2011年12月22日は妹純子にとって第四の人生の始まりです。本人にその自覚があるかどうか? 長い間の病院生活から抜け出して、齢74歳にして殆ど無一物からの新しい出発です。最も心配なのは運動不足からきている手足の衰え、それと頭の回転。この日、病院へは家内と二人で10時に到着。看護師さんたちは それぞれの持ち場に散っていたので、残っていた数名の看護師さんと、常日頃からお世話になっていたケースワーカーさんにだけお礼の挨拶をして、10時30分に出発。車は病院が手配してくれた。見馴れない風景の中を約1時間半、丁度12時に高齢者住宅「うらら多磨」に着いた。昼食の時間にジャスト間に合い。
昼から夜具一式と机が到着。何もないようでも、新居となると落ち着くまでいろいろあり、足らないものも出てくる。この日から早速ヘルパーさんも来たので、時間は慌ただしく過ぎて、家内が還る頃はもう真っ暗だった。私は念のために純子の就寝まで確かめてから、その日は近くのホテルに泊まった。翌朝、見にいったが、ちゃんと時間通りに起きて身支度も整えていたので一安心。昼前に椅子が入り、10時からヘルパーさんが来て、洗濯、掃除など一緒にやってくれる。思った以上に動けるので大丈夫とのこと。本人も落ち着いているので、不足している日曜品を買いに出かけた。府中の中心部までは徒歩、電車で約40分かかる。帰ったころ、またヘルパーさんが来ていた。この日は夜足元を薄明かりで照らすソケットを買ってきたのでそれの説明をして、やはり就寝を確かめてからこの日もホテルへ泊まった。
3日目の24日は、朝は妹のところへは行かずに、府中市役所へ行って転居届を出す。土曜日だが、転居届けなどの窓口は8時半から12時までやっていることを確認しておいた。一番に整理券を引いて待っていたところが、代理人の場合は本人の委任状が要るとのことで、急遽、兄嫁のところ(府中市役所の近く)へ行って作成した。【委任状の用紙は市役所には置いていない。要領を示して本人が自分の紙に自筆することになっている】幸いに兄嫁の家が近かったので10時頃に届けが済んだ。また、日用品不足分を買って行った。純子も3日目なので、住人ともかなり打解けて、この住居が気に入ったようです。その為か、お正月は船橋へは行かずに、ここでお正月を迎えたいとのこと。皆さんもお正月はここで過ごすとのことです。早く新しい環境に馴れる意味でも非常によいことなので、ことしのお正月はここの皆さんと一緒に居るようにした。
今のところ、非常に順調に船出しているようですが、あまり自由になり過ぎて、従来の怠け癖がでてきて、その結果運動不足になって心身の衰えが加速することだけは、絶対に防がなければならない。これには当分の間、近くで見ていなけばならないでしょう。