古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

天皇家の三種の神器

2016-10-07 11:37:26 | 歴史
ちょっと話題がそれるかもしれませんが
異性神宮繋がりで、天皇家の三種の神器
歴代天皇が継承する【三種の神器】とは


「八咫鏡(やたのかがみ)」は
 アマテラスが天岩屋(あまのいわや)に隠れてしまったとき、誘い出すための鏡
 伊勢神宮の内宮に奉納されている。

「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」は
 天岩屋の榊に「八尺瓊勾玉」がかけられていた
 名古屋の熱田神宮に奉納されています。

「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」は
 スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治したときに、その尾から現れた
 皇居吹上新御所(こうきょふきあげしんごしょ)の剣璽の間(けんじのま)

三種の神器はアマテラスオオミカミによって孫のニニギノミコトに授けられ、ニニギノミコトを地上界に降りさせました。

この三つの由来は諸説あります。
勾玉は、日本古来で弥生時代以前(渡来人影響がない時代)より男女問わず飾りとしてあった様です。
お守りの意味があったのか、その形から生命の神秘も感じられます。
それにしても八尺瓊勾玉ですので、180cmほどの赤色(たぶん瑪瑙)の勾玉ですので
一つの石とするとかなり大きく重いです。
複数の勾玉が縄で繋がって長いという事っだと思います。

鏡は、卑弥呼の祈祷でしょうね。大陸から伝わった文化です。
卑弥呼より古いと思われる鏡も出土しています。

剣は、出雲国から奉納されたものではないでしょうか。

ヤマト朝廷の時代には、この三つが天皇家に揃っていたので、後の古事記・日本書紀に記載され神話の元になったと思います。
鏡は、伊勢神宮創建時に、アマテラスの御神体として伊勢の地へ奉納されたでしょう。
残った二つは天皇家と共にありましたが、源平合戦の際に瀬戸の海に沈んだとか
勾玉は木箱に入っていて浮いていたので回収されたとかの話があります。
後に天皇が東京へ移動される際に、剣は熱田神社に奉納されたのではないでしょうか。

・儒学伝来以後、「鏡」は「知」、「勾玉」は「仁」、「剣」は「勇」
・「鏡」は「アマテラス」、「勾玉」は「ツキヨミ」、「剣」は「スサノオ」の三貴神

ここでも私の私見ですが
勾玉は、古代より倭国にあった文化です、卑弥呼の時代に連合国の意味で各国々が忠誠の
意味で勾玉を差し出したのではないえしょうか。
魏の国への貢物にも勾玉があります、魏の国への忠誠の意味が含まれていると思います。
鏡は魏の国から贈られた物でしょう。
この二つで卑弥呼が国内、海外の双方で王と云う証になります。
剣は出雲国の忠誠の証で後の物だと思います。
後々まで出雲国を大切な同盟国としたと思われますね。

いずれにしても、実存すのであれば、一度、化学分析したいところですが、宮内庁管轄で
私たちは見る事すらできません。
特に伊勢神宮の鏡は複製品でない可能性が高く、かなり古いものと推定されます。
いずれにしても、倭国・邪馬台国・大和朝廷は歴史の中でつながりがあると考えています。


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