ラティハン日記

ラティハンと人生の散歩道

ラティハンの寿命

2012-09-07 | 日記
ラティハンは太陽や地球の様に何の支えもなくそこに存在するもの。

「もっと存在しろ」とか「存在するのをやめろ」とか人がどうこうすることはできない。


ラティハンを受ける人が多くなればどうしたってそれをまとめる事が必要になってくる。

それでバパはラティハンを受ける人の為に組織を作った。

そういう訳なので、当然のこの事ながらラティハンの大きさの方がラティハンを受ける
個人やらその集合体である組織やらよりも大きい。


「組織がなくなればラティハンがなくなる」などというのは全くの人の思い上がり。

そんな人の思いとは別次元でラティハンが存在する。

バパに言わせれば「存在してきた」しこれからも「存在する」。


その寿命は地球や太陽の寿命すら超えている可能性がある。

というよりは多分超えているだろうと思うのは、私の思い込みというものですかねえ。


PS
さてそうではありますが、この地球上では人の中に姿を現す以外に表現の形をもたない様であります。

ですから、地上でラティハンを受ける人がいなくなればそれは地球という惑星でのラティハンの終了の時になります。

この時を境にもはや誰もラティハンを受ける事が出来なくなるからでありますね。

宇宙には存在しても我々に手が届かない状態になっているのであればそれは「存在しない」ということと全く同じ事なのです。

そうしてこれは「状況はバパがラティハンを受け取る前に戻った」ということでもあります。


ラティハンはバパにはなかば強制的に啓示されたものでしたが、「それ以降の地上における発展は人の手にゆだねる」と。

「あなたが誰にラティハンを手渡すのか、あるいは誰に手渡さないのか、それはあなたが決める事。」

「その結果として地球上のラティハンが発展するのか消滅するのかは全て人の責任だ。」とね。

どなたの決定なのかは知りませんが、状況はそう語っているのでありました。







コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 無くて七癖 | トップ | 生まれ変わり »

日記」カテゴリの最新記事