第50回東北地区躰道優勝大会(勝沼栄明会長)は、小松武審判長をはじめ12名の審判員により、141名の選手が参加して4コートで同時に競技がスタートしました。

 法形競技、実戦競技の個人戦及び団体戦と団体展開競技が行われました。競技進行もプログラム通りに進んでいきます。進行スタッフたちが慣れていて、選手の誘導、タイム表示、審判用用具の準備、競技結果などをスムーズに対応しておりました。

 熱戦を繰り広げられた結果、最優秀選手賞には男子の部では佐々木尚希選手(宮城県)、女子の部では小松優選手(宮城県)が受賞しました。

 特に小松優選手(高校2年)は実戦競技で優勝、団体実戦競技でも優勝、法形競技では2位と立派な成績を収めていました。父親が小松武師範、母親の小松万里子師範も躰道の指導者であります。小学校へ入学する頃から両親に躰道を学んでおり、その後出場する全国少年少女優勝大会、東北地区優勝大会、宮城県優勝大会など各種大会での優勝実績がありました。高校生になっても躰道の稽古を続けて精進しており、一般の部に出場するようになってもよい成績を残しております。各種大会で優勝するたびに気仙沼新聞、河北新報などに採り上げられて掲載されていました。

 NHKテレビの「50のボイス」番組にも出場して、躰道で優勝したことが報じられていました。
 今後は全日本躰道選手権大会や世界躰道選手権大会での活躍が期待されている小松優選手です。

 閉会式では、志摩制基審判審議長から大会の講評が述べられました。

 
小松優選手の法形演武       躰道五条訓を指揮する小松優選手

 
小松武審判長(気仙沼総合体育館)  大会講評をする志摩制基審判審議長

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第50回東北地区躰道優勝大会(その1)

2024年09月19日 | 躰道
 第50回東北地区躰道優勝大会が宮城県気仙沼市総合体育館(ケーウェーブ)で開催されましたので、観覧に行ってきました。

 開会式の時に祝辞を述べさせてもらいました。
 「この東北地区大会が開催された経緯についてお話をします。私が仙台に赴任していた時に東北各県の躰道指導者たちと交流を重ねていました。昭和47年、東京から躰道創始者である祝嶺正献最高師範を仙台にお迎えして、東北の各県指導者たちにも集まってもらい懇談会が開かれ、その中で東北地区大会の開催することが決まりました。
 翌年の昭和48年に福島市で第1回東北地区躰道優勝大会が開催されました。第2回は青森県弘前市、第3回は宮城県石巻市で開催されました。その後毎年各県が持ち回りで東北地区大会が開催されてきて今回が第50回記念大会となりました。
 その間、東北地区で指導的立場である志摩制基師範や工藤善己師範の指揮により大会開催実績を積み重ねてきました。その大きな要因は、躰道の正統な理念と実技を継続してきた真摯な東北気質の賜物であります。東北人の素晴らしさと逞しさが垣間見えます。益々精進をして躰道の発展を祈念しております」
 東北地区大会の初期の頃の模様と50回大会まで継続されてきた努力について祝辞を送りました。

 開会式では、勝沼栄明大会会長、日本武藝躰道三代宗家祝嶺正献先生、小野寺五典衆議院議員、菅原茂気仙沼市長たちが来席されてご挨拶がありました。

 選手宣誓は木村貴希選手(宮城県)が行い、躰道五条訓は小松優選手の指揮で選手全員が唱和しました。その後、競技は開始していきました。

 
第50回東北地区躰道優勝大会横断幕  躰道紋章と創始者祝嶺正献先生
 
第50回東北地区記念プログラム表紙  各種目の入賞者のメダル
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懐かしい写真

2024年09月12日 | 躰道
 祝嶺正献最高師範を囲んでの懐かしい写真(足柄山)

 躰道の仲間である三浦照雄さんの家を訪れた時に懐かしい写真を見せてもらいました。

 祝嶺正献最高師範が足柄山で執筆活動をしていた時の記念写真。昭和46年9月のこと。

 ショーボンド建設の仙台支店に赴任していた時代。そこで宮城県で躰道を指導している人や会員たちとの交流ができました。仙台では、東北大学と東北学院大学に躰道部を創設して指導を担当していました。週末は、境一成先生の実家である石巻市まで行って日和山道場で指導を担当していました。そこに石巻道場の指導者として三浦照雄さんと和田さんがいました。

 2人を連れて車を飛ばして足柄山へ行きました。足柄山の祝嶺正献最高師範のところには、境一成先生と佐藤先輩(福島医科大学躰道部OB)、そして東京国際大学躰道部の後輩である小野寺一善君が訪れていました。昼食をした後に外へ出た時に撮った記念写真であります。

 左から和田、三浦照雄、小野寺一善、祝嶺正献最高師範、境一成先生、佐藤先輩、そして自分が写っています。とても懐かしい写真であります。


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全国社会人躰道優勝大会

2024年08月26日 | 躰道
 第33回全国社会人躰道優勝大会が所沢市民武道館で開催されました。
 全国各地から144名の選手が参加しておりました。
 開会式では、山田重幸大会会長、祝嶺正献躰道宗家の挨拶後、前回最高師範杯を受賞した佐々木尚希選手(宮城県)が選手宣誓をして競技は始まりました。

 法形競技、実戦競技、展開競技の男女・壮年・個人・団体など13種目の競技に白熱な熱戦が繰り広げられていました。

 今大会の最高師範杯は、女子個人実戦競技と女子個人法形競技で優勝をした稲見安希子選手(千葉県)が選ばれて、祝嶺正献躰道宗家から授与されました。

 稲見安希子選手は千葉大学に入学して躰道部に入部し、中野哲爾監督から指導を受けてから上達していき、卒業後も仕事をしながらも精進してきました。

 その他優秀な選手として、木村雅和選手(愛知県)、佐々木尚希選手(宮城県)、金子智一選手(東京多摩)、土井光司選手(山梨県)、木間一紀選手(新潟)などがおりました。

 自分は全国社会人躰道優勝大会には第1回から第6回大会まで個人法形の部で出場をしておりました。
 
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躰道の金メダル

2024年08月13日 | 躰道
 パリオリンピックは日本選手の活躍で大いに盛り上がりまして閉会式を終えました。スポーツ・武道は多くの人に感動を与えてくれます。

 自分の躰道の大会出場の思い出をコメントします。
 学生時代には1967年(昭和42年)に開催された第1回全日本躰道選手権大会、第1回全国学生躰道優勝大会から試合には出場をしておりました。
 卒業後は指導者となり各種大会では競技運営と審判を担当していました。
 壮年期である40歳代から試合に出場をすることを再開して10年ほど、躰道の各種大会に出場してきました。
 全日本躰道選手権大会、全国社会人躰道優勝大会、国際躰道優勝大会、日米親善躰道大会などに多く参加しました。大会に出場できる環境にも恵まれて、そこで体験できたことは世界の躰道仲間との交流も広がり多くの財産となって蓄積されていきました。
 
 躰道創始者の祝嶺正献最高師範が考案した呼吸法を取り入れた鍛錬形を主体とした「勢命の法形」「活命の法形」「延命の法形」で競技に臨みました。大会に出場するためには多くの時間を稽古にあて仲間たちと汗を流して精進してきました。その結果、優勝もして金メダルも多く獲得しました。「努力は裏切らない!」を実感した人生の良き時代でした。
 
 学生時代から継続してきた躰道を、壮年期においても各種大会に出場をすることに喜びを感じて楽しんでいた頃でした。全国社会人躰道優勝大会では最優秀選手賞となる「最高師範杯」を4回獲得したことが記録に残っております。

 最高師範杯

 国際躰道優勝大会

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躰道創始者・祝嶺正献最高師範

2024年08月12日 | 躰道

 全日本躰道選手権大会(東京体育館)

 全日本躰道選手権大会の観客7400名。東京武道館が建設される前は、全日本躰道選手権大会は千駄ヶ谷駅前にある東京体育館で開催されていました。
 躰道創始者・祝嶺正献最高師範は「大会を開催する時には友人や知人たちを会場に来てもらうように呼びかけなさい。それが躰道の広報になり組織を拡大する大きな要素です」といつも話しておりました。
 大会運営は大会会長である祝嶺正献最高師範も自ら多くの知り合いに呼びかけておりました。役員席の後ろ側に設置されたひな壇の来賓席には150名の各躰道協会の会長や躰道師範たちで埋め尽くされていました。

 開会式の選手入場の時には、音楽家の山田竜也先生の作曲された「躰道行進曲」が生のオーケストラの演奏で威風堂々行われました。
 
 当時の東京体育館は3階席まであり観客席は8千名入る施設でした。その大会を観ていた体育館職員は「躰道さん、よく観客を集めましたね。3階の一部に空席がありますが、本日の観客は7千人を超えていますよ」と話していたことを鮮明に記憶しております。

 祝嶺正献最高師範は「大会は人が集まりやすい広い会場で開催すること」を常に話しており、大会開催についてはメディア関係にも訪問したり、案内をしておりました。

 
「躰道行進曲」の作曲者・山田竜也先生  祝嶺正献最高師範と躰道紋章

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躰道創始者・祝嶺正献最高師範誕生秘話

2024年07月22日 | 躰道
 躰道創始者・祝嶺正献最高師範

 大正14年(1925年)12月9日。沖縄本島、山原(やんばる)の山脈を西に背負ったこの有銘地方では、12月の雷雨は珍しくない。尚質王の妃真鍋樽(まなんだる 1649~1668)を始祖とし、3百年の由緒ある家歴をもつ祝嶺家の頭領である春栄はすでに40歳、まだ男児がなかった。「男子を授け給え、わが国土に益する子を授け給え」(拳風夙夜より)

 躰道創始者・祝嶺正献最高師範の生誕のエピソードです。少年時に沖縄で佐渡山安恒師範から空手を学びました。(昭和48年に祝嶺正献最高師範に同行して沖縄へ行ったときに佐渡山師範を訪問しました)。日本へ来てから各団体で玄制流空手道を指導して多くの弟子たちを育成してきました。昭和40年に空手を発展させた21世紀への武道「躰道」を創始して普及していきました。

 同年に国際商科大学(現東京国際大学)へ入学した私たち同志は、練馬の自宅に祝嶺正献最高師範を訪ねて、躰道の指導を願い出ました。指導を快諾してくれた祝嶺正献最高師範は、その後毎週、川越市の大学まで来校して躰道部を創部した仲間たちに熱心に躰道の理念と実技の指導をしてくれました。ある時、「全日本躰道選手権大会用の写真を撮影をする」と云い、大学のキャンパスで私たちをモデルに躰道の演技を指導して自らカメラのシャッターを押しておりました。その写真が第一回全日本躰道選手権大会のポスター、プログラム、チケットに掲載されました。


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「勢命の法形」について

2024年05月02日 | 躰道
 「勢命の法形」を披露する壮年会員

 「勢命の法形」についての解説。
 躰道の創始者であります祝嶺正献最高師範は、旋、運、変、捻、転の五つの技を基本とする躰道を創始して59年が経過しました。そして躰道を万人のものとするために呼吸法を取り入れた「勢命の法形」を創作しました。当初、壮年会員の普及を目的に健康面を考慮した法形を創作しようと試みました。
 
 勢命の法形の創作の基本には中国拳法の所作を参考にしております。躰道の勢命の法形には、体気九法という九つの呼吸法を採り入れております。体軸に角度を持たせることにより氣が移動していくことを理解させております。その理念の基となったのが、植物の樹木の生態を基準にして形成しております。
 
 昭和49年、祝嶺正献最高師範は、躰道の法形を創作した中で唯一「勢命の法形」を、茨城県の鹿島神宮において奉納演武をしております。躰道を会員に普及していこうとの強い現れがありました。

    全日本躰道選手権大会の競技種目として壮年法形競技を誕生させて広く披露していきました。
 
 祝嶺正献最高師範が、躰道の中で最高にして最大の法形となったと言及しているのがこの「勢命の法形」であります。裏の部分である後半は、所作が左右反対で行いますが、これは人間の機能を高めるための鍛錬法が盛り込まれており、躰道の理念を表現しているものです。
 
 特別演武は、壮年会員の風格のある重厚性を表現する「勢命の法形」であった。観客から万雷の拍手で演武を賞賛された出演者たち笑顔を見せて満足な顔であった。
 天国の祝嶺正献最高師範も特別演武「勢命の法形」を喜んでいることだろう。


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(記録)護身術の指導

2024年04月24日 | 躰道

 護身術の指導

 志木市スポーツフェスティバルの躰道セミナーは、谷鐡太郎先生によるストレッチ講習でした。

 セミナーの最後に女性のための護身術を実施しました。男性から両手を掴まれた女性は指の付け根に力を入れて手を返すと相手は力を入れてくるので反対の手を上方へ返すといとも簡単に男性をひっくり返すことが出来ます。
 

 はじめは半信半疑であった女性達は、指導されるとおりに所作を行なうと力の強い男性をたたみの上に転がして護身術を体感していました。何回か試みるとすぐに慣れていました。
 
 今回のセミナーに参加した人達は、体の柔軟性の大切さと護身術の醍醐味を味わって、とても参考になったと感想を述べていました。

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山田竜也先生について

2024年02月27日 | 躰道
    音楽家の山田竜也先生

 音楽家の山田竜也先生と池袋でお会いして懇親のひとときを過ごしました。ランチは中華料理店の天府酒家で、多田廣士さん(躰道指導者)も同席しました。

 山田竜也先生は、躰道に関する音楽を沢山作曲してくれた方です。「躰道ひとすじ」、「躰道賛歌」、「躰道行進曲」、「勢命の法形の曲」など素晴らしい音楽を提供してくれました。

 躰道創始者・祝嶺正献最高師範との親しい交流のなか音楽が作曲されました。第10回全日本躰道選手権大会(昭和51年)でのエピソード。
 東京体育館で実施され観客は3階席まで満席となり、7400名の人が試合を見守っておりました。
 開会式の入場行進は、山田竜也先生の指揮するオーケストラによる「躰道行進曲」です。全国から選出された選手たちは威風堂々入場してきて、開会式に臨みました。
 来賓席には全国から集まった各躰道協会会長や躰道師範ら150名が臨席しておりました。躰道創始者・祝嶺正献最高師範の力強いスピーチが今でも甦ります。

 躰道の良き時代を山田竜也先生と一緒に懐古した一日でありました。
 (2015年3月15日)

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高橋福位さんについて

2024年02月26日 | 躰道
 高橋福位さんについて

 躰道の親しい友人である高橋福位さんが私の事務所に訪れてくれました。
 高橋さんは、帝京大学で躰道部に所属していて、全日本躰道選手権大会では法形競技でチャンピオンになった人です。

 演武する法形は華麗にして重厚さがあり、後宙返りなどの高度な技も表現するテクニックを持っている。躰道の会員から憧れの選手として目標にされていました。

 卒業後は、法政大学躰道部の監督として指導に当たり、全国学生優勝大会で優勝に導いたほどで指導者としても功績を発揮しておりました。
 人の話を真剣に聞くことにとても長けた人です。

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全国範士等躰道演武大会

2024年01月22日 | 躰道
 全国範士等躰道演武大会が中央区スポーツセンター武道場で開催されました。

 躰道の指導者たちの演武披露であり、全国から26名が参加していました。
 中野哲爾6段「変体の法形」が最優秀賞、金子智一6段「運体の法形」で優秀賞を獲得しました。二人は拓殖大学躰道部の出身であり、現在は中野哲爾教士は船橋己錬館道場、千葉大学監督として、金子智一教士は多摩東村山道場、拓殖大学監督として指導をしております。二人とも躰道の正統な理念と実技を指導しており実績を残しております。

 創作演武の部に出場した萩原利克6段は「勢命の法形」を披露して、最後に躰道の指導者は90歳になってもこの大会に出場してほしいと熱いメッセージを送っておりました。

 範士特別演武の部では、奥山安雪8段は「仁制の法形」を披露しました。いつもながら素晴らしい演武でした。
 田中勇悦8段は「創作指導法」を説明して、大学の躰道部員たちによる団体運足の操法を披露して発表をしておりました。

 祝嶺正献最高師範の写真と道着及び躰道の紋章も飾られており、審査員には宮城県で活動をしている志摩制基師範もおりました。


祝嶺正献最高師範と道着と躰道紋章


志摩制基範士は審査を担当


田中通悦8段範士による「創作指導法」

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躰道教士・中野哲爾先生について

2023年12月28日 | 躰道
 中野哲爾先生と(整骨院日月)

 船橋市の整骨院「日月」(中野哲爾院長)で硬くなった身体をほぐしてもらいました。柔道整復師による一時間の施術でとても柔らかく軽くなって良かったです。

 拓殖大学に在学中から筑波大学でコーチ学を学び、指導中に教え子たちがケガなどをした時にすぐ対応できるように柔道整復師の資格も取得して整骨院を開業しています。

 中野哲爾先生は躰道6段教士の資格を取得している指導者であります。現在船橋市で躰道の己錬館道場で多くの会員の指導をしています。また千葉大学躰道部の創部以来、監督として学生たちの指導も担当しています。躰道創始者・祝嶺正献最高師範の正統な理念と実技を伝承する素晴らしき指導者です。多くの後輩たちから慕われております。

 個人でも躰道の全日本躰道選手権大会や各種全国優勝大会にも出場して多くの優勝実績を重ねております。また4年ごとに開催される世界躰道選手権大会では個人法形競技で4連覇という偉業を成し遂げております。

 ランチをしながら躰道の指導方法について懇談をしました。
 指導をするポイントとして躰道の審査項目に基づいて徹底的に基本技を習得するようにしている。これからも日本躰道協会の指導担当として躰道の普及発展に尽力をしていくようであり、大いに期待されております。(2018年3月9日記)


躰道範士大会で優勝した中野哲爾師範


千葉大学躰道部の中野哲爾監督






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祝嶺正献最高師範の生誕98年

2023年12月09日 | 躰道
 12月9日は躰道の創始者であります祝嶺正献最高師範の生誕98年です。

 大正14年(1925年)12月9日。沖縄本島、山原(やんばる)の山脈を西に背負ったこの有銘地方では、12月の雷雨は珍しくない。尚質王の妃真鍋樽(まなんだる 1649~1668)を始祖とし、3百年の由緒ある家歴をもつ祝嶺家の頭領である春栄はすでに40歳、まだ男児がなかった。「男子を授け給え、わが国土に益する子を授け給え」(拳風夙夜より)
 
 1933年(昭和8年)、9歳のときに佐渡山安恒氏に初めて空手を学ぶ 
 1937年(昭和12年)、岸本祖孝氏に師事する
 1953年(昭和28年)、玄制流空手道を創始する
 1964年(昭和39年)、「新空手道教範」上梓
 1965年(昭和40年)、躰道を集大成し、1月23日に発表。同時に日本躰道協会、躰道本院を設立。日本躰道協会会長、日本躰道本院宗家・最高師範に就任する
 1983年(昭和58年)、世界躰道連盟設立、同連盟総監就任
 2001年(平成13年)11月26日、静岡県伊東市の躰道本院「岳雲荘」にて没す。享年76歳。
 
 祝嶺正献最高師範には数々の人間離れした伝説の事実があります。
「瓦34枚割り」 テレビの生放送で試割りの実演を依頼されていた祝嶺正献最高師範は、瓦の枚数を何枚にするか制作サイドから相談され、「何枚でも良い」と答えた。「34枚ありますが全部ですか」と念を押された上で重ねて承諾。リハーサルなし、生放送のテレビカメラの前で、34枚積み上げた瓦(祝嶺の腰を越える高さ)を、左半身猫足立ち帆立構えからの右手刀一撃で全て割ったのです。


恩師・佐渡山安恒師範と再会(昭和48年4月4日)


瓦34枚割り
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志摩制基さんについて

2023年12月08日 | 躰道
 志摩制基さん

 宮城県石巻市には、自分と最も親しい志摩喜代一さんがいます。宮城水産高校時代はラグビーをクラブ活動としてやっていました。夜は日和山にある石巻道場において躰道を習っておりました。
 
 自分が昭和45年からショーボンド建設仙台支店に赴任していたときには、東北大学と東北学院大学に躰道部を創部して学生たちを指導していました。そして毎週土曜日には、仙台から石巻まで車で行って、石巻道場で躰道を指導していました。その道場は、石巻出身の境一成先生が後進のために建設した道場でありました。当時、三浦照雄さんや和田さんなどが指導者として活躍をしていました。自分が石巻道場に行くようになり、志摩さんと出会いました。当時は茶帯の2級位でありました。
 
 猪苗代で行われていた東京国際大学(当時は国際商科大学)躰道部の合宿に志摩さんが参加したときは、一日のうち半分は練習時間という厳しい合宿であったが、根を上げることもなく合宿練習についてきました。その後一週間は汗が出なかったほど体を絞っていた。とのエピソードがあります。

 その後、志摩さんは黒帯となると指導者として頭角を現してきた。全日本躰道選手権大会にも出場して優秀な成績を実績として残しています。東京で開催される指導者研修会には毎回参加していました。東北新幹線はまだ開通していない頃で、土曜日の夜行列車に乗り、上野の駅には早朝に到着して、研修会に臨んでいました。その内、宮城県を代表する指導者となり、第一回東北地区躰道優勝大会の開催に尽力しておりました。その後、毎年東北大会が継続して開催しているのは志摩さんの献身的な努力の賜物であります。

 そのように躰道の正統な実技と崇高な理念を真摯に学んでいる姿を見ていた躰道創始者の祝嶺正献最高師範は、志摩さんに「志摩制基」の武道名を贈呈しました。躰道では唯一志摩さんだけが祝嶺最高師範から武道名を貰っています。躰道を会員に指導して、会員から慕われていること。祝嶺最高師範から正統な実技を習得していること。躰道の理念を正しく理解して後進に指導をしている志摩さんの活動を評価して「志摩制基」としての武道名を与えたものであります。
 
 祝嶺正献先生は、次代の指導者として認証したものであります。躰道に関しても自分の利益のためにするのではなく、会員や社会やそして世のためになる姿勢で進んでいる姿は多くの人から尊敬されています。躰道についても理念的にも創始者である祝嶺正献先生の考えをよく理解しているトップの第一人者であります。
 
 現在は、宮城県や東北地区を実技の普及と組織の発展に尽力して活躍をしています。日本躰道協会の発展にも貢献をしております。今では、祝嶺正献最高師範の考えを実践している最もトップにいる人と言って間違いない素晴らしい人その人が志摩制基さんであります。


志摩制基さん(石巻市の日和山にて)


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