山いづる
里のさ坐の たま咲きて
沈む花の香
うつろう ひらの
春になると山の神さまは、里に下り、さの坐に宿る。
「サ」というのは田の神のことで、サクラの花には昔からこの神が宿ると考えられ、特別な花でありました。
その昔。
桜の花というものは、そのような存在であったそうです。
花と言うことばは、ほ・うらと意の近いもので、前兆・先触れと言う意味になるそうです。
なるほど後に、乙女たちに花占いなどという、花のひらをちぎって、恋を占うなんていう習わしのようなものができたのも、とても自然なことのような気がします^^
山に桜の花が咲くと、その咲き方で年の稲の収穫が占われ
その故に、花が散りさってしまうことは惜しまれ、同時に桜は田の仕事始めを告げる花であり、人々にとても近しく在る花でもあったのだと思います。
さらにその昔、桜は山の桜のみであって、山は容易に人が足を踏み入れる場では無かったから、遠くより桜の花を眺めて、その花で稲の実りを占った。なので花が早く散ったら大変であったそう。
奈良朝の歌は、桜の花を賞めて居らず、鑑賞用ではなく、実用的のもの、占いの為に植えていたようで、
万葉集によると梅の花を賞めているけれども、桜の花は賞めて居ないそうです。
打ち靡(ナビ)き春さり来(ク)らし。山の際(マ)の遠き木末(コヌレ)の咲き行く 見れば(万葉巻十)
の如き歌もあるが、此は花を讃めた歌ではない。名高い藤原広嗣の歌。
此花の一弁(ヒトヨ)の中(ウチ)に、百種(モヽクサ)の言(コト)ぞ籠れる。おほろかにすな(万葉巻八)
は女に与へたものである。此は桜の枝につけて遣つたものであらう。
此花の一弁(ヒトヨ)の中(ウチ)は、百種の言(コト)保(モ)ちかねて、折らえけらずや(万葉巻八)
此は返歌である。此二つの歌を見ても、花が一種の暗示の効果を持つて詠まれて居ることが訣る。こゝに意味があると思ふ。桜の花に絡んだ習慣がなかつたとしたら、此歌は出来なかつたはずである。其歌に暗示が含まれたのは、桜の花が暗示の意味を有して居たからである。
ということが、折口信夫先生のお話からわかります。
桜は一年の生産の先触れとして重んぜられ、花が散ると、前兆が悪いものとして、桜の花の散ることは惜しまれ。また哀しみ。
うつろうはかない姿に、ものの哀れと美しさを感じ。
神の宿るこの花を愛でる心ができあがっていったのでしょうか。。
花鎮(ハナシヅ)めのお祭りが平安朝の初めからありますが。
最初は花のやすらふ事を祈るものであったそうです。それが人の体にも疫病が出ると言うので、それを退散させる為の群集舞踏になっていく。。
私たちは普段、お花というものを、癒しや飾りのように、ただふわふわとした軽やかなもののように思っているものですが、
むかしの人々は、そのうつろう花という存在にどれほどの思いをかけていたか、そして自然と真剣に向き合っていたことをとても深く感じるものでありました~^^
桜の季節にアップするつもりがこんなに遅くなってしましました^^;
この桜のお話はもとは、伊勢の友人から山の神さまと桜のお話をきいて、感動したのがはじまりで、それからボツボツとお花のことを調べていくうち、集めたお話です^^
着付け教室をはじめたお友達たちがリンクを貼ってくれました。
「ふあふあくらぶ 奈良の生駒で着付け教室・苔盆栽・パン教室」
http://ameblo.jp/fuwafuwapannookurimono/
京女さとこはんは一陽の帯留めを身近に実際に使って下さっています^^
ありがとうございます。
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春になると山の神さまは、里に下り、さの坐に宿る。
「サ」というのは田の神のことで、サクラの花には昔からこの神が宿ると考えられ、特別な花でありました。
その昔。
桜の花というものは、そのような存在であったそうです。
花と言うことばは、ほ・うらと意の近いもので、前兆・先触れと言う意味になるそうです。
なるほど後に、乙女たちに花占いなどという、花のひらをちぎって、恋を占うなんていう習わしのようなものができたのも、とても自然なことのような気がします^^
山に桜の花が咲くと、その咲き方で年の稲の収穫が占われ
その故に、花が散りさってしまうことは惜しまれ、同時に桜は田の仕事始めを告げる花であり、人々にとても近しく在る花でもあったのだと思います。
さらにその昔、桜は山の桜のみであって、山は容易に人が足を踏み入れる場では無かったから、遠くより桜の花を眺めて、その花で稲の実りを占った。なので花が早く散ったら大変であったそう。
奈良朝の歌は、桜の花を賞めて居らず、鑑賞用ではなく、実用的のもの、占いの為に植えていたようで、
万葉集によると梅の花を賞めているけれども、桜の花は賞めて居ないそうです。
打ち靡(ナビ)き春さり来(ク)らし。山の際(マ)の遠き木末(コヌレ)の咲き行く 見れば(万葉巻十)
の如き歌もあるが、此は花を讃めた歌ではない。名高い藤原広嗣の歌。
此花の一弁(ヒトヨ)の中(ウチ)に、百種(モヽクサ)の言(コト)ぞ籠れる。おほろかにすな(万葉巻八)
は女に与へたものである。此は桜の枝につけて遣つたものであらう。
此花の一弁(ヒトヨ)の中(ウチ)は、百種の言(コト)保(モ)ちかねて、折らえけらずや(万葉巻八)
此は返歌である。此二つの歌を見ても、花が一種の暗示の効果を持つて詠まれて居ることが訣る。こゝに意味があると思ふ。桜の花に絡んだ習慣がなかつたとしたら、此歌は出来なかつたはずである。其歌に暗示が含まれたのは、桜の花が暗示の意味を有して居たからである。
ということが、折口信夫先生のお話からわかります。
桜は一年の生産の先触れとして重んぜられ、花が散ると、前兆が悪いものとして、桜の花の散ることは惜しまれ。また哀しみ。
うつろうはかない姿に、ものの哀れと美しさを感じ。
神の宿るこの花を愛でる心ができあがっていったのでしょうか。。
花鎮(ハナシヅ)めのお祭りが平安朝の初めからありますが。
最初は花のやすらふ事を祈るものであったそうです。それが人の体にも疫病が出ると言うので、それを退散させる為の群集舞踏になっていく。。
私たちは普段、お花というものを、癒しや飾りのように、ただふわふわとした軽やかなもののように思っているものですが、
むかしの人々は、そのうつろう花という存在にどれほどの思いをかけていたか、そして自然と真剣に向き合っていたことをとても深く感じるものでありました~^^
桜の季節にアップするつもりがこんなに遅くなってしましました^^;
この桜のお話はもとは、伊勢の友人から山の神さまと桜のお話をきいて、感動したのがはじまりで、それからボツボツとお花のことを調べていくうち、集めたお話です^^
着付け教室をはじめたお友達たちがリンクを貼ってくれました。
「ふあふあくらぶ 奈良の生駒で着付け教室・苔盆栽・パン教室」
http://ameblo.jp/fuwafuwapannookurimono/
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うん。文章がいい。
さらっと入ってくる。
いつも楽しみにしてます^^
素敵なお話をありがとう。
これからもblogの更新を楽しみにしています。
いいお話をありがとうございました^^。
^^いつもありがと~
あれ?めぐめぐだよね?
コメントありがとです~^^
もとは伊勢の友人から聞いたお話でしたが、とても素敵なお話だったので、ちょこっと調べてみました。
民俗学は面白いです♪
いつもありがとうございますー^^
noriさんのお写真で、心があらわれています。
昔の方々というのは、何につけ、本当にすごいな~と、思わされるばかりです!