▲ 激戦地南津関 ▼ 9月13日の朝が明けた。「涼さん」、「陳さん」、に地元のガイドが加わり、宿を8:30出発した。ガイドは「宜昌の人口は戦前20万人、現在25万人」と言う。バスは長江左岸を西へ走り、「長江渓橋」を渡り、かつての激戦地「南津関」に至り、「望郷台」に駐車した。!!!!!
▲ 望郷台のいわれ ▼ 「南津関」は、旧名を「難津関」と言い,四川省に行く旅人は、ここから長江下流の故郷を望み、涙を流したと言う。名付けて「望郷台」だった。黄濁した長江の水に比べて、極めて対照的な澄んだ藍色の支流を眼下に見て渡った先の狭い石段を下る。!!!!!
▲ 三遊古洞 ▼ 洞窟が見えてきた。「三遊古洞」である。この洞窟壁面には、唐代の著名な三人の詩人が、沢山の漢詩を読み、絶景を愛でたと言う、その漢詩が刻み込まれていた。正しく天下の絶景を時間を惜しみ鑑賞した。やがてバスはますます険峻な山岳道を辿る。!!!!!