古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

古墳時代

2016-09-25 20:45:40 | 歴史
古墳時代
350年 大和朝廷が全国を統一
大王(のちの天皇)を中心とした豪族の連合政権が出来る。
同時に古墳文化が始まる。
但し、ヤマト王権は地方の有力豪族が寄り集まった『連合政権』だった。
ヤマト王権は原始共同体的な血縁集団・氏族集団だったのです。
大和地方の地名を氏(うじ)としている『蘇我氏・葛城氏・平群氏・巨勢氏・春日氏』などの最高位の豪族には『臣(おみ)』の姓
ヤマト王権での職務を氏としている『大伴氏・物部氏・中臣氏・忌部氏・土師氏』などの高位の臣に当たる豪族には『連(むらじ)』の姓が与えられました。
『伴造』の姓は、特殊な職能集団である秦氏・東漢氏・西文氏など朝鮮からの帰化氏族に与えられました。
『国造(くにのみやっこ)』は地方の有力豪族に与えられた姓ですが、初期のヤマト王権は各地を実力で支配する豪族たちを国造として承認することで、中央集権的な国家つくりを進めました。
それぞれの豪族が競い合って作ったのが古墳だったのでしょう。
円墳から前方後円墳と日本独特の形になり大型化していきます。
では、邪馬台国の女王「卑弥呼」は有力豪族のメンバーになりえたのか?
残念ながら、豪族の長は男性に限られるようです。
邪馬台国の連合国体制は、卑弥呼が始まりでしょうか
シャーマン的精神支配から、大規模集落で出来た階級、職務別の
権力分担と云う形で連合を作ったのヤマト朝廷だったようです。
391年 大和朝廷が朝鮮で高句麗と戦い、任那に日本府を設ける。
朝鮮との交流が盛んになり仏教などが伝わる。
475年、高句麗の大軍によって百済の都漢城が陥落し、主として百済系の人びとが多数日本に渡来した。
562年 任那の日本府がほろぶ。
弥生時代は大陸(中国)から渡来人が来て、古墳時代は朝鮮からの渡来人となります。
この古墳の文化も後の飛鳥時代に姿を消します。


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1 コメント

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神はサイコロ遊びをする (グローバルサムライ)
2024-04-15 02:19:21
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタインの理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム、人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさもしくは東洋らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。

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