一陽来福  ~齋藤一陽による截金の日々~

伝統工芸。截金職人齋藤一陽が、日々の物創りの様子を紹介します。

花の眠る場所。~空木の章~

2012-05-12 00:32:11 | 花の眠る場所。

雪深く


けぶる白花 春山に

言祝ぎ告げり 散りつる卯の花



山の峰にはいっせいに、白く風花が舞う。

春の山に、雪が深く降ったのだろうか。。


はたして一面は白花(しらばな)でいっぱいになっていた。

雪がたくさん降ることは吉祥のしるし。でも花が散ってしまうのは、とても哀しいこと。
どうか白花(卯の花)よ。そんなに散りいそがないでおくれ。










雪が降ることは花咲くことを思わせ、昔の人々にとって稲の実りを予祝することだったのかもしれない。

だから白い花がたくさん咲くことは、ひとの心に寿ぎをもたらしたのだろうと、おもう。






空木のはなを

卯の花という。



卯の花は、卯月に咲くから卯の花だと言われている。

そして卯月と卯の花とは関係しているようだ。

卯杖(ウヅエ)・卯槌(ウヅチ)を空木で作り、そして、空木は「鬼やらい」にも用いる木。
初春に杖をもって、まず地面を打って置き、いよいよ田の行事にかかる4月になると、ふたたび行事を繰り返す。


かたちは中国から来ているが、その元の信仰は日本のものであるそう。
それには「うつ」という意味を持つという。
うつの意味には古い処では、放擲(ホウテキ)すると言うことに使われていて、土をたたくのは、散ずること、そして土の精霊を呼び醒すことになる。


卯月に入ると、女達の物忌みが始まり、女達は山籠りをする。

女の物忌みとして、田を植える五月処女(サウトメ)を選定する行事は、卯月の中頃のある1日に「山籠り」として行われる。
4月8日を中心としたこの日を、「山籠り」の日といっている。
そして、皐月の田植え前に、五月処女(サウトメ)を定める為の山籠りをしたのである。

この山籠りの帰りに、処女たちは、山の躑躅を、頭に挿頭(カザ)して来る。これが田の神に奉仕する女だと言う神聖な資格を得た徴(シルシ)であったそう。
処女(ヲトメ)とは神事に仕える女。と言う意味。

のちには、これが忘れられて山遊び・野遊びになり。こうして山籠りは、一種の春の行楽になってしまったようです。

春から初夏の花たちは、稲の実りを予祝するものであり。
ことに桜は、山から里に降りる田の神さまの寄りどころとなるもの。
そして卯の花にはもう少し現実的な、田植えの時期を知らせる花の意もあったようです。


古代より日本では、旧4月8日は山の神と田の神とが交代する大切な日。
そして4月8日は、仏教でも大切な日。
お釈迦様が生まれた潅仏会という日でもあるけれど、「花まつり」ともいいます。

そしてそれを告げる大切なお花が、卯の花であったということです。




不思議な偶然という必然なのですね^^
これが自然というものなのか~と、想いました。





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花の眠る場所。~桃の章~

2012-03-03 20:55:12 | 花の眠る場所。
桃笑う

春の言祝ぎ たちぬれば

卯杖のさきの 花もほころぶ




桃が笑う



もものはな。


このはなは、咲くのではなく、笑くのだという。



日本では、
桃はオホカムツミノ命という神さまなのですが、
黄泉国と現世の境にある桃の木として日本の神話に出てきます。
有名なお話。
黄泉で追いかけられて逃げるイザナギが桃三つを投げると、鬼がことごとく退散したというので、 イザナギが桃の木に「オホカムツミ」と名付けたのだそう。

桃の実りの速やかなことも、この民俗を生み出す原因になったのであろうし、
桃という語の、二番目の「も」字は、実の意味であり、
桃には、実りの多い謂れから「百」とする説もある。

偉力あるもの。
それが人間に働きかける力が善であつても、悪であつても、人力を超越してゐる場合には、我々の祖先は、それに神と名を与へ、猛獣・毒蛇の類も、神と言い馴らしている。山川・草木・岩石の類もまた、神名を負うたものが多い。桃がおほかむつみといふ神であるのも不思議はない。
折口信夫より


道教でも桃は尊ばれる果実であって、西王母の桃の由来から長寿をあらわし、仙桃とよばれ、

そして古代中国より渡ってきたであろう。
魔を祓う強力な呪力をもつ存在として、生活の防衛と純浄化を担うもっとも有力なものとして、古くは先秦時代や唐朝に至るまで、桃茢(とうれつ:桃の木と、あしの穂のほうき)といったものが、明らかに使用されていたと思われる記録もあるそう。

それが、日本では卯杖の形のもととなるようなものであるけれど、

その信仰については、日本古来のものであるという見解もあるようです^^
卯杖の話は卯の花のお話のとき。また詳しく調べてみたいと思います。




そして 桃が笑くのは

花が言祝ぎ 微笑みをたたえたときであろうか?





という語源には、巫女が神さまのこころを和らげるため、舞を舞うようすがあらわされているのだということです。




こころは

ほころんだでしょうか?^^





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花の眠る場所。~紫陽花の章~

2011-06-24 16:22:29 | 花の眠る場所。
五月雨落ちて


花つよく 

いろも 匂いも 立ちにけり

四葩(よひら)の玉に 星も住みける



ほの暗い露の中に

或は薄闇にこそ、
その存在をつよく知るのは、とても不思議な感じがする。



匂うという言葉は、香りではなくて色を精彩に美しく映える様子のことをいったのだという。古代日本人は、色の精彩さを匂うと表現する感覚を持ち合わせていたそう。

ほの暗い雨の日
山に咲くつつじの色の美しさや、
薄闇の中。不思議にも花の気配をとても強く感じて、
どこにあるのだろうと探してしまう。
単純に雨や薄暗さで、五感が自然にいろんなものを探ってしまうのだろうと思うけれど、

その時
花をひときわ美しく感じるのも事実だ。。^^


桜の章でもでてきたけれど、古代日本人は概して花の散るのを惜しむ。
そしてその反対の理由から、花と実が永続的に保つことを深く望み。花と実が長く着く木は長寿を祝うとして貴ばれた。

稀の木が古代、目出度いとされたのも同様で、「非時(ときじく) の香(かぐ) の木の実」が、何時までも枝から落ちずに留まっている姿に起因しているそう。

花や実の早く散るのが美しいか、長く保つのが良いかは、今ならば趣向ですむことであるけれど、
古代人にとっては、そうもいかない。
花や実、自然からの魂の囁きを聴いていたのだろうから。


そういう意味で、万葉の頃、いつまでも花を落とさぬ紫陽花もまた、縁起のよい花とされていた。
平安になると、四葩・よひら(額紫陽花)は夜をあらわし、少し寂しい印象をうける。
近年には、その色の移ろいやすいことから、あまりよい印象を受けない花でもある。

時と時代により、花のありかたが変わってゆくことが、興味深くもあり、
忘れさられてしまうのは、どこか少し寂しい。。


昔のことであっても、知っておくくらいいいじゃないかー^^と思い。
ボツボツと描き記していくつもりです~



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花の眠る場所。~月見草の章~

2011-06-15 22:26:22 | 花の眠る場所。
露さりて


岸にたたずむ  つきみぐさ

川にながるる 月もあるかな



露の落ちるのも鎮まり、月見草も少しほっとしたように、川の岸辺に佇む。

雲間からは、月光も射し、花のまわりを、ほんやりと明るくする。

水面には待宵の月映り、その姿は川に流るるようであった。



月見草は、どこか寂しそうで、いじらい風情をもったお花のように想います。


群馬県には月夜野。
と、言う土地があります。祖母がいっとき育ったところで、私自身は幼少期に一度行ったことのある土地というだけなのですが、祖母が良く話してくれたので、
月夜野ときくと、なんだか懐かしくなります。

月見草は待宵草。宵を待ち、花を咲かせます。
昔、どこぞのお殿様が月夜野の地を宵の頃に散策し、その野っ原に立ち寄ると一面に待宵草が咲き乱れ、月の光を受けた原が一面にほの明るく輝いた。

お殿様は、よい月よの~

と、言ったとかなんとか^^;

ほんとに子供のころに聞いたお話なので、祖母の話や昔話を勝手に記憶でつなげてしまったのだと思います。。まあ適当にお聞き流し下さいませ。

noriさんの美しい月見草のデジブックをみていたら、月見草の記事が書きたくなりました^^
月ではなく、陽の光にキラキラと朝露とともに輝いていますー
noriさんのデジブックはこちら→http://blogs.yahoo.co.jp/kabotya707/archive/2011/6/8

待宵草は明治期に渡ってきた植物ということですが、、昔話もいくつか伝わっているようですし、もう少し古い時代からあったのではないかなー。
と思いますね~^^

昔話には、月見草の嫁。川を流れた月見草。などがあるようです。


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花の眠る場所。~桜の章~

2011-05-20 01:08:24 | 花の眠る場所。
山いづる

里のさ坐の たま咲きて

沈む花の香

うつろう ひらの


春になると山の神さまは、里に下り、さの坐に宿る。
「サ」というのは田の神のことで、サクラの花には昔からこの神が宿ると考えられ、特別な花でありました。

その昔。
桜の花というものは、そのような存在であったそうです。

花と言うことばは、ほ・うらと意の近いもので、前兆・先触れと言う意味になるそうです。

なるほど後に、乙女たちに花占いなどという、花のひらをちぎって、恋を占うなんていう習わしのようなものができたのも、とても自然なことのような気がします^^

山に桜の花が咲くと、その咲き方で年の稲の収穫が占われ
その故に、花が散りさってしまうことは惜しまれ、同時に桜は田の仕事始めを告げる花であり、人々にとても近しく在る花でもあったのだと思います。

さらにその昔、桜は山の桜のみであって、山は容易に人が足を踏み入れる場では無かったから、遠くより桜の花を眺めて、その花で稲の実りを占った。なので花が早く散ったら大変であったそう。

奈良朝の歌は、桜の花を賞めて居らず、鑑賞用ではなく、実用的のもの、占いの為に植えていたようで、
万葉集によると梅の花を賞めているけれども、桜の花は賞めて居ないそうです。



打ち靡(ナビ)き春さり来(ク)らし。山の際(マ)の遠き木末(コヌレ)の咲き行く 見れば(万葉巻十)

の如き歌もあるが、此は花を讃めた歌ではない。名高い藤原広嗣の歌。


此花の一弁(ヒトヨ)の中(ウチ)に、百種(モヽクサ)の言(コト)ぞ籠れる。おほろかにすな(万葉巻八)

は女に与へたものである。此は桜の枝につけて遣つたものであらう。


此花の一弁(ヒトヨ)の中(ウチ)は、百種の言(コト)保(モ)ちかねて、折らえけらずや(万葉巻八)

此は返歌である。此二つの歌を見ても、花が一種の暗示の効果を持つて詠まれて居ることが訣る。こゝに意味があると思ふ。桜の花に絡んだ習慣がなかつたとしたら、此歌は出来なかつたはずである。其歌に暗示が含まれたのは、桜の花が暗示の意味を有して居たからである。

ということが、折口信夫先生のお話からわかります。


桜は一年の生産の先触れとして重んぜられ、花が散ると、前兆が悪いものとして、桜の花の散ることは惜しまれ。また哀しみ。
うつろうはかない姿に、ものの哀れと美しさを感じ。
神の宿るこの花を愛でる心ができあがっていったのでしょうか。。


花鎮(ハナシヅ)めのお祭りが平安朝の初めからありますが。
最初は花のやすらふ事を祈るものであったそうです。それが人の体にも疫病が出ると言うので、それを退散させる為の群集舞踏になっていく。。



私たちは普段、お花というものを、癒しや飾りのように、ただふわふわとした軽やかなもののように思っているものですが、
むかしの人々は、そのうつろう花という存在にどれほどの思いをかけていたか、そして自然と真剣に向き合っていたことをとても深く感じるものでありました~^^


桜の季節にアップするつもりがこんなに遅くなってしましました^^;

この桜のお話はもとは、伊勢の友人から山の神さまと桜のお話をきいて、感動したのがはじまりで、それからボツボツとお花のことを調べていくうち、集めたお話です^^



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つらつら椿つらつらに。

2011-02-24 12:05:16 | 花の眠る場所。
つらつら椿つらつらに


万葉のころ。山には自生の椿がつらつらと、咲きみだれていたのでしょうか?


さて、その頃山に咲く山茶花と藪椿などが万葉の人の目に区別されていたかというと、なんとも難しいことだと思います。
そしてそのままいつの頃からは分かりませんが中国に渡って行ったのだと思うのです。

サザンカは、中国語でツバキ科の木を「山茶」といい、その花を「山茶花」と称したことに由来するそうで、「山茶」と呼ばれる由来は、葉がお茶のように飲料となることから、「山に生える茶の木」の意味だそう。
日本では遅く、中世に中国から逆輸入のようなかたちで「山茶花」の名が現れ、江戸中期頃から定着したようです。
今私たちが一般に目にしている椿は、実は中国より渡ってきた種なのだそうです。
山茶花の関連記事はこちら→http://blog.goo.ne.jp/ichiyo_raihku/e/8ef573f9d4559cba85edc3b1a79beb90

しかしやはり日本人の心にうつる椿といえば、藪椿のような気がします。


なごり雪

山ふりつもり こごえける

あかく咲きつる 椿落ちらん


雪のまだ残る山の辺を さくさくと歩いていく すると ぽとり ぽとりと あかく椿の花が落とされていて ハっとつよく心にのこる

太陽が衰え、大地の生命力が深く眠る冬期に、復活の儀礼として明るい陽春を予祝した椿は、文字通り、春を言触(ことぶ)れる花木として重要な意味を持っていた花のひとつなのだそうです。

陰に満ちた冬にあって、花は陽の進出する場となり、
中でも椿は一番に咲き、春を寿ぐ。

奈良のお水取りなどでも、椿の花が使われていますね^^

昔、鎌倉期も終わりころまでは、宮中にも卯杖という春の儀式というものがあり、山からもたらされた杖(棒)で大地を突き、陽の魂を地に植える。それにも椿の木が使われることもあったそう。
また民衆の間でも山より女たちが椿の枝を持ってきて春の言触(コトフ)れをしていたようです。

陰の中にあり、陽の進出の場をいち早くつくりだす椿が、邪を祓うものとして文様の中に現れてきたのも、とても自然なことなような気がしています。

でもちかごろでは、春といえば、桜・梅・桃など寿ぐ花は咲き乱れ、椿は愛されてはいるものの、少々遠い存在になっていて、
その昔、とても重要な役割を担っていながら、わたしは少し寂しいような気がしています。
まだこのようにして、眠ってしまったような花たちがたくさんあるように思うので、その場所をまた探しだしボツボツと書いてみたいと思います。
なんだか、眠り姫を探しだすみたい^^

花の眠る場所。

こんなお花たちをほりおこして、作品に投影していきます^^←誓い!


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