ラティハン日記

ラティハンと人生の散歩道

雑記帳9・生と死と聖なるもの/

1987-07-17 | 日記
ラティハンがそれまで世の中に在ったものと同じものであるならば、それは「新しい」とは言わず、極論すれば存在しなくてもいいものになる。

そういう意味では、ラティハンがこの時代に出現してきたという事は、何らかの相違点が、新しい事がその中にある故である。

そうして、ラティハンが扱う対象は、関係している事柄は、「生と死と聖なるもの」、つまりはそれまであまたの宗教が扱ってきたことと同じ領域になるのは必然の事でありました。

さて、そうであれば、どれだけバパがそれらの既に存在している宗教に気を使って、無用の争いが起こらないようにトークをされてはいるのですが、しかしどうしてもそのような宗教権威に挑戦するように見える事柄がラティハンの中には存在しています。

逆に言えば、そうでなければラティハンの存在する意味がないからであり、どうやってみたところでこれは回避できない事であります。

そうであるからと言って、ことさらに相違点をあげて既存の宗教権威に挑戦する必要はありませんが、そうかといって「ラティハンは宗教と同じものである」という意味で「なんら宗教と相違するものではありません。」と言い切ってしまうのもまた本当の事ではないでしょう。

そうであれば妥協点として、現実的な対応としてバパは「今まで続けてきたように、あなたがお持ちの宗教を続けて下さい。」といい、それと同時に「あなたのラティハンを継続していって下さい」と言ったのでありました。

PS
唐突ですが、思いついたので書いておきましょう。

バパは100歳までの寿命を神からもらった、といいました。

しかし現実には87歳で亡くなりました。

それでは神が言ったことは間違っていた?

いいえバパの後継者がちゃんと指名されていました。

そういうわけで、きっちりと神は2000年までは面倒をみてくれました。

「それじゃあ2001年からはどうなったの?」ですって。

そりゃ、バパが前々から言っていたように、「ラティハンは人の手に、本当にゆだねられた」のですよ。

そうでありますから、ラティハンが広まるのも、消滅するのも人間しだい、という時代に入っているのです。

2代目がいう様に「ラティハンは消えても、また現れるでしょう。」という様な可能性は非常に小さい、ほぼゼロでしょう。

バパが言う様に「人が、人のみがラティハンの広がりに対して責任を持つ時代は2001年から」なのであり、もう17年も過ぎてしまいました。


PS
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