私の歴史

私は森羅万象、波乱万丈の一生を送っています。これからもそれを繋いで行く事でしょう。

あわや水死か◇生死のはざ間NO5

2006-03-29 13:33:50 | 歴史
国道と鉄道線路の間に、 西へ流れる小川がありました。 日差しの暑い時
ザンブリ 飛び込み 水泳です。 水田へ引く堰付近には、 大きな輪の渦あり
不覚にも巻き込まれ、 底へ猛烈に引き込まれ、モガキモガイても 浮上できず、アップ アップ 最早絶望かと思われたとたん 堰の木枠に手が振れて危なく命拾い 九死に一生を得ました。
このときの中耳炎が慢性化し、治癒せず、今も身内同然です

断崖墜落事故◇生死のはざ間4

2006-03-21 16:11:45 | 歴史
一次世界大戦が終わりを告げ、 大恐慌の嵐が吹き荒れ, 原敬首相が暗殺される
暗い世相の時代  多額の借金を抱える父は、 「木戸駅」から260キロ離れた
大船渡線「小梨駅」へ転勤します。

昭和3年9月から約5年、 少年は、鉄道官舎、丘陵と森林、清田小学校と山猿まがいで育ちます。 掲載写真の「石碑」付近には、官舎に隣接して60メートルの
断崖があり、  頂上の「山神社」目掛けて登攀開始、 途中足を滑らしてゴロゴロと転落  血にまみれ、息も絶えダえの瀕死の重傷を負えました。

77年後の平成16年2月末, 清田小学校を訪ねました。トンネル脇の旧校舎は既に無く、 親子4人の住まいした官舎は消滅   跡地は広く拡張整備され立派な校舎になりました。浦島太郎の心境でした。 

取材旅行・清田小学校

2006-03-11 21:37:27 | 旅行
「私の歴史」を編集取材の為に、 岩手県一関市千厩町(旧小梨村清田)
を2月28日訪問しました。 鉄道員の父親が常磐線木戸駅から大船渡線
小梨駅へ昭和3年9月家族3人と共に転勤しました。 78年前当時私は
小学校1年生でした。

約6年間学んだ、トンネル東側の旧校舎は既に無く、 私が住まいとした
鉄道官舎跡地は、新校舎へ変化していました。私が転落した30メートル
の崖は取り払われ、木登りした林も後退し、広い広い運動場へ大変身、  
今様浦島の心境でした。

講堂北裏から遥か東の方角に、懐かしい「室根山」が遠望され、また帰路
国道284号に沿う「落合川」を眺め、通学途中、雨季増水せるこの川で
溺れて危なく水死する事故を起こしました。